栗と日本酒の共通点…ご存知ですか。

秋を代表する、旬の味覚「栗」。

今年の8月、
は1946年(昭和21年)の
統計開始以降、
歴史的な猛暑を記録したばかりか、
降水量ももっとも少雨を記録。

さらに9月を迎えても
厳しい残暑が続き、
10月になってようやく
暑さが癒えて涼しくなり、
秋らしい気配を
感じるようになってきました。

スーパーの店頭には、
旬を迎えた山の幸、海の幸が
所狭しと並び、ついつい
“食欲の秋”を意識せざるを得ません。

そんな秋の味覚の
代表格のひとつに栗があります。

店頭では、ほかの野菜と同じように
“○○産”などと産地表示されて
いますが、大きな分類としては、
原産国によって4つに区分できます。

一般的に店頭に並んでいるものの
多くは“日本栗”で、
“和栗”とも呼ばれます。

日本原産の野生の芝栗を
品種改良したもので、
実が大きく風味が良好。

上品な甘さで、和食の味付けに
合った味わいといえます。

また“日本栗”の表層の鬼皮は硬く、
さらに中の実は剥きにくい
渋皮に包まれています。

次に天津甘栗で有名な“中国栗”。

甘くて渋皮も剥きやすいのですが、
実が小さく、栗の害虫クリタマバチの
被害を受けやすく、
日本では栽培されていません。

続いて、マロングラッセなどに
使われている“ヨーロッパ栗”。

小振りで渋皮が剥きやすいのが特徴。

この品種も害虫被害に
見舞われやすいため
日本での栽培はありません。

そして最後に “アメリカ栗”。

この品種は20世紀初頭に発生した
栗胴枯れ病の被害でほぼ壊滅。

現在、アメリカの一部の地域で
栽培されていますが、病害に弱く、
日本での栽培はできません。

また、スーパーの店頭で見かける
韓国産の多くは、
栗剥き作業の拠点を韓国に移す際に
“日本栗”の苗木が韓国に移植され、
それが広まったもの。

現在、韓国産 “日本栗”の出荷量は、
日本の約3倍ともいわれています。

“日本栗”の歴史はかなり古く、
約5000年前の縄文時代の遺跡
“三内丸山遺跡(青森)”から出土。

平安初期には
京都丹波地方で栽培されはじめ、
やがて栽培地域は全国へと
拡大していきました。

安定栽培されていた“日本栗”ですが、
1941年(昭和16年)前後に
中国から持ち込まれた
栗の害虫クリタマバチによる被害で
大きな打撃を受けることに。

それを元に、クリタマバチに対する
抵抗性の高い品種改良が進み、
いくつかの交配品種が生まれました。

有名な品種は“銀寄(ぎんよせ)”で、
有名ブランド「丹波栗」がその代表格。

兵庫県・大阪府を中心に
栽培されており、
ちょうど10月が旬です。

このほか、もっとも広範囲で
栽培されている“筑波”、
夏の終わり頃から
出回りはじめる早生種“丹沢”、
逆にこれから
出回りはじめる晩生種“石鎚”、
“日本栗”と“中国栗”の
良い特長を併せ持つ
一代交配種“利平”…
そして最近は、
渋皮が簡単に剥けると話題の
“ぽろたん”など、
数多くの交配品種が生まれています。

さて、タイトルの
“栗と日本酒の共通点”ですが、
それは“香り”です。

“日本酒って、栗の香りがしたっけ?”
とお思いでしょうが、
“栗の香”は日本酒造りに
欠かせない香りなのです。

 

日本酒の醸造工程に欠かせない「栗香」。

一般的に、
日本酒のラベルの原材料名には、
純米酒には“米”“米麹”と表記され、
吟醸酒や普通酒は、
これに“醸造用アルコール”が
追記されているのみ。

つまり、山田錦などに代表される
酒米(酒造好適米)、
厳格に管理されている米麹、
さらには表記規定のない
酒造りに適した“水”によって、
旨い日本酒は造られています。

一般的な食品に使われる
着色料、甘味料、香料、保存料などは、
一切使用されていません。

だからこそ、
厳格な温度管理や醗酵時間管理が
とても重要です。

もともと、日本酒の原材料となる米には
糖分が含まれていないため、
麹の酵素によって
“糖化
(米のでんぷん質をブドウ糖に変える)”し、
酵母によって
“アルコール発酵
(ブドウ糖をアルコールに変える)”を
行っています。

この2つの反応を微生物の力を借りて、
同時に同じタンク内で行う
“並行複醗酵”という
世界でも類を見ない
高度で複雑な醸造技術こそが
日本酒の真骨頂といえます。

こうした複雑な工程の中で、
蒸米後に、種麹を蒸米に振りかけ
麹菌を繁殖させる米麹をつくる
“製麹(せいぎく)”の際の工程の
進み具合を判断する基準が、
温度であり、“香り”です。

まず、製麹の最初の“蒸米香”が消え、
種麹の“もやし香”に包まれます。

そして、温度管理を行いながら、
1日半ほどかけて揉み込んだり、
ほぐす中、やがて香りはじめるのが
良い麹の証ともいえる「栗香」です。

焼き栗のような香りで、
この香りと麹の状態を判断基準に、
蒸米、米麹、水を加えて
酵母を培養する
次の“酒母づくり”の工程へと
進みます。

「栗香」は日本酒造りに
欠かすことのできない
大切な香りなんです。

急激に訪れた肌寒い秋。

グッと冷え込んだ夜は、
“栗ごぼうの味噌煮”
“鶏肉と栗の煮込み”
“栗の豚肉巻き”など、
旬の味覚を肴に熱燗を一杯。

締めに“キノコたっぷり栗ご飯”で、
秋を味わってみるのは
いかがでしょうか。

今年の「中秋の名月」は、10月1日。2020年は、少し遅め。

1年に何度かある満月の中で、「中秋の名月」が注目される理由。

一度くらいは、
“なぜ、あんなに大きな月が、
夜空に浮かんでいるのだろうか”
と考えたことはありませんか。

月だけでなく数多くの宇宙の謎は
科学的に解明されているとはいえ、
大きな月が夜空に輝いている姿は、
理屈抜きに不思議な感じがします。

この感覚は
“金属の塊が空を飛ぶ”
“鉄の塊が水に浮く”という
飛行機や大型船舶を見て、
ふと感じる疑問に似ています。

科学的な解明が進んだ
現代にあっても、そんな疑問が
頭をよぎるのですから、
まったく科学の知識がない
太古の昔であれば、
なおさら神聖なものに映り、
月の色がいつもとは違ったり、
大きく観えたりすると、
“月が落ちてくる
予兆かもしれない”
と考えられていたとしても
不思議ではありません。

さて、そんな月が一年で
一番注目されるのが
「中秋の名月(十五夜)」で、
今年は、10月1日(木)です。

「中秋の名月」
についておさらいを少し。

月が満ちて欠けるまでを
1周期とした時、
新月の日を1日目としたときの
ちょうど真ん中の15日目が
十五夜で「中秋」です。

今年の満月は
10月2日6時05分なので、
“中秋の名月”であって
“中秋の満月”ではありません。

2021年から2023年が
「中秋の名月」と
満月の日が一致、
それ以降の年は、
満月が1〜2日遅れて
やってきます。

旧暦では7〜9月が秋とされ、
その3ヵ月間のちょうど真ん中の
8月15日が「中秋」なので、
月の満ち欠けに関係なく、
“旧暦8月15日の月”
ということです。

「仲秋」と書く場合は、
「7月(初秋)、
8月(仲秋)、
9月(晩秋)」の
8月の別称である仲秋を指し、
本来は“仲秋の名月”
とはいいません。

なお、「中秋の名月」は、
9月7日から10月8日に訪れ、
今年は少し遅いようです。

一年を通して月は見えますが、
夏の月の軌道は低く、
逆に冬の軌道は高すぎるため、
ちょうど見上げるのに
適した高さが春と秋。

“春霞”“秋晴れ”
の言葉でわかるように、
天気の優れない春よりは
天気の良い日が多い秋の月見が
季節行事として
定着したとされています。

「中秋の名月」の行事、
かつては高い位の貴族達の間で
行われていた風習が、
江戸時代になって
庶民の間に広まり、
一般的な行事へと
転じていきました。

稲の豊作祈願のお祭り説や
古代中国の月を見る行事が
平安時代に伝来した説など、
その起源は諸説あります。

実際には、月に見立てた団子に
すすきをお供えして、
名月観賞の後、月にあやかって
家族で食べるという習わしが
昔ながらの行事スタイルと
されています。

 

最近の月に関する大きな話題は、“スーパームーン”。

ここ最近、
よく見かける月の話題のひとつが
“スーパームーン”。

これは月の軌道が楕円で、
地球への最接近と
満月が重なった時の現象で、
月が最大限に
大きく見えることです。

ちなみに、“スーパームーン”は
占星術由来の言葉で、
正式な天文用語ではありません。

“スーパームーン”の時に
“今夜はストロベリームーン”とか
“最大サイズのピンクムーン”など
表現したニュース報道を耳にします。

これは月がピンクなどの色に
見えるということでなく、
アメリカの農業暦にも採用された
ネイティブアメリカンが使っていた
各月の満月につけられた
名前によるものです。

たとえば、9月は
“ハーベストムーン(収穫月)”や
“コーンムーン(トウモロコシ月)”、
10月は
“ハンターズムーン(狩猟月)”や
“ダイインググラスムーン
(枯れ草月)”など、
各月の満月に名前がつけられ、
1ヵ月に満月が2回ある場合の
2回目の満月を“ブルームーン”
と呼んでいます。

ちなみに、2020年のスーパームーンは
4月8日でした。

逆にもっとも小さい
“マイクロムーン”は
10月31日に見える予定なので、
ぜひ夜空を見上げてみてください。

“スーパームーン”とくらべると
15%ほど小さいとのことで、
意外とその小ささが
新鮮かも知れません。

今年はとくに厳しかった猛暑が
ようやく和らいで、
朝夕に涼しさを
感じるようになりましたが、
まだまだ外出は
控えた方がいいようです。

涼感を肌で感じはじめる
夕方にぴったりの
𤏐酒を用意して、
縁側やベランダで、
盃に月を映した“月見酒”や、
菊の花を浮かべた“菊酒”と
洒落込んでみては
いかがでしょうか。

今年の「敬老の日」は9月21日。大切なのはお年寄りを敬う気持ち。

日本の昔話に欠かせない配役が、“おじいさん”と“おばあさん”。

その多くが
“むかしむかし、あるところに…”
ではじまる日本の昔話。

ここ10年くらいの間に、
子ども向けのお話
ということに配慮され、
微妙に変化していることを
ご存知ですか。

小さなお子さんの
おられるご家庭では、
その変化に気づいて
おられるかもしれませんね。

たとえば“桃太郎”。

犬、猿、キジは家来ではなく、
上下関係のない友人という設定。

キビダンゴも同行する褒美ではなく、
疲れた時に栄養補給を
するためのもの。

鬼ヶ島に向かう船を漕ぐのも、
桃太郎も含めて全員で
交替しながらの協力体制。

実際に鬼と闘うシーンでは、
失明の恐れがあるということで、
キジは目潰しではなく
手をつつく攻撃に。

持ち帰った宝物は、
元の持ち主に返すという、
要所要所の表現が
ややマイルド仕立てになっています。

こうした傾向は、
“桃太郎”に限ったことではなく、
“かちかち山”“浦島太郎”
“さるかに合戦”をはじめ、
“赤ずきんちゃん”など
海外の童話でも、
暴力的なシーンを中心に
書き換えられています。

これについては賛否両論ありますが、
昭和から平成後期まで
慣れ親しんだ昔話も、
実は江戸時代のものとくらべると、
かなりソフトな表現に
換えられているようです。

さて、
“むかしむかし、あるところに…”
に続く言葉といえば、
“おじいさんとおばあさんが
いました”が思い浮かびます。

この昔話に、なぜ、
おじいさんとおばあさんが
よく登場するのかということを調べ、
本にまとめた研究者がいます。

その研究者によると、
庶民が文字を使うことの
なかったような時代から
口伝により語り継がれてきた
昔話の語り部は、主に老人。

昔は農家ばかりで、
老人も大切な働き手に
数えられていました。

しかし、歳をとって
非力になった老人の
社会的地位は低く、
外で働けない分、
子守りをするのが
老人の仕事のひとつ。

夜の囲炉裏端で
自分の長い人生を交えて
話すうちに、いつの間にか
老人が配役されていきました。

娯楽がほとんどなかった昔のこと、
子どもたちは繰り返し話をせがみ、
その子どもが老人になって
同じように子どもたちへと
語り継がれたと
考えられるとのことです。

時代の流れとともに、
口伝だったお話がまとめられて
現在受け継がれている昔話として
書き綴られ、その表現スタイルも
時代とともに変化しているといえます。

 

「敬老の日」と酒米の王者「山田錦」は、発祥が同じ地域。

現在は「敬老の日」という
祝日が設けられ、
昔とくらべると、非力な老人にも、
少しはやさしい時代に
なったといえるでしょう。

この「敬老の日」ですが、
意外と新しい祝日です。

1947年(昭和22年)に、
兵庫県多可郡野間谷村で
“老人を大切にし、
年寄りの知恵を借りて
村づくりをしよう”という趣旨で、
9月15日に敬老会を開いたのが
「敬老の日」の発端
とされています。

その時の村長が、
翌年に“こどもの日”“成人の日”が
国民の祝日に制定されたことを受け、
“老人の日”の
祝日制定の活動を開始。

兵庫県下の各市町村への
呼びかけの結果、
1950年(昭和25年)に兵庫県が
“としよりの日”を定め、
そして1966年(昭和41年)に
「敬老の日」が国民の祝日として
制定されることとなりました。

もともと9月15日に
固定された祝日でしたが、
2001年(平成13年)の
ハッピーマンデー制度により、
現在の9月第3月曜日となり、
土日月の3連休に組み込まれました。

ちなみに、「敬老の日」発祥の地
である兵庫県多可郡は、
日本一の酒米“山田錦”発祥の地
としても有名です。

“山田錦”が誕生したのは
1936年(昭和11年)と、
酒米としては
古参の部類に入りますが、
いまだ日本最大の
生産量を誇る“酒米の王”。

ここ兵庫県多可郡の地は
「敬老の日」と「山田錦」の
発祥の故郷として、
どこよりも“温故知新”精神に
満ちあふれたやさしい土地柄を
感じさせてくれます。

今年の「敬老の日」は
9月21日(月)です。

菊正宗ネットショップでは、
山田錦で醸した日本酒を
数多く取り揃えております。

お年寄りへの感謝の気持ちを込めて、
味わい深いお酒をお祝いに
贈られてはいかがでしょうか。

旧暦「七夕」ならば、織姫と彦星は出会いやすい空模様。

夏の大三角

新暦、月遅れ、旧暦…「七夕」は年に3回ある?

今年の「七夕」は
8月25日(火)…と聞くと、
やはり“?”と違和感を覚えます。

「七夕」は7月7日、一部の地域で
8月7日に行われているというのが、
多くの方の認識だからです。

新暦の7月7日に対して、
8月7日は旧暦と思われがちですが、
実際は単純にひと月遅れで
行事を行う“擬似的な旧暦”で、
“月遅れ”とも呼ばれています。

明治時代に世界の基準に
合わせるために改暦を行い、
現在の新暦になりました。

具体的には、明治5年12月2日
(1872年12月31日)までを旧暦、
その翌日から新暦の明治6年1月1日
(1873年1月1日)に。

明治5年の12月3日から
12月31日は存在せず、
各行事を30日遅れにすることで、
新暦とのズレを調整しました。

そのため、“新暦”、ズレを調整した
“月遅れ”、本来の“旧暦”と、
一般的にひとつの行事に
相当する日が3回ある
ことになります。

新暦に改暦される直前の旧暦には、
中国から渡ってきた暦をもとに
日本に馴染むように
改良を重ねた“天保暦”という
太陽の動きと月の満ち欠けをもとに
割り出した“太陰太陽暦”が
用いられていました。

四季を細かく分けた
“二十四節気”や“七十二候”も
中国から伝わりましたが、
日本の季節感にそぐわなかったため、
日本流に改良され、
さらに土用、八十八夜、入梅などの
“雑節”が加わり、
季節の知るための「歳時記」として
広まりました。

当時の農業作業の時期を
知るための目安として、
広く庶民生活に馴染んでいった
といえるでしょう。

また、暦を割り出す基準となる
太陽や月の動きだけでなく、
空に輝く星の位置も、
季節を知る上で
重要なポイントとされていました。

「七夕」といえば、
“織姫と彦星が天の川を渡って、
1年に1度、
7月7日の夜に会える日”です。

織姫はこと座の1等星ベガ、
彦星はわし座の1等星アルタイル、
この二つの星を隔てる
天の川は天の川銀河。

新暦の7月7日は、
まだ梅雨が明けておらず、
夜の9時頃にベガとアルタイルと
はくちょう座のデネブが構成する
“夏の大三角”が見えるのは東の空で
、真上に来るのは
真夜中になってからのこと。

一方、旧暦の7月7日
(現8月25日)だと、
晴れ間の機会は多く、
夜の9時頃には“夏の大三角”が
真上に見えるということを考えると、
天体としては旧暦の「七夕」が
正しい見え方といえるでしょう。

 

冬の大三角

江戸の昔とほぼ変わらぬ星の配置。時代を超越して同じ空を観ています。

現在、世界の夜は、
家庭の照明や街灯、電飾看板、
車のライトなどによって
かなり明るくなり、
その光が邪魔をして、昔のように
満天の星の輝きを観ることが
難しくなりました。

街灯や民家が少ない
山間部の峠などでは、
江戸時代、いやそれよりも
もっと昔に見上げられていたのと
ほぼ同じ星空を見ることができます。

私たちの長い人類の歴史も、
空に輝く星からみれば一瞬の出来事。

こぐま座を構成する
ひしゃくの柄の先が北極星で、
この星の位置が常に北にあることから
方角を確認する道標となることや、
“夏の大三角”をはじめ、
カシオペヤ座、さそり座、
はくちょう座などが夏の夜空に輝き、
冬の空には“冬の大三角
(オリオン座のベテルギウス、
おおいぬ座のシリウス、
こいぬ座のプロキオン
を結んだ三角形)”をはじめ、
ふたご座、おうし座、オリオン座が
瞬いている様子は、
今も昔もほとんど変わりません。

アンタレス

こうした星座の名称ですが、
古代文明のひとつ
メソポタミアが発祥で、
季節変化に乏しい
砂漠地帯であったため、
星の動きで季節を知ることが
必要でした。

星を観察している際に、
ひと際輝きを放つ星(一等星)を
線で結び、動物などに
見立てたのが星座の起源です。

星座の概念は、
やがてギリシャへと伝わり、
ギリシャ神話や伝説と結びついて
“プトレマイオスの48星座”
としてまとめられました。

そして現在、世界の天文学者たちが
星座の統一を図り、
世界共通の88星座に
統一されています。

星座や星には、
地域ごとの言い伝えや
逸話などにより、
物語とともにその地域だけで
通用する名前で呼ばれ、
日本でも一部地域で伝承される
和名で呼ばれることがあります。

プレアデス星団(昴)

さそり座のアンタレスは、
赤く輝くことから赤星
とも呼ばれますが、
酒に酔って顔が赤くなっていること
をなぞらえて“酒酔い星”、
オリオン座は、
そのカタチから“酒桝(さかます)”
、おうし座のプレアデス星団は、
昴(すばる)とも呼ばれますが、
星が一升舛にあふれるほど
群がっていることから“一升星”、
おおぐま座の北斗七星も
そのカタチから“酒桝星”
…酒にまつわる和名だけでも
これだけあり、
これも一部に過ぎません。

北斗七星

満天の星空は、そのままでは
単なる光の点描のようなもの。

強い光を持つ星を線で結び、
動物や神話上の人物として、
それにまつわる物語によって、
一気に身近なモノへと近づきます。

夢いっぱい、ロマンいっぱいの
天体ショーを楽しむのは、
心の持ちようといえるようです。

風流と捉えるか騒音と捉えるか、夏の風物詩「蝉の声」。

知っているようで知らない蝉の生態。

今年の夏は蝉の鳴き声が
なかなか聞こえてこないと
思っていましたが、
7月20日過ぎあたりを皮切りに、
7月末頃から大合唱が
繰り広げられています。

“蝉が鳴くと梅雨明け”と
思われがちですが、
微妙に異なります。

というのも、
羽化を控えた蝉の幼虫は、
土の温度が高くなることで
成虫になるタイミングを知ります。

夏が近づくことで気温が上がって
土の温度も上がりますが、
夏頃の暖かい南風でも
温度は高くなるのです。

一方、梅雨明けの定義は
“晴れの日が続くこと”なので、
両者には密接な関係はあるものの、
厳密にイコール
という訳ではありません。

例年より早い梅雨明けの時など、
「蝉の声」が聞こえない年もあります。

歳時記として大きくとらえるのなら、
間違いとはいえません。

ちなみに、気象庁では、
梅や桜の開花日、
カエデやイチョウの紅(黄)葉日、
ツバメやホタルの初観測日と並んで、
ウグイスやアブラゼミの初鳴き日を
“生物季節観測”情報として、
毎年公表しています。

“蝉は、
成虫になって1週間鳴き続けて死ぬ、
寿命の短い昆虫”
ともいわれていますが、
こちらはあきらかに間違いです。

蝉は、これだけ身近にいるのに
謎が多い昆虫。

まず、成虫の寿命が1週間くらい
と思われがちですが、研究の結果、
種類によって異なるものの、
おおむね1ヵ月程度ということが
解明されています。

夏に捕まえた蝉が、
1週間ほどで死んでしまう
ことから生まれた俗説で、
もともと飼育が難しい
ということがあげられます。

続いて、蝉の短命説。

幼虫として地中でくらす期間は
3年から17年。昆虫としては、
むしろ長い方に分類されます。

人間の目線で
“気の遠くなるような
長い下積み生活から脱出して、
日の目を見るようになって
すぐに絶命は儚い”
と考えがちですが、
蝉からすると、天敵が少なく、
大きな環境変化も少ない
土の中こそが快適なくらしで、
成虫になるために
快適な土の中から這い出すことこそが
苦痛なのかもしれません。

 

ツクツクボウシ

「蝉の声」を聞き分けると、意外と風流を感じます。

日本で観ることができる蝉には、
いくつかの種類があり、
その生息は地域によって異なります。

夏に鳴く蝉は、
それぞれの地域の気候や環境、
高度差によって前後しますが、
鳴く時期にはピークがあり、
おおむね次のような
順番となっています。

  • ニイニイゼミ
    (鳴き声は、チー ジー)
    鳴く時期のピークは7月下旬、
    1日中鳴いている。
    日本全国に生息。
  • クマゼミ
    (鳴き声は、
    ジー シャンシャンシャンシャン ジー)
    鳴く時期のピークは
    7月下旬から8月上旬、
    日の出から正午にかけて鳴く。
    西日本、東海、関東南部に生息。
  • ヒグラシ
    (鳴き声は、カナカナカナカナ)
    鳴く時期のピークは
    7月下旬から8月下旬、
    日の出前、日の入り頃などに鳴く。
    全国に生息。
  • アブラゼミ
    (鳴き声は、ジージージージージー)
    鳴く時期のピークは
    8月上・中旬、
    日が傾く頃から日没後の
    薄明るい頃に鳴く。
    全国に生息。
  • ミンミンゼミ
    (鳴き声は、ミーン ミンミンミン ミー)
    鳴く時期のピークは
    8月上・中旬、午前中に鳴く。
    全国に生息。
  • ツクツクボウシ
    (鳴き声は、ジー ツクツクボーシ
    ツクツクボーシ ゥイヨーゥイヨー ジー)
    鳴く時期のピークは
    8月中旬から9月上旬、
    昼過ぎから日没後にかけて鳴く。
    全国に生息。
ニイニイゼミ

とくに、8月上旬から8月中旬の
「蝉の声」は、
何種類もの鳴き声が重なり、
余計に夏の暑さを
増幅するような感があり、
イライラはつのるばかり。

しかし、街がどんどん開発され、
緑が減っているにも関わらず、
何十年もの昔から、
変わることのない
「蝉の声」ともいえます。

ひとつひとつの「蝉の声」を
聞き分けてみると、
意外に自然のおおらかさを感じとる
ことができるのではないでしょうか。

夏の風物詩ともいえる「蝉の声」は、
昔の多くの歌人が句に残すように、
感じ方によっては風流と
捉えられなくもありません。

ようは、聞く本人の
心の持ちようといえるでしょう。