巣ごもり休暇となる今年のGW。楽しく過ごすことだけを考えましょう。

“労働”は苦役か、美徳か。

“労働”に対する考え方は、
世界さまざま。

以前、このコラムで
お伝えしたことがありますが、
世界では“労働”を苦役ととらえる
国が多く、そうした背景には、
それぞれの国が信仰する宗教観が
大きく影響しています。

古代ギリシャでは、
上層階級を除いて、農民、職人、商人
などの下層階級の人々が労働を行い、
身体を酷使する労働は、
神から与えられた罰として
侮蔑されていました。

また、古代から中世にかけて
キリスト教においても、
アダムとイヴが神に背いて
禁断の果実を食べて以来、
人間にはその罰として
労働が課されたと説かれていますが、
中世以降、祈りや瞑想とともに、
労働は怠惰を防ぐ大切な役割として
肯定されるようになりました。

一方、日本では、江戸時代より
“労働は美徳”とされ、
この考えの起源には諸説あります。

その中でも、江戸中期の
思想家・石田梅岩(いしだばいがん)
の“諸業即修行”という教えによる
ものとする説がもっとも有力です。

“勤勉と倹約を両立させ、
働くことは生産性ではなく
人格修行である”という
考え方がその根底にあります。

武士が中心の封建社会において
“士農工商”という
格差社会は絶対的。

それを憂いて毎日を過ごすのではなく
、農民は農耕、職人はモノづくり、
商人は商いという、それぞれが
生業とする仕事に対して
勤勉に取り組むことで、
人としての人格修行を行うことを
説いたもので、併せて
“働くということは、
「傍(はた)を楽にする」ことで、
周りを楽にするため、
人のために動くことが
「働く」の意味である”という
考え方を世間に広めました。

その本質は、人よりも多く
勤勉に働くことで、
心の安定や豊かさを得て、
心を磨き、礼節を備え、
一人前の人間として成長する修行が、
働くことの本来の意味
であるということです。

そして、この考え方から派生した
自戒の教訓やことわざが、
多くの庶民に受け入れられ、
日本人の倫理観として今も
受け継がれているものと思われます。

代々と受け継がれてきた働くことへ
の勤勉さを背景に、日本は戦後の
高度経済成長期を経て、
世界トップクラスの
経済大国にまで急成長。

それに反発するかのように、
働き過ぎの日本に対して、
世界から“エコノミックアニマル”
“ワーカーホリック(仕事中毒)”
などと揶揄されるようになったのは、
日本の経済が鈍化しはじめた
1990年代あたりのことです。

このように、欧米諸国と日本では、
“労働”に対する意識が
大きく異なります。

世界という舞台で、人や物、
情報の交流が密になるにつれ、
日本はそれまでの働き方に対して、
再認識する必要に
迫られるようになりました。

 

平成になり、休日はかなり増えました。

世界から叱られるほど、
働きに働いた日本人。

とくに高度成長期などは、
月に一度の休みなどという
中小・零細企業も
たくさんにあったといいます。

時とともに、
労働環境も改善されましたが、
それでもまとまって休めるのは
お盆休みと年末年始ぐらいでした。

現在の長期休暇といえば
ゴールデンウイークですが、
昭和の昔は4月29日の“天皇誕生日”、
5月3日の“憲法記念日”、
5月5日の“こどもの日”が休みに
なるだけで、休日・出勤を繰り返す
“飛び石連休”もザラのこと。

当時、バカンスを満喫する
欧米のような長期休暇は
夢物語でした。

こうした中、
「国民の祝日に関する法律」が
徐々に改訂され、それに伴って、
休暇が増えていきました。

  • 1973年(昭和48年)、
    国民の祝日が日曜日と重なった場合に
    、その翌日を“振替休日”に制定。
  • 1985年(昭和60年)、
    2つの祝日に挟まれた平日を
    休日とする“国民の休日”を
    制定することで、
    5月3日から5月5日までが3連休に。
  • 1989年(平成元年)、
    昭和天皇が崩御。
    天皇誕生日が12月23日となり、
    4月29日を“みどりの日”と制定。
    2005年(平成17年)、
    “みどりの日”が5月4日に移動し、
    4月29日を“昭和の日”と制定。
  • 1995年(平成7年)、
    7月20日を“海の日”に制定。
  • 1998年(平成10年)に
    “成人の日”“体育の日”、
    2001年(平成13年)に
    “海の日”“敬老の日”が
    「ハッピーマンデー制度」が
    適用され、それぞれ第◯月曜日と
    なり、土曜日から月曜日の3連休に。
  • 2005年(平成17年)、
    連続する祝日のうち、どれか1日が
    日曜日と重なった場合は、
    最後の祝日の翌日を
    “振替休日”に制定。
  • 2014年(平成26年)、
    8月11日を“山の日”に制定。

このように祝日が増えたこと
に加えて、1989年(昭和64年)に
毎月第2、第4土曜日が休日になり、
1992年(平成4年)から
週休2日(土日休)になったこと
も大きく影響。

さらに、労働基準法で
年次有給休暇をとることを
義務づけたことも、休日をとる
意識改革となっています。

週休2日と土日休、
有給休暇を組み合わせて、
ゴールデンウイークが16日連休
などということもあり、
それまであまり休むことの
なかった人たちが、
逆に休みを持て余すという
声も多く聞かれるようです。

とはいえ、ゴールデンウイークの
初日になることの多い4月29日は、
“天皇誕生日”改め、
“みどりの日”改め、
“昭和の日”の、これからはじまる
という特別なワクワク感は、
否めません。

ゴールデンウイークも外出自粛要請が
あるため、巣ごもり休暇
となることは必至。

日本酒と旨い肴にどっぷり浸る
ゆったりとした1日があっても、
よろしいかと思います。

ウチにこもりがちな気分の今、「にごり梅冷酒」で楽しいひとときを。

「にごり梅冷酒」は、新しいスタイルの日本酒です。

初夏の陽気を肌で感じるようになり、
長らくお待ちいただいた
「にごり梅冷酒」の
シーズンとなりました。

外出自粛による不自由な生活は
しばらく続きそうです。

こんな時こそ、
憂鬱な気持を振り払い、
笑顔を絶やさず
乗り切ることが大切です。

私たちは今まで、
数多くの苦難をそうやって
乗り越えてきたのですから・・・。

そんなふさぎ込みがちな毎日ですが、
「にごり梅冷酒」を今か今かと
待ち望まれている方には、
笑顔で楽しめるひとときを
提供できそうです。

「にごり梅冷酒」は、
よく勘違いされるのですが、
梅酒ではありません。

菊正宗が誇る辛口の日本酒に、
品質にこだわった
「古城梅酒(ごじろうめしゅ)」
をブレンドした、
“日本酒の酒蔵”ならではのお酒です。

その名に“にごり”が
付けられているのは、
「古城梅酒」を仕込む際に浸け込んだ
古城梅の青梅のペーストが
ふんだんに入っているから。

つまり厳選した辛口の日本酒と梅酒、
古城梅のペーストが一度に楽しめる
新しいスタイルのお酒が
「にごり梅冷酒」なのです。

さて、この「にごり梅冷酒」に
使われている「古城梅酒」について
少し解説を。

和歌山県は梅の生産量
全国第1位を誇り、
全国シェアは約65%。

第2位の群馬県が約5%、
第3位の奈良県が約2%なので、
和歌山県は梅の生産量で
群を抜く存在といえます。

和歌山で収穫された梅は
“紀州梅”として全国に名を馳せ、
その紀州ブランドを
品質で支える双璧とされるのが
“南高梅”と“古城梅”です。

南高梅

“南高梅”は収穫が
比較的安定しており、
一般的に梅干しづくりに
使われることが多い品種。

一方、“古城梅”の実は
硬く引き締まっているため、
梅酒づくりに適した品種
とされています。

ここで注目すべきは、
“古城梅”の収穫量が、“南高梅”の
約6分の1ということです。

“青いダイヤ”とも呼ばれる希少種が
“古城梅”なのです。

古城梅

 

“古城梅”の硬い実は、
漬け込んだときに実が崩れにくく、
梅のエキスがたっぷりと抽出される
という特徴があります。

これが梅酒に向いている
といわれる由縁です。

また甘さ控えめで、
ほどよい酸味があり、
コクの深い梅酒になるとのこと。

根強いファンが多いことも
うなずけます。

「にごり梅冷酒」が奏でる、味と香りのハーモニーは絶妙。

さて、「にごり梅冷酒」の魅力は、
前述したように、日本酒と梅酒、
古城梅のペーストが織りなす
絶妙なバランスにあります。

口に含んだ時に感じる
スッキリとした芳醇な
梅冷酒の飲み口と一緒に、
梅の実の風味が広がるのは、
古城梅のペーストによるもの。

やがて、その香りが鼻に抜ける際に
日本酒ならではの押し味を感じる
という絶妙さが
「にごり梅冷酒」の醍醐味です。

幾重にも重なる味と香りの
ハーモニーをお楽しみください。

“梅”は古来より、
梅干しや梅酒など、庶民の味として
親しまれる食材です。

その効能は、
疲労回復や代謝促進、食欲増進など、
“梅”に含まれる豊富なミネラルや
酸味成分などによるものです。

また、現在の花見といえば桜ですが、
もともとは梅の花を愛でるのが
花見とされていました。

花見の起源は中国に由来するもので、
奈良時代に“花”といえば、
香りの高い梅の方が桜より人気があり
、桜が花見の主役となったのは
平安時代になってからのことです。

万葉集でも梅が詠まれた歌の方が
圧倒的に多いとされています。

さらに、戦国時代は、
あっという間に散ってしまう桜は
縁起が悪いと敬遠する
武将もいたということです。

ステイホームの今、
おうちでもできる適度な運動と、
心にも潤いをもたらす、
ささやかな楽しみで
乗り切っていきましょう。

ずっと忙しい毎日を
送ってきたのですから、
思いがけず与えてもらった休息と
割り切ることも必要かもしれません。

この際、新しいこと
(趣味や運動などといった習慣)を
スタートするのも
良いかもしれませんね。

俳句で覚えている、今が旬の「初鰹」。淡麗辛口の日本酒と相性ばっちり。

“俳句”“川柳”は、日本が誇る短い文学表現。

第一生命のサラリーマン川柳が
公募されたのは
1987年(昭和62年)のこと。

社会風刺を盛り込んだ
自虐ネタを中心とする
世相を反映した作品は秀逸で、
入選作品が発表されると
さまざまなメディアが
その話題を取り上げています。

また、伊藤園が公募する
“伊藤園 お〜いお茶新俳句大賞”
の歴史も古く、
1989年(平成元年)に公募を開始。

その優秀作品は
ペットボトルのラベルで
発表されています。

こうした背景の中、芸能人の
さまざまな才能を査定する
“プレバト!!”の“俳句”コーナーの
人気に背中を押されるように、
“俳句”への認識が高まり、
にわかファンが急増の模様。

“五七五”調の歌を詠むのが
静かなブームのようです。

“俳句”と“川柳”、どちらも、
五七五音節を定型とした
17文字で構成される短詩で、
室町時代には確立していた
連歌(五七五音節と七七音節)から、
遊戯性を高めた
集団文芸の発句や連句などの
“俳諧連歌(はいかいれんが)”
として江戸になって
分岐したものです。

一般的に、“俳句”は季語や
切れ字(や、かな、けり)が必要で、
文語表現が用いられます。

一方、“川柳”には
季語や切れ字がなく、
主に口語表現を用いるのが
大きな違いです。

また、“俳句”に詠まれるのは、
季節や自然を切り取った
描写に対する心象表現
であるのに対して、“川柳”では、
世相や社会風俗などを
面白おかしく風刺を交えて描写する
というそれぞれの特徴があります。

そのため、同じ情景から
生まれた作品であっても、
表現が大きく異なります。

こうした違いは、
成り立ちによるものです。

“俳句”は、俳諧の発句(第一句)が
独立したものなので、発句に必要な
季語や切れ字を用います。

“川柳”は“俳諧連歌”の
付け句が独立したもので、
七七音節の下の句をお題に対して、
気の利いた五七五音節を考える
遊びが元になっています。

ところが、一部の“現代俳句”では、
季語のない“無季俳句”や
切れ字の有無にこだわらない
俳句結社があったり、
“サラリーマン川柳”では、
ふたつの意味を持たせる
大喜利的な言葉を使うなど、
広い範囲に多様化しているようです。

とはいえ、僅か17文字で表現される
“俳句”や“川柳”の世界観は、
日本語の持つ語彙(ごい)の
豊富さによるもの。

他の国の言語では、
なかなかこうはいきません。

初鰹の旬は初夏。あっさりとした味わいに合う淡麗辛口の菊正宗。

“俳句”の定型ルールを理解した上で
…「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」
という有名な俳句は、少し異端です。

俳句の黎明期とされる
江戸時代前期に活躍した
俳人・山口素堂(やまぐちそどう)
の作品で、松尾芭蕉とも友人として
交流のあった人物です。

山口素堂の墓と句碑~文京区・厳浄院~

初句(最初の五文字)の
「目には青葉」は、
“は”を入れて字余りに。

「目に青葉」でも成立するのに、
わざわざ“は”を挿入しているのは、
続く二句、結句が
「“耳には”山ほととぎす
“口には”初鰹」と省略した部位を
連想させる効果があるとのこと。

続く特異な点として、
季語が二つ以上入る“季重なり”、
切れ字を用いず、
すべて体言止めという
俳句の禁じ手による
構成であることです。

普通は詠んだ内容の
主題のまとまりがなくなり、
ぼやける要因となるために
これらの手法は避けられがちですが、
あえて禁じ手を使った
リズム感のある句となり、
初夏という季節感を際立たせる、
さりげない江戸の粋を表現。

現代でも多くの人が知っている
という点において、
それだけ印象深い俳句
といえるでしょう。

「初鰹」の旬が初夏であることを、
この俳句で覚えている方も
多いのでは?

さて、「初鰹」の旬は、
新暦で3〜5月。

九州の南海域をスタートし、
北海道南端の餌場に向かって
黒潮にのって北上する途中で
水揚げされるので、
赤身のさっぱりとした味わい
が特徴です。

8月頃に餌場に辿り着いた鰹は、
産卵のためにUターンして南下。

南下の途中の9〜10月に
水揚げされるものを
「戻り鰹」と呼びます。

「戻り鰹」は餌を補食しているので、
脂がのっているのが特徴。

鰹は旬が2回ある
珍しい魚といえます。

ちなみに、鰹という音の響きが
“勝つ男”に通ずるということから、
江戸時代には大人気の鮮魚。

初鰹3本10両で取引された
という記録も残っており、
「1両=約10万円」換算で、
1本約33万円の高級魚です。

いまでは手軽に味わえる
旬の味覚といえますね。

赤身のさっぱりした味わいの
「初鰹」に合うのは
淡麗辛口の日本酒です。

ただいま期間・数量限定蔵出しの
純米大吟醸 無濾過原酒
「20歳の山田錦物語」の
フルーティで芳醇な味わいは、
絶妙なバランスで
「初鰹」を美味しく引き立てます。

是非、お試しあれ。

土の神様に感謝する「春の社日(はるのしゃにち)」。

現在のお墓事情と墓参りの習慣。

戦後の復興とともに
欧米文化が日本に入り込む中で
人口は増えはじめ、
それまでの戸建て住宅から、
団地やマンションなど、
住宅は階層を重ねながら
“空”に向かって
伸び続けました。

そうした社会事情を背景に、
核家族化という
新しい生活様式が定着したのも
ずいぶんと昔のお話。

そして今、高度経済成長期以降の
ライフスタイルを牽引した
団塊世代が、終活を行うような
年齢を迎えました。

このような時代になり、
昨今のお墓事情は
大きく変わってきています。

核家族化、少子高齢化によって
“先祖代々の墓を守る”
ことに対する意識は次第に薄れ、
墓の管理が不要な“永代供養”や
個別の墓を持たない“合祀墓”
“集合墓”“納骨堂”“樹木葬”など、
固定費がかからない
供養スタイルが増加傾向に。

お寺も檀家離れを防ぐために、
スマホで墓参りができる“スマ墓”
など新しい墓参りスタイルを
導入しはじめました。

とはいえ、まだ団塊世代比率が
高い現在、従来のお墓参りは
しばらく継続されそうです。

お墓参りのタイミングは、お盆や命日
、春秋の“彼岸”の年4回に加え、
年末年始、月命日などがあります。

このなかで、お盆に次いで、
墓参りが集中するのが、
春の“彼岸”の中日(春分の日)、
秋の“彼岸”の中日(秋分の日)です。

“彼岸”は仏教用語ですが、
日本独自の行事。

“彼岸”はあの世のことで、
それに対して現世は
“此岸(しがん)”と呼びます。

春分の日、秋分の日は
“彼岸”の中日にあたり、前後7日は
“六波羅蜜(ろくはらみつ)”
の修行に励むという
教えに基づいています。

“六波羅蜜”とは、
布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧
の6つの善行のことで、
その根底にあるのは先祖や仏様に
感謝をするという教えです。

仏教では、“苦”“楽”や“有”“無”に
しばられることなく、
どちらにも偏らない
“中道”を重んじることから、
昼と夜の長さが同じ春分・秋分を
その教えの象徴として
重んじたとされます。

さて、この“彼岸”に紐づく歳時
「社日(しゃにち)」がありますが、
その存在は“彼岸”ほど
知られていません。

 

「社日」は、“彼岸”に近い“戌の日”。産土神を祀る日です。

「社日」は、春秋の“彼岸”の中日に
最も近い“戊(つちのえ)の日”で、
2020年(令和2年)の
「春の社日
(略称:春社/しゅんしゃ)」
は3月16日(月)で、
「秋の社日
(略称:秋社/しゅうしゃ)」
は9月22日(火)です。

現在は、 “彼岸”より前の
“戊の日”もしくは“彼岸”と同日が
「社日」とされるのが一般的。

昔ながらの風習を踏襲して、
“彼岸”になった瞬間が
午前なら前の“戊の日”、
午後なら後ろの“戊の日”
という地域も一部にあります。

「社日」は、より細かく
季節の移り変わりを表す
“節分”や“彼岸”と
同じ雑節のひとつで、春は種蒔き、
秋は収穫時期にあたります。

「社日」の“社”は、土地の守護神や
産土神(うぶすなかみ)を祀る
農耕にとって大切な節目の日とされ、
春は五穀豊穣を願い、
秋は収穫に感謝する日と
位置づけられます。

“戊の日”は五行説に基づく
十干のひとつで、
“土の兄(つちのえ)”
にあたることから、
土の神を祀る日となったとされるため
、「春の社日」は、土地の神の怒りに
触れることを避ける意味で、
土に触ることを禁じる
風習があります。

「春の社日」には、
さまざまな言い伝えがあります。

「春の社日」には不思議と
雨が降ることが多いことから、
この日に降る雨を
“社翁の雨(しゃおうのあめ)”
と呼んだり、燕が春に訪れ、
秋に飛び去ることから、
「社日」を“社燕(しゃえん)”
と呼ぶ地域もあります。

また、「春の社日」にお酒を飲むと、
耳の聞こえがよくなるという
言い伝えもあり、この日に飲むお酒を
“治聾酒(じろうしゅ)”と呼びます。

農業に従事する人口が減っている現在
、土地の神を祀る
「社日」の風習を知る人は
減っています。

五穀のひとつである
“米”はご飯や日本酒に、
“豆”は醤油や味噌などの調味料に
…普段から、食卓を彩る食材として
関わっていることを考えると、
改めて「社日」に、
土の神様に感謝する気持ちを
持つことも大切といえます。

春の巣立ちは、笑顔を添えて、日本酒で乾杯。

かつて持てはやされた“金の卵”は、近代日本を支えた“団塊世代”。

その昔、“金の卵”と呼ばれた
学生たちがいました。

戦後の復興もひと段落した
1954年(昭和29年)の
第一次鳩山一郎内閣あたりから、
大量生産の時代が訪れ、
“高度経済成長期”へと突入。

それに伴って、
労働力が必要となりましたが、
都会では教育熱の高まりによる、
高校や大学へ進学する学生が多く、
労働力不足の事態に。

そこで白羽の矢が立ったのが、
地方や農村の中卒者
(一部、高卒者)の労働力です。

当時、地方の所得は低く、
子どもを進学させる余裕がない
家庭が多く、都市部の企業に
働きに出すということが定着。

東北地方などの農村部の
平均兄弟数が6人以上で、
地域的に人口過剰であったため、
都心部の急激な人手不足との
利害が一致したという
社会的な背景がありました。

その様子を象徴的に表すものとして、
農家の長男はそのまま農家を継ぎ、
次男以降が集団就職列車で東京へ。

東北と都心の玄関口である上野駅に
“金の卵”が降り立つ姿は、
季節の風物詩として
ニュースで流れたり、
映画やドラマのシーンに
登場しました。

集団就職列車と呼ばれた臨時列車は、
1954年(昭和29年)に運行が開始
され、1975年(昭和50年)に
運行終了するまでの21年間にわたり
“金の卵”を送り続けました。

もともと青森−上野間は蒸気機関車で
丸1日かかっていたものが、
特急「はつかり」の登場により
所要時間は大きく短縮したのですが、
それでも所要時間は約12時間。

“金の卵”たちは、
この列車に揺られながら、
故郷を離れる不安をぬぐい去り、
これからはじまる新たな生活への希望へと
気持ちを切り替えたのでしょう。

現在、青森−東京間の最短所要時間は、
東北新幹線を利用して約3時間20分。

昔とくらべるとホントに
便利な時代となりました。

ちなみに“金の卵”は、
“団塊世代”でもあります。

“団塊世代”は、戦後すぐの
“焼け跡世代”の次の世代で、
“第一次ベビーブーム世代”
とも呼ばれていました。

アメリカを中心とした海外の異文化が
大量に流入した時代でもあり、
ファッションへの興味や
食生活の変化、生活家電の登場、
核家族化など、いままでの日本にない
新しいライフスタイルを最初に経験
して育った世代といえるでしょう。

都会で働く若者たちは外国の異文化を
次々と取り入れ、新しい文化にも
積極的に馴染んで行きました。

彼らこそが、戦後日本の新しい成長を
支えた世代といえます。

 

春の別れ酒は、ぜひ“家飲み”で。

かつての“金の卵”たちが、
生まれ育った故郷に別れを告げる
季節は、3月半ばの春の足音が
聞こえはじめる頃。

多くが中卒者ということもあり、
“旅立ちを祝して、お酒で乾杯”
ということはありませんが、
母親が腕を振るった
ご馳走だったであろうことを
計り知ることができます。

何せ、時間距離で
約12時間も離れた遠くの地へ、
子どもを送り出す訳ですから、
巣立つ前夜などは
惜別の涙にあふれていたに
違いありません。

また、“金の卵”たちも、
おいそれとは帰省できない事情
があり、“別れの晩餐”を
悲しさいっぱいに過ごしたことは
容易に想像できます。

それにくらべると、現代の別れは、
さばさばしたものです。

一人ひとりがスマホを持つ時代なので
、その気になれば毎日、
顔を見ながらテレビ通話も可能。

移動についても、張り巡らされた
鉄道網の整備はもちろん、
格安のLCCを使えば移動時間が
短縮し、移動費用を抑えたい場合
は、夜行バスなども毎日運行
しているなど、年を重ねるごとに
利便性の高いサービスが充実し、
別れの寂しさが薄らいでいます。

そんな時代の新しい生活に向けて
のお別れ会は、ぜひ“家飲み”で。

隣席客に気を使う飲食店は
時間制限があるので、
じっくりと別れを惜しむのなら、
時間的に余裕があり、
そのまま布団に潜り込める
「家飲み」が最適です。

手作り料理はもちろん、
百貨店やスーパーのお惣菜、
デリバリーのオードブルなど、
別れの晩餐はお好みの料理を
テーブルに並べては、
いかがでしょうか。

菊正宗 きもと・大吟醸 ネオカップ 180ml

そして、“別れの盃”は、
ぜひ180㎖入り飲み切りタイプの
「ネオカップシリーズ」で。

菊正宗の“顔”ともいえる
杉の香りを纏った「上撰 樽酒」
をはじめ、華やかな際立つ香りと
フレッシュな味わいの
「清酒 しぼりたてギンカップ」、
昔ながらの生酛造りが楽しめる
「超特撰 生酛大吟醸」、
コクと香りを楽しむ
「上撰 純米酒 香醸」、
柑橘系で飲みやすい口当たりの
「リキュール すだち冷酒」
の5種類をラインアップ。

とくに人が集まる機会
だからこそ楽しめるのが、
それぞれのお酒の飲みくらべです。

社会人になる前に、
日本酒の好みの味を見つけられる
絶好の機会といえます。

若者のアルコール離れが
叫ばれる一方で、
日本酒を趣向する
“日本酒女子”が増殖中とか。

また、それにつられて“日本酒男子”
も増えているようです。

現代風のカラッとした
爽やかな笑顔の別れに、
ネオカップで乾杯♪

※イメージ画像です。