「浴衣」は夏の洒落た定番アイテムに。SNSで「浴衣」映えが拡散。

「浴衣」は、仏教とともに伝わった“湯帷子(ゆかたびら)”が原型。

今回は、「浴衣」に関するお話を。

新型コロナが発生していない、
いつもの夏シーズンであったのなら、
夏祭りや花火大会など、
「浴衣」を着る機会も多く、
また、外国からの訪日観光客が
京都の町屋で「浴衣」に着替え、
京都の街を散策するシーンが、
恒例の涼しげな夏の風物詩として
取り上げられていたことでしょう。

そんな夏の納涼シーンにつきものの
「浴衣」ですが、
その歴史は意外と古く
“仏教公伝”にまで遡ります。

“「浴衣」は、仏教とともに伝わった
“湯帷子(ゆかたびら)”が原型。

仏教公伝”の時期は、
552年や538年などの諸説がありますが
いずれの時期であったとしても、
仏教が伝わった際に建立した寺院には
湯堂や浴堂と呼ばれる沐浴のための
施設が併設され、それが日本の
“風呂”の起源というのが定説です。

というのも、それまでは、
神道の風習による、
川や滝で行われた沐浴の一種とされる
“禊(みそぎ)”により身を
清める習慣や
桶に水を張って身体を洗う
“行水”が、いわゆる
風呂のようなものでした。

それが、“仏教公伝”とともに、
病を退けて福を招来する沐浴施設が
伝わったことで(当時伝わった
“風呂”は、薬草を入れた湯を
沸かして、その蒸気を取り込んだ
蒸し風呂スタイル)
“風呂”に入ることが、
習慣となっていきました。

また、“風呂”と一緒に
沐浴時の衣装も伝わりました。
沐浴時の衣装、つまり、
飛鳥時代の女性の斉明天皇が
湯浴みの際に着用していた
バスローブのような形の
“湯帳(ゆちょう)”や、
平安時代に貴族が風呂に入る際に
着用した“湯帷子(ゆかたびら)”が
「浴衣」の原型です。

前述したように、最初は“湯帷子”を
着て蒸し風呂に入るのが、
最初の“風呂”のスタイル
といえます。

“ゆかたびら”という単語の
発音から転じて「浴衣」になったと
考えると、自然と納得がいきます。

時は流れ、安土桃山時代には、
裸で湯に浸かる“入浴”という習慣が
定着し、湯上がりに濡れた肌の水気を
吸い取らせるために“湯帷子”を
着るようになりました。

江戸時代になって木綿が普及し、
それまでの麻織物に
取って代わるように、
より吸水性の高い綿織物の
“湯帷子”が登場。

このスタイルが庶民の間で流行し、
やがて現代の「浴衣」へと
繋がっていくことになります。

鎌倉時代に一部で鉄湯船という施設が
あったようですが、
浴槽に湯を張って身体を浸ける、
現在の“入浴”スタイルが
いつ頃発生したのかは不明です。

古くからの“行水”と、伝わった
“蒸し風呂”が融合して、現在の
“入浴”スタイルになったと
考えられています。

 

ここ最近になり、夏場に「浴衣」を着る機会は、かなり増えていました。

近代になり、“湯帷子”が転じた
「浴衣」は、
湯上がりに着る“部屋着”
として重宝されました。

洋服が日本に伝わり始めた頃は、
まだ庶民の服装は和服の時代です。

それが、昭和になって洋装が
増えると同時に、“寝巻き”としての
役割が主流となっていきます。

そのため、昼間に「浴衣」を着て
外出するのは、今でいうパジャマで
外出するようなもので、
ややはばかられる時期もありました。

現代の「浴衣」は、
夏場のお洒落アイテムのひとつです。

冒頭で述べた花火大会やお祭り、縁日
時にはスポーツ観戦やテーマパーク
などで“浴衣ナイト”などの
イベント開催など、
夏場に「浴衣」を着る機会が
増加したことが「浴衣」人気に
拍車をかけます。

また、SNSでの“映え投稿”などでも、
夏場のバズる
ファッションアイテムとして
欠かせない存在感を
発揮しているというから驚きです。

手頃な価格で着やすい「浴衣」は、
訪日外国人のお土産としても、
かなりの人気のようです。

先ごろも、イタリアの
女子新体操チームが、
日本での試合後の
くつろいだオフショットとして、
カラフルな「浴衣」を着た写真を
SNSに投稿し、話題となりました。

バスローブのように自由に着る様は
微笑ましいのですが、
できれば正しい着付けにより
「浴衣」を着てもらえたなら、
本来、着物が持つ様式美や
粋な着こなしを
実感していただけたかもと思います。

着物に限らず、日本の伝統文化は、
長い歴史によって確立された
様式美というものがあります。

いわゆる伝統に裏付けられた
ある種の敷居の高さでしょうか。

その敷居の高さを下げて
ニーズを得るのではなく、
その高い敷居のまたぎ方を
教えることが、その文化が持つ
伝統の深みが伝わるものです。

「浴衣」を始めとする
着物文化のみならず、
私たちが取り扱う日本酒文化、
和食文化、和建築文化など、
日本の伝統文化は、知れば知るほど、
かなり深く、
かなり粋な風格を持っています。

1日も早く、当たり前の日常が戻り、
夏の風物詩として、何の気兼ねもなく
「浴衣」を着て出かけることを
願うばかりです。

2021年「打ち上げ花火」の開催事情。観覧時は、密を避けて、マスクをお忘れなく。

「夏の風物詩「打ち上げ花火」。昨年と比べると開催数も徐々に増えています。

夜空に大輪の花を咲かせる
「打ち上げ花火」は、
夏を代表する風物詩のひとつ。

いつもなら、花火大会は、
早いところで7月半ばから始まり、
8月に入るあたりからお盆頃に向けて
全国的な打ち上げ花火ラッシュと
なるところですが、
1年半にわたって続く
新型コロナ禍のため、
昨年の花火大会は
ほとんど中止となりました。

今年も中止のところが多いのですが、
一部、規模を縮小したり、
開催時期を延期したりするなど、
新型コロナ対策を十分にとって
開催される花火大会もあるようです。

日本三大花火大会に名を連ねるのは
秋田県の「大曲の花火」、
茨城県の「土浦全国花火競技大会」、
新潟県の「長岡まつり花火大会」
です。

残念ながら、
「大曲の花火」
「長岡まつり花火大会」は
中止と発表されましたが、
「土浦全国花火競技大会」は、
11月6日に延期予定。

これら以外の人気の花火大会の
開催予定状況は、
次の通りですが、
新型コロナの蔓延状況に応じて
変化するのでご注意を
(7月末現在)。

  • 北海道「帯広 勝毎花火大会」
    /中止
  • 秋田県「港まつり 能代の花火」
    /中止
  • 茨城県「大洗海上花火大会」
    /中止
  • 群馬県「高崎まつり大花火大会」
    /9月4日開催予定
  • 東京都「隅田川花火大会」
    /中止
  • 神奈川県
    「湯河原温泉海上花火大会」
    /8月21日開催予定
  • 埼玉県
    「西武園ゆうえんち 大火祭り」
    /9月5日まで、毎日開催
  • 静岡県
    「全国花火名人選抜競技大会
    ふくろい遠州の花火」/中止
  • 愛知県
    「岡崎城下家康公夏まつり
    花火大会」/中止
  • 愛知県
    「ISOGAI花火劇場
    in 名古屋港」
    /12月中旬開催予定
  • 滋賀県「びわ湖大花火大会」
    /中止
  • 三重県
    「伊勢神宮奉納全国花火大会」
    /中止
  • 大阪府「天神祭奉納花火」/中止
  • 大阪府「なにわ淀川花火大会」
    /中止
  • 大阪府「泉州夢花火」
    /8月28日・29日開催予定
  • 兵庫県
    「姫路みなと祭 海上花火大会」
    /11月13日開催予定
  • 鳥取県
    「米子がいな祭大花火大会」
    /中止
  • 長崎県
    「ハウステンボス
    九州一花火大会」
    /9月18日開催予定
  • 福岡県
    「メッセージ花火
    “愛・勇気・希望”恋の浦」
    /8月21日開催予定
    (320台限定のドライブイン方式)

有名な花火大会を紹介しましたが、
これでもほんの一部。

注目したいのは、
花火会場に車を乗り入れて、
車の中から花火を見上げる
ドライブイン方式が、
外出自粛の現在、
チラホラと増えていること。

今後、これ以外にも新しい
「打ち上げ花火」観覧スタイルが
生まれるかも知れませんね。

 

「打ち上げ花火」は、なぜ夏の風物詩なのでしょうか?

ここで、「打ち上げ花火」は、
なぜ夏の風物詩なのか
という疑問が湧きます。

まず、
「打ち上げ花火」の起源については、
江戸時代に隅田川で行われた
“水神祭”説が有力です。

当時、
江戸で流行った飢饉・疫病による
多数の死者の御霊を慰め、
悪疫退散を願って、
隅田川の川開きの日に
“水神祭”を開催し、
その際に、
「打ち上げ花火」を上げたのが
始まりとされるというもの。

同時に、
木造建築がひしめく江戸の町では
火事が多く、
当時の幕府が町屋近辺での
花火を禁止し、
“川の近くなら花火をしても良い”
というお触れを出したことと、
夏の暑さをしのぐ納涼の場が
川べりであったことが合わさって、
夏の川開きと「打ち上げ花火」は、
切っても切れない関係と
なっていきました。

もともと、
古くからお清めの儀式に
“火”が使われ、
花火を打ち上げる花火師が
次々と競うように現れたことも、
華やかなものを好む江戸の庶民に
受け入れたと考えられます。

花火の打ち上げが
川開きの行事として根付き、
やがて夏の風物詩として
認知されるようになりました。

時代が移り変わった現在、
安全面に配慮した
冬の「打ち上げ花火」も可能で、
実際に冬場のお祭りやスキー場での
「打ち上げ花火」もあります。

しかし、
寒さが厳しい冬に
屋外で空を見上げることや、
冬は風が強いという気候状況が、
「打ち上げ花火」には
あまり適していないため、
冬よりも、
圧倒的に夏の「打ち上げ花火」の方が
多いといえます。

現在はやはり、
観客が集まりやすい
規模の大きな花火大会は
中止のところが多く、
新型コロナ禍の収束を待つ
開催延期が多いようです。

来年こそは、こうした心配もなく、
かつてのように、普通の生活の中で
「打ち上げ花火」を楽しめることに
期待したいものです。

2020年の“東京”に紡がれた、「嘉納治五郎」の80年越しの熱い想い。

平和を願う“スポーツの力”は、数千年の昔から変わらない。

今年の夏は、いつもとは違う
“熱い闘い”
が繰り広げられています。

その原点となるのは、
遡ること約2800年前、
栄華を極めた
古代ギリシアで行われていた
スポーツ競技大会にたどり着きます。

4年に一度開催された
スポーツ競技大会の
最初の頃の記録は残っておらず、
現存する最古の記録となる
紀元前776年のものを
第1回としてカウント。

そして、長い時を経て、
西暦369年の第293回を最後に
スポーツ競技大会は、
その歴史に
幕を閉じることになりました。

計算の上では、1172年もの
歴史を重ねたこととなり、
記録が残っていない初期も含めると、
少なくとも1200年ほどの歴史が
あるのではと、
現在もギリシアの地では
初期の記録を求めて、
遺跡発掘が継続されています。

これだけ長く大きな
スポーツ競技の大会が続いたのは、
ゼウスを祭神とした
神事という意味合いが
強く反映されていたからでしょうか。

また、祭典競技期間は
すべての争いごとを止めて、
この祭典に挑むことが規定されていた
ということを考えると、
当時から“平和”への想いを、
スポーツに
託していたのかも知れません。

それから長い歳月を経て近代となり、
この“平和への願い”を継承した
世界的なスポーツ大会として
再開しました。

その根底には、
紛争国同士であっても、
この大会期間だけは
スポーツを通じて好敵手としての
絆を深めるという平和に向けた
理念が込められています。

そして、
極東の小さな島国であった日本が、
この国際スポーツ大会に
参加するキッカケとなったのは、
他ならぬ「嘉納治五郎」の
存在でした。

彼は、勝つことが目的の“柔術”を、
科学的な理論、精神的な鍛錬による
礼節を重んじる「柔道」へと
昇華させた側面が、
あまりにも有名です。

しかし、彼の偉業は、むしろ、
日本に大きな教育改革をもたらした
“教育者としての顔”ということは
あまり知られていません。

長期にわたる欧州視察によって得た
知識をもとに、国内で初めて
スポーツ振興という概念を
根付かせたのは、「治五郎」です。

また、“女子柔道”を始め、
男女が平等に勉強したり、
男女分け隔てなく
スポーツに打ち込むなど、
いち早く男女平等機会の
創出に奔走したことなど…
現在、当たり前のように行われている
体育の授業や放課後の部活動も、
「治五郎」が実際に教育現場で
成し得た実績のひとつです。

こうした、日本の教育改革の
先駆者である「治五郎」のもとに、
国際スポーツ大会組織委員会から
委員の就任要請が届いたのは
必然だったと思われます。

彼の興した「柔道」の競技人口が
欧州で増え始めたことをキッカケに、
彼の数々の教育に関わる取り組みが
認められた結果です。

礼に始まり礼に終わるフェアな
精神が宿る「柔道」を通して
広まった、彼の人望が
世界に認められた瞬間でした。

 

 

世界に根付いた「嘉納治五郎」が追い求めたフェアなスポーツマンシップ。

日本の代表としての組織委員就任は、
日本を国際大会へと
一歩近づけることになります。

彼の実直さはすぐに認められ、
組織委員就任の数年後には、大会への
選手派遣の要請が届きました。

ところが、
大会初参加前年に発生した
関東大震災の復興が
ままならない状態で、
大会への参加見送りを
検討する事態に。

しかし、“それまで積み上げてきた
スポーツの進歩を
止めるべきではなく、
海外に日本国民の
復興への意気込みを示す”という、
「治五郎」の強い主張のもと、
初めての国際大会参加を
無事終えることとなりました。

彼は、組織委員に就任して以降、
還暦を過ぎた人物とは思えないほど、
国際会議への参加や大会視察など、
精力的に世界を駆け回りました。

そして、1933年(昭和8年)に
開催されたウィーンでの総会で
東京大会の招致を主張。

その後も、東京招致に反対する
加盟国に決してひるむことなく、
堪能な英語を駆使して反論し、
東京大会の招致が決まりました。

しかし。

その翌年、洋行途中の船上で急逝。

彼が望んだ東京大会も
戦争により幻の大会となりました。

このことを
もっとも残念に感じているのは、
東京招致に奮闘した
「治五郎」本人であることは、
いうまでもありません。

それから80年、東京の地で
彼の望んだ熱戦が
繰り広げられています。

彼がもっとも大切にした
フェアなスポーツマンシップは、
「柔道」のみならず、
他の競技でも
ルールの基本として根付き、
彼の“子供たち”の活躍を
喜んでいるのは「嘉納治五郎」
本人に違いありません。

 

帰省もままならない2021年の「お盆」。気持ちだけでもご先祖供養を。

「新盆」「月遅れ盆」「旧盆」。それぞれお盆を迎える時期が異なります。

まもなく、お盆です。

お盆の期間は、全国的に
8月13日(金)から16日(月)の
4日間。

毎年、13日に
ご先祖様の御霊を
“迎え火(盆の入り)”で迎え、
14日、15日は
ご霊膳などをお供えして供養し、
16日の午後に
“送り火(盆明け)”で
送り出すという、
毎年、決まった日付の行事です。

お盆休みの4日間と
土日祝日が組み合わさり、
さらに有給休暇なども組み入れた
“今夏の長い夏休みの取り方”特集が
テレビの情報番組等で流れるのも、
夏の風物詩のひとつとなっています。

ちなみに、今年は、
10日(火)から12日(木)の
3日間の有給休暇をとれば、
10連休となります。

さて、昔から伝わる、
もともとのお盆は、
旧暦の7月15日を中心に
行われていた長い歴史があります。

旧暦から新暦に切り替わったのは
1872年(明治5年)のことで、
1872年(明治5年)12月2日の翌日が、
1873年(明治6年)の1月1日になり、
改暦後、12月が丸々なくなりました。

そこで、旧暦で行われた多くの行事を
新暦の30日遅れで行うことで、
実質的にはそれまでと同じ
季節のタイミングで行うことに。

その流れで、全国的に、
“お盆は新暦8月15日”
というのが定着していきました。

また、7月は農村部の
農繁期にあたるため、
1カ月遅れのお盆が受け入れられた
という説もあります。

新暦になって、それまで通り
7月15日の「7月盆」が根付いたのは
東京を中心とした首都圏です。

これは明治政府の
お膝元であったことと、
全国でもっとも早く
都市化が行われた地域
だったからのようです。

東京以外にも、
横浜、静岡、函館、金沢の一部地域が
7月にお盆を迎えます。

この「7月盆」を
“東京盆”“新盆”と呼ぶのに対して、
全国的に定着した「8月盆」を
“月遅れ盆”と呼びます。

また、旧暦7月15日に
お盆を迎えるのが、沖縄、奄美地方。

こちらは“旧盆”と呼ばれ、
旧暦によってお盆を迎えるため、
毎年、お盆の日は異なります。

今年は8月20日(金)から
8月22日(日)の3日間
(地域によっては4日間)で、
来年は8月10日(水)から
8月12日(金)、
4年後の2025年は、
9月4日(木)から9月6日(土)と、
お盆の日は8月中旬から9月初旬と
振れ幅は大きく、必ずしも
休日になる訳ではありません。

こうした背景のもと、
日本各地でお盆に行われる
行事や風習も
地域によって異なり、
花火大会や夏祭りなどが
一緒に開催されることも
少なくありません。

例えば、
「7月盆(新盆)」の地域では
七夕祭りと一緒に
行われところがあり、
大きな祭事と結びついた
「8月盆(月遅れ盆)」の
地域としては、
8月16日に行われる京都の
“五山の送り火(大文字焼き)”
などが有名です。

日本の「お盆」は仏教の伝播によってもたらされ、独自の進化を遂げて行きました。

日本へのお盆の伝播については
諸説ありますが、
インドで発祥した“仏教”に、
中国の先祖供養の意味合いを持つ
“中元節”が組み合わせさった
「盂蘭盆会(うらぼんえ)」
として伝わった説が有力です。

「盂蘭盆」は
サンスクリット語の
“ウッランバナ”の音写語
(仏典を翻訳する際に漢文に訳さず、
梵語の音をそのまま
漢字に写した技法)
という説があります。

ちなみに、
仏教が日本に伝わったのは
538年(宣化天皇3年)のこと。

さて、「盂蘭盆」に関する記述は、
後に編纂された「日本書紀」に
いくつか記されています。

606年(推古天皇14年)に
“是年より初めて寺毎に、
四月の八日、七月十五日に設斎す”
と記述されており、それによって、
4月8日にお釈迦様の誕生を祝う
灌仏会(かんぶつえ)、
7月15日は「盂蘭盆会」の始まり
と読み取れます。

657年(斉明天皇3年)での記述には、
“群臣に詔して京内の諸寺に
盂蘭盆経を勧請(とか)しめて、
七世の父母に報いしむ”と。

ここにある
“七世の父母に報いしむ”とは、
兄弟姉妹は入れずに
直系だけを7世代遡ると、その間に
かなり多くの血縁者が命を紡いで、
現在の自分の存在があるので、
その所縁あるご祖先様の霊に
慈しみの心で供養をする
という意味を含みます。

奈良時代になり、
773年(天平5年)の
聖武天皇時代には、
“天平五年七月十五日、
初めて大膳職をして
盂蘭盆の供養を修せしむ”
と記され、訳すると
“盂蘭盆会の供物調達にあたっては、
できるだけ良いものをと、
初めて宮廷の
食膳担当の大膳職に行わせた”
とあります。

日本の「お盆」は、
仏教とともに日本に伝わった
「盂蘭盆会」が、
日本の風習や信仰と結びついて
独自の進化を遂げてきたことが
「日本書紀」の記述から
読み取ることができます。

今年の「お盆」は昨年に引き続いて
新型コロナ禍にあるため、
感染拡大を防止する意味もあって
帰省もままならない状態です。

そんな方々に、お供え用の
菊正宗「夏ギフト」を
ご用意いたしておりますので、
心尽くしの供養に
ご利用くださいませ。

2021年の「土用の丑の日」は、7月28日。ウナギがちょっとお安くなってます。

昨年の“シラスウナギ”豊漁がもたらしてくれた恩恵。

今年の「土用の丑の日」は、
7月28日(水)。

ウナギの蒲焼が
店頭に並ぶ時期となりました。

あの照り色と香ばしい匂いが、
より一層、食欲をそそります。

本来の天然ウナギの旬は、
秋から冬にかけて
水が冷たくなりはじめる頃で、
一番脂がのる時期とされています。

現在、市場に出回っている
ウナギの約99%以上は養殖もので、
天然うなぎは、わずか1%未満。

養殖ウナギは、
1年でもっとも需要が高まる
「土用の丑の日」をピーク
として育てているため、
養殖ウナギの旬は
6月から8月とのこと。

とはいえ、徹底した温度管理による
ビニールハウスの安定した環境で
育てられているので、
季節による味の違いは
さほど感じることはないようです。

ウナギ養殖においての
人工孵化は難しく、
現在は太平洋を回遊した後、
河川を遡上する天然の
“シラスウナギ(稚魚)”を捕獲し、
成長させて出荷する
“半天然・半養殖”という
養殖方法をとっています。

静岡県磐田市の天竜川河口_シラスウナギ漁

この養殖種苗となる
“シラスウナギ”の漁獲量は、
1970年代を境に大きく減少。

ピーク時に
200トンを越えていたものが、
2019年度は約3.7トン(水産庁算出)
にまで落ち込み、
このまま不漁続きとなると、
「土用の丑の日」にウナギを食べる
習慣そのものがなくなると
懸念されていました。

しかし、
昨年の2020年(令和2年)は、
池入数量20.1トン
(輸入3.0トン含む)と、
久しぶりの豊漁を記録。

2021年(令和3年)は
前年よりは減ったものの、
池入数量18.3トン
(輸入7.0トン含む)と、
直近5漁期の平均的な
池入数量に届いたとのことで、
とりあえずは、ひと安心。

ここでいう池入数量とは、
絶滅危惧種に区分された
ニホンウナギ資源の
管理・保護への配慮から、
文字通り、年度ごとに
“養殖池に入れる
ウナギの稚魚の数量に
上限を設ける”
という取り組みです。

具体的には、
2015年(平成27年)に
日本国内全体の池入上限総量を
21.7トンに定めました。

つまり、ウナギ養殖業者は
農林水産大臣の許可が必要で、
この許可を得ている
国内すべてのウナギ養殖業者に
池入上限数量を配分した合計が
池入上限総量の21.7トンに
設定されているということです。

ただし、ここで大切なのは、
シラスウナギの池入数量と
出荷量の関係性。

ウナギの養殖方法は、
早い時期(11月~翌1月末)に
池入れしたシラスウナギを
半年間育成して出荷する
“単年養殖”と、
遅い時期(2月~4月)に
池入れしたシラスウナギを
1年以上かけて育成して出荷する
“周年養殖”に大別されます。

「土用の丑の日」に店頭に並ぶ
ほとんどのウナギが
前年に池入された
“周年養殖”ウナギなので、
前年の豊漁を受けて、
昨年よりも安く取引されているため、
今年はちょっとお安く
ウナギを堪能できそうです。

「土用の丑の日」以外の、「土用」にまつわる歳時もあります。

ウナギをはじめとする
“う”のつく食べ物を食べて
暑気を払い、
滋養をつけるのは
「土用の“丑”の日」ですが、
期間としての
今年の夏の「土用」は、
7月19日(月)から8月6日(金)。

昔から“虫干し”とも呼ばれる
「土用干し」が、
夏の行事として、
この「土用」期間に
行われてきました。

これは、梅雨が明ける
夏の土用の頃に
衣服や書物を取り出して
風を通すことで、
梅雨の湿気によって
カビや虫が発生するのを防ぐための
生活の知恵ともいえます。

この行事の歴史は古く、
平安時代に正倉院の収蔵品を
「土用干し」していた
という記録も残されています。

エアコンや除湿機が
多くの家庭に行き渡り
快適な住環境が整った昨今、
こうした行事は
徐々に廃れつつあります。

また、夏の「土用」の時期に
1週間ほど田んぼの水を抜いて、
田の「土用干し」を行います。

この作業によって田んぼの土を
“中干し(ヒビが入るほど
完全には乾かさない)”にし、
稲の茎の根元から新しい茎が出てくる
“分げつ”を抑え、
それまで青く育った稲が
しっかりと根を張ることを促します。

農家にとっては、秋の豊作に向けた
大切な習慣のひとつとされています。

ところが、土の“気”を持つ
「土用」の期間に、
土に触ったり、
土を動かしたりすることは、
禁忌とされてきました。

とくに昔は、種を蒔いたり、
井戸を掘ったり、壁を塗ったり、
土葬が中心だった時代には
葬式もご法度。

そこで生まれたのが
「土用の間日(まび)」
という風習です。

夏の「土用」では、
“卯”“辰”“申”が
この「間日」にあたり、
「土用の間日」だけは、
文殊菩薩の取り計らいで、
土を動かしても良い日
とされたといいます。

ちなみに、今年の夏の
「土用の間日」は、
7月19日(辰)、
23日(申)、
30日(卯)、
31日(辰)、
8月4日(申)。

土いじりなどをする場合は、
この「土用の間日」にすることを
おすすめします。

以前のコラムでご紹介しましたが、
ウナギと、口の脂分を
ウォッシュ効果で洗い流してくれる
「樽酒」の相性は抜群。

外出もままならない今年の夏は、
ウナギと「樽酒」で、
五輪観戦といきましょうか。