2020年の干支は“庚子(かのえね)”①
新しいことにチャレンジするのに、うってつけの年です。

干支は、“十干”と“十二支”の組み合わせた表現が正解。

“今年の干支は、ねずみです”
などと表現しますが、
これは正確ではありません。

干支は、“十干(じっかん)”と
“十二支(じゅうにし)”を
組み合わせたものをいいます。

十干は、
「甲(きのえ)・乙(きのと)
・丙(ひのえ)・丁(ひのと)
・戊(つちのえ)・己(つちのと)
・庚(かのえ)・辛(かのと)
・壬(みずのえ)・癸(みずのと)」
の10種類からなり、
十二支は、
「子(ね)・丑(うし)・寅(とら)
・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)
・午(うま)・未(ひつじ)
・申(さる)・酉(とり)
・戌(いぬ)・亥(いし)」
の12種類からなります。

十干と十二支の組み合わせそのものは
単純に10×12で120通りありますが、
“甲子”からはじまり、
次の“甲子”の年が61回目。

つまり60年周期となり、
組み合わない60の“組み合わせ”
があるということになります。

菊正宗創業360周年と干支

2020年(令和2年)の干支は、
「庚子(かのえね)」です。

「庚子」を構成する“庚”は
古代中国の陰陽五行説の
“金の陽”の属性を持ち、
金属のような冷たさ、
堅さの性質があり、
植物の生長が止まり
新たなカタチに変化しようと
する状態を表しています。

一方、“子”は“水”の属性で、
種子に新たな生命が芽吹く
準備が整った状態にあり、
可能性や変化、さらには繁栄
をもたらす象徴とされています。

さらに“庚子”の組み合わせは
“金生水”と呼ばれる
「相生(そうせい)」という
お互いを生かす関係にあります。

全般的に変化の多い年なので、
まったく新しいことへのチャレンジ
に適した年とされているようです。

ちなみに、2019年(令和元年)に
創業360年を迎えた菊正宗酒造。

創業を開始した
1659年(万治2年)の干支は、
“己亥(つちのとのい)”。

2020年(令和2年)の今年は、
干支を無事6周し、7周目を
スタートする年にあたります。

 

干支にまつわる出来事や都市伝説。

干支を冠した歴史的な出来事が
いくつかあります。

有名なところでは
1924年(大正13年)、
甲子(きのえね)の年に
完成した“阪神甲子園球場”。

古くは672年(弘文元年/天武元年)、
大海人皇子(後の天武天皇)が
大友皇子に対して挙兵した
“壬申の乱(じんしんのらん)”や、
1868年(慶応4年)に
薩長新政府軍と旧幕府群が戦った
“戊辰戦争”などです。

1年間を通して、もっとも干支を
意識するのは年賀状の時期で、
それ以外では干支を気にする機会
はほとんどないと行っても
過言ではありません。

ところが60年に1度だけ、
干支が話題となる年があります。

それが、“丙午(ひのえうま)”の年です。

江戸時代初期の
“丙午の年は火災が多い”
という迷信が発端。

恋人に会いたい一心で
放火事件を起こし、
火あぶりの刑に処された八百屋お七が
丙午の年に生まれたとされたのが
その云われとされていますが、
事実無根の作り話とのことです。

しかし、この由来だけがひとり歩きし
、“丙午の年に生まれた女性は
気性が荒く、夫の寿命を縮める”
という迷信がいまだに
根強く残っているようで、
1906年(明治39年)の丙午の年は、
出生数が前年より約4%減少。

1966年(昭和41年)には、
出生数が前年より
約25%も減少しました。

実際は、何の根拠もない都市伝説で、
逆に考えると競争相手が少ない分、
大学受験や就職の競争倍率が少なく
有利な当たり年と
いえるのかもしれません。

次の丙午は2026年(令和8年)。

より多くのお子様が授かることを
心から願っております。

普段、干支を意識する機会は
あまりないものの、空気のように
くらしの中に融け込んでいるのが
干支なのかもしれません。

佳い吉祥だけに願いを込め、
悪い都市伝説は目をつむり、
耳を塞いで行き過ぎるのを待つ位の
余裕が必要だともいえます。

菊正宗の新しいチャレンジに
ご期待ください。

混迷する環境問題。その一方で、イカナゴ不漁の原因に、驚きの事実が。

世界のあちらこちらで、環境問題に関する討論が喧しい現在。

以前より環境に関する
さまざまなテーマは
世界で話し合われてきましたが、
ここ最近、
その議論は白熱する一方です。

先頃のCOP25
(国連気候変動枠組条約
第25回締約国会議)で、
日本は温暖化対策を
講じていないという理由で
不名誉な“化石賞”を受賞。

これは、震災後に
全体の約4分の1を占めていた
原子力発電の代わりに
火力発電のウエイトを
増やさざるを得なかったことが
大きな要因で、化石燃料に頼らない
新たな代替エネルギーの
登場が求められます。

しかし、世界のCO2排出量については、
トップの中国と2位のアメリカだけで
全体の43%以上ものCO2排出量
という驚きの実情もあります。

またスウェーデンの女子学生の
各国首脳を前にしたスピーチは、
瞬く間に世界へと映像配信。

その鬼気迫る歪んだ顔と
礼儀のない強い言葉の
エキセントリックさばかりが際立ち、
伝えたいことの本質から
遠のくばかり。

さらに、
地球温暖化が懸念される一方で、
小氷河期の到来を示唆する学説が
一部で発表されるなど、
どれが正解で、どれが間違いなのか。

本当に持続可能な環境を
未来へと残すためには、国や組織、
団体などのそれぞれの“思惑”や、
主張する側の“都合のいいルール”
という壁を取り除いて、
膝を付き合わして
真剣に話し合うことが
大切なような気がします。

まずは、レジ袋を
昔の買い物かごに持ち替え、
ストローを使わないなどの、
目の前の環境保全から
スタートすることが大切なようです。

とはいえ、昨今の異常気象ともいえる
激しい気候変動の大きな原因として、
海水温の上昇は少なからず
影響があるのは事実。

台風の異常発生や暴風雨、水害などは、
この海水温の上昇が引き起こしている
との見解があります。

その影響は海洋生物の生態にも
大きな変化を及ぼしています。

「土用の丑」でお伝えしたように、
ウナギの漁獲量が激減している要因
のひとつが、この海水温の上昇。

海水温の変化で
微妙に海流の流れが変わるようで、
養殖用のシラスウナギは
産卵場所や回遊経路が
大きく変わっているとの研究結果も
発表されています。

それでなくても、ウナギは
もともと謎が多い魚で、
護岸に伴う河口堰の建設により
海水と淡水が混ざり合う
汽水域を減らし、さらに構造上、
天然ウナギの遡上を阻んでいます。

“土用の丑の日に
ウナギを食べる”ことは、
ものすごく贅沢なのかも
しれません。

 

環境適応力に優れたワカサギは、今年も旬の美味しさを届けます。

少し季節は早いですが、
春を告げる神戸の風物詩ともいえる
“イカナゴのクギ煮”が
絶滅の危機に瀕しています。

原材料となるイカナゴの新子(稚魚)
の漁獲量が1万から2万トン、
多い年は3万トン獲れていたものが、
平成31年度は899トンにとどまり、
長年その対策に
頭を悩ませているとのこと。

原因は前年夏の海水温が高いことで
産卵時に親も卵も死ぬ
と思われていましたが、
海水温が比較的低い翌年も
漁獲高は減少傾向となり、
謎は深まるばかり。

菊正宗 いかなご

そんな中、
昨年のシーズンを過ぎたあたりに
驚きの報道記事が
新聞に掲載されました。

“きれい過ぎる海”がイカナゴ不漁の
最たる原因だったようです。

かつて魚介類の宝庫であった
瀬戸内海は、
家庭や工場からの排水などにより
窒素やリンが過剰となり、
プランクトンが大量発生して
赤潮を頻発。

法令による排水規制を行ったことで、
水質が大きく改善した
という経緯があります。

その反面、魚介類の栄養素
とされる“栄養塩”が減り、
海苔の色落ちや
さまざまな漁獲減を招くことに
なったようで、故事にある
“水清ければ魚棲まず”を
地で行ったようなものです。

そこで兵庫県は、
“豊かで美しい瀬戸内海の再生”
を謳い、排水基準を緩和する条例改正
を行うことを決定しました。

まさに自然とのいたちごっこ。

上手くバランスが取れることを願い、
その結果が待たれるところです。

イカナゴのように
ある意味デリケートな魚が
環境に左右される一方で、
今がまさに旬の「ワカサギ」は、
環境適応に優れた魚で、
水質の悪化や低水温、
塩分濃度にも広い適応力があり、
各地の湖沼に移植されて
全国に分布域を広げています。

やはり、氷結した湖面に
ドリルで穴を開けて釣る
“氷上の穴釣り”は
冬の風物詩として有名で、
この釣りスタイルでは乱獲
とまでは行かないため、
しばらくは旬の美味しさを
楽しめそうです。

“氷上の穴釣り”は家族で楽しめる
体験型アクティビティー。

移動行程を楽しみ、
現地で釣りを楽しみ、
そして新鮮な味を楽しむ、
娯楽要素満載の
冬のエンターテイメントといえます。

氷結していない湖沼でも、
屋形船のようなドーム型釣り船、
また湖岸の温室ドームなど、
さまざまな釣りのスタイル
があります。

残念ながら温暖な関西エリアでは、
“氷上の穴釣り”はできませんが、
近くの温泉と組み合わせて
楽しむのも一興です。

釣り上げたワカサギは、
ぜひ現地でその新鮮さを味わい、
必ずクーラーボックスで持ち帰る
ことをオススメします。

淡白で繊細な味わいなので、
素揚げや天ぷらを
塩で食べるのが絶品。

天つゆに大根おろしを入れる
のも定番です。

醤油に浸けて焼いたり、
マリネや南蛮漬け、
甘露煮にしても
その美味しさを楽しめます。

竹中缶詰わかさぎ

淡白な味わいのワカサギには、
香り高い辛口の純米大吟醸を
冷酒でいただくのがオススメ。

絶妙な味と香りの
マリアージュといえます。

環境問題は、
未来につなぐ大切な課題です。

本来は自然のままにというのが
一番なのでしょうが、
これだけ都市化が進んだ今、
一方向に偏った主張ではなく、
バランスの取れた議論を
望みたいところ。

イカナゴの例にあるように、
キレイにすれば良い
という訳でもありません。

眉間にしわを寄せて
議論を戦わせるより、
美味しい料理と美味しい酒を
交わしながら、和やかに
未来を模索して欲しいものです。

令和初のお正月。いかがお過ごしですか。

新しい時代だからこそ、日本古来の原点回帰で運をつかむ。

年末年始は、“年終わり”
“年初め”にかかわる節目の
歳時行事が目白押し。

これは子孫繁栄や五穀豊穣を司る
年神様をお迎えする
準備ともいえます。

昭和の時代は、もっと
丁寧なしきたりがありましたが、
時代とともに簡便化や省略化
がすすみました。

鏡餅は安価なプラスチック容器
に入ったものが主流となり、
串柿や伊勢エビなどは
あまり見かけません。

自動車のフロントに着けていた
注連飾りなども、
まったく見なくなったものの
ひとつといえます。

その昔、“家”というものが
厳格だった時代に、
「若水汲み(わかみずくみ)」
「初竈(はつかまど)」
「福沸(ふくわかし)」
「初炊ぎ(はつかしぎ)」
などの正月行事が、
一般の家庭でも
普通に行われていました。

これらは“水”と“火”に対する
感謝が込められたしきたりで、
これらも、最近あまり目にする
機会がありません。

ただし、何代も続く厳格な“家”など
では、いまでも、その家に伝わる作法
に則って執り行われているようです。

「若水汲み(わかみずくみ)」は、
水をいただくことを水神様に
感謝する作法のひとつです。

元旦に、その年初めて汲む水を
“若水”と呼び、神棚に供えた後、
年神様へのお供え物や
家族の食事をつくります。

また、顔を洗う、口をすすぐ、
福茶を入れるなど、“若水”は
邪気を除くとされてきました。

古来より、「若水汲み」は正月行事を
取り仕切る年男や主婦の仕事で、
元旦の朝早く、
誰にも会わないうちに水を汲み、
もし人に会っても口をきかずに、
神棚に供える準備をしました。

“若水”を汲む際は、
“黄金の水を汲みます”など、
縁起の良い言葉を
唱える地域もあります。

また、地域によっては、
歳の市で新調した手桶を使う、
鏡餅や米を水神様に供える
などの作法もさまざま。

昔は井戸の水を汲んでいましたが、
水道水やミネラルウォーターなどでも
、最初の水は“若水”とされています。

「初竈(はつかまど)」は、元旦、
初めて竈(かまど)に
火を入れることで、
火や竈の神様に水を供えたり、
塩で浄めて
一年の火の用心を願います。

なかでもとくに、
“若水”を沸かすことを
「福沸(ふくわかし)」と呼び、
新年初めての煮炊きを祝う
しきたりもあります。

新年、最初にご飯を炊くのは、
「初炊ぎ(はつかしぎ)」。

元旦の朝は雑煮が定番なので、
元旦の夜、もしくは
翌二日の行事です。

これらのしきたりも
地域によってまちまち。

正月三が日は炊事をせずに
お節料理をいただくという
ところもあるので、
お住まいの地域や代々家に伝わる
しきたりに則ってお正月を過ごす
のが賢明かと思われます。

いずれにせよ、こうした行事は
日本独特の宗教観によって、
生活に融け込んだものが、
代々伝わっているといえます。

日本の宗教観と諸外国の宗教観は、大きく異なります。

日本人の宗教観は、
世界にあまり類のない
独特のスタイルを持っています。

なかには、ひとつの宗教を信仰する
熱心な信者のご家庭もありますが、
多くの日本人は、
神社への初詣にはじまり、
お盆にはお寺での墓参り、
そして年の瀬にクリスマスイブを祝う
…日常の生活文化のなかに、
意識することなく複数の宗教が自然に
融け込んでいるといえるでしょう。

海外では、ひとつの宗教信仰を中心に
生活を送ることが多く、
果ては宗教が元で
戦争になることも少なくありません。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教
の聖地とされる“エルサレム”
をめぐる長年にわたる紛争などは
その代表的なお話といえます。

外国の方達からすると、日本の
宗教スタイルは奇異に映ります。

たとえば、
ご飯を食べる時の“いただきます”。

つくってくれた人への
感謝の気持ちに加え、
神様への感謝があります。

また、悪いことをしたときの
“神様の罰があたる”にも、
明確な神はありません。

漠然とした、いろいろなものに
神が宿るという、いわゆる
“八百万(やおよろず)の神”信仰
なのでしょうが、
意識することなく、
生まれた時から生活様式として
自然と身についています。

こうした考え方を
外国人に説明しても、
微妙なニュアンスが
伝わり辛いのですが、
訪日された外国人が観光を通して、
必然的に日本の宗教観に触れる機会に
、興味から感銘へと
変わることが多いようです。

お寺での禅体験の後、
伏見稲荷へという
普通の観光巡りに、
ふたつの宗教が混在していること
を意識することなく楽しむのも、
日本独特の宗教観の柔軟性といえます。

海外では宗教視点で
“労働”を苦役と考えますが、
日本では古来より感謝ととらえ、
季節ごとのさまざまな歳時行事
のひとつひとつにも、
昔から伝わる深い宗教観があります。

もしかすると、
細かい戒律に縛られることなく、
ほかを拒まない寛容さを持ち、
無意識に自身への戒めと
他者への慈しみのある、本来、
日本人が受け継いできた感覚こそが、
最先端を行く宗教
なのかもしれません。

深く複雑に考えるのではなく、
簡単に“鰯の頭も信心から”
が原点なのかも。

日本人のルーツは、
感謝の心に宿っているような気がします。

「成人祝い」に最適の日本酒ギフト、取り揃えてます。

「成人」の定義、日本と世界では異なります。

2020年(令和2年)の
「成人の日」は、
1月13日(月曜日)。

お正月気分がちょうどぬけた頃で、
今年初の3連休となります。

戦後すぐに制定された祝日法により
“1月15日”固定の祝日として
「成人の日」が定められて
いましたが、約50年経った
2000年(平成12年)から
“1月第2月曜日”となりました。

世界の成人式はというと…
その前に、まず日本の
「成人式」の定義について
まとめておきます。

日本では、古来より、
男の成人を祝う“元服”という
通過儀礼がありました。

女性の“元服”が定義されたのは
江戸時代以降になってからのこと。

戦後になって、改めて
「成人の日」という祝日が制定され、
男女ともに20歳を迎える年度に、
住んでいる地区の市区町村が主催する
「成人式」に集団で出席する
季節行事に。

女性は振袖、男性はスーツ姿
(最近は紋付羽織袴も増加)
というのが定番の服装
となっています。

ここ最近は、成人式で暴れる
不届き者にフォーカスした
“残念な風物詩”としての
報道ばかりが話題になりますが、
昔から“悪目立ち”する輩は存在し、
良くも悪くも報道のサジ加減
といったところでしょう。

…というのが日本の成人の定義です。

世界に目を移すと、成人儀礼は大きく
“定められた年齢”と
“能力を認めてもらう” の
2つに分かれます。

ひとつめの“定められた年齢”は、
日本や欧米をはじめ、
多くの国で「成人」の定義基準です。

日本の20歳は、
かなり遅い成人年齢で、
早い国では14歳、
欧米諸国の多くは18歳
というのが世界の成人基準。

ふたつめの“能力を認めてもらう”
というのは、狩猟民族にルーツを持つ
国が多く、一定年齢に達した段階で、
“通過儀礼”“試練”を乗り越えて
成人と認められます。

ライオンを狩ったり、
サメを素手で捕まえるなど、
成人としての度胸が
試される儀式です。

ちなみにバンジージャンプは、
元をたどれば太平洋諸島地域
バヌアツ共和国の「ナゴール」
という成人儀式をヒントに
生まれたアトラクションです。

木を組んだ30メートルほどの
櫓(やぐら)から、
足首に木のツルを巻き付けて
飛び降りるのですが、
ツルが長かったり、途中で切れて、
地面に頭から突っ込むこともある、
まさに命がけの儀式といえます。

 

大人の仲間入りなら、日本酒ギフトが最適。

日本の「成人式」のように
新成人が一堂に集うような行事は、
世界にあまりありません。

ですが、日本の「成人式」、意外にも
世界で高評価を得ているようです。

成人式の華やかな振袖や
紋付羽織袴の装いは
日本が誇る伝統美ともいえ、普段、
目にする機会のほとんどない外国人
にとっては“ワンダフル”そのもの。

訪日の際に、運良く
成人式に出くわした外国の方は、
SNSを通じてその様子を
世界に発信拡散されているようです。

こうした大人の仲間入りを果たした
新成人には、その日にふさわしい
「成人祝い」を贈りたいものです。

やはり、神事にもつながる伝統行事
ということを考えれば、
大人の仲間入りという意味で、
日本酒ギフトは最適です。

日本酒の入門としてオススメなのは、
スパークリング純米大吟醸酒
「天使の吐息」です。

ライトな感覚なので、
初めて飲むお酒としてはピッタリ。

少し甘みのある上質なシャンパン
のような発泡感と清涼感は飲みやすく
、お祝い感のある日本酒です。

飲み進めているうちに表れるのが、
美味しくコクと深い香りの
沈殿したオリの「うすにごり」。

徐々に日本酒の美味しさを体感できる
、まさに1本で2度楽しめる、
「成人祝い」のお酒に最適の逸品です。

また、成人の日には間に合いませんが
、今年の3月に発売予定の
「二十歳の山田錦物語」も
新成人には、ぜひお飲みいただきたい
日本酒のひとつです。

今年の新成人と同い年の大学生達が、
田植えや稲刈りなどの
酒米づくりから、
収穫した酒米による醸造、商品化まで
を体験する年間を通した体験型の
プロジェクトで生まれるのが、
日本酒「二十歳の山田錦物語」。

菊正宗が長年にわたって契約している
“特A地区”と呼ばれる
三木市吉川町前田地区で採れる
最高級の酒米・山田錦を醸造して
誕生する、新成人に趣き深い
お酒といえます。

まだ醸造前で、1月半ばに醸造し、
熟成を経ての販売となります。

是非、ご期待ください。

「成人式」を迎えても、
1月から3月生まれの“早行き”の方
は20歳の誕生日を迎えるまでは、
飲酒は厳禁。

その日が来るまで、
首を長くしてお待ちください。

蕎麦と日本酒は切っても切れない相互の関係。
そして…「年越し蕎麦」。

「菊正宗」と神田「やぶそば」の長年続くいい関係。

江戸は“蕎麦”、上方は“うどん”
といわれて、
“蕎麦屋でちょっと一杯”は、
江戸ならではの“粋”を
感じる言葉です。

ところが、蕎麦好きで知られる関東は
、かつてうどんが主流
という驚きの事実がありました。

徳川家康が江戸城に入城した当時、
江戸は湿地帯が多い寒村ばかりで、
江戸の町づくりがはじまった頃。

上方から多くの人が移り住んだことで
、うどんが好んで食されていた
との記録が残されています。

時は流れ、蕎麦屋が増えはじめた
のは江戸中期以降で、
幕末の1860年(万延元年)
の頃ともなると、
江戸の蕎麦屋は4000軒近く
にも増えました。

そんな時代、蕎麦屋と日本酒は
切っても切れない関係でした。

当時、蕎麦屋で出される酒は、
灘の下り酒で “上酒”と呼ばれ、
本当の酒通が通ったといいます。

蕎麦屋で酒を飲む人の多くは、
酔っぱらうほど深酒をしないので、
酒の味には厳しく、だからこそ
旨い酒しか置いてなかったとのこと。

蕎麦通の人は、
自然と旨い酒に馴染み、
酒通となっていき、
旨い酒を飲んだら、
旨い蕎麦を食べたくなり、
蕎麦通になっていくことから、
“蕎麦屋酒”とも呼ばれました。

神田「やぶそば」も、こうした
“蕎麦屋酒”が楽しめる
長年続く老舗の名店のひとつで、
酒通、蕎麦通が
足しげく通うお店です。

開業は1880年(明治13年)で、
約140年の歴史ですが、
その源流は幕末期に流行った
団子坂の蕎麦屋「蔦屋」
にまでさかのぼります。

その暖簾を受け継ぎ、
今に伝える老舗ともいえるでしょう。

神田「やぶそば」は
2013年(平成25年)に火災により
店舗の約3分の1を焼失しましたが、
翌2014年(平成26年)には
店舗を立て直し、
釣り行燈や看板など、
以前の佇まいを残し、
風情豊かに再開しています。

神田「やぶそば」に置いている
日本酒は、創業以来、菊正宗一筋。

これは安定した品質に対する
長年の信頼があってこそのお話。

酒そのもののコクや
喉ごしのいいキレのある、
いわゆる“蕎麦屋酒”を粋に飲みたい
という酒通の願いに応えるのが
辛口の菊正宗ということになります。

現在、東京の老舗蕎麦屋で
菊正宗を飲ませる店が多いのは、
こうした背景があるようです。

「年越し蕎麦」を食べるのは、どのタイミング?

1年のうちでもっとも
蕎麦が食べられる時期、
それが年の締めくくりとして食べる
「年越し蕎麦」です。

“大晦日に蕎麦を食べる”という
昔ながらの行事として
伝わってはいるものの、
食べるタイミングまでは
考えたことがないというのが、
正直なところではないでしょうか。

「年越し蕎麦」を食べる
正しいタイミングは…
年越しの日である大晦日であれば、
いつ食べてもOKというのが正解。

なにかと忙しい大晦日なので、
その日の予定を考えながら、
家族が揃うタイミングで
食べるのがベストでしょう。

ただし、「年越し蕎麦」を食べるのは
縁起担ぎの意味合いが深く、
“年をまたいで食べる”
“新年になってから食べる”
のは縁起が悪いとされているので、
ご注意を。

幸先の良い新しい年を迎えるためにも、
「年越し蕎麦」を、年が変わる
ギリギリに食べるのは禁物です。

よく耳にするのが、
紅白歌合戦などのテレビ番組が
終盤に差し掛かる頃、
「年越し蕎麦」の準備をはじめ、
年またぎで食べるケース。

これは縁起の悪い食べ方の一例で、
年内に食べ終える
余裕を持つことが大切です。

一部の地域では、
「ついたち蕎麦」「元日蕎麦」
と呼ばれる、除夜の鐘を聞いてから
食べる蕎麦もあります。

「年越し蕎麦」は江戸中期頃から
庶民に定着した縁起担ぎの食習慣で、
その由来には諸説あります。

  • 蕎麦は細く長く伸びることから、
    “長寿延命”“家運長命”の縁起担ぎ。
  • 蕎麦は切れやすいことから、
    その年の苦労や災厄を
    きれいに切り捨て、
    新しい年を迎える縁起担ぎ。
  • 金銀細工師が飛び散った
    金粉を集めるために
    蕎麦粉の団子を使っていたことから、
    “金を集める”という縁起担ぎ。
  • 植物としてのソバは生育が良く、
    ソバの実が五臓の毒素を取り除く
    と信じられていたことに由来。
  • 鎌倉時代に、博多の承天寺では
    年を越せない町人に“世直し蕎麦”として
    「蕎麦餅」を振舞ったところ、
    翌年から町民の運が向いてきた
    ことから、「運蕎麦」を食べる
    習わしとなった。
  • 室町時代、関東三長者のひとりが、
    毎年大晦日に無病息災を祈って
    家人と「蕎麦がき」を食べた
    ことがはじまり。

もともとは、商家を中心に
各月の末日に
“三十日蕎麦(みそかそば)”を食べる
習慣があり、それが転じて
大晦日に食べる「年越し蕎麦」
となったようで、その土地土地に
由来する縁起担ぎがその理由
として受け継がれているもの
と考えられます。

大晦日に縁起担ぎの「年越し蕎麦」
を食べ、除夜の鐘を聞きながら、
日本酒で初乾杯。

昔ながらの迎春の儀式で、
新しい佳い年を迎えましょう。