日本の「ホワイトデー」は、美しい返礼文化が生み出した愛情表現の日。

“バレンタインデー”と対で定着化した「ホワイトデー」。

「ホワイトデー」は、一般的に
“バレンタインデー”と
対になるイベント
と位置づけられています。

ヨーロッパでは、
“バレンタインデー”の元となった
ヴァレンタイン司教殉職の
ちょうど1ヵ月後にあたる
3月14日に、
結婚した男女が改めて
永遠の愛を誓い合ったことに由来する
“フラワーデー”や“ポピーデー”
“マシュマロデー”
“クッキーデー”などが、やがて
「ホワイトデー」と名を変えました。

日本の「ホワイトデー」の歴史は浅く
、1975年(昭和50年)に
前後してスタート。

ちょうど、女性が男性に
チョコレートを贈って愛を告白する
日本独自の“バレンタインデー”
文化が定着しはじめた頃で、
チョコレートをもらった男性が
女性にお返しする日として、
お菓子業界が販売促進の戦略として
広めたのが最初です。

当初はマシュマロをお返しにしていた
ことから“マシュマロデー”
とも呼ばれていましたが、
やがてホワイトチョコなども
お返しギフトに加わり、
お返しが多様化するに伴って
「ホワイトデー」という名前が
定着化して行きました。

現在は、“バレンタインデー”ギフトが
多様化したこともあり、
「ホワイトデー」ギフトも
大きく変化。

“クッキー/友達(乾いている)”
“マカロン/特別な人
(ほかのお菓子より高級)”
“マシュマロ/嫌い
(すぐに溶けてしまう)”
“キャンディー/好き
(甘さを長く楽しめる)”
“ハンカチ/お別れ
(涙を拭くもの)”
という根拠のない理由も
ネットを通じて広まっています。

日本の“バレンタインデー”
“ホワイトデー”とよく似た
ギフトの贈り方をするのが
お隣の国、韓国です。

韓国には、この2日に紐づいた
4月14日の“ブラックデー”
という日もあり、
“バレンタインデー”
“ホワイトデー”両日に
何ももらえなかった
シングルの男女が黒い服を着て、
ジャージャー麺を食べる日に定められ
、ジャージャー麺専門店は
大繁盛するとのことです。

 

“バレンタインデー”の多様化が、「ホワイトデー」ギフトに影響を。

“バレンタインデー”ギフトが
多様化しはじめたのは
2000年(平成12年)代頃で、
それは同時にお返しの役割ともいえる
「ホワイトデー」ギフトの
多様化にも繋がります。

愛を告白する“本命チョコ”以外に、
“義理チョコ”や
“友チョコ”だけでなく、
お世話になった方に贈る
“世話チョコ”、
男性から女性に贈る“逆チョコ”、
家族に贈る“ファミチョコ”、
自分へのご褒美で買う“自分チョコ”
など、贈る対象が
より幅広くなりました。

また、“バレンタインデー”が、
1年間でもっとも
チョコレートが売れる日
というのは揺るがない事実ですが、
それ以外にも
ファッションアイテムをはじめ、
嗜好品や趣味雑貨など
幅広いギフト商品が
選ばれるようになりました。

そもそも日本人は、
情熱的な欧米諸国とくらべると、
愛情表現が圧倒的に苦手なので、
こうした積極的な愛情表現を行える
“バレンタインデー”“ホワイトデー”
のようなイベントデーが
必要なのかもしれません。

現に、このイベントデーがきっかけで
結ばれたカップルも数多くいます。

おかげさまで、菊正宗でも、
“バレンタインデー”“ホワイトデー”
は一気に需要が高まる時期です。

仲良しのご夫婦が贈り贈られる
この2日を楽しまれたり、
お父さんやお母さんへの
感謝を伝えるギフトに
ご利用いただくこともあります。

「ホワイトデー」は、
お中元やお歳暮と同じく、
日本ならではの
返礼の習慣が生み出した
美しいイベントデーのひとつです。

ここでしか
お買い求めいただけない商品も
数多く取り揃えていますので、
ぜひ「ホワイトデー」ギフトに
ご利用ください。

まだまだ寒さが残りますが、暦の上で“ウグイスが鳴く”季節です。

世界トップクラスの“四季”を愛でる国、日本。

日本は、世界でも有数の
“四季を愛でる”感性を持つ国です。

日本と同じ緯度の国にも
同じように四季があり、
日本だけが特別
という訳ではありません。

ではなぜ、日本はこれほどまでに
“日本には四季がある”と
誇りを持っているのでしょうか。

それは、日本国土の
北と南での差はあるものの、
それぞれに季節ごとの
美しい景観や楽しみ方が
あるということです。

海外では、
秋の位置づけが意外と不明瞭で、
夏から冬への繋ぎ的な役割
としてしか捉えられていない
国が多いようです。

逆に、日本の秋は
存在感のあるひとつの季節として
認識されています。

その理由として、古来、
代々農耕を営んできた日本では、
行事の多くが
四季の移ろいとともに
行われてきました。

また、“八百万の神が万物に宿る”
というそれぞれの地域に根付いた
宗教観もあって、
日々の生活の中で自然の営みや
自然の現象すべてに精霊が存在し、
それを感受性豊かに捉えることで、
日本人が当たり前のように感じる
季節感になったとも考えられます。

中国から伝わった
二十四節気や七十二候を、
日本の風土に照らし合わせて改良し、
そこに日本独自の
雑節や五節句などが加わって、
自然の微妙な変化によって
季節を感じ取れることに
繋がっているといえるでしょう。

以前に紹介したことの
おさらいになりますが、
1年を4つに分けたものが
“四季”で、
12に分けたのが“月”。

1年を24に分けたものが
“二十四節気”で
立春や春分、秋分、冬至など
1ヶ月に2つずつの節があります。

また、1年を72に分けたのが
“七十二候”で、
各節気を初候、次候、末候の3つに
分けたものといえるでしょう。

ここに日本独自の9つの雑節
(節分や彼岸、土用など)と
五節句(端午、重陽など)が加わり、
季節の暦をつくりあげています。

月より節、節より候と、
細分化されることで、
季節の表情はよりハッキリと
見えてくるということです。

明治初期に
旧暦(月の満ち欠けが基準)から
新暦(太陽の動きが基準)に変わり、
日付は1ヶ月ほど
ずれることになりました。

例えば、旧暦ならば立春とともに
新年がはじまりますが、
新暦での立春は2月初旬。

また、お盆は7月を新盆、
8月を旧盆と呼んで
地域の習慣に沿って
行なっている例もあります。

こうした新旧の暦を
混在させながら運用されているのも、
実際の日付と実感する季節感の
バランスをとった結果、
もっとも生活に沿ったところに
落ち着いたと考えられます。

ニュースなどでよく耳にする
“今日は暦の上で○○です”
という表現は、
こうした暦の混在を
上手く言い表したもの
といえるでしょう。

 

 

七十二候の立春次候「黄鶯睍睆」。“うぐいすなく”季節です。

このコラムが掲載される
2月10日は、
“七十二候”の立春次候
「黄鶯睍睆(こうおうけんかん)
/うぐいすなく」で、
今年は2月8日から12日までの
5日間です。

まだまだ冬の寒さが残る中、
山里でウグイスが鳴きはじめる頃を
表わしたもので、
“睍睆”は良い鳴き声を
意味しています。

また、ウグイスの初鳴きを
“初音”といいますが、
実はこの時期の鳴き声は
“ホーホー、ケッケッ、
ケキョ、ホーホー…”。

キレの良い
“ホーホケキョ”へと
鳴き声を整えている状態で、
“ぐぜり鳴き”
と呼ばれる鳴き方です。

さらに、ウグイスの
特徴的なさえずりを行うのは
オスのみで、
メスへの求愛のためのもの。

オスメスともに
普段の地鳴き声は
“チャッチャ、チャッチャ…”と
小さく低く鳴くようで、
人の耳にはなかなか届きません。

気象庁が1953年(昭和28年)から
継続記録している生物季節観測に
“桜の開花”
“アブラゼミの初鳴き”と並んで、
“ウグイス初鳴き”があります。

この記録によると、
ウグイスの初鳴日(しょめいび)は、
一般的に2月下旬に
九州地方、四国地方の一部や
関東地方の一部ではじまります。

3月初旬から中旬にかけて
中国地方、四国地方、近畿地方、
東海地方、関東地方、
東北地方南部太平洋側を結ぶ地域、
3月下旬には北陸地方北部から
東北地方太平洋側を結ぶ
地域へと広がり、東北地方を北上し
4月下旬に北海道地方に達します。

暦の上での「黄鶯睍睆」と、
実際の初鳴日には
少しズレがありますが、
大きな意味での春の足音を
感じはじめる時期
とされていました。

春告鳥ともいわれる
ウグイスの鳴き声に、
心がウキウキする感覚は、
やはり“四季を愛でる”感性の
なせる業なのかも知れません。

「バレンタインデー」の日に、“愛情”を再確認。

Valentinus

「バレンタインデー」の由来と海外事情

「バレンタインデー」の
“バレンタイン”は、
3世紀のローマに存在した
キリスト教司祭の
聖ウァレンティヌス
(英語読みでバレンタイン)
に由来します。

当時のローマ帝国は
ミトラ教が大きな勢力を持ち、
キリスト教信仰は公には
認められていませんでした。

ローマ皇帝・クラウディウス2世は、
兵士の士気が下がることを理由に
婚姻を禁止していたにも関わらず、
ウァレンティヌス司祭が
結婚式を執り行っていたことを理由に
牢屋へと投獄。

禁止されていたキリスト教の
司祭であったことも
大きな理由のひとつ
ともいえるでしょう。

ウァレンティヌス司祭が
投獄されていた牢屋の看守の娘は
生まれつき目が見えませんでした。

彼女は、いわゆる
“隠れキリシタン”で、
ウァレンティヌス司祭による
キリスト教の説教を受けるために
牢屋に度々訪れていたといいます。

そしてウァレンティヌス司祭の
説教を受けるうちに、
奇跡的に目が見えるように
なりました。

このことが伝聞し、
彼女の家族だけでなく、
看守や召使いたちも
密かにキリスト教徒に転向。

この話がクラウディウス2世に
漏れ伝わったことで
彼の逆鱗に触れ、
最期まで改宗しなかった
ウァレンティヌス司祭は
処刑されました。

Juno

その日が2月14日で、
ローマ帝国の祭典
“ルペルカリア祭”の
前日であったことから、
祭典の生贄にされた
という説もあります。

そして、ウァレンティヌス司祭
殉職の日を慈愛に満ちた日と定め、
後の「バレンタインデー」へと
繋がっていきます。

ちなみに、死を覚悟した
ウァレンティヌス司祭が、
処刑前日に目が見えるようになった
少女に1通の手紙を送りました。

それは彼女に授ける最後の説教で、
手紙の最後に
“From Your Valentine
(あなたのバレンタインより)”
と書き添えられていたことから、
現在の「バレンタインデー」に
わたすメッセージにも、
この一文が添えられることが
あります。

日本の「バレンタインデー」は、
製菓メーカーの販売促進に由来する
“女性から男性に
チョコレートを贈って
愛を告白する日”
として定着していますが、
海外に目を移してみると
それぞれ事情が異なります。

驚くことに、
ウァレンティヌス司祭を崇拝する
正教会が広がる国々では、
2月14日が愛や恋人を関連づけた
公式的な“記念日”という習慣はなく、
西欧文化がもたらした
商業イベントとしての
「バレンタインデー」という
記念日にしかすぎません。

日本の「バレンタインデー」の
元となった欧米諸国では、
性別に関係なく
恋人にギフトを贈る習慣があり、
イギリスでは
製菓メーカーのキャンペーンに伴い
チョコレートボックスを贈る習慣が
根付いているようです。

中国では2月14日と旧暦の7月7日の
年2回「バレンタインデー」があり、
どちらも男性から女性に
贈り物をする日で、
主にバラの花を贈ります。

カトリック信者の多い南米でも
2月14日は
ウァレンティヌス司祭にちなんだ
「バレンタインデー」と
されていますが、
すでにカップルである男女の日で、
花束やカードを贈り
一緒に過ごす日として定着。

一部を除いて全世界的に、
2月14日は愛を育む日
とされているようです。

 

「バレンタインデー」をテーマにした映画を、「バレンタインデー」に楽しむ。

「バレンタインデー」に
まつわる映画は数多くありますが、
その代表格といえるのが
タイトルそのままの
ハリウッド映画
『バレンタインデー』、
2010年(平成22年)公開の作品です。

舞台は、
2月14日の「バレンタインデー」
を迎えたロサンゼルス。

描かれているのは、
年齢も職業も愛のカタチも
さまざまな男女15人の
バレンタインデーの1日です。

たくさんの恋愛事情を
垣間見ることができるオムニバス的な
アンサンブル・ラブストーリーですが、
何の繋がりもなかった人達が、
実はみごとに繋がっていくといった
展開が物語に厚みを持たせています。

そして、もうひとつの魅力が、
シャーリー・マクレーンや
ジュリア・ロバーツ、
ジェイミー・フォックス、
アシュトン・カッチャー、
アン・ハサウェイほか、
ベテランから若手まで
ハリウッドのビッグネームの
豪華な共演。

そして、それを取りまとめるのが
名作“プリティ・ウーマン”を撮った
ゲイリー・マーシャル監督
という布陣ですから
面白くない訳がありません。

大切な人に花を贈ることに
一生懸命な人や、
相手のすべてを受け入れ
幸せな1日を過ごす人、
上手くいかず一人で
バレンタインデーを過ごす
ことになる人など、
それぞれのバレンタインデーが
どのような形で締めくくられるかを
見届ける楽しさいっぱいの
作品といえます。

邦画でも
1995年(平成7年)公開の
『大失恋。』が、
「バレンタインデー」をテーマに
進行する作品。

2月14日、ある遊園地を舞台に
8つの物語が同時進行する
オムニバスドラマで、
ある物語の主人公が
別の物語の主人公と
それぞれの物語に接点のない場所で
絡むシーンが存在するなど、
ハリウッド映画『バレンタインデー』
と少し似た展開。

大森一樹監督による
ロマンティックラブコメディに
仕上がっています。

日本の「バレンタインデー」は
チョコレートが
もっとも売れる時期ですが、
最近は辛党の恋人やお父さん、
夫に贈る日本酒を
お求めいただく機会が
かなり増えています。

今年の「バレンタインデー」は、
菊正宗の日本酒をご用命くださいませ。

「鏡開き」の日、関東は1月11日で、関西は1月20日。

関東と関西で異なる「鏡開き」の日と、その基準となる“松の内”明け日。

1月11日は日本記念日協会によって
認定された“樽酒の日”で、
これは、もともとあった
鏡餅を木槌で割って食べる
「鏡開き」の日に
由来するものということは、
今年最初のコラムで紹介しました。

実は「鏡開き」の日、関東と関西では
少々事情が異なります。

これには、
いささか説明が必要のようです。

まずは、“正月飾り”のお話から。

穀物の神様である年神様を
正月にお迎えするための
“正月飾り”の歴史は古く、
奈良時代から平安時代にかけて、
現在のような“正月飾り”の
スタイルがほぼ確立。

その代表格ともいえる
注連縄(しめなわ)や門松、
松飾り、鏡餅などは、
年神様がお正月にとどまる
“依り代(よりしろ)”
とされています。

これらの正月飾りは、
年神様が家に滞在する
“松の内”だけ飾られ、
“松の内”明けには、
それぞれのしきたりに沿って
片付けられます。

注連縄や門松、松飾りなどは、
1月15日に、
神社境内などに設けられた
“どんど焼き”や
“左義長(さぎちょう)”
と呼ばれる神聖な火に焼(く)べ、
灰を家の周りに撒いて
1年間の厄災を払い、
豊作や商売繁盛、家内安全、無病息災
、子孫繁栄を願うのが一般的です。

鏡餅は「鏡開き」の日に
木槌で割って、割ったお餅を
欠片も残さず食べることで、
神様から霊力を分けてもらい、
1年の良運を願います。

さて、ここからが本題の
「鏡開き」の日の
関東と関西の異なる事情ですが、
ズバリ「鏡開き」の日が
異なることです。

これは、元となる
“松の内”の日が異なるためです。

一般的に“松の内”は、
正月事始めとされる
12月13日からはじまり、
1月7日まで。

そして、「鏡開き」は
1月11日に定められています。

これは関東を中心に、
東北、九州など多くの地方でのこと。

一方、関西を中心とした地方では
1月15日までが“松の内”で、
「鏡開き」は1月20日。

ところによっては
“松の内”明けの15日、
また京都の一部では
“松の内”にかかわらず
三ヶ日が明けたら「鏡開き」を行う
地域もあるようです。

この関東と関西で
日にちが異なるのには、
ちゃんとした理由があります。

 

関東で“鏡開き”の日が、1月11日に定められた理由。

かつては全国的に、
“松の内”は15日までで、
「鏡開き」は“松の内”が明けた
1月15日もしくは1月20日に
統一されていました。

これは、武家の具足祝いを、
刀の“刃(は)”と
“柄(つか)”にかけて
“刃柄の祝い(はつかのいわい)”
転じて「二十日の祝い」と呼び、
20日に行っていました。

ところが江戸幕府三代将軍の
徳川家光が4月20日に亡くなり、
月命日の20日の祝い事を
避けるようになり、
“松の内”を7日までと
定めると同時に、
武家屋敷や商家が使用人や取引先に
お餅を振舞っていた
11日の“蔵開き”に
「鏡開き」の日を
合わせることとなりました。

これには別の説もあり、
1657年(明暦3年)の江戸での
“明暦の大火”の反省により、
燃えやすい松飾りや門松を
早めに片付けるために
“松の内”を早めたという
お話もあります。

余談ですが、
この“明暦の大火”の2年後の
1659年(万治2年)、
菊正宗が神戸・御影にて
創業を開始しました。

いずれにせよ幕府のおふれは
地方にまで届かず、関西では、
もともとの“松の内”が15日までで、
「鏡開き」が1月20日という
慣習が残ったとも伝えられています。

鏡餅の飾り方も、
関東と関西では少し異なります。

餅と橙(だいだい)に、
干し柿を串に刺した
“串柿”を挟むのが関西の習わしで、
関東に住む人からすると
少し違和感があるようです。

柿は、喜びが来るという意味で
“嘉来(かき)”という字をあてた
語呂合わせ。

鏡餅は八咫鏡(やたのかがみ)、
串柿は天叢雲剣
(あめのむらくものつるぎ)、
橙は八尺瓊勾玉
(やさかにのまがたま)を
象徴した正月飾りで、
古来より伝わる
三種の神器を表している
という説もあります。

いまは情報が瞬時に伝わる時代。

それにくらべて昔は伝達が遅く、
もともとの関西の習慣が残され、
いまだその伝統は
統一されることなく、
地域の文化が尊重されて
ずっと守られているという
ひとつの例です。

こうした文化の継承は
末永く残したいものです。

1月11日は、「樽酒の日」と「成人の日」。どちらも“いい日”この上なし。

菊正宗 鏡開き

「樽酒の日」には、菊正宗の「樽酒」で乾杯。

1月11日は「樽酒の日」、
2009年(平成21年)に
日本記念日協会によって
認定されました。

これは、もともとあった
毎年1月11日に、お供えの鏡餅を
木槌で割って食べる
“鏡開きの日”に
由来するものです。

酒樽の上蓋を“鏡”と呼び、
酒樽の割って開けることも
“鏡開き”ということから、
どちらも、
無病息災や心願成就を祈願して
執り行なわれる行事
とされているため、
奈良の酒造メーカーによって制定され
、記念日認定へと至りました。

この酒造メーカーによると、
11日を“いい日”と読むことができ
、“いい日に、樽酒”
と書き綴られ、
一方、日本記念日協会が
認定に至った経緯として、
“祝いの宴、喜びの場で
酒樽の蓋を威勢良く開ける鏡開き。
良いことがあったら、
良いことがありますように
との思いから
樽の酒をふるまい飲み交わす
この風習を伝えるために認定した”
との説明が添えられています。

樽酒を飲みたくても、
なかなか酒樽の鏡開きに
出会う機会は、そうありません。

とはいえ、樽酒の最大の魅力は
その香りで、日本酒の芳醇な香りが
杉や桧の清々しい木香を纏うことで、
爽快な芳香となります。

また、樽の中で寝かすことで
さらにまろやかな口当たりとなり、
深いコクが生まれるのです。

昔は江戸への下り酒を送る際に、
杉樽や桧樽に仕込んだ酒を
詰めて運んでいたため、
江戸の町に届く頃には
樽の木香が酒に移り、
もともと旨い灘の酒が
格段に旨くなると評判に。

しかし、現在は正確な温度管理や
清潔さを保つホーロータンクが
主として使われているため、
木香が移ることはありません。

菊正宗の代名詞ともいえる
「樽酒」は、
生酛造りで醸した辛口酒を
四斗樽(よんとだる)に詰め、
吉野杉の香りが程良くお酒に移る
飲み頃に取り出して
瓶に詰めて出荷しています。

社内に樽ファクトリーを設置し、
とりわけ香りの良い吉野杉を使って
酒樽を生産しているため、
いつも清々しい木香が香り立つ
「樽酒」をお届けできるのです。

 

 

いつもとは異なる特別な「成人式」。
いい思い出づくりはしたい。

もうひとつの1月11日の
“いい日”は「成人式」なのですが、
こちらも新型コロナ禍により、
いつもとは行事内容が異なります。

例年ならば、
スーツや振り袖に身を包んだ
初々しい新成人の話題とともに、
一部のルールを無視した
不届き者のニュースも
一緒に届きますが、
今年はそれどころではない
事態ともいえます。

さて、例年とは異なる
「成人式」ですが、
悩ましいのは各市区町村によって
対応がまちまちという点。

これは、
感染が拡大している地域と、
感染が横ばいもしくは
減少傾向にある地域とでは、
その対策に差が出るということです。

また、大きな会場が
確保できる地域であれば、
防護対策も万全にとれる
という利点もあります。

人生に一度の機会ということあり、
市民からの開催要望もあるようで、
行政側としてはできる限り
開催の方向で調整しています。

もちろん、どの市区町村も、
クラスターを発生させないように、
ソーシャルディスタンスがとれる
席配置や換気対策、
アルコール除菌など、
万全の体勢で挑んでいるのは
いわずと知れたこと。

そうした万全の体勢で
「成人式」実施を計画したものの、
残念ながら、「成人式」そのものを
中止するところも多いようです。

また、「成人式」式典を
ネット配信したり、
二部から四部に分けた
分散開催のところ、
日程を延期するところもあります。

いずれにせよ、今年、「成人式」に
参加する方がいるご家庭は、
管轄する行政機関のホームページ等で
直前確認が必須です。

今年は特別な「成人式」。

悪い思い出を払拭する
という意味でも、
家族内で楽しい思い出づくりを
オススメします。

菊正宗から昨年12月に発売を開始した
「超特撰1.8ℓ 純米大吟醸 オデュッセイア2001」。

少々値は張りますが、
今年「成人式」を迎える方と
同い年の日本酒なので、
思い出づくりには最適です。

いつもと異なる1月11日を
「いい日」として迎えるために、
特別な思い出深い年として刻み込み、
輝ける明日への期待を
高めていきたいものです。