「即位の礼」を祝う、“菊”を冠した日本酒。

厳かに披露される時代の大きな節目となる「即位の礼」。

間もなく、新しい天皇陛下の
御即位を披露する「即位の礼」が、
国の儀式として行われます。

さかのぼること約5ヵ月前、
日本全国が“新元号への改元”
に沸きました。

改元前の“改元される元号”の
予想ブームにはじまり、
“令和”改元後の、
出典を巡る賛否さまざまな
コメントが交わされる中、
意外にも若い世代の多くが
“意外とクール”という受け入れ
ムードであったことが印象的でした。

あの大騒ぎが随分前のお話であった
かのように、新元号・令和は
スムーズに受け入れられたようです。

平成から令和になるにあたって、
改元ばかりにスポットが当たって
いますが、本来は、
新天皇の即位に伴う改元で、
時代の節目として大切なのは
「即位の礼」といえます。

「即位の礼」は、
10月22日(火)から31日(木)まで
の9日間にわたり儀式が行われます。

儀式の内容、日程については、
政府公報より次のように
発表されました。

 

● 「即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)」

日程/10月22日(火)

御即位を公に宣明され、
その御即位を内外の代表が
お祝いする儀式で、
宮中で行われます。

儀式には、200近い外国の
元首・祝賀使節が参列されます。

● 「祝賀御列の儀(しゅくがおんれつのぎ)パレード」

日程/10月22日(火)

国民に広く御即位を披露され、
祝福を受けられるため、
天皇皇后両陛下のパレード
が行われます。

即位礼正殿の儀の終了後、
午後3時半に皇居・宮殿を御出発
になり、おおむね午後4時に
赤坂御所に御到着になる予定です。

  • 当日に台風などによる荒天
    の場合は、10月26日(土)に延期
    (御出発・御到着時は同時刻)。
  • 変更がある場合は、
    前日10月21日(月)の18時30分
    に発表されます。

 

● 「饗宴の儀(きょうえんのぎ)」

日程/10月22日(火)、25日(金)、29日(火)、31日(木)の計4日。

御即位を披露され、祝福を受けられるための饗宴が、宮中で行われます。

● 「内閣総理大臣夫妻主催晩餐会」

日程/10月23日(木)夕刻

内閣総理大臣夫妻の主催により、
外国元首・祝賀使節に日本の伝統文化を
披露し、理解を深めていただくとともに
、来日に謝意を表する晩餐会が
都内で行われます。

なお、「即位礼正殿の儀
(そくいれいせいでんのぎ)」が
開催される10月22日(火)は、
今年に限りの休日(国民の祝日扱い)
となり、官公庁、銀行なども
お休みになります。

さらに、日程をずらして、
「即位礼正殿の儀」で用いられた
高御座(たかみくら)等の一般参観が
東京、京都にて行われます。
  • 東京国立博物館

日程/令和元年12月22日(日)~25日(水)
、令和2年1月2日(木)~19日(日)

令和2年1月6日(月)と
14日(火)は休館日

  • 京都御所

日程/令和2年3月1日(日)~22日(日)

令和2年3月9日(月)と
16日(月)は休園日

世界最古の国・日本は、海外の脅威を受けず独自に発展した歴史。

一般的な見識として、
日本が、現存している
“世界最古の国”ということを、
以前のコラムでご紹介しました。

これは、“皇室(天皇家)”という
王朝が一度も滅びることなく、
現代へと続く“世界唯一の国”
ということを意味しています。

3000年とも、4000年とも
いわれる起源を有する中国ですが、
現在の中華人民共和国という
国家の樹立は1949年。

世界四大文明のひとつとされる
エジプトも、さまざまな大国の
侵略を受け、現在の国家が
樹立されたのは1919年と、
100年の歴史しかありません。

日本の歴史が長く続いている背景
には、極東に位置する島国
であったことが挙げられます。

大陸諸国のように陸続きではない
ので、海外列強国の侵略を
受けなかったということです。

日本でも数多くの内乱が
ありましたが、皇室(天皇家)
だけは絶えることなく続いている
ということです。

歴史上のさまざまな出来事を裏づける
のは、文献や史跡等に限られるので、
諸説ありますが、「古事記」
「日本書紀」によると、
初代天皇は神武天皇。

そこから数えて、今回の「即位の礼」は
、126代の今上天皇陛下の即位
を披露するものです。

この時期ばかりは、
“菊”を冠した菊正宗の「通の極み」で
お祝いしてはいかがでしょうか。

菊正宗が誇る「超特撰 嘉宝蔵 雅」
「超特撰 生酛 純米大吟醸」
「超特撰 超特撰 嘉宝蔵 極上」を
セットにお値打ち価格で
ご提供させていただいております。

どれも新しい時代を迎えるに
ふさわしい逸品ぞろいです。

謎解きのような、消費税増税、軽減税率、ポイント還元の組み合わせ事例。

消費税増税が近づくにつれて白熱する軽減税率情報。

あと1週間足らずとなった
2019年(令和元年)10月1日(火)、
多くの商品の消費税率は
10%に引き上げられます。

増税に対する反発を
緩和する意味を持つ
“日常的な生活において、
幅広い層の消費者が利用しているもの
に関わる消費税負担を軽減する”
という名目で、
特定商品に対して
従来の消費税率8%のまま
据え置かれた「軽減税率」
も同時に導入されます。

国税庁によると、
“酒類を除く食品表示法に規定
されている飲食料品と
週2回以上発行されている新聞”
が、軽減税率の基本的な
対象品目となります。

その一方で、酒類や外食、
ケータリングの食事などは
軽減税率の対象とならず、
消費税率10%が適用される
ことが、やや混乱の原因に。

例えば外食。

テイクアウトや屋台での軽食には、
軽減税率8%が適用されますが、
店内飲食やイートインコーナー、
フードコートでの飲食は
“外食”と見なされ、
標準税率10%が適用
されるのが基本。

テイクアウトで買ったもの
(軽減税率8%適用)を、
気が変わってイートインコーナ
ーで食べる場合は、本来
標準税率10%適用となります。

購入時に決済は終わっているため、
あとは消費者モラルの問題
のようですが、
明快な答えはないようです。

また別の例では、
映画館で食べるポップコーンは
テイクアウトと見なされ
軽減税率8%が適用されますが、
カラオケ店で食べる
ポップコーンは、
イスやテーブルがあるため
外食扱いとなり、
標準税率10%が適用
されるとのこと。

同じものでも税率がことなります。

こうした事例は、
数えはじめるとキリがありません。

「菊正宗《公式》ネットショップ」
では、旧消費税率8%に対応できる
リミットが、
2019年9月26日(木)
までのご注文で、
かつ10月4日(金)
お届けまで。

9月末の注文は出荷が10月となり、
消費税率10%扱いとなります
(内税表記のため、
現行金額表示より値上げとなること
をあらかじめご了承ください)。

10月5日以降お届け希望の場合は、
2019年9月27日(金)
午前 8:30〜午前 9:30の
メンテナンス終了後に、
ご注文をお願いいたします。

 

さらに複雑化させる「ポイント還元制度」と「適格請求書等保存方式」。

さらに、ややこしくするのが、
消費税増税と同時に導入される
「ポイント還元制度
(キャッシュレス・
消費者還元事業)」。

消費者が中小店舗で
商品やサービスを購入する際に、
キャッシュレス決済
(クレジットカード、
電子マネー、QRコード決済など)
によって代金を支払った場合に、
購入額の最大5%のポイントが
付与される制度です。

この制度の実施期間は、
2019年10月1日~
2020年6月30日の9ヵ月だけの
時限制度です。

利用店舗や使う予定の支払手段が、
この制度の対象となっているのか
どうかをあらかじめ
調べておく必要があります。

とくに、支払手段の種類は多く、
キャッシュレス決済であっても、
それが制度の対象であるか
どうかを、利用店舗側でも
把握できていないのが実情です。

そして、利用する店舗に、
経済産業省による対象店舗の目印
となるマークがある場合のみ、
この制度の恩恵を受けられる
ことになります。

ポイント還元制度が終わった後は、
マイナンバーカードへのポイント付与
などが囁かれているようですが、
まだ確定した訳ではありません。

また、10月以降のレシートなどに
記載が義務づけられる
「税率区分ごとの合計」は、
2023年(令和5年)10月に
実施される予定の
「インボイス方式
(適格請求書等保存方式)」
をにらんだ施策のひとつで、
今後予定されている税制改正に
少なからず関係してきます。

幾重にも重なる税制改正や制度が
一挙に押し寄せることが、
大きな混乱を招いている原因
といえることは明確。

ただ、“知らなかった”
“判らなかった”では済まされない
大切な内容です。

この際、税金について
イチから勉強する良い機会
なのかもしれません。

 

令和元年、菊正宗は創業360年。日本酒の王道の歴史です。

創業から一歩一歩。その積み重ねの360年。

令和元年、菊正宗酒造は
創業360年を迎えます。

1659年(万治2年)、材木商として
名を馳せていた嘉納治郎太夫宗徳が、
神戸・御影にあった
本嘉納家(嘉納家本家の通称)
の本宅屋敷内に酒蔵を建て、
本格的な酒造りを開始したことが
菊正宗の歴史の第一歩となります。

当時、酒造業は先端の製造業で、
いまでいうベンチャーのようなもの。

ただ、当時の“灘”は、まだまだ
大きな銘醸地ではありませんでしたが
、灘の酒を急速に発展させたのは、
18世紀末頃の江戸への“下り酒”の
人気です。

なかでもとくに、“本嘉納家の酒”は
、江戸の町で人気を博しました。

ちなみに、
「嘉納」という姓は、約700年前、
御影「沢の井の水」で酒を造り、
これを後醍醐天皇に献上したところ、
ご嘉納になったことに由来。

「嘉納」とは、
“ほめ喜んで受け取ること”を意味
しており、そこから「嘉納」の姓
を賜ったとのいい伝えがあります。

一般的な日本酒の
醸造技術の背景としては、
江戸時代初期を過ぎたあたりから、
低温・長期発酵という醸造条件、
農閑期で優秀な杜氏が
確保しやすいということで、
冬期の「寒造り」が主流に。

保存のための「火入れ(低温殺菌)」
、香味をととのえるとともに
歩留りを良くし、
火落ち菌の増殖を防ぐ柱焼酎による
「アルコール添加」など、
現在の日本酒造りの基礎となる
技術が確立した時代でした。

明治になり、
8代目嘉納治郎右衞門(秋香翁)は、
“良い酒を造る”という信念のもと、
巨費を投じて酒質の向上改善に
取り組み、業界に先駆けた技術改善
などで、さらに品質を高め、
今日の基礎を築きました。

江戸時代より頑に守りつづけた
「生酛造り」は、いまなお受け継がれ
ている技術のひとつです。

時代の流れとともに、試行錯誤により
確立してきた日本酒の醸造技術も、
科学的に解明されることにより、より
高い技術へと磨きぬかれています。

さらにその技術をもとに実際の製品
にするための機械化も進み、
長年にわたって培われた“味”は、
より美味しい“旨さ”として代々
受け継がれてきたといえるでしょう。

ちなみに、
360年前に建てられた酒蔵は、
1960年(昭和35年)に移設し、
菊正宗酒造記念館として
一般公開していましたが、
残念なことに1995年(平成7年)
の阪神淡路大震災により倒壊。

幸いにも、館内の
国指定・重要有形民俗文化財に
指定された「灘の酒造用具」や
所蔵する小道具類の多くは無事、
もしくは修復可能な状態で、
4年後に新しく生まれ変わった
菊正宗酒造記念館で、
引き続き常設展示しています。

“カタチあるものは、
いつかなくなる”のは世の常。

建て替えたとはいえ、記念館の“凛”
とした空気感は受け継がれており、
創業当時へといざなってくれます。

菊正宗が、江戸で名を馳せた“時代の世相”。

菊正宗創業時の元号「万治」から
数えて、34番目の元号が「令和」。

天皇一代につき一元号とする
「一世一元の制」が定められたのは
明治以降のことで、
それ以前は天皇の在位中でも、
災害などさまざまな理由で
改元が行われていました。

また、新たな天皇が即位しても、
元号が変わらない場合も
しばしばあったということなので、
34人の天皇が即位された
という訳ではありません。

創業時の「万治」も、
江戸の「明暦の大火」により
改元された元号です。

当時は、江戸幕府の
第4代将軍・徳川家綱の時代。

第3代将軍・徳川家光の薨去
(こうきょ/皇族や三位以上の人の死
)により、長男の家綱が、
わずか11歳で将軍職に就任しました。

在職約30年における治世当初は
政情不安に見舞われるものの、
その後は安定政権を維持した
との記録が残されています。

また江戸で灘の「下り酒」が、
人気を博したのは1730年(享保15年)頃。

菊正宗の創業から約70年もの
歳月が過ぎていました。

この時代を知るという意味で、
創業当時の徳川家綱が登場する
時代劇映画やドラマとして、
「影の軍団 服部半蔵」や
「魔界転生」などがあります。

また下り酒が流行ったのは
第8代将軍徳川吉宗の時代。

いわずと知れた「暴れん坊将軍」
があまりにも有名です。

脚本や脚色で史実とは
異なることもありますが、
時代世相や町の様子を知る上では、
手がかりのひとつといえます。

酒を飲むシーンに、菊正宗の足跡を
重ね合わせて観るのも面白いのでは。

新しい時代「令和」を迎え、
またひとつ菊正宗の歴史が刻まれます。

平成時代に「香醸」や「天使の吐息」
が登場したように、令和時代の
新しい“旨さ”に期待は高まるばかり。

菊正宗 天使の吐息

日本酒の「鏡開き」は、レッキとした神事。

本番に向けた、失敗しない鏡開きの準備。

松の内、成人の日が過ぎ、お正月気分
もぬけたこの時期ともなると、
いつもの普段通りの生活に戻って
おられることと思います。

お正月にどこかへ出かける用事もない
ため、寝正月を決め込み、テレビの
新春バラエティ特番を観ている中、
ふと感じた疑問。

いくつかのバラエティで番組最後に
豪華俳優陣&タレントによる
鏡開きが行われ、
“今年も佳い年でありますように”
と司会者が締めくくるシーンが
画面に映し出されていました。

一般的によく行われている鏡開きの
タイミングは、祝宴最初の乾杯の前。

司会者の誘導に沿って
“よいしょ!よいしょ!よいしょ!”
と参列者が唱和し、
3度目の掛け声で壇上にいる方々が
木槌を振り下ろします。

結婚式などの場合は、司会者の
“ご結婚おめでとうございます”
に合わせて鏡開きを
行うこともあるようです。

では、テレビの特番では、
なぜ最後に行われるのかというと
…鏡開きそのものに“華”があるため、
番組最初の新年の挨拶あたりに
やってしまうと、その後の
コーナーがかすんでしまいます。

そこで、番組の最後に山場を
持ってくる“締め”の役割として、
印象の強い鏡開きを持ってくるという
番組構成が行われているようです。

準備する菰樽(こもだる)の
サイズの目安は、参加者100名様
につき1斗樽(=約18ℓ)。

100名~200名の方が参加する
パーティーだと、2斗樽で十分乾杯
できるお酒は行き渡ります。

200名以上の大規模な場合には
4斗樽をご用意されるのが
良いでしょう。

祝宴が始まる前に菰樽を会場に
運び込み、あらかじめ壇上に
セットしておきます。

その際の注意点は次の通りです。

● 壇上の安定した場所を選び、
銘柄を正面に向けてセッティング。

● 立縄を鏡(酒樽の上蓋)
に沿って切り、上部のくちかがり縄を
取り外します。

● 上部に飛び出た菰は、酒樽と
くるんでいる菰の間に巻き込んで、
鏡と高さをそろえます。

その際、上当て紙をのけた後、ササラ
で鏡や溝のゴミを取り除き、タオルで
鏡の上を丁寧に拭いておきましょう。

※ おめでたい席なので、できる限り
“切る”という作業を行わず、
取り外す、巻き込むなどに務めます。

● 二番輪
(樽を締めている二番目の箍(たが)
)に、しめ木を当て木槌で叩いて、
全体に2㎝ほど下げます。

● 一番輪
(樽を締めている上部の箍(たが))
に、しめ木を当て木槌で叩いて、
鏡部の締め付けを緩めておきます。

…と、準備はここまで。

あとは本番開始を待つばかりです。

 

鏡開きの作法と口上。

 

鏡開き本番です。

鏡開きの演出には、シーンに応じた
いくつかの作法があります。

まずは
「セレモニーとしての鏡開き」。

これは結婚式などでよく目にする
方法で、現在の主流がこの演出です。

鏡開きの準備が整った後、
さらに鏡板を先に外しておき、
それを樽の上に乗せておきます。

本番になり、新郎新婦お二人で1本の
木槌を持って軽く叩いて開くことで、
ケーキカットのような
おめでたい演出になります。

また、木槌や金ベラに紅白のリボン
を結びつけることで、より一層、
手元の華やかな演出も可能に。

鏡が開いたら、
ハッピを着込んだサポート
スタッフがお手伝いをします。

みなさんがもっとも多くイメージ
する鏡開きは、木槌を振り下ろす
「豪快な鏡開き」でしょう。

豪快な鏡開きを行う際は、
事前に鏡板が盛り上がって来るまで、
木目に沿って前後左右を
木槌で叩いておきます。

これは鏡が半分割れた状態にして
おき、本番、軽い力で豪快に
酒しぶきが上がるようにするため。

鏡を開く人数は1人から
4人程度が最適です。

あまり多くの人数だと壇上が
混み合い、樽を囲むことで、
他のお客様にお尻を向けてしまう
ことになってしまうからです。

この方法は、お酒がこぼれるため、
事前に必ず、主催者や会場の
了解を得ておく必要もあります。

「おごそかな鏡開き」は、
鏡開きをする作業者が、
会場で鏡板を取り外し、
高く持ち上げて鏡開きが無事完了
したことをお知らせする方法です。

酒の中に木屑やゴミが入らないよう
に鏡板を上手く取り除き、高く持ち
上げて“おめでとうございます”と、
ひと声かけて本番終了です。

鏡開き後は、酒樽に浮かんだ木屑
などを網杓子で丁寧に取り除き、
宴会場をワゴンで回って、
樽酒を振る舞います。

お米から造られる日本酒は古来より
神聖なものとされ、神事を営む際に
神様に供えられ、祈願が済むと
参列者に振る舞う風習があり、
鏡開きは祈願の成就を願うと
レッキとした神事です。

また、鏡開きの前に唱える口上の
一例をご紹介しておきます。

東西東西(とざいとうざ〜い)、
只今より○○○様の○○○を祝し鏡開き
を行わせて頂きます。

そもそも、鏡開きの御(おん)儀式は
三百有余年の昔徳川四代将軍家綱が
戦(いくさ)に備え、諸大名一門郎党
を千代田の城に参集せしめ、先祖の
具足甲冑の御前(おんまえ)で、
お鏡を飾って出陣の舞を舞い
祝宴を致しました。

これが鏡開きの始まりでございます。

このめでたき御(おん)儀式を
本日の○○○に際し、とり行う事は
○○○様の門出を一層華やかにする
ものと存じます。

○○○様によりまして
首尾良く鏡が開きましたなら、
拍手喝采の程御願いたてまつります。

平成○○年○月○日
(新元号になったら、新しい元号に)

口上を唱える際は、
堂々と恥ずかしがらずに、
少々間違えても口ごもらず、
仰々しく大きな声で発声する
ことがポイントです。

華やいだ場の雰囲気づくりに
もってこいの鏡開き。

おひとついかがですか。

宅配便にてお届けできない商品です
のでご用命はお近くの酒販店に
お願いいたします。

日本酒の「酒樽」に秘められた機能美。

菰樽のもともとの役割と“樽”の普及。

 

「鏡開き」に使われる酒樽は、
主に「四斗樽(よんとだる)」です。

四斗は約72リットルで、
一升瓶40本分に相当する量
の日本酒が入っています。

お祝いの席で行われる「鏡開き」
では、とくに酒樽を“菰(こも)”
でくるんだ「菰樽(こもだる)」
と呼ばれるものが使用されます。

菰樽の歴史は、はるか
江戸時代にまでさかのぼります。

当時、灘から江戸に向けて、
樽に入れた“下り酒”を樽廻船
に乗せて輸送していました。

航海時に船が揺れ、樽と樽が
ぶつかって中の酒がこぼれてしまう
のを防ぐために、手近にあった藁を
編んだ“菰”を巻いて樽を保護した
のが、菰樽のはじまりです。

やがて縄がけなどにも技を凝らして
見栄えを良くし、髭文字などを使った
銘柄の意匠にも化粧を施し、ハレの
出立ちの菰樽が誕生していきました。

酒樽の歴史となると、
さらに時代をさかのぼります。

鎌倉・室町時代にかけて、
短冊型の板を立てて並べ、
竹の箍(たが)で締め付け、
底を入れる桶や樽などの
「結桶(ゆいおけ)」
がつくり出されました。

この結桶が、現在の酒樽です。

結桶の登場は、当時の生活に大きな
変革をもたらすことになりした。

手桶、水桶、洗い桶、タライなどの
生活用具や井戸側や釣瓶、風呂桶など
の生活用水回り、食糧保存の味噌桶
や漬物桶など、幅広い容器として
使われるようになった、
今でいうベストセラー商品です。

また、都市の近郊農家に下肥
(しもごえ〈人の糞尿〉)を運ぶため
の杉の軽い肥桶が普及し、都市の糞尿
処理と農家の施肥が循環する
社会環境が整えられていきました。

当時、下肥は大切な資源のひとつで、
都市を清潔に保つと同時に新鮮な野菜
の生育に欠かせない肥料が、丈夫な
肥桶がつくられたことで、歴史的に
大きな発展を遂げたことになります。

そして、さまざま需要に後押しされる
かのように数多くの結桶が流通し、
それに伴って製造技術水準も
どんどん高く磨かれていきます。

その結果、酒や醤油、味噌などの
仕込桶として活躍する大型の結桶
がつくられるようになりました。

とりわけ、酒造業にとって、それまで
の「甕(かめ)」や「壷(つぼ)」で
醸造する小さな規模から、大量生産が
行われるようになった大きな革命的
進歩を遂げたキッカケといえます。

大きな結桶で酒を造っていた様子は、
1582年(天正10年)の
「多聞院日記」の“正月三日に、
若い尼が誤って十石入りの仕込桶に
落ちて死んでしまった”という記述
に垣間見ることができます。

酒樽は、完成された伝統技能の集大成。

結桶が登場するまで、酒の醸造
は甕や壷で行われていました。

一般庶民の生活では、
「曲物桶(まげものおけ)」
が容器として広く普及。

曲物桶は、杉や檜などを薄く削って
できた板を円形に曲げて合わせ目を
樺、桜の木皮で綴じる技術で、
平安時代に確立されたものです。

室町時代にはこの慣れ親しんだ曲物桶
も継続して使われていましたが、
江戸時代になる頃には、
生活容器の主流は、結桶が
完全に取って代わることになります。

江戸時代は、庶民文化が栄え、
数多くの職人が生まれました。

「結桶師(桶屋)」も職人として、
そこに名を連ねています。

当時、結桶は使い捨てではなく、
結桶師が都市や近郊の農村部を回って
、弛んだ箍(たが)を締め直して
繰り返し使用されるものでした。

その様子は、
国宝「上杉本洛中洛外図屏風
/上杉博物館所蔵」
や国指定重要文化財の
「紙本着色職人尽絵
/喜多院所蔵」
に描かれています。

この結桶製造にあたって、灘地域の
酒造業に大きく貢献したのは、
奈良の吉野地方の杉です。

1660年頃から造林が行われていた
吉野地方の杉は、樽丸(樽の側板材)
に適したため重宝されたとのこと。

年輪幅が均一でフシが少なく、
光沢のある淡紅色。

また年輪幅が狭いため、幾重にも
重なった年輪の層が、中の液体の
浸出を完全に防ぐとともに、アクが
少ない木質なので、嫌な色や香りが
つきにくい特徴を持っています。

逆に、酒の香りのひとつにもなる
杉の木香が適度な移り香となり、
より高い芳醇な香りを醸し出します。

灘の深い味わいの酒と、それを運んだ
吉野杉の酒樽が、互いに調和して
類い稀な「下り酒」として、江戸の町
で人気を博したことにもうなずけます。

菊正宗 TARUSAKE MEISTER FACTORY

菊正宗の
「樽酒マイスターファクトリー」
では、この酒樽づくりの
昔ながらの技法を忠実に再現。

丸竹を割り裂いた竹を編んで
箍(たが)をつくり、側面に使う
杉材をカンナで削って成形。

しっかりと下準備をした後、
組み立て工程へ。

クギや接着剤を一切使わない
昔の技法に乗っ取って、
一滴の酒も外に漏らさない樽製造
には熟練の技が光ります。

とくに気を使うのが“正直”と
呼ばれる側板と側板が接する
面づくり。

この面がピッタリと合わさること
で隙間のない円筒形の樽の形が
でき上がります。

約350年もの昔の技法を受け継ぐ
日本酒と酒樽で行う「鏡開き」は、
歴史が刻まれた重みと相まって、
祝いの席をよりめでたく祝福する
厳かな儀式としての風格が
備わっています。

一生に一度は、自分自身の鏡開きを
体感しておきたいものです。