日本酒の「鏡開き」は、レッキとした神事。

本番に向けた、失敗しない鏡開きの準備。

松の内、成人の日が過ぎ、お正月気分
もぬけたこの時期ともなると、
いつもの普段通りの生活に戻って
おられることと思います。

お正月にどこかへ出かける用事もない
ため、寝正月を決め込み、テレビの
新春バラエティ特番を観ている中、
ふと感じた疑問。

いくつかのバラエティで番組最後に
豪華俳優陣&タレントによる
鏡開きが行われ、
“今年も佳い年でありますように”
と司会者が締めくくるシーンが
画面に映し出されていました。

一般的によく行われている鏡開きの
タイミングは、祝宴最初の乾杯の前。

司会者の誘導に沿って
“よいしょ!よいしょ!よいしょ!”
と参列者が唱和し、
3度目の掛け声で壇上にいる方々が
木槌を振り下ろします。

結婚式などの場合は、司会者の
“ご結婚おめでとうございます”
に合わせて鏡開きを
行うこともあるようです。

では、テレビの特番では、
なぜ最後に行われるのかというと
…鏡開きそのものに“華”があるため、
番組最初の新年の挨拶あたりに
やってしまうと、その後の
コーナーがかすんでしまいます。

そこで、番組の最後に山場を
持ってくる“締め”の役割として、
印象の強い鏡開きを持ってくるという
番組構成が行われているようです。

準備する菰樽(こもだる)の
サイズの目安は、参加者100名様
につき1斗樽(=約18ℓ)。

100名~200名の方が参加する
パーティーだと、2斗樽で十分乾杯
できるお酒は行き渡ります。

200名以上の大規模な場合には
4斗樽をご用意されるのが
良いでしょう。

祝宴が始まる前に菰樽を会場に
運び込み、あらかじめ壇上に
セットしておきます。

その際の注意点は次の通りです。

● 壇上の安定した場所を選び、
銘柄を正面に向けてセッティング。

● 立縄を鏡(酒樽の上蓋)
に沿って切り、上部のくちかがり縄を
取り外します。

● 上部に飛び出た菰は、酒樽と
くるんでいる菰の間に巻き込んで、
鏡と高さをそろえます。

その際、上当て紙をのけた後、ササラ
で鏡や溝のゴミを取り除き、タオルで
鏡の上を丁寧に拭いておきましょう。

※ おめでたい席なので、できる限り
“切る”という作業を行わず、
取り外す、巻き込むなどに務めます。

● 二番輪
(樽を締めている二番目の箍(たが)
)に、しめ木を当て木槌で叩いて、
全体に2㎝ほど下げます。

● 一番輪
(樽を締めている上部の箍(たが))
に、しめ木を当て木槌で叩いて、
鏡部の締め付けを緩めておきます。

…と、準備はここまで。

あとは本番開始を待つばかりです。

 

鏡開きの作法と口上。

 

鏡開き本番です。

鏡開きの演出には、シーンに応じた
いくつかの作法があります。

まずは
「セレモニーとしての鏡開き」。

これは結婚式などでよく目にする
方法で、現在の主流がこの演出です。

鏡開きの準備が整った後、
さらに鏡板を先に外しておき、
それを樽の上に乗せておきます。

本番になり、新郎新婦お二人で1本の
木槌を持って軽く叩いて開くことで、
ケーキカットのような
おめでたい演出になります。

また、木槌や金ベラに紅白のリボン
を結びつけることで、より一層、
手元の華やかな演出も可能に。

鏡が開いたら、
ハッピを着込んだサポート
スタッフがお手伝いをします。

みなさんがもっとも多くイメージ
する鏡開きは、木槌を振り下ろす
「豪快な鏡開き」でしょう。

豪快な鏡開きを行う際は、
事前に鏡板が盛り上がって来るまで、
木目に沿って前後左右を
木槌で叩いておきます。

これは鏡が半分割れた状態にして
おき、本番、軽い力で豪快に
酒しぶきが上がるようにするため。

鏡を開く人数は1人から
4人程度が最適です。

あまり多くの人数だと壇上が
混み合い、樽を囲むことで、
他のお客様にお尻を向けてしまう
ことになってしまうからです。

この方法は、お酒がこぼれるため、
事前に必ず、主催者や会場の
了解を得ておく必要もあります。

「おごそかな鏡開き」は、
鏡開きをする作業者が、
会場で鏡板を取り外し、
高く持ち上げて鏡開きが無事完了
したことをお知らせする方法です。

酒の中に木屑やゴミが入らないよう
に鏡板を上手く取り除き、高く持ち
上げて“おめでとうございます”と、
ひと声かけて本番終了です。

鏡開き後は、酒樽に浮かんだ木屑
などを網杓子で丁寧に取り除き、
宴会場をワゴンで回って、
樽酒を振る舞います。

お米から造られる日本酒は古来より
神聖なものとされ、神事を営む際に
神様に供えられ、祈願が済むと
参列者に振る舞う風習があり、
鏡開きは祈願の成就を願うと
レッキとした神事です。

また、鏡開きの前に唱える口上の
一例をご紹介しておきます。

東西東西(とざいとうざ〜い)、
只今より○○○様の○○○を祝し鏡開き
を行わせて頂きます。

そもそも、鏡開きの御(おん)儀式は
三百有余年の昔徳川四代将軍家綱が
戦(いくさ)に備え、諸大名一門郎党
を千代田の城に参集せしめ、先祖の
具足甲冑の御前(おんまえ)で、
お鏡を飾って出陣の舞を舞い
祝宴を致しました。

これが鏡開きの始まりでございます。

このめでたき御(おん)儀式を
本日の○○○に際し、とり行う事は
○○○様の門出を一層華やかにする
ものと存じます。

○○○様によりまして
首尾良く鏡が開きましたなら、
拍手喝采の程御願いたてまつります。

平成○○年○月○日
(新元号になったら、新しい元号に)

口上を唱える際は、
堂々と恥ずかしがらずに、
少々間違えても口ごもらず、
仰々しく大きな声で発声する
ことがポイントです。

華やいだ場の雰囲気づくりに
もってこいの鏡開き。

おひとついかがですか。

宅配便にてお届けできない商品です
のでご用命はお近くの酒販店に
お願いいたします。

日本酒の「酒樽」に秘められた機能美。

菰樽のもともとの役割と“樽”の普及。

 

「鏡開き」に使われる酒樽は、
主に「四斗樽(よんとだる)」です。

四斗は約72リットルで、
一升瓶40本分に相当する量
の日本酒が入っています。

お祝いの席で行われる「鏡開き」
では、とくに酒樽を“菰(こも)”
でくるんだ「菰樽(こもだる)」
と呼ばれるものが使用されます。

菰樽の歴史は、はるか
江戸時代にまでさかのぼります。

当時、灘から江戸に向けて、
樽に入れた“下り酒”を樽廻船
に乗せて輸送していました。

航海時に船が揺れ、樽と樽が
ぶつかって中の酒がこぼれてしまう
のを防ぐために、手近にあった藁を
編んだ“菰”を巻いて樽を保護した
のが、菰樽のはじまりです。

やがて縄がけなどにも技を凝らして
見栄えを良くし、髭文字などを使った
銘柄の意匠にも化粧を施し、ハレの
出立ちの菰樽が誕生していきました。

酒樽の歴史となると、
さらに時代をさかのぼります。

鎌倉・室町時代にかけて、
短冊型の板を立てて並べ、
竹の箍(たが)で締め付け、
底を入れる桶や樽などの
「結桶(ゆいおけ)」
がつくり出されました。

この結桶が、現在の酒樽です。

結桶の登場は、当時の生活に大きな
変革をもたらすことになりした。

手桶、水桶、洗い桶、タライなどの
生活用具や井戸側や釣瓶、風呂桶など
の生活用水回り、食糧保存の味噌桶
や漬物桶など、幅広い容器として
使われるようになった、
今でいうベストセラー商品です。

また、都市の近郊農家に下肥
(しもごえ〈人の糞尿〉)を運ぶため
の杉の軽い肥桶が普及し、都市の糞尿
処理と農家の施肥が循環する
社会環境が整えられていきました。

当時、下肥は大切な資源のひとつで、
都市を清潔に保つと同時に新鮮な野菜
の生育に欠かせない肥料が、丈夫な
肥桶がつくられたことで、歴史的に
大きな発展を遂げたことになります。

そして、さまざま需要に後押しされる
かのように数多くの結桶が流通し、
それに伴って製造技術水準も
どんどん高く磨かれていきます。

その結果、酒や醤油、味噌などの
仕込桶として活躍する大型の結桶
がつくられるようになりました。

とりわけ、酒造業にとって、それまで
の「甕(かめ)」や「壷(つぼ)」で
醸造する小さな規模から、大量生産が
行われるようになった大きな革命的
進歩を遂げたキッカケといえます。

大きな結桶で酒を造っていた様子は、
1582年(天正10年)の
「多聞院日記」の“正月三日に、
若い尼が誤って十石入りの仕込桶に
落ちて死んでしまった”という記述
に垣間見ることができます。

酒樽は、完成された伝統技能の集大成。

結桶が登場するまで、酒の醸造
は甕や壷で行われていました。

一般庶民の生活では、
「曲物桶(まげものおけ)」
が容器として広く普及。

曲物桶は、杉や檜などを薄く削って
できた板を円形に曲げて合わせ目を
樺、桜の木皮で綴じる技術で、
平安時代に確立されたものです。

室町時代にはこの慣れ親しんだ曲物桶
も継続して使われていましたが、
江戸時代になる頃には、
生活容器の主流は、結桶が
完全に取って代わることになります。

江戸時代は、庶民文化が栄え、
数多くの職人が生まれました。

「結桶師(桶屋)」も職人として、
そこに名を連ねています。

当時、結桶は使い捨てではなく、
結桶師が都市や近郊の農村部を回って
、弛んだ箍(たが)を締め直して
繰り返し使用されるものでした。

その様子は、
国宝「上杉本洛中洛外図屏風
/上杉博物館所蔵」
や国指定重要文化財の
「紙本着色職人尽絵
/喜多院所蔵」
に描かれています。

この結桶製造にあたって、灘地域の
酒造業に大きく貢献したのは、
奈良の吉野地方の杉です。

1660年頃から造林が行われていた
吉野地方の杉は、樽丸(樽の側板材)
に適したため重宝されたとのこと。

年輪幅が均一でフシが少なく、
光沢のある淡紅色。

また年輪幅が狭いため、幾重にも
重なった年輪の層が、中の液体の
浸出を完全に防ぐとともに、アクが
少ない木質なので、嫌な色や香りが
つきにくい特徴を持っています。

逆に、酒の香りのひとつにもなる
杉の木香が適度な移り香となり、
より高い芳醇な香りを醸し出します。

灘の深い味わいの酒と、それを運んだ
吉野杉の酒樽が、互いに調和して
類い稀な「下り酒」として、江戸の町
で人気を博したことにもうなずけます。

菊正宗 TARUSAKE MEISTER FACTORY

菊正宗の
「樽酒マイスターファクトリー」
では、この酒樽づくりの
昔ながらの技法を忠実に再現。

丸竹を割り裂いた竹を編んで
箍(たが)をつくり、側面に使う
杉材をカンナで削って成形。

しっかりと下準備をした後、
組み立て工程へ。

クギや接着剤を一切使わない
昔の技法に乗っ取って、
一滴の酒も外に漏らさない樽製造
には熟練の技が光ります。

とくに気を使うのが“正直”と
呼ばれる側板と側板が接する
面づくり。

この面がピッタリと合わさること
で隙間のない円筒形の樽の形が
でき上がります。

約350年もの昔の技法を受け継ぐ
日本酒と酒樽で行う「鏡開き」は、
歴史が刻まれた重みと相まって、
祝いの席をよりめでたく祝福する
厳かな儀式としての風格が
備わっています。

一生に一度は、自分自身の鏡開きを
体感しておきたいものです。

年明けの祝い酒は、もちろん日本酒で。

正月に飲む、「お神酒(おみき)」と「お屠蘇(おとそ)」。

毎年この時期、“年を取ると、
1年が経つのは本当に早いですね”
という挨拶が、流行語大賞に
ノミネートされるのではないかと思う
ほど頻繁に交わされる年末年始。

この“年を取るほど1年が短く
感じられる”ということを解明
したのが、フランスの哲学者、
ポール・ジャネの
「ジャネーの法則」です。

これは、“50歳の年配者にとっての
1年の長さは人生の50分の1に
過ぎないが、5歳の子どもにとっては
人生の1/5を占める”という
心理的な体感感覚を説いたもの。

つまり、生きてきた年数に応じて
1年の長さの比率が小さくなり、
どんどん時間を早く感じる
ということ。

併せて、人生経験を重ねていくうちに
新しい発見も少なくなり、
慣れやマンネリが時間経過の感覚を
早まらせているようです。

…ということで、あっという間に
2018年が過ぎ、2019年です。

お正月を楽しんでおられますか。

やはり、お正月といえば、今も昔も、
おめでたい特別な時期です。

お正月に家族が揃って
新年の挨拶を交わし、祝い酒を飲み、
おせち料理に舌鼓をうち、
テレビの正月特番を観ながら、
新年を祝う…昭和に見られた、
一般家庭の当たり前のヒトコマ。

現在は、正月早々から
さまざまなお店が営業をしていて、
娯楽も多様化、海外旅行先で
新年を迎える家族も多い時代とも
いえますが、意外と自宅で厳かに
正月を迎えるご家庭も、
少なくはありません。

年末にいろいろな所で
売り出されているおせち料理セットの
売れ行きの好調さなどから、
その様子がうかがい知れます。

そこで、ご家庭で正月を過ごされて
いる方に、お正月に欠かせない
祝い酒について簡単にご紹介します。

正月の祝い酒というと
「お神酒(おみき)」
「お屠蘇(おとそ)」が有名。

このふたつは、よく混同されがち
ですが、まったく別のものです。

「お神酒」は、神前にお供えする
“清酒(すみさけ)”。

正式には「白酒」「黒酒」
「清酒」「濁酒」の4種類を
神棚にお供えしますが、いまは
清酒のみを使う場合が多いようです。

神棚に供えた後、年長者から
年少者の順番で注ぎます。

またお神酒は、
正月に限らず結婚式や地鎮祭など、
神前での祭礼を執り行う際に
広く供えられるお酒といえます。

一方、「お屠蘇」は、無病息災を
願って年の初めに飲む薬酒。

“邪気を屠(ほふ)り、
魂を蘇(よみがえ)らせる”
という意味があるとされています。

つまり、悪い気を追い払い、
家族の健康を祈願して飲む
習慣が生まれました。

日本酒もしくは、
日本酒と本みりんを混ぜたものに
「屠蘇散(とそさん)/ドラッグ
ストアなどで市販されている数種類
の生薬」を数時間漬け込みます。

お屠蘇は年少者から年長者へ
お神酒の逆の順番に注ぐのが、
一般的な作法とされています。

お神酒、お屠蘇ともに、その作法や
飲む順番などが、地域の風習や
ご家庭ごとに受け継がれた作法
などで異なる場合もあります。

また、20歳未満の方は、
アルコール類を摂取することが
法律で厳しく禁止されています。

未成年者、お酒が飲めない方は、
盃を傾け飲んだふりをするだけでも、
充分に儀礼を尽くしたことに
なるので、無理強いは厳禁です。


成人式は、スパークリング純米大吟醸酒「天使の吐息」で祝杯を。

新年を迎えたもうひとつの祝い酒は、
成人祝いの席。

2019年の成人式は1月14日です。

成人式のお祝いにうってつけな
お酒が新しく登場しました。

大切な方々とともに祝う
“おめでたい日”にふさわしい
スパークリング純米大吟醸酒
「天使の吐息」です。

開封直後の上質なシャンパンのような
発泡感と清涼感でひとときを愉しみ、
ボトル半ばを過ぎたあたりから
感じさせてくれる、
美味しくコクと深い香りを醸す、
沈殿したオリの「うすにごり」。

1本で2度楽しめる、
菊正宗の新しいジャンルです。

ライトな感覚なので、
初めて飲むお酒としてはピッタリ。

ギフトとしてもお喜びいただける
味わいに仕上がっています。

数量限定商品なので、ぜひお早めに。

 

さて、成人式ですが、
1948年(昭和23年)に
公布・施行の祝日法によって制定
され、1999年(平成11年)まで、
約50年にわたって毎年1月15日に
固定された祝日でした。

週休二日制が定着してきたことも影響
して祝日に関する法改正が行われ、
ハッピーマンデー制度を導入。

2000年(平成12年)以降は、
1月第2月曜日が成人の日
として現在に至っています。

成人の日は、小正月(1月15日)
に行われた「元服の儀」を
受け継いだ祝日とされています。

元服は、古くは奈良時代から続く
男子の通過儀礼のひとつです。

もともとは公家や武家の行事で、室町
時代以降、庶民にも広まりました。

儀式は身分や時代によって
異なりますが、髪形,服装を改め,
初めて冠や烏帽子をつける儀式で、
幼名を改める機会でもありました。

女子の「裳着(もぎ)」
「着裳(ちゃくも)」が、元服に
相当する成人儀礼とされています。

成人を迎える年齢については、
時代によってさまざま。

奈良・平安時代は
12~16歳で行われたとされる
記述が残されています。

室町時代には5~20歳と年齢の
幅が広がり、戦国時代の女子には、
政略結婚に備えて8~10歳で
成人儀礼を行った例もあります。

江戸時代には、女性の場合も元服と
呼ばれるようになりました。

結婚と同時、未婚でも18〜20歳
までに儀式を行っていました。

そして、男女の区別なく20歳の節目
に行うようになっていきました。

2019年は、
元号が変わる“時代の節目”の年。

2018年までの嫌な思い出は、心の
奥底にしまい込んで、装いも新たに
新しい時代を迎えましょう。

そして、新しいコトに興味を持って、
刺激ある毎日を過ごすことで、
いつもより長く感じる1年
にしてみてください。

初夢に一喜一憂するのも、いとをかし。

宝船

いつ見る夢が、初夢?

“いつ見る夢が初夢か”
については諸説あり、
もっとも古い初夢に関する記述は、
鎌倉時代に書かれた「山家集」
という文献に登場します。

この時代は旧暦で、暦上の新年とは
関係なく、“節分の夜から立春の朝
にかけて見る夢(2月4日前後)”を
「初夢」としていました。

これは二十四節気の最初が「立春」
ということで新しい年の始まりと
考えていたことから来ています。

お正月によく見かける“新春”や
“迎春”などの「春」という文字に、
立春の名残が見られます。

現在の初夢事情ですが、“元日の夜
から1月2日の朝にかけて見る夢”が
一般的に初夢だとされています。

そう考えるようになった理由は
江戸時代にまでさかのぼります。

大晦日は歳神様をお迎えするため、
夜は眠らない風習が定着したこと
により、初めて眠る元日の夜に見る夢
が「初夢」になったとのこと。

また江戸時代後期には、
“1月2日の夜から1月3日の朝
にかけて見る夢”が初夢
とされた時期もありました。

これは書き初めや初商いなどをはじめ
とする多くの新年の行事が2日に
行われることに影響しています。

1月2日にのみ売り出される
「宝船」の絵を枕の下に敷いて寝る
と、良い夢を見ることができる
という噂が広まり、それが
一躍ブームとなったということです。

いまでいう、限定品セール
のようなものでしょうか。

実際に年が移り変わる境目の日に
するか、一般的な習慣に乗っかる
のか、江戸の流行を取り入れるのか
…初夢を見るタイミングは、
悩ましいところ。

でも、考えようによっては、
初夢を見るチャンスが何度かあると
とらえて、都合の良い夢を見た日
にするのも選択肢のひとつ
ではないでしょうか。

一富士、二鷹、三茄子

一富士、二鷹、三茄子…その続きは?

実際に見る縁起物の「初夢」と
いえば、“一富士、二鷹、三茄子”
があまりにも有名です。

この言い回しは、
江戸初期にはすでにあったようで、
多くの文献にこの3つの組み合わせ
を見つけることができます。

徳川家に関係している内容も多く、
そのいわれには諸説あります。

●最も古い富士講組織のひとつ
「駒込富士神社」の周辺に
鷹匠屋敷(現在の駒込病院)があり、
駒込茄子が名産であったことに由来

●徳川家ゆかりの地である
“駿河国”での高いものの順。
富士山、愛鷹山、初物の茄子の値段

●富士山、鷹狩り、初物の茄子を
徳川家康が好んだことから

●富士は日本一の山、鷹は賢くて
強い鳥、茄子は事を
「成す」に通ずることから

●富士は「無事」、鷹は「高い」、
茄子は事を「成す」という掛け言葉

●富士は「曾我兄弟の仇討ち
(富士山の裾野)」、
鷹は「忠臣蔵
(主君浅野家の紋所が鷹の羽)」、
茄子は「鍵屋の辻の決闘
(伊賀の名産品が茄子)」に由来

“一富士、二鷹、三茄子”に続く
有名なものは、“四扇(しおうぎ)、
五煙草(ごたばこ)、
六座頭(ろくざとう)
/剃髪した琵琶法師のこと”。

一説ですが、一富士と四扇は
“末広がりで子孫や商売繁盛”、
二鷹と五煙草は“鷹と煙草の煙は、
高く昇る運気上昇”、
三茄子と六座頭は“どちらも毛がなく、
怪我ないという洒落言葉にて
家内安全”を、対の言葉で
祈願したということです。

このほか、「四葬礼、五雪隠」
「四葬式、五火事」など、逆夢や予兆
とする解釈も存在しています。

良い初夢を見るために行う風習
は室町時代からあります。

そのひとつが、「なかきよの
とおのねふりの みなめさめ
なみのりふねの おとのよきかな
(長き夜の 遠の眠りの 皆目覚め
波乗り船の 音の良きかな)」
という回文の歌を書いた
七福神の乗っている宝船の絵を
枕の下に入れて眠ると良い初夢
が見られるとされていました。

これで悪い夢を見た場合は、
翌朝に宝船の絵を川に流して、
縁起直しをしたということ。

この回文を寝る前に3回唱えてから
寝るというものや、宝船の絵の裏に
“獏(ばく)の絵”や
“獏という文字”を書いておくなど
のおまじないも流行りました。

ちなみに、獏は悪い夢を食べる
という空想上の動物です。

電脳時代の現在、若い世代に
“一富士、二鷹、三茄子”が通じる
のかどうか、もしかすると
「初夢」そのものを知らない世代
が誕生しているのかも知れません。

ただ、急ぎ足で時間が過ぎ行く時代
だからこそ、こうした夢のある伝聞
にも耳を傾けたいもの。

かろうじて初夢に思いを馳せた円熟
世代は、ひなびた温泉宿でいただく
美味しい雪見酒を決め込んだ、
風流な夢でも見るとしましょうか。

菊正宗ブログ お酌女性

日本酒の「鏡開き」は、場を盛り上げる祝宴の華 鏡開き/その一 

菊正宗 鏡開き

「鏡開き」と「鏡割り」、そして「鏡抜き」。

結婚式や祝賀会、竣工式、
会社の記念式典などで、
豪快なかけ声とともに、酒樽の
上蓋に木槌を振り下ろす「鏡開き」。

その華やかさと豪快さ、
全員が一つの樽酒を酌み交わすことで
生まれる一体感は、
何ものにも代えがたいものです。

まさにイベントの“華”。

プロ野球の優勝チームが、
鏡開きを行って、
“ビールかけ”の口火を切ったり、
老舗企業の創業記念式典が
ニュースで紹介される際に、
鏡開きとともに数多くの
フラッシュがたかれるシーンなど…
実際に見るより、テレビなどで
鏡開きを目にする機会の方が
多いのではないでしょうか。

お正月に神様に供える鏡餅も
「鏡開き」という言葉を使います。

鏡餅を神様に供えるのは、
江戸時代の武家社会の風習から。

正月に歳神様に供えた餅を、松の内
過ぎに、無病息災を願ってお雑煮や
お汁粉などにして食べる行事を
「鏡開き」「鏡割り」と呼びました。

当時、男は具足に供えた“具足餅”、
女は鏡台に供えた“鏡餅”を
木槌などで割って食べた
ことに由来します。

このとき、木槌などで割り砕いた
のは、“切る”という行為が
切腹を連想させるため、
刃物を使うことを避けました。

また、“鏡割り”の“割る”という
表現も、縁起が悪い忌み詞とされる
こともあって、末広がりを意味する
「鏡開き」という言葉が
主に使われたようです。

祝いの席で酒樽の蓋を木槌で割って
開くことは、「鏡抜き」「鏡開き」
「鏡割り」という、いずれか言葉で
表現されます。

ここでいう“鏡”は酒樽の上蓋のこと
で、元々、酒樽の蓋を開くことを
“鏡を抜く”といっていたので、
正しい表現は「鏡抜き」です。

しかし、“抜く”は語感が悪いとされ
、“割る”という表現も、
鏡餅と同じく縁起が悪いということで
「鏡開き」という言葉が
主に用いられます。

ただし、報道の現場では、正確さ
を求めて“酒樽を開ける”という表現
を使うことが多いようです。

鏡開きの由来には諸説ありますが、
武士が戦への出陣時に
自兵の気持ちを鼓舞するために
酒樽から酒を振る舞ったこと
がはじまりだとされます。

“鏡”を開くことで“運”も開く
とされ、縁起がいい催しとして
今に伝わっています。

“鏡”と表現するのにも
諸説あります。

古来より、
鏡には神様が宿ると考えられ、
神事に使われてきました。

その代表格といえるのが、
三種の神器のひとつ
「八咫の鏡(やたのかがみ)」。

その形状を模した“鏡餅”であり、
“酒樽の上蓋”というお話です。

菊正宗 裸樽

 

絶滅が危惧される「酒樽」。

日本酒が大きく広まった江戸時代、
すべてのお酒が樽酒でした。

それ以前は、“壺”や“曲げわっぱ”
がお酒を入れる容器として使われ、
木をまっすぐに削ることができる
カンナの登場により、今の酒樽
の形になったといわれています。

また当時は、単なる容器だったので、
「樽の香りをつけて、
美味しくしよう」
などという考えはありません。

江戸時代は家屋や道具類のほとんどが
木製で、町中に木香が漂っていたため
、お酒に香りが移っていても
気にならなかったようです。

とはいえ、江戸でブームになった
灘の酒は、何日も樽の中で
揺られて運ばれたお酒。

江戸っ子たちは知らず知らずに、
“杉の香りがついた酒”が美味しい
ことを感じとっていたのです。

時代は移り、明治時代になって、
扱いやすく安価なガラス瓶が
酒瓶として普及するとともに、
酒樽は減少の一途をたどります。

そして現在、職人の
高齢化や後継者不足などにより、
樽職人そのものが減っており、
伝承されてきた樽づくりの技術
そのものが廃れようとしています。

菊正宗では、この伝統工芸にも
匹敵する“樽づくり”を後世に
伝えるために、2017年に
「樽酒マイスターファクトリー」と
いう樽づくりの工房を開設しました。

ここでは、樽職人たちが
釘や接着剤を一切使わず、
“竹割り”“たが巻き”“樽組み”など、
江戸時代から変わることのない
樽づくりを行っています。

菊正宗 TARUSAKE MEISTER FACTORY

 

華やかな「鏡開き」を支えているのは
、連綿と受け継がれた本物の技術。

美味しい樽酒を飲むために、
酒造りだけでなく、酒樽づくりにも
細心の努力を怠ることはできない
と考えています。