
触れるほどに近い、神と人の距離。華やかで荘厳な歴史を感じる瞬間です。
テレビに映し出される祇園祭の光景といえば…提灯に火が灯った幻想的な山鉾が立ち並ぶ「宵山」と、響き渡るお囃子の音色に導かれた動く伝統芸術「山鉾巡行」。毎年恒例となった夏の風物詩として流れるおなじみの映像は、多くの人に“祇園祭の開催は、宵山と山鉾巡行の4日間”という印象を与えているのかもしれません。しかし実のところ、祇園祭はひと月にわたって行われる神事です。

その起源は平安時代初期、869年(貞観11年)にまで遡ります。当時、全国的に疫病が流行したことを受けて、それを鎮めるために執り行われた御霊会(ごりょうえ)が、祇園祭の始まりとされています。それが現代にまで受け継がれ、毎年7月1日の「吉符入り」から31日の「疫神社夏越祭」まで、八坂神社を中心におよそ30日間にわたって展開されます。この長期にわたる日程がほぼ定まったのは、新暦に切り替わった直後の1877年(明治10年)のことです。
また、祇園祭には「前祭(さきまつり)」と「後祭(あとまつり)」という二つの山鉾巡行があることは、意外と知られていません。

前祭の宵山は7月14〜16日で、山鉾巡行は翌17日。後祭は宵山が21〜23日で、巡行が24日に行われます。前祭では「長刀鉾(なぎなたぼこ)」の稚児が注連縄(しめなわ)を切り、“神域へと足を踏み入れる”儀式が行われます。一方で後祭は、御池から出発して四条へと向かう逆ルートを辿り、「橋弁慶山」が先頭に立って“神聖なものを町に広く分かち、神へと帰還する”という意味を持っています。
1966年から2013年までの約50年間は、7月17日にまとめて合同実施していたため、“祇園祭は7月17日”というイメージが広く定着。2014年に本来の前後二分体制に戻ったあとも、後祭の存在すら知らない人が多いのはそのためです。

加えて、前祭の宵山には数多くの屋台が立ち並び、浴衣姿の観光客で大いに賑わう一方、後祭の宵山は静かで落ち着いた雰囲気。それがメディア映えの差を生み、“祇園祭=前祭”という誤解がさらに強まったともいえるでしょう。
では、その宵山の役割とは何なのでしょうか。山鉾が町に建てられるこの時期、町衆たちは家宝の屏風や美術品を町屋に飾って“屏風祭”として公開します。山鉾は神の依代(よりしろ)であり、宵山の期間は、神と人が少しずつ近づく“聖なる前夜”にあたります。神との対話に向け、心身を清める場としての役割もあるのです。
そして、宵山の夜に灯る提灯の光。車両が通行止めになった新町通や室町通では、山鉾のすぐそばまで歩み寄ることができます。触れられそうな距離で見上げる荘厳な鉾の姿、絢爛な懸装品、響き渡る囃子。

数百年の歴史を背負った山鉾と人とが、物理的にも精神的にも限りなく近づくこの時間こそが、祇園祭の神髄なのかもしれません。
祇園祭は、ただ華やかなだけの夏祭りではありません。怨霊を鎮め、町を清め、神とともにくらすという古代からの祈りを、ひと月かけて丁寧に継承しているかのようです。これこそが、この祇園祭の大きな役割なのです。
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