ためになる“くだらない”お話。

上方から江戸に送られた“下り酒”が語源という説。

普段、私たちは、
“とるに足らない”とか
“ばかばかしい”
という感情を表す際に、
“くだらない”という
単語を使います。

しかし、その語源となると、
あまりご存じないのでは
ないでしょうか。

“通じる”という意味を持つ
「下る」という動詞に、
打ち消しの助動詞
「ぬ」や「ない」がついて、
「意味がない」「筋が通らない」
などの意味となり、
それが転じて
“とるに足らない”場合に
使われるようになった
という説があります。

ただ、これではあまりに
夢がありません。

これとは別に、
有力な説とされているのが、
お酒にまつわる由来です。

江戸時代のこと。

大坂や京都などの
“上方”と“江戸”との間で、
特産品などが行き来していました。

当時、上方から江戸に
送られてくるものを
「下りもの(くだりもの)」と呼び、
逆に江戸から上方に送られるものは
「登せもの(のぼせもの)」
と呼んでいました。

これは朝廷のある京都が
千年の都であるのに対して、
幕府がある江戸は
まだまだ発展途上の新興の地方都市
とされていたため、
上方方面に向かうことを“上る”、
江戸方面に向かうことを“下る”
としたことに由来します。

とはいえ、江戸は人が多い一大消費地。

上方の洗練された品々はその品質で、
江戸の庶民を魅了し、
その需要に応えるかのように、
上方から数多くの品々が
江戸に送られました。

なかでも、灘を筆頭に
伊丹や伏見の清酒は
「下り酒」と呼ばれ、
たいそう重宝されたといいます。

江戸側の
“江戸のお酒は、下り酒に対して、
くだらない”
という自重気味の皮肉、
または上方側の
“下り酒の名を落とすような、
くだらないものは送れない”
という心意気から派生したのが
“とるに足らない物の代名詞”となる
「くだらない」という言葉
といわれています。

 

 

樽廻船の停泊港が近い、灘に地の利あり。

江戸の人々のもとに
「下り酒」を運ぶためには、
安定した輸送手段が必要です。

いまでこそ網の目のように
輸送網が張り巡らされていますが、
昔は東海道を往来する陸路が中心。

馬の背に荷物をくくりつけ、
江戸に向けて運んでいました。

これでは輸送量も少なく、
何より時間がかかります。

やがて、
海路を使った輸送がスタート。

堺商人が紀州の廻船を雇い入れ、
江戸へ回航させたのが
「菱垣廻船(ひがきかいせん)」
です。

ときは1620年(元和)頃、
徳川秀忠・家光の時代。

酒や木綿、油、醤油、砂糖など
さまざまな生活物資を大量に運ぶ
海の大動脈となりました。

ところが、
この輸送方法が定着するとともに、
海難事故や荷物の抜き取りなどの
不正も横行。

それを阻むために、
1694年(元禄7年)に
塗物店組・釘店組・内店組・通町組・
綿店組・表店組・川岸組・紙店組・
薬種店組・酒店組の10組からなる
「江戸十組問屋」を結成。

大坂でも同じような組織が結成され、
事業は問屋によって
掌握されることになります。

1730年(享保15年)には
酒問屋が独立して、
清酒だけを運ぶ
「樽廻船(たるかいせん)」が登場。

菱垣廻船は
さまざまな積み荷を混載するため、
早く輸送したい酒荷のみの専用海路
を設けた方が効率的などの理由
による樽廻船のスタートです。

時代によって
多少の変動はあるものの、
下り酒の7〜9割は、
伊丹や灘の周辺地域で産した
「摂泉十二郷(せっせんじゅうにごう)」
と呼ばれるお酒で、
その歴史の流れは
灘五郷にたどり着きます。

水戸光圀公が
“助さんも、格さんも、
一杯お飲りなさい。あっあっあっ”
と差し出すお酒、
暴れん坊将軍で有名な
八代将軍・徳川吉宗が
貧乏旗本の徳田新之助として、
北町奉行・遠山金四郎が
遊び人の金さんとして、
街道沿いの酒場で酌み交わす酒など、
どれもこれも「下り酒」、
とりわけ灘の酒なのかもしれません。

時代に寄り添った
“くだらない”お話は、
大きく想像をかき立ててくれます。

「2017 可惜夜 」を限定販売!

2018年7月28日 土曜日

誠味屋本店食卓マルシェで

「2017限定 可惜夜 720ml」を

限定15本販売します。(税込¥3,240-)

販売は今回で最後となります。

わずかな数ですので

お早めにご来店を!

 

土用の“う”。

 

「土用の丑の日」には、“う”のつく食べ物を。

土用といえば、“丑の日”“うなぎ”と即答されるほど、「土用の丑の日」は、私たちの暮らしにとけ込んでいます。
毎年この時期になると、うなぎを取り扱っているお店の店頭にうなぎが並び、テレビのニュースや新聞などで、夏の到来を告げる風物詩として必ず取り上げられます。

昔の風習のひとつに、「丑の日に“う”のつく食べ物を食べると夏バテしない」という言い伝えがありました。
現在も“食が細くなりがちな夏場の栄養補給”を諭す暮らしの知恵として、この言い伝えは根強く残っています。
その代表格の“うなぎ”はもちろんのこと、“うどん”“瓜”“梅干し”などはサッパリとして胃にやさしく食欲を増進させる食べ物として好まれています。昔はほとんど口にすることがなかった“馬肉(うま)”“牛肉(うし)”も、夏バテした身体にスタミナを補うためにオススメの食材。“う”はつきませんが、昔から「土用しじみ」も腹の薬として重宝されていました。

さて、この時期の食材の独壇場といえるうなぎですが、“土用の丑の日に、うなぎを食べる”ことを広めたのが、江戸時代の蘭学者、平賀源内であるというのは有名なお話。
“夏に売り上げが落ちる”と、うなぎ屋から相談を受けた平賀源内の助言により、

「本日丑の日」
土用の丑の日 うなぎの日
食すれば夏負けすることなし

という看板を店先に立てたところ、お店は大繁盛。ほかのうなぎ屋もその真似をするようになり、次第に江戸庶民の間に“土用の丑の日に、うなぎを食べる”という習慣が根付いていきました。いまでいう広告宣伝のはしりとされています。

実際、うなぎにはビタミンAやビタミンB群、ビタミンDなど、疲労回復や食欲増進に効果的な成分が多く含まれ、夏バテ防止にはピッタリの理に適った食材。
ちなみにうなぎの旬は、冬眠間近で養分をたっぷり蓄えた晩秋から初冬にかけて。
栄養価で夏、食通としては冬がオススメ。

 

 

土用は年4回。2018年の「土用の丑の日」は年7回。

「土用」とは、古代中国の五行思想で説かれている“万物は木、火、土、金、水の五種類の元素からなるという自然哲学の考え方”に基づいて定められたものです。
「春=木」「夏=火」「秋=金」「冬=水」が割り当てられ、あまった「土」は、季節の変わり目となる直前の約18日間が割り当てられます。
これを「土用」といい、年に4回の土用があります。
一般的にいわれる「土用の丑の日」は、夏の「土用の丑の日」を指しています。

【2018年の節目の日と土用】
・立春( 2/7)… 1/17〜2/3
(冬の土用…丑の日は1/21・2/2の2回
・立夏( 5/5)… 4/17〜5/4
(春の土用…丑の日は4/27の1回)
・立秋( 8/7)… 7/20〜8/6
(夏の土用…丑の日は7/20・8/1の2回)
・立冬(11/7)… 10/20〜11/6
(秋の土用…丑の日は10/24・11/5の2回)

※立春や立夏などの節目の日は、
年によって異なります。

「丑の日」は十二支の「丑」です。
一年ごとに、干支の十二支が決まっていますが、日にちにも「子・丑・寅・卯…」の順に十二支が当てはめられ、12日間で一周し最初に戻ります。

私たちが、“うなぎを食べる日”と認識している、夏の「土用の丑の日」は、7月20日(金)、8月1日(水)の2度あります。
それぞれ「一の丑」「二の丑」と呼びます。

暑い夏の日、暑気払いのうなぎを肴に、冷酒を一杯。なかなかオツな至福のひととき。