菊正宗酒造記念館 復興20周年記念イベント開催

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 菊正宗酒造株式会社(本社 神戸市東灘区、社長 嘉納治郎右衞門)は、菊正宗酒造記念館の復興20周年を記念して、イベントを開催いたします。

 神戸・御影の本嘉納家・本宅屋敷内に建てられた酒蔵を、昭和35年に現在の地に移築し、酒造記念館として一般開放していた当時の酒造記念館は、1995年1月17日の阪神大震災によって倒壊しました。
その後4年の歳月を経て、多くの皆様のご協力により1999年1月26日に菊正宗酒造記念館として復興オープンしました。
生まれ変わった記念館は、地上2階建て、耐火・耐震構造を備え、延床面積(既設「参考室」含む)1,400m²。屋根は本瓦葺、外壁や辻塀は焼杉板張り使用で伝統的な酒蔵の外観となりました。

 現在は国内外から年間14万人以上の日本酒ファンが来館される観光スポットとなっております。

 今回、復興20周年の節目を迎えるにあたり、皆様に感謝の気持ちを込めて、これまでの歩みや、大河ドラマでも話題の嘉納治五郎との関係を解説した展示等を中心としたイベントを開催いたします。

【日時】
2019年1月26日(土)~2月17日(日)

【展示内容】
・記念館20年の歩み
(年表およびパネル展示)
・本嘉納と嘉納治五郎の関係を解説。
・小さい楽しい切り貼り絵「酒造り作業風景」他

【美人画総選挙】
菊正宗の美人画ポスター12点を展示。
(人気投票を行い抽選で素敵な商品を贈呈)

日本酒の「鏡開き」は、レッキとした神事。

本番に向けた、失敗しない鏡開きの準備。

松の内、成人の日が過ぎ、お正月気分
もぬけたこの時期ともなると、
いつもの普段通りの生活に戻って
おられることと思います。

お正月にどこかへ出かける用事もない
ため、寝正月を決め込み、テレビの
新春バラエティ特番を観ている中、
ふと感じた疑問。

いくつかのバラエティで番組最後に
豪華俳優陣&タレントによる
鏡開きが行われ、
“今年も佳い年でありますように”
と司会者が締めくくるシーンが
画面に映し出されていました。

一般的によく行われている鏡開きの
タイミングは、祝宴最初の乾杯の前。

司会者の誘導に沿って
“よいしょ!よいしょ!よいしょ!”
と参列者が唱和し、
3度目の掛け声で壇上にいる方々が
木槌を振り下ろします。

結婚式などの場合は、司会者の
“ご結婚おめでとうございます”
に合わせて鏡開きを
行うこともあるようです。

では、テレビの特番では、
なぜ最後に行われるのかというと
…鏡開きそのものに“華”があるため、
番組最初の新年の挨拶あたりに
やってしまうと、その後の
コーナーがかすんでしまいます。

そこで、番組の最後に山場を
持ってくる“締め”の役割として、
印象の強い鏡開きを持ってくるという
番組構成が行われているようです。

準備する菰樽(こもだる)の
サイズの目安は、参加者100名様
につき1斗樽(=約18ℓ)。

100名~200名の方が参加する
パーティーだと、2斗樽で十分乾杯
できるお酒は行き渡ります。

200名以上の大規模な場合には
4斗樽をご用意されるのが
良いでしょう。

祝宴が始まる前に菰樽を会場に
運び込み、あらかじめ壇上に
セットしておきます。

その際の注意点は次の通りです。

● 壇上の安定した場所を選び、
銘柄を正面に向けてセッティング。

● 立縄を鏡(酒樽の上蓋)
に沿って切り、上部のくちかがり縄を
取り外します。

● 上部に飛び出た菰は、酒樽と
くるんでいる菰の間に巻き込んで、
鏡と高さをそろえます。

その際、上当て紙をのけた後、ササラ
で鏡や溝のゴミを取り除き、タオルで
鏡の上を丁寧に拭いておきましょう。

※ おめでたい席なので、できる限り
“切る”という作業を行わず、
取り外す、巻き込むなどに務めます。

● 二番輪
(樽を締めている二番目の箍(たが)
)に、しめ木を当て木槌で叩いて、
全体に2㎝ほど下げます。

● 一番輪
(樽を締めている上部の箍(たが))
に、しめ木を当て木槌で叩いて、
鏡部の締め付けを緩めておきます。

…と、準備はここまで。

あとは本番開始を待つばかりです。

 

鏡開きの作法と口上。

 

鏡開き本番です。

鏡開きの演出には、シーンに応じた
いくつかの作法があります。

まずは
「セレモニーとしての鏡開き」。

これは結婚式などでよく目にする
方法で、現在の主流がこの演出です。

鏡開きの準備が整った後、
さらに鏡板を先に外しておき、
それを樽の上に乗せておきます。

本番になり、新郎新婦お二人で1本の
木槌を持って軽く叩いて開くことで、
ケーキカットのような
おめでたい演出になります。

また、木槌や金ベラに紅白のリボン
を結びつけることで、より一層、
手元の華やかな演出も可能に。

鏡が開いたら、
ハッピを着込んだサポート
スタッフがお手伝いをします。

みなさんがもっとも多くイメージ
する鏡開きは、木槌を振り下ろす
「豪快な鏡開き」でしょう。

豪快な鏡開きを行う際は、
事前に鏡板が盛り上がって来るまで、
木目に沿って前後左右を
木槌で叩いておきます。

これは鏡が半分割れた状態にして
おき、本番、軽い力で豪快に
酒しぶきが上がるようにするため。

鏡を開く人数は1人から
4人程度が最適です。

あまり多くの人数だと壇上が
混み合い、樽を囲むことで、
他のお客様にお尻を向けてしまう
ことになってしまうからです。

この方法は、お酒がこぼれるため、
事前に必ず、主催者や会場の
了解を得ておく必要もあります。

「おごそかな鏡開き」は、
鏡開きをする作業者が、
会場で鏡板を取り外し、
高く持ち上げて鏡開きが無事完了
したことをお知らせする方法です。

酒の中に木屑やゴミが入らないよう
に鏡板を上手く取り除き、高く持ち
上げて“おめでとうございます”と、
ひと声かけて本番終了です。

鏡開き後は、酒樽に浮かんだ木屑
などを網杓子で丁寧に取り除き、
宴会場をワゴンで回って、
樽酒を振る舞います。

お米から造られる日本酒は古来より
神聖なものとされ、神事を営む際に
神様に供えられ、祈願が済むと
参列者に振る舞う風習があり、
鏡開きは祈願の成就を願うと
レッキとした神事です。

また、鏡開きの前に唱える口上の
一例をご紹介しておきます。

東西東西(とざいとうざ〜い)、
只今より○○○様の○○○を祝し鏡開き
を行わせて頂きます。

そもそも、鏡開きの御(おん)儀式は
三百有余年の昔徳川四代将軍家綱が
戦(いくさ)に備え、諸大名一門郎党
を千代田の城に参集せしめ、先祖の
具足甲冑の御前(おんまえ)で、
お鏡を飾って出陣の舞を舞い
祝宴を致しました。

これが鏡開きの始まりでございます。

このめでたき御(おん)儀式を
本日の○○○に際し、とり行う事は
○○○様の門出を一層華やかにする
ものと存じます。

○○○様によりまして
首尾良く鏡が開きましたなら、
拍手喝采の程御願いたてまつります。

平成○○年○月○日
(新元号になったら、新しい元号に)

口上を唱える際は、
堂々と恥ずかしがらずに、
少々間違えても口ごもらず、
仰々しく大きな声で発声する
ことがポイントです。

華やいだ場の雰囲気づくりに
もってこいの鏡開き。

おひとついかがですか。

宅配便にてお届けできない商品です
のでご用命はお近くの酒販店に
お願いいたします。

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もちろんご自宅用としても
嬉しいラインアップです。

日本酒の「酒樽」に秘められた機能美。

菰樽のもともとの役割と“樽”の普及。

 

「鏡開き」に使われる酒樽は、
主に「四斗樽(よんとだる)」です。

四斗は約72リットルで、
一升瓶40本分に相当する量
の日本酒が入っています。

お祝いの席で行われる「鏡開き」
では、とくに酒樽を“菰(こも)”
でくるんだ「菰樽(こもだる)」
と呼ばれるものが使用されます。

菰樽の歴史は、はるか
江戸時代にまでさかのぼります。

当時、灘から江戸に向けて、
樽に入れた“下り酒”を樽廻船
に乗せて輸送していました。

航海時に船が揺れ、樽と樽が
ぶつかって中の酒がこぼれてしまう
のを防ぐために、手近にあった藁を
編んだ“菰”を巻いて樽を保護した
のが、菰樽のはじまりです。

やがて縄がけなどにも技を凝らして
見栄えを良くし、髭文字などを使った
銘柄の意匠にも化粧を施し、ハレの
出立ちの菰樽が誕生していきました。

酒樽の歴史となると、
さらに時代をさかのぼります。

鎌倉・室町時代にかけて、
短冊型の板を立てて並べ、
竹の箍(たが)で締め付け、
底を入れる桶や樽などの
「結桶(ゆいおけ)」
がつくり出されました。

この結桶が、現在の酒樽です。

結桶の登場は、当時の生活に大きな
変革をもたらすことになりした。

手桶、水桶、洗い桶、タライなどの
生活用具や井戸側や釣瓶、風呂桶など
の生活用水回り、食糧保存の味噌桶
や漬物桶など、幅広い容器として
使われるようになった、
今でいうベストセラー商品です。

また、都市の近郊農家に下肥
(しもごえ〈人の糞尿〉)を運ぶため
の杉の軽い肥桶が普及し、都市の糞尿
処理と農家の施肥が循環する
社会環境が整えられていきました。

当時、下肥は大切な資源のひとつで、
都市を清潔に保つと同時に新鮮な野菜
の生育に欠かせない肥料が、丈夫な
肥桶がつくられたことで、歴史的に
大きな発展を遂げたことになります。

そして、さまざま需要に後押しされる
かのように数多くの結桶が流通し、
それに伴って製造技術水準も
どんどん高く磨かれていきます。

その結果、酒や醤油、味噌などの
仕込桶として活躍する大型の結桶
がつくられるようになりました。

とりわけ、酒造業にとって、それまで
の「甕(かめ)」や「壷(つぼ)」で
醸造する小さな規模から、大量生産が
行われるようになった大きな革命的
進歩を遂げたキッカケといえます。

大きな結桶で酒を造っていた様子は、
1582年(天正10年)の
「多聞院日記」の“正月三日に、
若い尼が誤って十石入りの仕込桶に
落ちて死んでしまった”という記述
に垣間見ることができます。

酒樽は、完成された伝統技能の集大成。

結桶が登場するまで、酒の醸造
は甕や壷で行われていました。

一般庶民の生活では、
「曲物桶(まげものおけ)」
が容器として広く普及。

曲物桶は、杉や檜などを薄く削って
できた板を円形に曲げて合わせ目を
樺、桜の木皮で綴じる技術で、
平安時代に確立されたものです。

室町時代にはこの慣れ親しんだ曲物桶
も継続して使われていましたが、
江戸時代になる頃には、
生活容器の主流は、結桶が
完全に取って代わることになります。

江戸時代は、庶民文化が栄え、
数多くの職人が生まれました。

「結桶師(桶屋)」も職人として、
そこに名を連ねています。

当時、結桶は使い捨てではなく、
結桶師が都市や近郊の農村部を回って
、弛んだ箍(たが)を締め直して
繰り返し使用されるものでした。

その様子は、
国宝「上杉本洛中洛外図屏風
/上杉博物館所蔵」
や国指定重要文化財の
「紙本着色職人尽絵
/喜多院所蔵」
に描かれています。

この結桶製造にあたって、灘地域の
酒造業に大きく貢献したのは、
奈良の吉野地方の杉です。

1660年頃から造林が行われていた
吉野地方の杉は、樽丸(樽の側板材)
に適したため重宝されたとのこと。

年輪幅が均一でフシが少なく、
光沢のある淡紅色。

また年輪幅が狭いため、幾重にも
重なった年輪の層が、中の液体の
浸出を完全に防ぐとともに、アクが
少ない木質なので、嫌な色や香りが
つきにくい特徴を持っています。

逆に、酒の香りのひとつにもなる
杉の木香が適度な移り香となり、
より高い芳醇な香りを醸し出します。

灘の深い味わいの酒と、それを運んだ
吉野杉の酒樽が、互いに調和して
類い稀な「下り酒」として、江戸の町
で人気を博したことにもうなずけます。

菊正宗 TARUSAKE MEISTER FACTORY

菊正宗の
「樽酒マイスターファクトリー」
では、この酒樽づくりの
昔ながらの技法を忠実に再現。

丸竹を割り裂いた竹を編んで
箍(たが)をつくり、側面に使う
杉材をカンナで削って成形。

しっかりと下準備をした後、
組み立て工程へ。

クギや接着剤を一切使わない
昔の技法に乗っ取って、
一滴の酒も外に漏らさない樽製造
には熟練の技が光ります。

とくに気を使うのが“正直”と
呼ばれる側板と側板が接する
面づくり。

この面がピッタリと合わさること
で隙間のない円筒形の樽の形が
でき上がります。

約350年もの昔の技法を受け継ぐ
日本酒と酒樽で行う「鏡開き」は、
歴史が刻まれた重みと相まって、
祝いの席をよりめでたく祝福する
厳かな儀式としての風格が
備わっています。

一生に一度は、自分自身の鏡開きを
体感しておきたいものです。