今年の4月1日。成人年齢が18歳に。家計を逼迫する値上げラッシュも。

成人年齢が20歳から18歳へと引き下げられます。

4月1日から、成人年齢が
20歳から18歳へと引き下げられます。

旧暦から新暦に変わった3年後の
1876年(明治9年)に、太政官布告で
“成人年齢は20歳”と定められ、
1890年(明治23年)の
旧民法に受け継いだものの
施行されないまま廃止となり、
実際に施行されたのは
1896年(明治29年)に制定された
民法でのことでした。

今回の成人年齢の定義が
見直されたのは、実に約150年ぶりの
歴史的な出来事といえるでしょう。

では、旧暦の頃の成人年齢はというと、
成人を祝うしきたりである
“結髪加冠の制”が定められた
飛鳥時代の683年(天武天皇11年)
にまで遡ります。

平安中期頃には、
男子は15歳前後で「元服」、
女子の「元服」である
“髪上げ”“眉払い”を
13歳前後で行って、それぞれの
成人になったことを祝う儀式が確立。

旧暦における成人年齢が
ほぼ定まった時期です。

そして、江戸へと時代が移る中で、
宮中行事から武家社会へ、そして
庶民へと広まって行きました。

もちろん宮中、武家、町人では
「元服」の行事内容は
大きく異なりますが、
大人になった自覚と責任を伴う
それぞれの儀式であったことは、
いうまでもありません。

さて、今回の成人年齢の引き下げで
大きく変わることのひとつに、
18歳になれば、親の同意を得ずに
契約が可能になることが挙げられます。

具体的には、クレジットカード、
スマホ、部屋の賃貸借、
物品購入ローンなど、
一人で契約が可能ということ。

これは、原則として
親の取り消しができなくなり、
大人としての責任が伴うことも
意味しています。

また、婚姻年齢が男女ともに18歳に
なることも大きな変化のひとつです。

これまでは、女性の婚姻年齢は
16歳からでしたが、
18歳に統一されたということです。

これ以外にも、
有効期間が10年のパスポートの取得
や医師免許の取得、
公認会計士・司法書士・行政書士の
仕事に就くことも可能になりました。

逆に、飲酒、喫煙、競馬・競輪・競艇
などの公営ギャンブルについては、
20歳未満は禁止のまま変わらないので
注意が必要です。

今回の成人年齢の引き下げの
議論が一気に進んだのは、
2016年(平成28年)の
公職選挙法の一部改正により、
“満18歳以上になれば選挙権を
有することになる”という内容の
法案施行によることが
大きいとされています。

ここで疑問がひとつ。

“成人式”をどう実施するのか
ということです。

こちらは現在検討されている
真っ只中。

18歳のみを対象年齢とする、
高校3年生の受験シーズンに実施、
2022年度は3学年の
同時実施を行うなど、
その選択肢はいくつかあり、
来年1月の実施に向け
議論されているところです。

 

生活に直結した値上げが家計を逼迫。工夫を凝らした家計管理が求められるところ。

さらに、4月1日は年度が変わる
節目でもあることから、
“値上げ”を予定している商品や
サービスが控えています。

しかし、4月だけにとどまらず
2022年度内に値上げされる商品や
サービスの数も、例年と比べて、
その数の多さに驚きを隠せません。

気掛かりなのは、家計への影響が
予測される生活に直結した
公共料金や各種公共交通機関、
そして食品の値上げです。

この背景には
原油価格の高騰をベースとした
製造コスト、輸送コストの
上昇に加えて、
原材料価格の高騰の影響があります。

ここ数年、
さまざまな商品の価格微増が続き、
それが大きく集中した結果が、
今年度の大きな値上げのピークへと
いざなった感は否めません。

また、
ロシアによるウクライナ侵攻に伴う、
経済制裁や輸出入の制限による影響で、
今後のさらなる価格上昇も
予測されるところです。

食品関係についても、
食パンや麺類、冷凍食品、食用油、
ハム・ソーセージなど、
値上がりしていない食品を挙げた方が
早いのではと思うほど、
多岐にわたっており、
約5〜15%前後の値上がりが
予定されています。

価格据え置きの場合でも、
内容量を減らして価格調整を
行っていることも。

ここは、特売日にまとめ買い、
スマホ決済のポイントの運用、
毎日買い物に出かけない、
外食回数を減らすなど、
工夫による賢い家計管理が
試される時なのかも知れません。

菊正宗でも、仕入れ価格の上昇に
伴って、「なら漬(瓜)」を
2022年4月1日より1,080円(税込)に
値上げさせていただきます。

値上げ対応の為、3月28日9時から
受注一時停止となるため、
現行の864円(税込)でお買い求めの方は、
余裕を持って3月27日までに
ご注文くださいませ。

春は間近に。旬を美味しく、「ホタルイカ」に舌鼓。

産卵のために回遊する「ホタルイカ」は、山陰から新潟にかけた日本海の名産。

春の足音が聞こえ始める3月、
鳥取から新潟にかけての日本海沿岸で
「ホタルイカ漁」は最盛期を迎えます。

乱獲を防ぐために行政区域ごとに
統計に基づく措置を講じた上で、
早いところでは1月から解禁され、
3月から5月にかけて全面解禁に。

各地の漁港で新鮮な「ホタルイカ」が
水揚げされている様子が、
春の風物詩として
ニュース紹介されるたびに、
春を身近に感じられます。

「ホタルイカ漁」で有名なのは
富山湾の定置網漁。
海岸近くまで数百万匹の「ホタルイカ」
が押し寄せ、夜の暗闇に海が青白く光る
幻想的な光景は圧巻です。

この神秘な光景には訳があります。

それは富山湾独特の海岸から急に
深くなる独特の地形ならではの現象。

「ホタルイカ」は昼間、
水深200メートルあたりに生息し、
夜になると産卵するために
一気に浮上する習性が起こす奇跡の
瞬間といえるでしょう。

これは、世界でも類を見ない
現象のひとつで、
“ホタルイカ群遊海面”として、
国の特別天然記念物にも
指定されています。

南から風が吹く、晴天で波が穏やかな
新月前後の満潮の夜、産卵を終えた
「ホタルイカ」が、海岸の浅瀬に
打ち上げられ、波打ち際一帯に
青白い光を放つ光景を見られる
可能性があります。

かなりの条件を満たさなければ
見ることができないこの現象は
“ホタルイカの身投げ”と呼ばれ、
深夜から未明にかけて、
運の良い方のみが見られる稀有な
春の景色といえるでしょう。

富山湾の「ホタルイカ漁」は、
深夜から未明にかけて行われる漁ですが
この漁を間近で見られるのが、
期間限定で運航されている
“ホタルイカ海上観光船”。

こちらは漁船に帯同する観光船なので、
「ホタルイカ」が水揚げされる様子
とともに、必ず幻想シーンを
目の当たりにできる
またとないチャンスです。

これだけ魅力に溢れた富山湾の
「ホタルイカ漁」ですが、
水揚げ量では全国第2位。
全国1位の兵庫県に、
大きく水をあけられています。

2017年(平成29年)実績で、
兵庫県が5296トンに比べ、
富山県はその約1/4の1299トン。

中でも兵庫県の浜坂港の水揚げ量は
ずば抜けて多く、
毎年2000〜3000トンの間を推移している
というから驚きです。

富山県「ホタルイカ」が不漁の時に、
スーパーの鮮魚売り場に
兵庫県産「ホタルイカ」が並ぶことが
実際にあるとのこと。

富山の春の食卓に日常的に
「ホタルイカ」が並ぶと考えれば、
それはそれで
贅沢なことにすら感じます。

 

美味しさを新鮮なままにを封じ込めた竹中罐詰「ホタルイカくん製油づけ」。

兵庫県の「ホタルイカ漁」の水揚げが
多いのは漁法の違い。

兵庫県では、沖合底引き船による
底引き網漁による昼漁です。

日中は、水深200メートル辺りで
群れになって身を潜めている
「ホタルイカ」を一斉に
漁獲することで、
安定した数の水揚げが
維持できていることに他なりません。

「ホタルイカ」の寿命は約1年。

一説では山陰沖で春先に孵化した
「ホタルイカ」が北上する対馬暖流に
乗って若狭沖、能登沖を経由して
秋田沖まで日本海を
回遊するなかで成長。

そして産卵するために再び南下し、
本流に乗った「ホタルイカ」は
山陰沖で産卵するのです。

また、この本流から分かれた
傍流に乗ってめざす先が富山湾
ということになります。

富山湾で水揚げされるほとんどが
メスで、産卵期のため
身が肥えているとのことです。

さて、菊正宗のネットショップでも、
春を身近に感じる旬の味覚
「ホタルイカ」を取り扱っています。

竹中罐詰が販売している「天の橋立
ホタルイカくん製油づけ」で、
お客様にも好評な売れ筋商品です。

竹中罐詰は、若狭湾に面した
創業1908年(明治41年)創業の
110年以上もの歴史を持つ缶詰会社。

宮津漁港に近い、日本海の海の幸を
新鮮なまま缶詰できる地の利を
生かしたロケーションのもと、
さまざまな魚介類を一つひとつ
手作業で丁寧に製造する
“天の橋立シリーズ”が人気です。

“天の橋立シリーズ”には、
竹中罐詰の代名詞ともいえる
“オイルサーデン(いわし油づけ)”
を始め、“はたはた油づけ”、
“わかさぎ油づけ”
“かきくん製油づけ”
“帆立貝柱くん製油づけ”など、
どれも酒の肴にぴったりの逸品揃い。

「天の橋立 ホタルイカくん製油づけ」
もその中の人気の商品です。

日本海で水揚げされた新鮮な
「ホタルイカ」をボイルし、
燻製によるひと手間を加えたのちに、
美味しさを保つために油づけをして
缶に封入。

そのまま酒の肴に、パスタの具材や
炊き込みご飯のかやくとしても、
その美味しさを味わえる食材といえます。

「天の橋立 ホタルイカくん製油づけ」
を使った、
“ホタルイカのバター醤油炒め”
“ホタルイカの甘辛煮”など、
辛口の菊正宗との相性は抜群。

キリッと冷やした冷酒、または、ぬる燗がおすすめです。

日本酒の「ヴィンテージ」は 、ワインの「ヴィンテージ」とは別物。

ワインの「ヴィンテージ」は、ブドウの出来不出来の評価が基準。

日本酒とよく比較されるのが、
同じ醸造酒であるワインです。

ワインといえば、
「ヴィンテージ」ものが
数十万円を超えるような高値で
取引されている印象があります。

一般的に「ヴィンテージ」というと、
クラシックカーやジーンズ、
ブリキのおもちゃなど、古い年代物、
年期の入った掘り出し物
という印象が強いのですが、
ことワインに関しては、
原料となるブドウを
収穫した年を指しています。

つまり、
収穫された年の気候の影響を受けた
ブドウの出来不出来が
ワインの味に大きな影響を与える
という考え方です。

“○○年のボルドーが素晴らしかった”
など、長期熟成できる秀逸な
ブドウの収穫年であったことを
如実に表わしています。

こうした「ヴィンテージ」の
評価の目安となるのが、
“ヴィンテージチャート”です。

本場フランスをはじめとする
欧州エリアを中心に、北米や南米、
オーストラリア、アフリカなどの
名だたるワイン名産地区のメーカーが
発行しているもので、
これだけをみると、丁寧な仕込みは
必要であると理解した上で、
仕込んでしまえば、
後は熟成のタイミングを待つのみ
と考えてしまいがちです。

とはいえ、ボルドーではシャトー、
ブルゴーニュではドメーヌ
と呼ばれる生産者は、
これまでの実績等で
厳格に格付けされており、
決して品質維持を怠っている
訳ではありません。

また、ボルドーには複数の品種による
ワインの原酒をブレンドして、
それぞれの良いところを引き出して、
思い描く理想的なワインを組み立てる
という伝統的な技法があります。

このブレンド工程を
“アッサンブラージュ”と呼び、
ブレンドすることで、
毎年異なるブドウ品質を
整える意味合いもあるようです。

 

ブルゴーニュ地方のぶどう畑

 

それに反して、
ブルゴーニュのワインは
ブレンドをせず、
ひとつのブドウ品種による
単一ワインが特徴。

どちらにも
メリットデメリットがあり、
それぞれの生産者は
信念を持ってワイン造りを
行なっていると考えるべきでしょう。

同じ銘柄のワインであっても、
この「ヴィンテージ」により
価格は大きく変わります。

また、
同じ「ヴィンテージ」であっても、
仕込んだ樽によって微妙に異なる
品質や保管環境によっても大きく変化、
ボトルに封入された後も
熟成が進んでいるため、
ボトルごとでも味わいが異なると
いわれています。

ワインとは、
そのさまざまな変化を楽しむ飲み物
なのかも知れません。

 

日本酒の、“いつもと変わらない味”を表現する技術。

日本酒の原料となる
酒米(酒造好適米)の場合はというと、
当然、ブドウと同じ農作物なので、
毎年作柄が異なるのは当たり前のこと。

この両者で大きく異なるのは
果実と穀物という点です。

ブドウの場合は天候や日照時間、
降水量の影響を受けて、
糖度や酸味が大きく変わります。

一方、酒米は、豊作か凶作か
ということはありますが、
味覚や香りに関する良し悪しの影響を
あまり受けません。

これは、
酒米の作柄に左右されることを
醸造技術が補っているからです。

酒米は、その魅力を最大限に
引き出してくれる
水との出会いによって、
旨い酒へと変わっていきます。

日本酒はその年に獲れた新米で、
“いつもと同じ味わいの酒を造る”
ということが基本です。

酒米についても、
ある程度の天候の変化を想定した
品種改良が重ねられた結果、
山田錦という栽培と醸造の両方に
おける最高峰を生み出しています。

つまり、ワインと同じ、
栽培に好適な地形、気候、
日照時間などの
“テロワール(地勢的優位地)”
において生産される
山田錦の魅力を最大限に引き出すのが
日本酒の醸造技術といえるでしょう。

ワイン醸造家が
日本酒の複雑な醸造工程に
舌を巻いたのは有名なお話。

ブドウにはもともと
糖分が含まれているため、
酵母を加えればそのまま醗酵が進む
“単醗酵”。

しかし、酒米には
糖分が含まれていないため、
麹菌によって米に含まれている
デンプンを糖分に変化させ、
その糖分を酵母により
アルコール醗酵させる工程を
同時に行う“並行複醗酵”という
複雑な醗酵工程が
ワイン醸造家を驚かせているようです。

日本酒の「ヴィンテージ」というと、
一般的な認識と同じように
長年熟成させた古酒を指します。

このためには、最初から
「ヴィンテージ」を意識した
低温熟成による管理が必要です。

菊正宗でも2001年に醸したお酒を
冷却貯蔵により約20年熟成を重ねた
「オデュッセイア」を
限定発売致しました。

ワインも日本酒も、
長い歴史に培われた技術があり、
簡単に語り尽せるような
代物ではありません。

ただ、そうした知識を持って
グラスや盃を傾ければ、
より一層旨く感じる、
酒の肴なのかも知れません。

“ひな祭り”の食卓。
ハマグリをお吸い物にする理由。

“桃の節句”、“ひな祭り”、ともに「上巳の節句」の別称。
ご存知でしたか?

3月3日は、
いわずと知れた女の子の節句。

正式には「上巳(じょうし)の節句」
という五節句のひとつです。

他の節句と同様に、植物の名を冠した
和名が“桃の節句”で、
その行事として行われるのが
“ひな祭り”です。

今では、「上巳の節句」と
呼ばれることはあまりなく、
テレビなどでも、季節の風物詩として
“桃の節句”や“ひな祭り”と
ニュース紹介されることが
ほとんどといっていいでしょう。

また、この節句という単語は、
本来“節供”と書き、
季節の節目に、神様への供え物を
したことを表した言葉。

正月に食べる料理を、
お節料理と呼ぶのも、
節句料理からきた名称です。

「上巳の節句」に限らず、
日本の行事の多くは、古代中国で
確立した“陰陽五行思想
(いんようごぎょうしそう)”が
日本に伝わったもの。

そして、農業大国日本の生活様式に
寄り添うように独自の
進化を遂げて行きました。

農業の行事はもちろん、
宮中行事や神道の祭祀など、
伝わった大陸との気候の違い、
季節の感覚、日本のしきたりなどに
順応した暦ということです。

日本の暦の大きな分岐となったのは、
1872年(明治5年)12月2日の翌日が、
1873年(明治6年)1月1日となった、
旧暦から新暦への切り替わりです。

その際、多くの歳時や年中行事は、
もとの季節感に沿うように、ひと月
遅らせてその行事を行う“月遅れ”を
採用しました。

しかし、節句には、
奇数が重なる月と日はおめでたい
という考え方があり、
日付そのものに
意義があるということで、
新暦となった現在も、
旧暦の日付によって
節句行事が行われています。

日本での「上巳の節句」の始まりは、
平安時代に、京都の貴族子女が、
天皇の住まいである御所を模した
御殿に飾り付けをして
健康と厄除を願って遊んだことで、
それがやがて行事として広まり、
宮廷で節会(せちえ)という宴が
催されていた記録を当時の文献に
見つけることができます。

それから時代は移り、
武家社会へと広がり、
江戸時代になって以降、
庶民の人形遊びと節句が
結びつくことによって、
現在の行事の原型が
形つくられて行きました。

“ひな祭り”行事の中心は、やはり、
ひな人形の段飾り。

そこにひなあられや菱餅を供え、
白酒やちらし寿司、ハマグリの
お吸い物を節句料理として食べて
祝うのが、一般的な
“ひな祭り”の祝い方です。

また、“ひな飾りは3月3日を過ぎると
すぐに片付けないと婚期が遅れる”と
耳にすることがありますが、
これは根拠のない都市伝説。

片付けの目安として二十四節気の啓蟄
(3月6日前後)あたりというのが
慣習として伝わっていますが、
これも行動目標に過ぎません。

とくに日にちを気にすることなく、
人形にカビがこないように、湿気の
ない晴れた日に、防虫剤を入れて
片付けるのがベストのようです。

 

ハマグリは、なぜ味噌汁仕立てではないのか。

さて、“ひな祭り”の料理のひとつに
上げられる「ハマグリのお吸い物」。

ハマグリを具材に使ったのには、
ちゃんとした理由があります。

ハマグリの貝殻は、
上下で対となる貝殻以外、
同じハマグリであっても他の貝と
ぴったり合うことはありません。

このため、生涯ひとりの人と
添い遂げるという願いが込められる
など夫婦円満の象徴とされたことから、
当時、ハマグリを縁起物の良い
食材として重宝していました。

そのひとつが
「ハマグリのお吸い物」なのです。

ここで、アサリやシジミは
味噌汁なのに、ハマグリは
お吸い物仕立てなのかという疑問が
改めて湧きます。

これは、ハマグリの味が繊細で、
味噌の濃い味にハマグリの味が
負けてしまうということから、
あまり味噌仕立てにはしないという、
料理へのこだわりのようです。

日本の汁料理は
大きく2つに分類されます。

会席料理の先付の次に酒の肴として
出されるのが“お吸い物”で、
昆布や鰹節の出汁に塩や醤油、味噌で
味をつけ具材に魚や野菜、鶏肉を
入れたものです。

粕汁やみぞれ汁、海老しんじょなども
この分類に当てはまります。

もうひとつが、
料理の最後、甘味ものの前に、
ご飯と一緒に出される汁物で、
味噌を入れるのが“味噌汁”、
醤油で味をつけたものが“すまし汁”、
塩味の味つけが“潮汁”です。

なので「ハマグリのお吸い物」は、
実際にはハマグリの潮汁です。

しかし、ここは伝統的に伝わる
料理名称として
「ハマグリのお吸い物」と
呼ぶこととしましょう
砂抜きをして水洗いの下処理をした
ハマグリを出汁昆布、酒少々と一緒に
水に入れ、弱火よりやや強く
時間をかけて煮ます。

沸騰したら昆布を取り出し、
貝の口が開いたら出来上がり。

味を整えるのは塩加減だけ。

ポイントは水から煮出して
ハマグリのエキスをより多く
取り入れることと
灰汁を取り除くことで
雑味を取ること。

木の芽を手の平で叩いて
汁に浮かべるのも、
アクセントとなる香りづけに
おすすめです。

意外と簡単な「ハマグリのお吸い物」
レシピなので、
今年の“ひな祭り”には、
ぜひ挑戦してみてください。

“灘の酒”の旨さは 、“六甲おろし”を利用した「寒造り」の賜物。

菊正宗 生もと 蒸米

一年を通した“四季醸造”から、冬場限定醸造の“寒酒”へ。

旨い日本酒造りの
大切な要素のひとつに
「寒造り」があります。

江戸時代初期頃まで、
日本酒造りは、
真夏の暑い盛りを除く一年を通じた
“四季醸造”が一般的でした。

現在の9月頃(旧暦8月)に
前年収穫の古米で醸す“新酒”、
9月下旬頃の残暑が残る初秋には
“間酒(あいしゅ)”、
寒くなりかけた晩秋には
“寒前酒(かんまえさけ)”、
冬場に造る“寒酒(かんしゅ)”、
そして春先の“春酒(はるざけ)”と
夏場以外はそれぞれの季節に応じた
酒が造られていました。

ところが、幕府は、
飢饉や政争など、
その時々の社会情勢に応じて
“寒酒”以外の酒造りの
“規制”“解禁”を
繰り返していたため、
蔵元は、
生産許可が不安定な酒類の醸造を
避けるようになったといいます。

また、“寒酒”の酒質は
他の酒類とは比較にならないほど
上質なものに仕上がることも、
“寒酒”造りに専念する要因と
なったようです。

つまり、“寒酒”だけが
唯一規制対象外であったのも、
もともとの酒質が秀でたからに
他なりません。

江戸時代の酒造りを
頭に思い描いてみてください。

繊細な醗酵工程を
的確に行うために大切な、
正確に時間を刻む“時計”、
正確な温度を測る“温度計”など
ない時代。

そんな中で、刻々と変化していく
それぞれの醗酵状態を把握するために
肌感覚で温度を読み、
目や耳で醗酵状態を知り、
香りを嗅ぎ分け、
舌で味を確認する…
経験によって培った五感を頼りに、
蔵人たちはその技術を確立し、
後世へと受け継いでいったものが、
現在の「寒造り」への礎となったと
いわれています。

また、
“寒酒”が定着したことによって、
農家の冬場の閑散期に出稼ぎにくる
“杜氏”という酒造りのプロ集団が
生まれたことも、
優れた日本酒造りを支えることに
なりました。

“寒酒”造りが、
“四季醸造”の中で、
もっとも過酷な極寒環境での作業を
強いられたことは、
暗に想像がつきます。

休憩場で火を焚いて
暖を取っていたとは思いますが、
作業現場への安易な火の持ち込みは
厳禁。

冬場の凍てつくような空気や水は
澄みわたって雑菌が少なく、
寒さによる蒸し米を短時間で冷まし、
醗酵段階の一定時間の低温状態の
維持が容易という
酒造りにもっとも適した季節で、
醸されたお酒は、
香りが高く、
深いコクがあり、
長く貯蔵できるという
多くの利点がありました。

もし、
過酷な極寒の作業環境に心が折れ、
そこそこの日本酒の出来栄えに
納得していたら、
現在の酒文化は
なかったかも知れません。

 

「寒造り」を極めた旨さが、江戸庶民に受けた“下り酒”の真骨頂。

“寒酒”だけが
造られるようになって以降、
時代は巡り、
第5代将軍、徳川綱吉の元禄年間には、
灘酒の“下り酒”が
江戸の庶民に持てはやされます。

とくに、当時の関東で仕込まれた
“地廻り酒”と比べると
“灘の酒”の酒質は高く、
江戸時代後期には、
江戸で飲まれる約8割が
“灘の酒”であったとの記録が
残されています。

江戸時代に“下り酒”として
人気を博した“灘の酒”の
優れた酒質を決定づけたのは
“六甲おろし”を利用した
「寒造り」技術といえます。

阪神タイガースの球団歌として
その名が一気に広まった
“六甲おろし”は、
寒い冬に六甲山の頂上から吹き降りる
冷たい北風のことです。

六甲山地は最高峰で931mと
それほど高い山ではありませんが、
神戸市街を見下ろすように
東西にそびえ立ち、
西高東低の冬型の気圧配置になると、
神戸の西に位置する明石からの
季節風が
西に位置する六甲山に向かって
吹き抜けます。

その季節風が六甲山頂にぶつかって
一気に吹き降りる気象現象が
“六甲おろし”で、
山と海の距離が短い
急勾配である地形が、
その速度を強めています。

江戸の庶民に親しまれた
“下り酒”ですが、
“灘の酒”を特徴づけることになる
“宮水”“山田錦”の登場は、
まだ先のこと。

それでもなお
“灘の酒”が極上の酒として
江戸庶民に受け入れられたのは、
「寒造り」技術が
より高い水準で確立していた
ということに他なりません。

灘五郷の酒蔵では、
この“六甲おろし”を
効率よく利用するために、
多くの蔵元が“重ね蔵”という
建築配置を取り入れた構造でした。

つまり、北側に、仕込み蔵や貯蔵庫、
南側に前蔵が隣接して
東西に長く連なる建物配置。

冬は“六甲おろし”の冷たい風が
北側の仕込み蔵を適した低温に保ち、
夏場は、南に位置する前蔵が、
貯蔵庫への強い直射日光を遮ります。

現在は空調設備が完備され、
建物も増築されるなどして、
大きく配置が変わったところも
ありますが、
それでも多くの酒蔵では
“六甲おろし”を上手く取り入れる
構造を意識しているようです。

酒造りへのこだわりは、
数百年経った現在でも
変わることはありません。

菊正宗では、
手間がかかり、冬場の過酷な作業が
強いられる生酛造りを
いまだ実直に続けています。

それは旨い酒を造るという、
江戸の蔵人たちの思いと
重なっています。

六甲山 夕焼け