池波正太郎生誕100年。彼が追い求めた徹底したリアリズム。

池波作品の魅力は、緻密なストーリー設定と、江戸の食文化のリアルな描写。

1923年(大正12年)に生まれた
池波正太郎の生誕100年を記念した
2年にもわたる映像化プロジェクトが
佳境を迎えています。

2023年(令和5年)に
劇場公開された
「仕掛人・藤枝梅安」の2作、
そして2024年(令和6年)
5月10日から公開中の映画
「鬼平犯科帳 血闘」。

これらに「剣客商売」を加えて、
池波正太郎の三大シリーズ
と呼ばれています。

「鬼平」は1968年(昭和43年)、
「剣客」「梅安」は
1972年(昭和47年)に連載が始まり、
池波が1990年(平成2年)に
67歳で亡くなる数年前まで
書き継がれました。

もちろん
これらのシリーズ以外にも
数多くの時代小説やエッセイなどを
世に送り出しています。

三大シリーズの時代設定は
1780年代(安永、天明)から
1800年代(享和、文化)
にかけての約25年間、
10代将軍・家治から
11代将軍・家斉の時代です。

物語の舞台は
大川(隅田川)界隈を中心に
繰り広げられます。

池波が執筆にあたって参考にしたのは
「江戸切絵図」と呼ばれる古地図で、
江戸市中を地域別に細かく
描き込んだものです。

この地図を元に、
主人公をはじめ登場人物の家や
近所の料理屋、長屋の路地、
行き交う辻などを
細かく設定しているため、
物語はぶれることなく、
よりリアルな描写が可能となりました。

こうした緻密な背景描写に
重ねるように紡ぎ出される
魅力ある人物描写が
池波作品のキモ。

余計な修飾語を極力省き、
登場人物の会話に導かれるように
物語は進んでいくことで
臨場感は増し、読者は作中に
引き込まれていきます。

また、時折登場する
食にまつわるシーンは、
江戸の食文化への
深い造詣がうかがえます。

池波作品のもうひとつの魅力は、
この食文化の描写です。

彼が食通であることは有名で、
彼が残した食に関する
数多くのエッセイから
それぞれの店を辿った
「池波正太郎が通った〔店〕」
という本が重版を重ねるほど。

作品づくりのため
足繁く通った京都の老舗料亭のように
高級なところだけでなく、
銀座の洋食屋のカツレツや
横浜の町中華など、
庶民的な店も少なくはありません。

たとえば「神田まつや」。

明治初期創業の蕎麦の老舗で、
江戸時代から続く
伝統の下町の味を守り続けている
庶民が集うお店です。

ここで出される日本酒は、
辛口の菊正宗のみ。

江戸時代の味を
頑なに守っているお店に
菊正宗が多いのは、
下り酒の主流であった菊正宗のお酒と
提供する料理との相性も含めた
“伝統の味”の名残りかも知れません。

池波が蕎麦をたぐりながら、
菊正宗の燗酒を嗜みつつ、
作品の構想を練っていたと考えると、
一気に親近感が湧いてきます。

さて、
彼の生誕100年を記念した
映像化プロジェクトで描かれた
「仕掛人・藤枝梅安」と
「鬼平犯科帳」は、
庶民を苦しめる許せぬ悪を
闇で仕留めるダークヒーローと、
江戸時代に実在した“火付盗賊改方
(ひつけとうぞくあらためかた)”
を主人公にした、
まさに対照的な人気作品です。

次は、
「仕掛人・藤枝梅安」と
「鬼平犯科帳」について
紐解きたいと思います。

お楽しみに。

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1年でもっとも過ごしやすい「小満」。穏やかな晴れの日が続きます。

「小満」の恒例行事は夏服への衣替え。生活全般を夏仕様に見直しましょう。

暦の上では、5月20日から
二十四節気の
「小満(しょうまん)」の
期間にあたります。

しかし、メディアなどで取り立てて
伝えられるほど著名な
歳時記ではありません。

しかし、春から夏へと季節が変わる中、
あふれる太陽の光を受けて
草木が急速に成長して緑があふれる季節。

「小満」の頃は、
春先の肌寒さが和らぎ、
ぽかぽかとした暖かい日差しが心地よく、
1年でもっとも過ごしやすい
気候ともいえます。

「小満」の期間を
七十二候に置き換えた場合、
初候は“蚕起食桑
(かいこおきてくわをはむ)”で、
蚕が桑の葉を盛んに食べだす頃を
表現しています。

次侯は“紅花栄(べにばなさかう)”。

オレンジ色の紅花が咲き誇る頃です。

そして、末侯の
“麦秋至(むぎのときいたる)”。

冬に種を蒔いた麦が収穫期を迎えます。

秋に稲穂が黄金色に
染まる様子になぞらえて、
麦の穂が黄金色に色づくこの時期を
“麦秋(ばくしゅう)”、
小麦色の麦畑に吹く風を
“麦の秋風”と呼びます。

“秋”の漢字を使うのは
やや不思議な感じもしますが、
初夏の季語としてよく使われる
言葉のひとつです。

ちなみに、沖縄では
「小満」から次の
「芒種(ぼうしゅ)」辺りに
梅雨入りしていることが多いため、
ふたつの節気を重ねて
“小満芒種(すーまんぼーすー)”
と呼び、広く
“梅雨”の意味で使っているようです。

「小満」の期間に訪れる恒例行事が、
夏服への衣替えです。

衣替えは平安時代に中国から
伝わったもので宮中行事として
行われていました。

江戸時代になると気候に合わせて
年に4回衣替えをしたという記録が
残されています。

現在のように夏冬年2回が
定着したのは明治以降。

洋服が日本に伝わり、
暦が新暦になったことが
大きく関係しています。

ジメジメとした湿気の多い梅雨前の
晴れた日が多い時期なので、
衣服を入れ替える前に
洗濯やクリーニングに出して
汚れを落とすとともに、
しまう衣類には必ず防虫剤を
入れておくことが大切です。

また、この時期特有の数日天気が
ぐずつくことがあります。

本格的な梅雨入り前の“走り梅雨”と
呼ばれる気象現象で、梅雨のような
長雨にならないのが特徴です。

できれば衣替えと同時に、
夏を涼しく過ごすために部屋を
夏仕様にしつらえたいもの。

昔は夏になると襖(ふすま)を外して、
細い竹をはめ込んだ“簾戸(すど)”や
葦(あし)をはめ込んだ“葦戸”と
交換して日の光を遮断して
風の通りをよくしていました。
先人の知恵のひとつです。

現在はマンション暮らしが増える中、
網戸が常設され、エアコン普及率も
高いため、昔ながらの“簾戸”に
取り換えるなどの風情のある
夏の風物詩はあまり
見る機会が少なくなりました。

猛暑や酷暑に見舞われる8月に
エアコンは必須ですが、
7月半ば辺りまでは、ソファーや
調度品の置き位置を変えて
風の通り道を良くしたり、
ベランダに簾(すだれ)を吊るして
外からの照り返しを防ぐなど、
涼しさを感じる部屋に
模様替えをするのも、
梅雨が訪れる前の
このタイミングでしょう。

まずは過ごしやすい穏やかな気候の
「小満」を
楽しむことから始めましょうか。

春から夏にかけて美味しい旬を迎えるカレイもあります。

魚図鑑のイラストは、ほぼ左向きに描かれています。

魚図鑑に掲載されている魚の絵が、
一部を除いて
すべて左向きに描かれていることを
ご存知でしょうか。

また、魚類分類学などの論文に
添えられる標本写真やイラストも、
つねに左向きの構図のようです。

「なぜ左向きなのか」
という疑問を解明するべく、
学習図鑑編集長が
さまざまな仮説を立てて
魚類学専門家に確認したものの
「はっきりとした理由は分からない」
との見解が示されました。

ちなみに、編集長が立てた仮説は
“日本の伝統的な
左側上位という考え方”
“尾頭つきの魚料理は左向きに置く”
“日本語の横書きは左から右へと書く”
などいくつかあり、
その中のひとつ、
“右利きの人は、
自然と左から右に絵を描く”
という考え方が一番、
理にかなった理由ではないかと
締めくくっています。

それに加えて、
過去の魚図鑑を確認したところ、
1956年(昭和31年)に
出版されたものは、
かなり右向きの魚が混在。

その16年後の
1972年(昭和47年)出版されたものは、
すべて左向きに統一され、
かなり見やすくなっています。

結果的に、デザイン装丁上、
見やすいベージ構成が行われたようで、
子供にも分かりやすい編集が
検討されたことは一目瞭然です。

それでは、
一部の右向きに描かれている
魚の種類は?
…お気づきかと思いますが、
眼が右側についている
カレイの仲間です。

さて、奇しくも魚図鑑で
他の魚と異なる掲載となった
カレイですが、
実際にも他の魚とは異なる生態を
持っています。

カレイに分類される種類は多く、
その数は世界で100種類以上、
日本近海だけでも40種以上生息
とのこと。

北海道から九州にかけて幅広く生息し、
同じ種類でも
地方によって呼び名が変わったり、
生息場所によって
同じ種類なのに
旬の時期や
味そのものが変わったりすることも
珍しくない魚なのです。

初夏から秋にかけて旬を迎える
アサバカレイをはじめ、
9月から10月が旬のカラスガレイ、
6月と9月から10月に旬を迎える
マガレイなどが
多く流通していることから、
“カレイの旬は秋から冬”と
思われがちです。

しかし、春から夏にかけて
メイタガレイやクロガシラカレイ、
漁獲量は少ないものの
格別の美味しさと名高い
大分のブランドカレイ
“城下カレイ”が旬を迎えるなど、
この時期ならではの
脂がのった美味しさを味わえる
カレイも数多くあります。

カレイの定番料理といえば、
やはり煮付け。

旬の厚い身のカレイを
甘辛い出汁で煮立てれば、
ホクホクの美味しさに出会えます。

薄く切った生姜を入れて
濃い出汁で煮るのがポイントです。

アルミホイルで蓋をすれば、
ほどよく蒸されて、
さらに美味しく仕上がります。

ここに豆板醤を入れれば、
いつもと違ったピリ辛味に。

さらにおすすめなのが
“カレイの磯辺揚げ”。

カレイをぶつ切りにして、
青海苔を混ぜた衣を纏わせて
カラッと揚げるだけ。

マヨネーズとダシ醤油を混ぜた
タレにつけていただきます。

これから、
夏に向けて汗ばむ季節になるので、
キリッと冷やした
辛口の冷酒にぴったりの酒の肴です。

ぜひ、お試しください。

冷やすほどにうまみとキレが調和。
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鬼滅の刃“柱稽古編”と「葵祭」の共通点は、絶対的な“柱”の存在。

日本でも数少ない王朝貴族の優雅さを今に伝える「葵祭」。

人気アニメ
「鬼滅の刃」の新シリーズ
“柱稽古編”が
5月12日からスタートします。

タイトル通り、
主人公の竈門炭治郎ら若い隊士たちが
鬼殺隊の最強メンバーである“柱”に
稽古をつけてもらうお話。

ここでいう“柱”とは、
鬼殺隊の中で
もっとも位の高い9名の剣士のことで、
鬼と対峙する“柱”は、
組織の土台を支える
絶対的な存在です。

“柱”といえば、
神様を数える助数詞に
“柱”を使ったことが
奈良時代に編纂された歴史書
「古事記」に記されています。

神を“柱”と数えたのは、
木には神が宿ると
考えられていたことの
証なのかも知れません。

伊勢神宮の中心にある
“心御柱(しんのみはしら)”や
諏訪大社の神事の
“御柱(おんばしら)”など、
その信仰は根強く残っているものの
日常的に使う機会は
あまりありません。

「鬼滅の刃」の原作者が
意図して使ったかどうかは
分かりませんが、
神がかった強さの象徴として
“柱”という表現を使ったのは、
まさに的を射た選択といえます。

現在開催されている
京都三大祭りのひとつ
「葵祭」の中心となるのは
上賀茂神社と下鴨神社。

この両神社の成り立ちを紹介した
古代の歴史書にも、
神様を数える際に
“柱”が使われています。

当時は、今よりも神の存在が
より身近だったようです。

そんな「葵祭」を
紐解いてみましょう。

「葵祭」の原形となった
“賀茂祭”の歴史は
平安京遷都の時代にまで遡ります。

暴風雨による凶作が続いたため
賀茂大神の祟りを鎮めるために、
祭礼の行事が行われました。

最初は氏一族のみの
小さな祭礼行事だったものが、
やがて京都御所での祭礼の後、
「賀茂御祖神社
(かもみおやじんじゃ/今の下鴨神社)」
を経て、
「賀茂別雷神社
(かもわけいかずちじんじゃ
/今の上賀茂神社)」
へ参向する例祭として
根付いていきました。

祭りの規模はどんどん大きく
絢爛豪華になり、
王朝貴族の国家行事に。

当時は祭りといえば
“賀茂祭”といわれるほどで、
紫式部や清少納言なども観ていた
という記述が
彼女たちの作品に刻まれています。

しかし、
かさむ祭祀費用などの理由で
祭りの起源から数えて
約900年続いた祭礼は
応仁の乱以降、廃絶しました。

それから約200年の時を経て
再興されたのは1694年(元禄7年)、
徳川5代将軍 綱吉の時代。

賀茂神社の神紋の“二葉葵”と
徳川家の“三つ葉葵”が結びついて
「葵祭」としての再興です。

現代の「葵祭」の本番は5月15日。

その前儀として、
5月3日の
下鴨神社の
糺の森(ただすのもり)で行われる
“流鏑馬神事”、
5月4日の
京都にゆかりのある
一般女性から選ばれた
斎王代と40人の女性が
御手洗池に手を差し入れて身を清める
“斎王代以下女人列の御禊の儀”
などの儀式が続き本番へ。

「葵祭」は、
“宮中の儀(現在は未開催)”
“路頭の儀”
“社頭の儀”
の3つの儀からなり、
“路頭の儀”は
「葵祭」のメインイベント。

平安時代の装束を着た
優雅な王朝の行列が
京都御所正門から下鴨神社、
上賀茂神社へと練り歩きます。

総勢約500名の列の長さは約1kmと
圧巻です。

歩くひな壇飾りのような優雅さで、
毎年多くの見物客を賑わしています。