今は、全国的に稲刈りの時期。米の自給率は、ほぼ100%です。

稲穂

米の品種に応じた稲刈り時期は、各都道府県ごとに概ね決まってます。

現在、
全国的に稲刈りシーズン、真っ只中。

9月中旬から10月中旬が
一般的な稲刈り時期です。

季節の気温の変化に伴って北上する
桜の開花前線や梅雨前夜とは違って、
作付けされる土地の自然環境に適した
品種を育てるため、単純に
“稲刈り前線”が南から北へと
北上するということはありません。

また、コシヒカリやササニシキ、
あきたこまちなどをはじめとする、
さまざまなブランド米は、大きく
“早生(わせ)”
“中手(なかて)”
“晩生(おくて)”
の3つの品種に分かれ、
それぞれの地域に適した品種を
作付けすることにより、
毎年同じ時期辺りに
田植えや収穫が行われます。

全国の稲刈り時期は
エリアによって、
かなり特徴的です。

北海道・東北エリアの稲刈りは
9月下旬から10月下旬にかけて、
北上するほど時期が遅くなります。

しかし、霜や気温の関係から
早生種を選ぶことも多く、
意外と北海道での稲刈り時期が早い
ということもよくあるお話。

関東エリアは、
9月下旬から10月中旬頃が
稲刈りの最盛期です。

しかし、千葉県では
ビニールハウスで
稲作を行なっている農家も多く、
8月下旬から9月中旬と、
他県より早い
稲刈り時期となっています。

中部エリアは、
北陸、甲信越と太平洋側では
気温差がかなりありますが、
稲刈り時期はどこも
9月初旬から10月初旬と、
大きな差はなく、
稲刈り時期の安定したエリアです。

近畿エリアの稲刈り時期は、
9月初旬から10月初旬。

ただし、和歌山、三重の
一部地域では、8月下旬頃から
稲刈りがスタートするところも。

中国エリアは、
9月中旬から10月初旬で、
ほとんどが9月中に
稲刈りを終わらせているようです。

四国エリアは、県によって
稲刈り時期に差があります。

一般的には9月初旬から
10月初旬ですが、
徳島、高知の一部地域では、
8月初旬から稲刈りがスタート。

九州エリアは
10月初旬から中旬が最盛期ですが、
福岡が9月初旬、
宮崎、鹿児島の一部地域で8月初旬の
早生種の稲狩りが行われています。

沖縄エリアは、
本土とは大きく異なり、
年に2回栽培する二期作が行われます。

最初の稲刈りは
5月から6月にかけて行われ、
2回目は本土よりもずっと遅い
11月以降に。

これは
台風の影響を避ける意味が大きく、
台風前に稲刈りを済ませ、
台風シーズンが終わった時期に
2回目の田植えを行います。

温暖な気候の沖縄ならではの
稲作スタイルともいえます。

お米への深いこだわりを持つ
日本だからこそ、
米の自給率は、ほぼ100%。

わずかな輸入米が食卓に上がる機会も
あまりなく主に加工品に使われます。

食感や味覚などにこだわった
国産ブランド品種も、
長年にわたる品種改良によって
数多く登場。

そのポテンシャルを
最大限に引き出すのが、
栽培環境に適した品種選びと
その栽培。

稲刈り時期は、
こうしたお米の美味しさ引き出す
大切な役割を担っています。

稲刈りのタイミングは、目視である程度判断可能。長年の勘が冴えるとき。

それぞれのエリアで稲刈り時期は
ある程度特定できます。

さらに、より具体的な
稲刈りのタイミングを推し測る方法も
いくつかあります。

まず、“出穂(しゅっすい)してから
40日前後が経過した頃”です。

“出穂”とは
稲の穂が出ることをいいます。

一般的に、早い生育の品種で
田植えから出穂までが約50日、
育つのが遅い品種の場合は
田植えから出穂まで
約80日かかります。

そこに出穂40日を加えて、
田植えから稲刈りまで、
最短で約90日(約3カ月)、
遅いものだと約120日(約4カ月)
かかる計算になります。

続いて、
“出穂(しゅっすい)してから
積算温度が1000℃前後になった頃”。

“積算温度”とは
毎日の平均気温を合計したものです。

また“3つ目の枝分かれした穂先が
黄色くなった頃”“籾全体の
85〜90%が黄色くなった頃”。

これは稲の成熟度を
色で判断する方法です。

これらの条件がすべて
当てはまる場合もあれば、
どれかひとつの場合もあり、
最終的には、米生産者として
長年培った勘に頼ることになります。

また、いずれの場合も、
田んぼ全体が黄金色に変わった時期が
最良の稲刈り時期といえそうです。

酒米「山田錦」の
稲刈り時期は10月中旬で、
出穂後45日~50日頃が目安。

食米と同じように籾全体の85〜90%が
黄金色に輝く頃が収穫のタイミング。

さらに、茎葉の緑色がより薄くなり、
一株当たりの穂の本数が15本程度、
20本だと過密。

また、一本の茎に長い生葉が3本
残っていれば合格です。

旨い日本酒を醸すためには、
食米よりもさらに繊細でデリケートな
稲刈りのタイミングを見計らいます。

だからこそ、美味しい日本酒が
楽しめるというものです。

「十五夜」を見た方は、10月8日の「十三夜」も見るのが決まりのようです。

秋は、「中秋の名月」以外にも楽しめる名月がいっぱい。

9月10日の夜は
全国的に晴れわたり、
雲に遮られることなく、
見事な満月の“中秋の名月”を
楽しめたのではないでしょうか。

もともと、「十五夜」は、
中国の“中秋節(十五夜)”に
由来する行事で、
“春節(中国のお正月)”
“清明節(日本のお盆に似た、里帰り
をしてお墓まいりをする行事)”
と並ぶ中華三大節のひとつです。

月を愛でる行事として
平安時代に日本に伝わったもので、
平安貴族は、この「十五夜」の
満月の夜に酒を酌み交わし、
庭園の池に浮かべた船で
詩歌を詠んだり、
雅楽の調べに酔いしれるなど、
風流で雅やかな
ひと時を過ごしました。

また、宴に興じる貴族たちは、
月を見上げるのではなく、
水面や盃の酒に映った月を、
この上なく愛でたといいます。

秋に月見をする風習ですが、
台風や長雨の合間や
時期を過ぎた直後で、
秋晴れの日が多いこともあって
空は澄みわたっています。

また、気候的にも
夏の暑さ和らいで朝夕が
過ごしやすい時期にあたるため、
この時期の月見が
好まれるようになった
とも考えられます。

日本人は、月見に限らず、
桜や紅葉、ときには
大雨のときなど、
自然の変化に敏感で、
四季を通じて営まれるさまざまな
自然の表情を切り取って、
それぞれが
独自の見方や感じ方を歌に詠む
豊かな情緒を育んできました。

そんな感性の豊かさは、
秋に映える“月”という
格好の題材を
見逃すはずはありません。

一般的に、もっとも美しさを
満喫できる月見といえば
「十五夜」が有名ですが、
実はこれ以外にも、
日本独自の月見を楽しむ日が
あるのをご存知でしょうか。

それが「十三夜(じゅうさんや)」と
「十日夜(とおかんや)」で、
これに「十五夜」を加えて
“三月見”といいます。

この“三月見”以外にも、
「十六夜」は、
別名“不知夜月(いざよい)”。

旧暦8月16日の月のことで、
“ためらう”という意味を持ちます。

「十五夜」よりも
月が出る時間が遅いため、
月がためらっていることを
表現した名称です。

そして、「十七夜」は、
別名“立待月(たちまちづき)”。

旧暦8月17日の月のことで、
“今か今かと立って待っている”
という意味を持ちます。

現在の時刻に換算すると、
日没から約1時間40分後くらいに
月が顔をのぞかせる感じです。

“不知夜月”“立待月”は、
8月以外の新月から数えて、
それぞれ16日目、17日目の
月の呼び名としても用いられました。

3日目の月“三日月”は
今でも使われる呼称で、
“上弦の月(8日目)”
“十日余りの月(11日目)”
“待宵月(14日目)”
“居待月(18日目)”
“臥待月(19日目)”
“更待月(20日目)”
“下弦の月/二十三夜(23日目)”
など、月の満ち欠けに関する
表現の多彩さが伺えます。

これは、電気のない時代に、
月の形で何日かを判断し、
また、月の明かりが
夜道を照らすなど、
昔の生活に必要不可欠な存在
だったことが伺い知れます。

昔から伝わる“三月見”。全部晴れると、いいことが起こる兆し。

さて、
“三月見”のひとつである
今年の「十三夜」は、
10月8日(旧暦9月13日)。

「十五夜」が中国から
伝わってきたのに対して、
日本独自の風習です。

その始まりについては
諸説あります。

平安末期の醍醐天皇が
「十三夜」の月見の宴を催して
詩歌を楽しんだのが起源
というのが有力です。

しかし、
その一代前の宇多天皇が
“今夜の名月は並ぶものがないほど
優れている”という内容の歌を
明月の宴で詠んだという記述が、
平安後期の書物に残されているため、
「十三夜」を楽しむ宴は、
醍醐天皇以前から風習として
親しまれていたようです。


また、「十三夜」は栗や豆が
収穫される時期にあたるため、
“栗名月”“豆名月”、
また「十五夜」の後なので
“後の月”とも呼ばれていました。

ちなみに、「十五夜」の別名は、
その収穫期から“芋名月”です。

とくに、「十五夜」と「十三夜」は
“つい”で楽しむ関係にあり、
どちらか一方の月しか見ないことを
“片月見”や“片見月”といって、
縁起の悪いこととされ、
両方の月夜を合わせて
“二夜の月(ふたよのつき)”
と呼びました。

もうひとつの「十日夜」は
11月3日(旧暦10月10日)です。

この時期は稲刈りも終わって、
田んぼの神が山に帰る日とされ、
稲の収穫に感謝し、
翌年の豊穣を祈る収穫祭で、
東日本を中心に行われます。

この日の月はお祭りの脇役ですが、
“三月見が晴れると
いいことが起こる兆し”という
大きな役割を担っています。

秋は「中秋の名月」だけでなく、
その満ち欠けを楽しむ
さまざまな月の姿があります。

そんな月夜を情緒深く過ごすのに、
万葉の名を冠した
「可惜夜」はぴったり。

残りわずかとなった「可惜夜」を、
お早めにお買い求めください。

3年振りの盛況が期待される「日本酒の日」。10月1日は日本酒で乾杯!

10月1日は「日本酒の日」。久しぶりのイベント開催に湧いています。

10月1日は「日本酒の日」です。
ここ2年ほどは、
新型コロナの影響により、
大小に関わらず、
さまざまなイベントが
中止となりました。

しかし、
新型コロナによる重篤化リスクが
軽減されてきたこともあり、
今年の「日本酒の日」イベントは、
全国各地で行われる予定です。

ただ、未だ新型コロナ禍が
なくなった訳ではないので、
イベント実施にあたって、
それぞれの
イベント運営サイドにおける十分な
感染対策が講じられていることは
いうまでもありません。

「日本酒の日」は、
1978年(昭和53年)に
日本酒造組合中央会によって
制定された記念日で、
“日本の國酒である日本酒を
後世に伝えるという思いを
新たにするとともに、
一層の愛情とご理解を
という願いを込めて、
1978年に日本酒造組合中央会が
「10月1日は日本酒の日」と定めた”
と当団体サイトにて
紹介されています。

また、各都道府県で開催されている
日本酒に関するイベントや
トピックスを、
「日本酒イベントカレンダー」にて
配信。

「日本酒の日」に関連するイベントが
こと細かく紹介されているので、
興味がある方は、
のぞいて見るのも
いいかも知れません。

そのなかでも興味深いのが、
日本酒造組合中央会が主催する
「みんなでお祝い!日本酒で乾杯!
オンラインイベント」です。

9月23日から10月2日の10日間を
“日本酒で乾杯!WEEK”に設定して、
各都道府県の酒造組合を始め、
酒蔵や飲食店、酒販店と連携して
日本酒により親しみを持っていただく
日本酒啓蒙キャンペーンを実施。

そのピークとなるのが、
10月1日「日本酒の日」に開催される
「日本酒で乾杯!」
オンラインイベントです。

18時から
YouTube LIVEで開催されるもので、
料理研究家による
日本酒に合うおつまみ実演や、
スペシャルゲストによる
トークショー&クイズ大会のほか、
全国各地のイベント会場をリポートし
鏡開きからカウントダウンが始まって
19時にオンラインで全国一斉
「日本酒で乾杯!」を行う予定。

なかでも、とくに注目なのが、
スペシャルゲストとして登場する
女優の武田梨奈さん。

彼女は、人気ドラマ「ワカコ酒」の
主演女優です。

当作品は、
2015年(平成27年)から続く、
今年でシーズン6を迎える
人気ドラマで、
実際の飲食店を舞台に
実際の日本酒銘柄が登場する
ドラマ仕立ての情報番組
といっていいのかも知れません。

日本酒と料理の相性や
ドラマ現場での裏話が聞けそうです。

「日本酒で乾杯!」
オンラインイベントは
自由に参加できるので、
お時間がある方は、是非。

また、さまざまな地域に根ざした
「日本酒の日」イベント開催も
多数計画されています。

10月1日に「日本酒の日」を制定した由来と、それを一気に広めた「乾杯条例」。

「日本酒の日」が
10月1日に制定された
そもそもの理由は
“酒造元旦”にあります。

現在、日本酒の酒造年度は、
7月1日から翌年6月30日ですが、
1964年(昭和39年)以前は、
その年に収穫された新米で
酒造りを始める
10月を1年のスタートとして、
翌年9月30日までが酒造年度でした。

日本酒の蔵元では、
昔から年度初日の10月1日を
“酒造元旦”として祝い、
神社に参拝して
1年の醸造安全を祈願。

そうした
大切に守り続けてきた
伝統の日である“10月1日”を、
「日本酒の日」という
特別な記念日に制定して、
後世へと語り継ぐことの決意が
込められているということです。

もうひとつの理由が、
干支の“酉(とり)”です。

この“酉”は、
酒壺を表した象形文字から
生まれたもので、
“酒”という漢字の部首は、
つくりの“酉(ひよみのとり)”。

“酉”は12年に一度巡ってくる
十二支のひとつであるとともに、
1年の各月に割り当てた場合、
10月を指します。

この時期、
秋の五穀豊穣に感謝して
秋祭りなどを開催して、
神と酒を酌み交わす習慣が
ありました。

また、10月は旧暦の“神無月”で、
新酒を醸す月という意味で
“醸成月(かみなしづき)”
とも呼ばれ、
古くから“10月は日本酒の月”と
考えられていたことが、
「日本酒の日」制定に
大きく関わっています。

「日本酒の日」制定以降、
10月1日には、
厳かで神聖な行事が主目的の
鏡開きや振舞酒などの式典を中心に、
関係団体でお祝い行事が
執り行われてきました。

その厳かな行事を
一歩先に進めたのが、
2004年(平成16年)の
「日本酒で乾杯推進会議」
の発足です。

”日本酒で乾杯”を
キャッチフレーズに、
日本酒を通して
日本文化を広く啓発することを
目的とした積極的な活動は、
やがて地方自治体が公布する
「乾杯条例」の制定へと
繋がっていきました。

「日本酒の日」の目玉は、
9月9日に解禁されたばかりの
“ひやおろし”。

寒い時期に醸造して、
ひと夏熟成させ、
秋口に入って、
ほど良い円熟味をおびた
“ひやおろし”は、
格別の味わいです。

ぜひ、「日本酒の日」に
菊正宗の“ひやおろし”を
ご賞味ください。

9月23日は「秋分の日」。この日辺りから、熱燗が恋しい季節に。

実は、“秋分の日”は昼と夜の時間が同じ…ではありません。

現在、私たちは
“新暦(太陽暦/グレゴリオ暦)”
によって日々の生活を送っています。

これは地球が太陽の周りを
約365.24219日かけて1周する
公転周期を1年とする考え方に
基づいた世界の基準で、
小数点以下の誤差を
4年に一度の閏年で調整。

それでも生じる微少な誤差は、
“400で割り切れない
100の倍数年は平年扱い”により、
さらに調整されます。

直近だと、2100年は本来、
閏年にあたりますが、平年扱いに。

この微調整により、その誤差は
10000年に3日ほどのズレという
驚きの正確さとなります。

改暦される前の
“旧暦(太陽太陰暦/天保暦)”は、
地球が太陽の周りを1年かけて
公転するのは“太陽暦”と同じですが
当時の1カ月の基準となるのは、
新月から次の新月までの
月の満ち欠けです。

つまり、新月の日を月の最初の日
(朔日)と定めましたが月の周期は
約29.5日なので、1年は約354日に。

そこで、暦と季節のズレが
約ひと月分に近くなると、
閏月を入れて1年を13カ月で
調整していました。

平均して19年に7回程度の割合で
閏月が設けられたとのことです。

この暦と季節のズレを正す
手がかりとなったのは
“二十四節気”です。

古代中国では、すでに
確立されていました。

それが日本に伝わったのですが、
温暖気候の日本と
大陸気候の中国とでは、
やや季節感が異なるため、
制定する際に日本らしい補足説明を
盛り込みました。

とくに、ひとつの節気を3等分した
“七十二候”では、日本独自の
季節感が色濃く反映されています。

この“二十四節気”で、とりわけ
重要なのが、“夏至”“冬至”の
二至と、“春分”“秋分”の二分を
併せて“二至二分(にしにぶん)”で
これらは、太陽の位置や昼夜の長さに
基づくもので、世界中どこも同じで、
過去も現在も同じ不変な節気で、
ほかの節気などを決める
基準になります。

ご存知のように、“夏至”は
昼の時間がもっとも長く、“冬至”は
逆に夜の時間がもっとも長い日です。

そして、“春分”“秋分”は、
昼夜の時間が同じとされていますが、
実際は昼の時間が10分ほど長いのを
ご存知でしょうか。

これは、太陽の光が地平線に出た瞬間
を“日の出”、太陽が地平線に
沈みきった瞬間を“日の入り”と
定めているためです。

本来なら、太陽が地平線に沈み始めた
瞬間を“日の入り”とすれば
昼夜の時間は同じになります。

つまり、太陽1個分の動く時間だけ
昼が長くなる計算です。

一方、日付に紐づいた七夕や
お盆などは“旧暦”“新暦”で、
どうしても時期のズレが生じます。

そのズレを調整するために、
2011年(平成23年)、
日本気象協会により、
現在の気候に合わせた
“21世紀の二十四節気”制定に向けた
取り組みが行われましたが、
これまでに定着してきた
微妙な季節感を混乱させるとして、
翌年にはその計画が中止に。

この取り組み以前から、
昔のままの“二十四節気”との
共存を表す言葉として、
ニュースでよく耳にする
“暦の上では…”という前置きが
使われています。

意外と、そっちの方が
しっくりとくるのかも知れません。

「秋分の日」は、祖先を敬い、亡くなった人を偲ぶ日です。

この“二十四節気”で、
とても重要な役割ともいえる
“夏至”“冬至”
“春分”“秋分”なのですが、
祝日なのは
“春分”“秋分”のみです。

「春分の日」「秋分の日」ともに、
1948年(昭和23年)に制定された
「国民の祝日に関する法律」で
規定されました。

さらに遡って、1927年(昭和2年)に
制定された「休日ニ関スル件」に
規定されていた“春季皇霊祭”
“秋季皇霊祭”が、
それぞれ改称されたものなのです。

この“皇霊祭”とは、歴代の天皇、
皇后両陛下を祀る儀式のこと。

“彼岸”に由来する儀式で、
宮中行事として特別大きな行事
ということもあり祝日となりました。

この由来となった“彼岸”には、
極楽浄土やあの世という
意味があります。

極楽浄土は西の彼方にあり、
太陽が真東からのぼって真西へ沈む
「春分の日」「秋分の日」は、
この世(此岸)とあの世(彼岸)が
通じやすい日と考えられ、
先祖供養をするようになりました。

また、別のとらえ方として、
「春分の日」には、春の訪れを祝って
自然をたたえ、生物を慈しむ日という
意味があり、一方、「秋分の日」は
祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶ日
という意味合いが強いとされています。

“夏至”“冬至”には、
こうした行事に関わる背景がないため
祝日にはなっていません。

“暑さ寒さも彼岸まで”という言葉で
表現されるように、「秋分の日」
を境に気候は秋めいてきます。

とくに朝夕、
めっきり涼しくなるこの季節は、
熱燗が恋しくなる季節ともいえます。

9月19日は「敬老の日」。菊正宗のサプライズギフトは、いかがですか。

日本の“平均寿命”は、世界第1位。近代になり、長寿化は一気に加速。

2022年に世界保健機構(WHO)が
発表した世界の
長寿国ランキングによると、
“平均寿命”がもっとも長い国は
日本で84.3歳。

これは2019年の
数値に基づいたランキングで、
加盟国194カ国が対象です。

男女別だと、男性は第2位で81.5歳、
女性は第1位で86.9歳となっています。

よく間違われるのですが、
“平均寿命”とはその年に生まれた
0歳児の余命を予想した数値です。

ヨーロッパ地域の平均は78.2歳、
アメリカは77.2歳、
西太平洋地域は77.7歳など、
“平均余命”は
どんどん長くなる傾向に。

これが、人生100年時代と
いわれるゆえんです。

あと何年生きられるのかを知るのには
“年代別平均余命”の数値の方が
現実的といえます。

働き盛りの40歳の“平均余命”は
男性が42.57歳、女性が48.4歳、
“還暦”を迎える60歳のときは
男性が24.21歳、女性は29.46歳、
さらに80歳のときは男性が9.42歳、
女性は12.28歳。

それぞれ算出基準の年齢に
“平均余命”を加えた数値が
“平均余命”で、年齢とともに
“平均余命”は増える傾向に
あることが分かります。

さて、過去の“平均寿命”を
紐解いた文献によると、
縄文・旧石器時代が15歳前後、
古墳・弥生時代が10~20歳代、
飛鳥・奈良時代が28~33歳、
平安時代は30歳、鎌倉時代が24歳、
室町時代は15歳前後、
安土桃山時代は30歳代、
江戸時代は32~44歳、
そして明治・大正時代は44歳前後。

江戸以前は過去を遡るにつれ、
記録があいまいで、
今のように厳格な戸籍制度が
確立していなかったので、
生まれた子供の数が
把握できていなかったり、
時代によっては
貴族だけで割り出していたり、
古い時代になると
人骨の推定死亡年齢から割り出すなど、
調査方法などはバラバラ。

とはいえ、ひとつの基準としては、
かなり興味深いデータともいえます。

近代になってからの“平均寿命”は、
終戦直後の1947年(昭和22年)が50歳
1951年(昭和26年)に60歳、
1971 年(昭和46年)は70歳、
2013年(平成25年)は80歳です。

これほど“平均寿命”が
一気に伸びた理由は、
乳幼児の死亡率の低下が大きく、
さらに医療の進化、食生活の変化、
生活環境の改善、
健康への意識などがあげられます。

つまり、非難されがちな高齢化社会は
何よりも時代の進化の
賜物といえるのです。

ちょっと悩ましい、「敬老の日」の対象年齢。

そんな高齢化社会において、
その役割が高まっているのは
「敬老の日」なのかもしれません。

今年の「敬老の日」は、
9月19日(第3月曜日)で、
“多年にわたり社会につくしてきた
老人を敬愛し、長寿を祝う日”
という趣旨が祝日法
(国民の祝日に関する法律)に
定められています。

この趣旨に深い意味が
詰まっているような気さえします。

ここで、ちょっと悩ましいのが、
「敬老の日」の対象年齢は
いくつかという点。

何歳からという決まりは、
もちろんありませんが、
最近は“還暦”を過ぎても
元気で健康的な若い印象の方も多く、
年齢で老人と決めつけられることへの
抵抗も少なからずあるようです。

かつては、“還暦”を迎えた
60歳の以降を老人とみなし、
会社の定年も60歳を
節目としたところが多く、
長寿祝いも“還暦”からスタートして
“古希(70歳)”“喜寿(77歳)”
“傘寿(80歳)”“米寿(88歳)”
“卒寿(90歳)”“白寿(99歳)”と
続くのが一般的です。

ところが、健康寿命が伸びたことで、
会社の定年や年金受給開始が
65歳以上に引き上げられ、
老人福祉法での老人は
65歳以上と定められ、
世界保健機構(WHO)でも
高齢者を65歳以上と
定義していることもあり、
老人は65歳以上という説が
有力視されるようになりました。

こうした背景を受けて、いち早く、
2002年(平成14年)、
長寿祝いに加わったのが65歳を祝う
“緑寿(ろくじゅ)”です。

年金受給開始、定年退職する人が
増加する年齢にあたり、
長寿祝いで労いと感謝を
伝えるという目的で
日本百貨店協会が制定しましたが、
ブームになるほどの
浸透はしていないようです。

これらの年齢に基づく
老人の定義とは別に、
間柄による老人の定義があります。
孫が生まれておじいちゃん、
おばあちゃんになるということで、
例えば、20歳で生まれた子が、
20歳で子供を産んだ場合、
40歳のおばあちゃんやおじいちゃんに。

老人と呼ぶにはほど遠い年齢ですが、
孫が生まれた喜びの方が勝るようで、
こちらの場合は、
結構すんなりと受け入れられる
ケースが多いようです。

菊正宗では、
「敬老の日」のギフトとして
「思いを伝える ネオカップセット」を
ご用意しています。

180mLの飲みきりサイズの
ネオカップを5種類20本揃え、
それぞれの蓋にひと文字ずつ貼付。

届いた箱を開くと、
“これからもお元気で🖤
飲みすぎ注意1日1本!”の
文字が読み取れる嬉しい仕掛け。

1日1本飲んだとして、
約3週間にわたって喜びが持続する
サプライズ感のある贈り物です。

これならば、年齢に関係なく、
誰もが嬉しい「敬老の日」の
お祝いになること請け合いです。