端午にまつわる深いお話。

厳しい景観条例の京都。こいのぼり掲揚の許可は?

連日、多くの観光客で賑わう京都市街。

街中各所に垣間見える
伝統的で雅やかな情景が、
この街に人を惹き付ける
魅力のひとつとなっています。

この京都ならではの雰囲気を
醸している背景には、
景観条例に則した徹底した街づくり
があるのをご存知でしょうか。

景観条例を最初に施行したのは
石川県金沢市で1968年(昭和43年)。

都道府県では1969年(昭和44年)
の宮崎県が最初とされ、
全国にじわじわ波及しはじめました。

景観保護に対する行政の意識を
決定づけたのは、2005年
(平成17年)の景観法の制定です。

それまで強制力のない実施目標
というところも多かったので、
この機を境に無秩序な建設は
控えられることになりました。

そんな景観に対する
意識がもっとも高く、
日本で一番厳しいとされるのが
京都市の景観条例です。

古い伝統を有する建造物が多い京都は
、旧市街地型や山並み背景型、岸辺型
などのいくつかの美観地区エリアに
分けられ、それぞれの町並みの
風情や眺望景観を保護するために、
建築物の高さや建築デザイン、
屋外看板など、厳しい基準が
設けられています。

建築物についての高さ制限はもちろん
のこと、屋根の形や勾配、色彩など
細かい規定が設けられ、
広告についても屋上看板や
電飾系の禁止、壁面掲示にも
細かい指示されています。

さまざまな大手チェーン店の
屋外への看板掲示についても、
大きさや色彩の変更を
行わなければなりません。

本来、企業ロゴは色や形について、
各企業が細かく規定しているもの。

ところが外資系も含め、
各企業とも景観条例に沿った
カラーリングを施しています。

鮮やかな赤をシックな茶色に
置き換えるなど、京都でしか
観ることができないさまざまな色の
看板は街中に融け込み、
新しい文化を創り上げている
といっても良いでしょう。

ここで頭をよぎったのは、
ひとつの疑問。

これだけ厳しい景観維持の
京都市内において、
「こどもの日」に鯉のぼりを
上げて良いのかということ。

伝統的な行事に対して条例は
適用されるのでしょうか?

悩ましいところです。

結論からいうと、伝統的というより、
鯉のぼりそのものが屋外広告物に
該当しないため、広告案内などが
書かれていなければOKとのこと。

祭の案内看板なども
屋外広告物にあたらないので、
掲示の際の許可申請は
不要のようです。

厳格なだけではない、
住みやすさへの十分な配慮
はきっちりと残されています。

本家・中国の「端午節」は、6月7日(旧暦5月5日)。

さて、この「鯉のぼり」、
鎧兜や柏餅、ちまきなど「こどもの日」
につきもののひとつですが、
これらが一緒になったのは
同時期ではありません。

こどもの日は「端午の節句」と呼ばれ
、もともと中国発祥の“端午”から
きている行事で、中国から日本に
伝わった後、旧暦と新暦が入り交じって、
現在の日本の様式に落ち着きました。

その由来や経緯を、
少しひも解いてみましょう。

由来となる中国の端午は
「端午節」と呼ばれ、
2019年は6月7日(旧暦5月5日)。

「端午節」は、春節、中秋節に並んで
、中国の三大伝統節句の
ひとつとなる祝日です。

“端”には“はじめ”という意味があり、
“午”は、十二支を各月に
あてはめた時の5月のこと。

それを組み合わせて、「端午」は
“5月の初旬”を意味しています。

諸説ありますが、一般的に
中国・楚(紀元前3世紀頃)の
詩人“屈原”の命日である
5月5日に彼を慕う人々が、
彼が身を投げた川に“ちまき”を
投げ入れて供養したことが
起源とされるのが有力な説。

現在でも、この日は、彼を助けるため
に船を出した故事にちなんで
龍船(ドラゴンボート)の競漕が
中国各地で行われ、ちまきを食べたり
、ヨモギや菖蒲の葉を
飾る習慣があります。

「端午」が日本に伝わったのは
奈良時代。

当初、宮中行事であったものが、
鎌倉時代になり、“菖蒲”が“尚武”
に通じ、葉の形が刀剣に似ている
ことから、男の子の節句へと変遷。

鎌倉時代を境に、日本独自の風習
として定着しはじめます。

鎧兜や刀、武者人形や金太郎、
武蔵坊弁慶を模した五月人形
などの段飾りはこの頃からの風習。

鯉のぼりは江戸時代になってから
関東の風習として広まり、
やがて京都や上方へと伝わりました。

鯉のぼりを上げるのは日本独自の文化
ですが、由来そのものは中国が起源。

中国・黄河の“竜門”と呼ばれる滝を
登ったのが鯉で、登り切った鯉が
竜になったという故事が元になって、
男の子の出世を願う意味を込めて
鯉のぼりを庭先に
上げるようになりました。

芸能オーディションなどで
耳にする「登竜門」も
同じ故事からの引用です。

柏餅を食べるのも日本独自のもので、
柏は“神様が宿る木”とされ、
新芽が出るまで
古い葉が落ちないことから、
“家系が絶えず、後世に続く”
縁起物として広まりました。

ちまきについても、いわゆる
“中華ちまき”ではなく、
餅を菖蒲の葉で包んだものが
“ちまき”として定着しました。

そして「端午の節句」が
「こどもの日」となったのは、
1948年(昭和23年)に
制定されてからのことです。

ちなみに、日本での「端午の節句」
は、新暦、旧暦ともに5月5日で、
人日、桃の節句、七夕、重陽と並ぶ
五節句のひとつに数えられます。

中国から伝わった文化は、
日本の習慣をなぞるように
独自の変化を遂げています。

この先、よりグローバルな時代に
なった時、「端午の節句」は
どのように変わっていくでしょうか。

それはそれで、歓迎すべき
新しい時代の幕開けともいえます。