ラッピングトレイン「Go!Go!灘五郷!」。静かな話題になっています。

楽しさ満載のラッピングトレイン
「Go!Go!灘五郷!」は、
今日も走っています。

突然ですが、
もう「Go!Go!灘五郷!」を
ご覧になられましたか…といっても、
何のことか判らないですよね。

「Go!Go!灘五郷!」とは、
大阪-神戸間を結ぶ
阪神沿線に広がっている
日本酒の一大産地
“灘五郷”があることを
PRするために、
阪神電車の車両に装飾した
ラッピングトレインの名称です。

正しくは、灘五郷酒造組合、
神戸市、西宮市、
阪神電気鉄道の4者で構成する
「灘の酒蔵」活性化プロジェクト
実行委員会が推進する
プロジェクト活動の総称が
「Go!Go!灘五郷!」で、
その活動の一環となるのが
同じ名前を冠する
ラッピングトレイン。

言うなれば
「Go!Go!灘五郷!」号
といったところでしょうか。

文化庁の日本遺産に認定されている
“灘五郷”は、今でも昔ながらの
板塀の酒蔵が連なる場所が点在する
風情豊かなロケーションが魅力です。

昔にタイムスリップしたかのような
景観に加え、いくつかの酒蔵には、
その蔵の歴史を伝える記念館や博物館
が併設されている所も多く、
軽い運動を兼ねた散策には
もってこいのスポットといえます。

「Go!Go!灘五郷!」は、
2020年10月13日(火)から
運行を開始しており、これから
約2年間継続される予定です。

実は今回の
ラッピングトレインの運行は第2弾。

車体を彩るイラストを手がけたのは、
2017年10月~2019年11月まで
約2年間にわたって運行した
第1弾と同様、
大阪在住のイラストレーターの
山口哲司氏で、彼によると
“絵のタッチを少し柔らかくし、
日本酒や酒蔵を印象的に描きました。
また、季節にあわせてお酒と食を
味わう猫たちも描いています。
「乗れば、灘の酒が恋しくなる」
そのように楽しんでもらえると
嬉しいです”とのこと。

車両デザインのテーマは
「四季折々の日本酒の楽しみ方」。

「Go!Go!灘五郷!」は
6両編成で、先頭車両と最後尾車両に
あしらわれているのは
酒蔵と酒に関する道具類で、
はさまれた4両は
春夏秋冬を表すイラストで構成。

5両目の春は「花見酒」、
4両目の夏は「涼み酒」、
3両目の秋は「ひやおろし」、
そして2両目の冬は「しぼりたて」と、
季節に応じた日本酒の楽しみ方を
可愛い猫のイラストレーションで
表現しています。

また、第1弾で好評だった
ミニチュアの菰樽がついた吊り革を
1両あたり8本を配し、座席側面の
「Go!Go!灘五郷!」ステッカーなど、
乗車中も楽しめる
灘五郷一色の列車となっています。

 

市民権を得た“鉄ヲタ”。
なかでもラッピングトレインは、
“撮り鉄”に人気。

ラッピングトレインは、
鉄道マニアにも、
かなり高い人気があります。

余談となりますが、
昔ながらの鉄道マニアは、
いつの頃からか鉄道オタク、
通称“鉄ヲタ”と呼ばれるようになり、
やがて鉄道写真を撮る“撮り鉄”や
乗車することが目的の“乗り鉄”、
鉄道関連の音(走行音、
発車メロディ、車掌アナウンスなど)
を録音して楽しむ“録り鉄(音鉄)”、
電車でGO!などの鉄道に関する
ゲームを楽しむ“ゲーム鉄”など、
その嗜好性はより幅広く細分化され、
鉄道オタクを題材にした
映画やアニメが公開されたり、
テレビのバラエティ番組等で、
大物俳優やタレント、アイドル、
ミュージシャンなどが“鉄ヲタ”ぶりを
カミングアウトするにつれて
市民権を得るようになりました。

新型コロナ禍で、
新しく加わったのが“グー鉄”です。

これは鉄道に興味を持つ参加者が
パソコンを通してリモートでつながり、
“○○線”などの鉄道路線を
お題として設定。

グーグルマップのストリートビューで
その路線の沿線を
クリックで移動しながら、
そこに映り込んだ鉄道車両の
もっとも“映える”キャプチャーを
撮って披露し合うというものです。

いわば“撮り鉄”の進化系
といったところでしょうか。

「Go!Go!灘五郷!」については、
やはり“撮り鉄”の独壇場でしょうか。

内装を楽しむという点では
“乗り鉄”の興味も
惹くのかもしれません。

「Go!Go!灘五郷!」に使われるのは
急行系車両の阪神1000系電車。

普段の一般的な車両の姿を
漏れなくカメラに納める
“撮り鉄”にとって、
運行本数が少なく期間が限られている
レア度の高い観光列車やイベント列車と
同じ位置づけのラッピングトレインは
興味津々の撮影対象といえます。

“撮り鉄”のあるあるネタですが、
田舎のローカル線の
ラッピングトレインは、
ほぼ乗ることができないそうです。

運行本数が少ないことに加え、
ベストショットを狙うため、
乗っている時間がないとのこと。

魅力いっぱいの「Go!Go!灘五郷!」は、
ほぼ毎日数本が運行され、
それが約2年間継続されるので、
“撮り鉄”にも存分に乗車して
楽しんでもらえそうです。

また、“灘五郷”が沿線にある
阪神本線(大阪梅田~元町)にとどまらず、
阪神なんば線(尼崎~大阪難波)や
神戸高速線(元町~西代)、
さらに相互乗り入れ等により、
山陽電鉄線(西代~山陽姫路)や
近鉄線(大阪難波~近鉄奈良)
でも運行が予定されているので、
阪神電車利用者は、かなりの確率で、
「Go!Go!灘五郷!」に出会えそうです。

夭逝の俳人「正岡子規」は、知る人ぞ知る無類の柿好き。

法隆寺

有名な“柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺”にまつわる物語。

“柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺”
という句は、
正岡子規が生涯で詠んだとされる
約20万句以上の俳句の中で
もっとも有名なもの
といえるでしょう。

この句の初出は、
1895年(明治28年)11月8日の
「海南新聞」での掲載です。

この句が誕生した背景には、
持病の結核が大きく関係しています。

後に子規と名乗る正岡常規
(つねのり/別名は升(のぼる))
が、故郷の松山から
政治家を志して上京し、
東大予備門(旧制一高の前身/
現在の東大教養学部)に入学し、
生涯を通じて友となる
夏目漱石と出会いました。

また当時アメリカから
入ってきたばかりの
“ベースボール”に熱中する
血気盛んな青年でしたが、
ある日突然の喀血。

その翌日、結核と診断されました。

1889年(明治22年)、彼が22歳の時のこと。

ちなみに、
自らの俳号を“子規”としたのは、
中国の故事で“血を吐くまで鳴く”
とされるホトトギスの
漢字表記を用いたもので、
喀血した直後から
“子規”を名乗りはじめます。

結核により、
政治家になる夢がついえた子規は
新聞記者になり、
周囲に反対されるなか、日清戦争に
連隊つきの記者として従軍。

しかし大陸に渡った2日後に
下関条約が締結。

日清戦争は事実上の終戦を迎え、
帰国の途に着いた
1895年(明治28年)5月、
子規は船中で喀血。

結核の再発です。

そのため、神戸須磨での療養を経て、
故郷の愛媛県松山に戻り、
約半年間の療養を
余儀なくされることとなりました。

故郷の松山では、
松山中学の教員として赴任していた
夏目漱石と約2ヵ月近く同居
していたそうです。

やがて病状が回復して東京に戻る途中
、数日間、立ち寄った奈良で
詠まれたのがこの有名な俳句です。

それと一緒に、

“渋柿やあら壁つゞく奈良の町”

“渋柿や古寺多き奈良の町”

“柿落ちて 犬吠ゆる奈良の 横町かな”

“奈良の宿 御所柿くへば 鹿が鳴く”

という、すべてに“柿”という言葉を
使った句が残っています。

また、
この句が詠まれた日にちなんで、
全国果樹研究連合会によって、
10月26日は「柿の日」
に制定されました。

後に子規の随筆「くだもの」で、
当時の滞在していた奈良の宿での
出来事が紹介されています。

それによると、宿屋の下女が
持ってきた御所柿を食べている時に
東大寺の釣り鐘の音が響いた
と記されていることから、
実際は法隆寺ではなく東大寺の
鐘の音ではないかという説や、
病み上がりということもあって、
そもそも法隆寺には行かなかった
という説があります。

また、この句を発表する2ヵ月前の
1895年(明治28年)9月、
同じ「海南新聞」に掲載されていた、
漱石の“鐘つけば銀杏散るなり建長寺”
という句に引きずられたのでは
という説もありますが、
当人たちがそれに触れることはなく、
どの説も定かではありません。

親友の夏目漱石も舌を巻いた、正岡子規の無類の柿好き。

子規の俳句には、
しばしば柿が登場します。

というのも、子規は無類の柿好きで、
“樽柿”を一度に7〜8個も食べる
のを常としていたとのこと。

“樽柿”とは、酒樽に渋柿を詰め、
樽に残ったアルコール分によって
渋を抜いた柿のことで、
どちらかといえば安物の柿。

また晩年には、
“我死にし後は
柿喰ヒの俳句好みしと伝ふべし
(私が死んだら、柿食いの
俳句好きと言ってほしい)”
という言葉が残っているほどです。

友人の夏目漱石の「三四郎」に
“子規は果物がたいへん好きだった。
かついくらでも食える男だった。
ある時大きな樽柿を
十六食ったことがある。
それでなんともなかった。
自分などはとても
子規のまねはできない。
…三四郎は笑って聞いていた。”と、
正岡子規の柿好きを
表した場面が登場します。

東京に戻った子規は、
1902年(明治35年)9月に
34歳で亡くなるまで、
ほとんどを病床に臥せって
過ごすことになりますが、
俳句や和歌に関する造詣は
より研ぎ澄まされ、
病床から旺盛な創作活動を
亡くなる直前まで続けました。

友人や門人たちは
子規の柿好きを知っていて、
こぞってお見舞いに送ったのが柿で、
それを食べ過ぎて腹をこわし、
医師から告げられたのが柿の断食。

それを知らずに届く柿のお見舞いを、
病床の周りで家族が食べる様子を
恨ましく思ったようで、
その時の心情を
俳句にしたためたものが
数多く残っています。

“柿くはぬ病に柿をもらひけり”

“我好の柿をくはれぬ病哉”

“胃を病んで柿をくはれぬいさめ哉”

“側に柿くふ人を恨みけり”。

柿好きの正岡子規にとって、
病気の苦しさもさることながら、
大好物の柿を口にできないことが、
さぞ悔しかったようで、
若くして死を迎えるまでの
数年間に詠まれた柿の句には、
その心情が見事なまでに
描かれています。

生活に大きな恩恵をもたらした柿の効能は、ある意味、万能です。

多岐にわたる渋柿の利用用途。
はるか昔から
庶民のくらしを支えていました。

渋柿の“柿渋”が、
平安の昔から現在に至るまで
数多くの用途に利用され、
社会や生活を陰ながら支えてきた
一部を、前のコラムで紹介しました。

そうした産業面での
柿渋の用途について、
少し詳しくひも解いてみましょう。

平安から脈々と利用されてきた柿渋は
、江戸時代に隆盛を極め、
江戸の町には、柿渋を売る
「渋屋」が何軒も軒を並べる、
いわば“柿渋通り”
のようなものが存在。

当時は、一部の寒冷地を除いて
日本全国に柿渋の生産地があり、
岐阜の美濃渋、京都の山城渋、
岡山の備後渋が“日本三大渋”
と呼ばれていました。

それから時代は流れ、
第二次世界大戦後になって、
数多くの石油化学製品の登場
に伴って、柿渋の需要が減り、
その多くが衰退。

現在は、京都の山城地区で
集中して生産されています。

柿渋は、春先の実が青くて
渋が多い時期に搾り、
自然発酵させ、
発酵後約2〜3ヵ月ほどで
熟成渋の成分だけを
抽出するのが基本です。

現在は、柿渋抽出の研究も進み、
酵母菌による発酵や
アルカリ系物質との化学変化、
発酵させない方法などにより、
無臭の柿渋がつくられるように
なりました。

そんな柿渋の主な役割は、
防虫、防腐、防水、薬など、
利用目的は多岐に渡ります。

昔から庶民の服を染める
染料をはじめ、
木材に塗って防水、
腐食の防止に利用。

現在でも建築資材に塗布して
シックハウス症候群対策として
使われています。

また補強材として漆器の下地塗り、
腰のある強度、防水目的で
和紙に塗って番傘や団扇に使用。

昔は多くの家で
柿渋をつくる習慣があり、
建具、木や竹の籠、
和紙を貼った木製籠、
漬物樽やタライ桶、
縄灰と混ぜて家の外壁塗装など、
生活の中にあるさまざまな道具の
防虫、防腐、防水、補強目的に
使われ、江戸の庶民のくらしを
支えてきました。

さらに、強度、防水用として
漁師の魚網や釣り糸に塗布。

海運業でも、木造船の船体に塗り、
防水、防腐、補強の
役割を担っていました。

日本酒の清澄剤(せいちょうざい)
にも柿渋が利用されていることは
以前にお伝えした通り。

最近では、携帯電話やスマホの基盤に
使用されている金を回収する際に、
金に柿渋を吸着させて回収する
研究も進められています。

また、
未来に向けた国際的な取組である
SDGs(持続可能な開発目標)
の観点から、柿渋を利用した
染料や漁船の船底塗料、
身近なところではレジ袋の代わり
となる紙袋の補強材など研究が
推し進められているとのこと。

時を経て、新型コロナウイルスや
ノロウイルスなど細菌に対する
不活性化効果があることが
発表されたこともあって、また再び、
自然由来の柿渋への注目が
集まっています。

 

“柿タンニン”の高い効果に加え、柿そのものの栄養価もかなり高い逸材です。

柿渋が身体にもたらす効果のひとつに
“収れん作用”があります。

これはタンパク質を変形させること
で細胞組織や血管を縮める作用で、
渋みを伴うことから、
アストリンゼント効果
とも呼ばれています。

“収れん作用”は
止血、鎮痛、炎症の抑止、防腐
などの効果があり、
化粧品や医薬品に用いられています。

また、ポリフェノールをはじめ、
タンニンやカテキン、
フラボノイド、カロテンなどの
さまざまな抗酸化物含有量は
柿渋100g中に3500mgと豊富。

緑茶230mg、赤ワイン300mgと
比較すると、10倍以上も
含有されていることになります。

そのためポリフェノールによる
悪玉活性酸素の作用を
抑える働きをはじめ、
タンニンによる
ウイルスや菌の増殖を抑える働き、
カテキンによる脂肪燃焼効果や
血中コレステロールを
低下させる働き、
血圧・血糖値上昇を
抑制する働きなど、
健康面への期待が高まる素材
といえます。

柿の果肉そのものにも
ビタミンAとCが豊富で、そのほか
カリウム、βカロテン、リコピンなど
の多くの栄養素を含んでいます。

柿のヘタはしゃっくり止め
などの漢方薬として利用。

さらに、柿の若葉には
ビタミンCをはじめ、
ビタミンKやB群、柿タンニンなどの
ミネラル分フラボノイドなどを
多く含み、血管を強くしたり、
止血作用があるとされ
“柿葉茶”など、民間療法として
古くから用いられてきました。

柿の葉に含まれるビタミンCは、
みかんの約30倍
にものぼるといいます。

また、殺菌効果を利用した
柿の葉寿司は有名です。

秋の味覚程度の認識しかなかった
柿について、調べれば調べるほど
その効果効能の幅広さや
長い歴史を支えてきた役割に
驚くばかりです。

「菊正宗 2020年冬季限定 可惜夜(あたらよ)」発売

360本の数量限定発売商品
「2020年冬季限定 可惜夜」を、
今年も冬季限定分として
11月12日に発売

商品名の「可惜夜(あたらよ)」とは
明けるのが惜しいほど素晴らしい夜
という意味です。

商品ラベルには、大正3年に
大阪画壇の美人画の名手とも呼ばれる
北野恒富により描かれた
菊正宗所蔵のポスター原画を
デザインに取り入れ、
美人画の女性に心奪われるような
魅力的な商品にという
思いを込めました。

上品な口当たりで、
味わいはすっきりとしながらも
ほのかにフルーティー。

冷やして飲むことを
お勧めいたします。

一口飲み、
味わいの余韻に浸りながら
少しずつ…。

後を引く美味しさに心を奪われる。

心のままに、
無垢なる味わいを妨げぬよう、
造りの詳細は非公開と致しました。

菊正宗が361年培ってきた
技術を礎とし、
研鑽を重ねた最先端が、
「2020年冬季限定 可惜夜」
です。

伝統的な醸造技術を
受け継ぎながらも、
そこに甘んじることなく
旨い酒づくりに精進する
心意気を詰め込んだ商品

 

柿の甘さは、渋柿にあり。ブランド品種の多さが、その需要を物語る。

柿の人気ブランドは甘柿の“富有”ですが、それに続くのは渋柿ブランド柿。

柿の年間の国内収穫量は
約22万5000トン
(出荷量約18万6000トン)、
輸入は
ニュージーランドの約7.5トンと
アメリカの約6.9トンだけなので、
ほぼ100%に近い国内自給率を誇る
果物のひとつに挙げられます。

ちなみに、主要生産国トップは中国で
、年間生産量約393万トン、
世界全体に占める年間生産量の割合は
約73%にものぼり、
日本とは桁違いの生産量に
驚きを隠せません。

柿の食べ頃ですが、一般的に、
柿の旬は10月から11月頃がピーク。

早生種なら9月半ば、
晩生品種は12月末頃まで
店頭に並びます。

人気品種ともなると、
収穫後に冷蔵保存され、
翌年2月頃まで
店頭に並ぶこともあるようです。

ただし、これは甘柿の場合で、
渋柿はそれより1ヵ月ほど前の
タイミングとなります。

柿は、甘柿と渋柿に大きく
分かれますが、詳しくは、
“完全甘柿”“完全渋柿”のほか、
種子が多くできると甘くなる
“不完全甘柿”、
種子の周りだけ甘く全体的に渋い
“不完全甘柿”と大きく4つに分類。

その4つの分類がさらに、
種の有無や早生晩生などの
特徴を持つブランド品種へと
細分化されます。

もっとも多くつくられているのが
“富有(ふゆう/甘柿)”で
柿全体の約25%を占めている
有名なブランド柿で
西日本を中心に栽培されています。

2位が“平核無(ひらたねなし/渋柿)”
で約17%。

“庄内柿”“紀の川柿”“おけさ柿”などと
地方によって呼び名が変わり、
炭酸ガスなどによって
柿渋を抜いて出荷されます。

3位は“刀根早生(とねわせ/渋柿)”で
約15%。

4位が甲州百目
(こうしゅうひゃくめ/不完全渋柿)
で生産量はグンと下がって約6%。

“蜂屋柿”“富士柿”“代白柿”“江戸柿”など、

その土地土地で名前が付けられています。

釣り鐘状のカタチをしているのが特徴です。

5位は“松本早生富有
(まつもとわせふゆう/甘柿)”。

名前の通り“富有”よりも
1〜2週間ほど成熟の早い甘柿。

渋みが非常に強いため
ほとんどが干し柿にされる
“市田(いちだ/渋柿)”、
“富有”と甘柿の双璧を成す
“早生系次郎(わせけいじろう/甘柿)”
“次郎(じろう/甘柿)”と続きます。

“富有はあごで食べ、
次郎は歯で食べ、
たねなしは舌で食べる”
といわれることがあります。

これは、“富有柿”は果肉が軟らかく、
“次郎柿”はやや硬めの果肉、
“平核無”はねっとりとした食感
をしている特徴を表した表現。

また、よく耳にする“あんぽ柿”は、
“蜂屋柿”“平核無”などの渋柿を
硫黄で燻蒸して乾燥させる
独特の方法でつくられた
福島県発祥の“干し柿”です。

 

渋抜きをした渋柿の糖度は、驚きの50度前後で甘柿の糖度を軽くしのぐ。

生産量トップこそ
甘柿の“富有”ですが、生つまり、
渋柿の需要が高いようです。

多くの渋柿は、
渋柿のエグい渋みを取ってから
の出荷となり、手間がかかりますが、
それを上回る美味さが
渋柿の魅力ということになります。

渋柿の渋みは、
どの柿にも含まれている
柿タンニンによるもので、
含まれる柿タンニンの量は
甘柿とあまり変わりません。

甘柿にも
柿タンニンは含まれますが、
熟成によって柿タンニンが
水に溶けなくなり、
渋みを感じることはありません。

一方、渋柿は熟成をしても
柿タンニンが水に溶け出し、
渋みが残ります。

渋柿は、その品種に適した方法で
渋抜きを行うことによって、
甘くなります。

代表的なものは乾燥させることで
渋を抜く“干し柿”が有名。

このほか、アルコールに漬けたり、
湯に浸けたり、
炭酸ガスで脱渋を行う方法、
なかにはりんごと
一緒の容器に入れて1週間ほど置く
渋抜き方法もあります。

また、意外な話ですが、
渋柿を天日干しにした
“干し柿”の糖度は50度前後
というから驚きです。

甘柿の糖度は16度前後で、
渋柿の渋みに
隠れている糖度は20度前後と、
もともとの糖度は渋柿の方が高く、
これを干すことで
水分と一緒に渋みが抜けて
糖度が50度にもなるのです。

甘柿を干しても
渋柿ほどの糖度は得られない
というから不思議です。

素人考えで、
渋柿より甘柿の方が甘い
と思っていましたが、
事実は異なったようです。

そして何より、
科学的な根拠もないなかで、
渋柿の渋みに果敢に挑んで
その渋さを克服し、
その先にある甘味を発見した
先人たちの努力は
計り知れない偉業といえます。

私たちの文化は、
こうした名もない方々の
努力の積み重ねで成り立っている
ような気がします。

次も柿に関するコラムを紹介します。