小さなマークに秘められた優れた機能性の「QRコード」は、世界基準。

「QRコード」は日本生まれ。
囲碁の棋譜をヒントに誕生しました。

私たちが日々、当たり前のように
使っている「QRコード」は
バーコードのひとつで、
驚くことに、
日本生まれの二次元コードです。

「QRコード」が開発されたのは
25年前の1994年
(平成6年)のことで、
自動車部品を製造する
デンソーの開発部門社員、
原昌宏さんによって“発明”された
生産効率の向上をめざした技術が
そのまま、私たちの生活に
溶け込んでいる事例の
ひとつといえます。

「QRコード」が開発された当時、
トヨタ自動車では、
“かんばん”と呼ばれる薄い鉄板、
プラスチックなどの“札表”という
手書きの管理帳票で、
部品在庫を最小限に抑える
管理手法を行っていました。

つまり、
トヨタ自動車の“かんばん”方式は、
“かんばん”を各工程で流通させ、
次工程で必要数とされる部品等を
タイムリーに管理する仕組みで、
省コストのジャストインタイム
生産システムとして、海外でも広く
“Kanban”という呼び名で
使われている方式です。

この“かんばん”が導入される前は
部品供給会社として
週に1回の頻度で部品を納入していた
デンソーでしたが、
“かんばん”導入後は
毎日もしくは日に何度も
在庫管理の帳票を書き直す
こととなりました。

そのため作業を効率よく行うために、
アメリカのスーパーマーケットの
商品管理に使用されていた
“バーコード”をいち早く導入。

ところが1992年(平成4年)に
自動車業界全体が多車種少量生産へと
大きくシフトされたことに伴って、
より多くの部品を
取り扱わなければならなくなり、
“バーコード”管理にも
支障が出るようになりました。

その問題のひとつが情報量。

多種の部品を判別するために、
より多くの情報が
必要となったことです。

そしてふたつ目が、
すばやく正確に読み取ることが
必要になりました。

読み取る量がそれまでの
10倍近くに増え、
1日に1万枚以上もの
“バーコード”を
読み取る必要があり、
この非効率な作業改善に
迫られていたといえます。

そんな悩みをかかえていた
ある日の昼休みのこと。

原昌宏さんは昼ご飯を終え、
いつものように
仲間と囲碁を打っていた際に、
閃いたのが「QRコード」です。

“バーコード”が横方向にしか
情報を持たないのに対して、
白黒の碁石の棋譜を見て
縦横に情報を持たせることが
できることに気付いたといいます。

そのヒラメキをベースに、
“情報量の多さ”
“素早い読み取り”
“少ない誤読”
“汚れやすい工場使用に対応”
などの課題を
一つひとつクリアした結果、
現在の「QRコード」が
誕生しました。

「QRコード」には、
バーコードとくらべて、
およそ200倍もの
情報量が格納され、
名前に使われている“QR”は、
その特長ともいえる
“Quick Response
(素早い読み取り)”の
頭文字を冠しているほど。

また、四角の3隅の
切り出しシンボルを配置したことで
全方向からの読み取りが
できるとともに、
「QRコード」面積の
最大30%が汚れたり、破損しても
自動的に復元読み取りが可能という
特長があるということです。

 

まだまだ可能性を秘めた「QRコード」。

これだけ優れた特長を持つ
「QRコード」が
短期間で広まったのには
理由があります。

デンソーは、
「QRコード」の特許を持つものの、
その利用インフラ整備を行うために、
あえて特許をオープンにし、
多くの企業の参加を促したことです。

それによって多くの企業で
「QRコード」が瞬く間に採用され、
さらにカメラ付き携帯電話や
スマホの普及もあって、
その利用裾野を
一気に拡大させることになりました。

「QRコード」は
買い物の支払いをはじめ、
コインロッカーの鍵代わり、
名刺やパンフレットへの貼付で
企業情報サイトへ、
商品への貼付で
キャンペーンサイトへなど、
簡単に誘導することも可能です。

「QRコード」の特性と
利用シーンを組み合わせれば、
無尽蔵の利用ができる
といっても過言ではないでしょう。

現在は、国の
キャッシュレス政策の推進もあり、
まさに“キャッシュレス決済戦国時代”
の様相で、各事業者が用意した
規格のコードが混在しています。

そうした複雑化を解消する
「JPQR(統一規格)」の導入も検討され、
ロゴやイラストを
「QRコード」上に配置した
デザイン性への配慮が行なわれたものや、
カラー化によって
情報量を格段に増やす試みも
進められているとのこと。

世界的な権威のある
「欧州発明家賞」の
一般投票で決定する
“ポピュラープライズ”部門で、
2014年(平成26年)に
「QRコード」が大賞を受賞。

囲碁から思いついた
遊び心のある発明が、
くらしを豊かにする、
実直な日本人らしい発明のひとつ
といえるのではないでしょうか。

「鏡開き」の日、関東は1月11日で、関西は1月20日。

関東と関西で異なる「鏡開き」の日と、その基準となる“松の内”明け日。

1月11日は日本記念日協会によって
認定された“樽酒の日”で、
これは、もともとあった
鏡餅を木槌で割って食べる
「鏡開き」の日に
由来するものということは、
今年最初のコラムで紹介しました。

実は「鏡開き」の日、関東と関西では
少々事情が異なります。

これには、
いささか説明が必要のようです。

まずは、“正月飾り”のお話から。

穀物の神様である年神様を
正月にお迎えするための
“正月飾り”の歴史は古く、
奈良時代から平安時代にかけて、
現在のような“正月飾り”の
スタイルがほぼ確立。

その代表格ともいえる
注連縄(しめなわ)や門松、
松飾り、鏡餅などは、
年神様がお正月にとどまる
“依り代(よりしろ)”
とされています。

これらの正月飾りは、
年神様が家に滞在する
“松の内”だけ飾られ、
“松の内”明けには、
それぞれのしきたりに沿って
片付けられます。

注連縄や門松、松飾りなどは、
1月15日に、
神社境内などに設けられた
“どんど焼き”や
“左義長(さぎちょう)”
と呼ばれる神聖な火に焼(く)べ、
灰を家の周りに撒いて
1年間の厄災を払い、
豊作や商売繁盛、家内安全、無病息災
、子孫繁栄を願うのが一般的です。

鏡餅は「鏡開き」の日に
木槌で割って、割ったお餅を
欠片も残さず食べることで、
神様から霊力を分けてもらい、
1年の良運を願います。

さて、ここからが本題の
「鏡開き」の日の
関東と関西の異なる事情ですが、
ズバリ「鏡開き」の日が
異なることです。

これは、元となる
“松の内”の日が異なるためです。

一般的に“松の内”は、
正月事始めとされる
12月13日からはじまり、
1月7日まで。

そして、「鏡開き」は
1月11日に定められています。

これは関東を中心に、
東北、九州など多くの地方でのこと。

一方、関西を中心とした地方では
1月15日までが“松の内”で、
「鏡開き」は1月20日。

ところによっては
“松の内”明けの15日、
また京都の一部では
“松の内”にかかわらず
三ヶ日が明けたら「鏡開き」を行う
地域もあるようです。

この関東と関西で
日にちが異なるのには、
ちゃんとした理由があります。

 

関東で“鏡開き”の日が、1月11日に定められた理由。

かつては全国的に、
“松の内”は15日までで、
「鏡開き」は“松の内”が明けた
1月15日もしくは1月20日に
統一されていました。

これは、武家の具足祝いを、
刀の“刃(は)”と
“柄(つか)”にかけて
“刃柄の祝い(はつかのいわい)”
転じて「二十日の祝い」と呼び、
20日に行っていました。

ところが江戸幕府三代将軍の
徳川家光が4月20日に亡くなり、
月命日の20日の祝い事を
避けるようになり、
“松の内”を7日までと
定めると同時に、
武家屋敷や商家が使用人や取引先に
お餅を振舞っていた
11日の“蔵開き”に
「鏡開き」の日を
合わせることとなりました。

これには別の説もあり、
1657年(明暦3年)の江戸での
“明暦の大火”の反省により、
燃えやすい松飾りや門松を
早めに片付けるために
“松の内”を早めたという
お話もあります。

余談ですが、
この“明暦の大火”の2年後の
1659年(万治2年)、
菊正宗が神戸・御影にて
創業を開始しました。

いずれにせよ幕府のおふれは
地方にまで届かず、関西では、
もともとの“松の内”が15日までで、
「鏡開き」が1月20日という
慣習が残ったとも伝えられています。

鏡餅の飾り方も、
関東と関西では少し異なります。

餅と橙(だいだい)に、
干し柿を串に刺した
“串柿”を挟むのが関西の習わしで、
関東に住む人からすると
少し違和感があるようです。

柿は、喜びが来るという意味で
“嘉来(かき)”という字をあてた
語呂合わせ。

鏡餅は八咫鏡(やたのかがみ)、
串柿は天叢雲剣
(あめのむらくものつるぎ)、
橙は八尺瓊勾玉
(やさかにのまがたま)を
象徴した正月飾りで、
古来より伝わる
三種の神器を表している
という説もあります。

いまは情報が瞬時に伝わる時代。

それにくらべて昔は伝達が遅く、
もともとの関西の習慣が残され、
いまだその伝統は
統一されることなく、
地域の文化が尊重されて
ずっと守られているという
ひとつの例です。

こうした文化の継承は
末永く残したいものです。

1月16日は、「禁酒の日」。この日だけは、飲む量を少し控えましょ。

日本の「禁酒の日」と深い関係がある、アメリカの“禁酒法”。

1月16日は「禁酒の日」。

100年前の1920年
(大正9年)1月16日に、
アメリカで“禁酒法”が
施行されたことに由来する
日本だけのローカル記念日です。

アメリカの禁酒法施行日が、
なぜ日本の「禁酒の日」
になったかは定かではありませんが、
歴史的にも有名な法律だったことが
影響しているようです。

とはいえ、
“この日は飲酒を控えましょう”
という日なので、
酒類メーカーや酒類販売店で
「禁酒の日」キャンペーンという
イベント展開は難しく、
あくまで、個人の実施目標としての
記念日に位置づけられている
といえるでしょう。

「禁酒の日」の元となった
アメリカの“禁酒法”は、
悪評高い法律とも
いわれています。

キリスト教プロテスタントの
ピューリタン(清教徒)の影響を
強く受けたアメリカでは、
飲酒に対する批判が根強く、
20世紀初頭までに
18の州で“禁酒法”を施行。

それがアメリカ全土に及んだのが
1920年の“禁酒法”施行で、
飲料用アルコールの製造・販売が
全面的に禁止となりました。

この法律が悪法といわれたのは、
本来取り締まるべき飲酒そのものを
規制していなかったため、
非合法な酒場が街に乱立。

身体に悪い密造酒が横行して
死亡事故が多発し、
ギャングの資金源となるなど、
法律施行時当初の想定とは
真逆の結果となり、
1933年(昭和8年)に
法律は廃止されることになります。

“禁酒法”施行の約13年間で
徴収されるはずだった
約5億ドル(約3000億円)の
酒税が失われたことで、
アメリカ政府の財源は逼迫。

また、1万5千軒ほどだった
ニューヨークの酒場は、
“禁酒法”施行に伴って
倍以上の約3万軒を越える
無許可バーへと変わり、
ここで飲まれた酒量は
以前の10%も増加。

それまでの酒の製造、販売は、
ギャングやマフィアの手に渡り、
彼らは巨万の富を
手にすることになります。

後に、理想のみで現実を直視せずに
つくられた法律だったことから、
“高貴な実験
(The Noble Experiment)”
と揶揄されました。

この“禁酒法”の暗黒時代は、
映画の舞台としても
格好の題材となり、
「アンタッチャブル」では、
アメリカン・ギャングの
アル・カポネ、
「コーザノストラ」では、
イタリアン・マフィアの
ラッキー・ルチアーノ、
「ゴッドファーザー」の
ドン・コルレオーネのモデルとなった
ヴィト・ジェノヴェーゼの
暗躍が描かれています。

マリリン・モンローが主演した
「お熱いのがお好き」も
“禁酒法”時代を舞台に
展開される名作です。

 

世界各国、いまだ禁酒令が敷かれている地域も。

悪名高い“禁酒法”廃止以降、
連邦レベルでの
全面的な禁酒を定めた法律は
存在しませんが、
州によっては
禁酒条例を定めている所もあります。

現在も、
アメリカ合衆国の南東部を中心に、
数百にもおよぶ禁酒郡があり、
さらに小規模な市町村単位で
酒類販売を禁じている禁酒地域も
数多くあります。

また、北欧諸国では20世紀初頭頃に
デンマークを除いたそれぞれの国で
禁酒令が施行された歴史があり、
現在もアルコール飲料の販売を
専売制によって
厳格に管理しているとのこと。

ロシア帝国でも20世紀初頭に
限定的な禁酒令を導入。

中東のイスラム諸国の中には、
コーランの教えに背くとして
アルコールを禁じている
国もありますが、
国ごとに規定の範囲や認可制など
さまざまです。

日本での最初の禁酒令が
発令されたのは646年(大化2年)。

それ以降、幾度かの禁酒令の発布や
酒造制限が行われてきました。

多くの国での禁酒令は、
おおむね宗教上観点としての
理由が多く、
国民の理解を得ずに計画性のない
強い禁酒令を施行した国では、
逆の効果になっているケースが多い
というのも事実です。

1月16日は「禁酒の日」、
毎日晩酌されている方や
正月に深酒をし過ぎた方は、
“休肝日”もしくは
飲む量を少し減らしてみるのも一考。

身体を休めた後の、
美味しい一杯も格別です。

1月11日は、「樽酒の日」と「成人の日」。どちらも“いい日”この上なし。

菊正宗 鏡開き

「樽酒の日」には、菊正宗の「樽酒」で乾杯。

1月11日は「樽酒の日」、
2009年(平成21年)に
日本記念日協会によって
認定されました。

これは、もともとあった
毎年1月11日に、お供えの鏡餅を
木槌で割って食べる
“鏡開きの日”に
由来するものです。

酒樽の上蓋を“鏡”と呼び、
酒樽の割って開けることも
“鏡開き”ということから、
どちらも、
無病息災や心願成就を祈願して
執り行なわれる行事
とされているため、
奈良の酒造メーカーによって制定され
、記念日認定へと至りました。

この酒造メーカーによると、
11日を“いい日”と読むことができ
、“いい日に、樽酒”
と書き綴られ、
一方、日本記念日協会が
認定に至った経緯として、
“祝いの宴、喜びの場で
酒樽の蓋を威勢良く開ける鏡開き。
良いことがあったら、
良いことがありますように
との思いから
樽の酒をふるまい飲み交わす
この風習を伝えるために認定した”
との説明が添えられています。

樽酒を飲みたくても、
なかなか酒樽の鏡開きに
出会う機会は、そうありません。

とはいえ、樽酒の最大の魅力は
その香りで、日本酒の芳醇な香りが
杉や桧の清々しい木香を纏うことで、
爽快な芳香となります。

また、樽の中で寝かすことで
さらにまろやかな口当たりとなり、
深いコクが生まれるのです。

昔は江戸への下り酒を送る際に、
杉樽や桧樽に仕込んだ酒を
詰めて運んでいたため、
江戸の町に届く頃には
樽の木香が酒に移り、
もともと旨い灘の酒が
格段に旨くなると評判に。

しかし、現在は正確な温度管理や
清潔さを保つホーロータンクが
主として使われているため、
木香が移ることはありません。

菊正宗の代名詞ともいえる
「樽酒」は、
生酛造りで醸した辛口酒を
四斗樽(よんとだる)に詰め、
吉野杉の香りが程良くお酒に移る
飲み頃に取り出して
瓶に詰めて出荷しています。

社内に樽ファクトリーを設置し、
とりわけ香りの良い吉野杉を使って
酒樽を生産しているため、
いつも清々しい木香が香り立つ
「樽酒」をお届けできるのです。

 

 

いつもとは異なる特別な「成人式」。
いい思い出づくりはしたい。

もうひとつの1月11日の
“いい日”は「成人式」なのですが、
こちらも新型コロナ禍により、
いつもとは行事内容が異なります。

例年ならば、
スーツや振り袖に身を包んだ
初々しい新成人の話題とともに、
一部のルールを無視した
不届き者のニュースも
一緒に届きますが、
今年はそれどころではない
事態ともいえます。

さて、例年とは異なる
「成人式」ですが、
悩ましいのは各市区町村によって
対応がまちまちという点。

これは、
感染が拡大している地域と、
感染が横ばいもしくは
減少傾向にある地域とでは、
その対策に差が出るということです。

また、大きな会場が
確保できる地域であれば、
防護対策も万全にとれる
という利点もあります。

人生に一度の機会ということあり、
市民からの開催要望もあるようで、
行政側としてはできる限り
開催の方向で調整しています。

もちろん、どの市区町村も、
クラスターを発生させないように、
ソーシャルディスタンスがとれる
席配置や換気対策、
アルコール除菌など、
万全の体勢で挑んでいるのは
いわずと知れたこと。

そうした万全の体勢で
「成人式」実施を計画したものの、
残念ながら、「成人式」そのものを
中止するところも多いようです。

また、「成人式」式典を
ネット配信したり、
二部から四部に分けた
分散開催のところ、
日程を延期するところもあります。

いずれにせよ、今年、「成人式」に
参加する方がいるご家庭は、
管轄する行政機関のホームページ等で
直前確認が必須です。

今年は特別な「成人式」。

悪い思い出を払拭する
という意味でも、
家族内で楽しい思い出づくりを
オススメします。

菊正宗から昨年12月に発売を開始した
「超特撰1.8ℓ 純米大吟醸 オデュッセイア2001」。

少々値は張りますが、
今年「成人式」を迎える方と
同い年の日本酒なので、
思い出づくりには最適です。

いつもと異なる1月11日を
「いい日」として迎えるために、
特別な思い出深い年として刻み込み、
輝ける明日への期待を
高めていきたいものです。