嘉納治五郎物語⑩
老いてなお、精力的に。
治五郎は79年を駆け抜けました。

関東大震災の復興のために、 オリンピック大会への参加で士気を鼓舞。 1923年(大正12年)9月1日、 巨大地震が首都圏を中心に発生。 関東大震災です。 地震発生直後に各地で火の手が上がり 、首都圏は、死者・行方不明者は …

嘉納治五郎物語⑨
オリンピック初参加の後、大学昇格に向けた闘い。

オリンピックへの初参加は、 「治五郎」がいたからこその快挙。 世界オリンピック大会の提唱者である フランスのクーベルタン男爵が、 日本をオリンピックに 招致するために、 駐日フランス大使を通じて 連絡をとったのが、 他な …

嘉納治五郎物語⑧
通算23年勤め上げた、重責の高等師範学校長職。

33歳で高等師範学校長に就任。 新しい時代の教員育成への舵取り。 せっかく、手塩にかけた 第五高等中学を辞めることは、 決して望まなかった…と、 「治五郎」は、 自著で追想しています。 しかし、その時、 文部省の教科書検 …

嘉納治五郎物語⑦
欧州視察からの帰国、結婚、単身赴任。
波乱に満ちた1年。

欧州視察から帰国した年、 人生の大きな分岐点となった 二つの出来事。 1年4カ月にもおよぶ 長い欧州視察から 「治五郎」が帰国したのは、 1891年(明治24年)1月のこと。 長旅の疲れを癒す意味もあり、 帰国後は、 姉 …

嘉納治五郎物語⑥
最愛の父の死と、大きな転換期となった欧州視察。

父、作之助の死に呆然自失。 「治五郎」が学習院の 幹事兼教授に抜擢された 1885年(明治18年)9月、 父の治郎作が享年74歳で他界。 亡くなる前の年に、 海軍権大書記官に 任命されたばかりでした。 突然、心の支えを失 …