旬を味わうなら、“夏秋茄子”。ぜひ、「秋茄子」をお嫁さんに食べさせて。

常備野菜としての安定供給は“冬春茄子”、旬の美味しさは“夏秋茄子”。

農作物の種苗交配の研究や
栽培技術が進化し、
本来の旬とされる季節に関係なく、
品種改良やハウス栽培などによって
一年中収穫され、
外国からの輸入によるなど、
常備野菜の種類も増えています。

そんな常備野菜のひとつともいえる
「茄子」は、
12月〜翌年6月に収穫出荷される
“冬春茄子”と、
7月~11月に収穫出荷される
“夏秋茄子”の2種類に
大きく区分されます。

“冬春茄子”の出荷が
圧倒的に多いのは高知県、
それに出荷量で続くのは
熊本県、福岡県などで、
すべて温暖気候地域での
ハウス栽培です。

付け加えるならば、
これらの“冬春茄子”生産地は、
1年を通して
「茄子」全体の出荷量でも
上位に位置するということ。

つまり、「茄子」は、
もともとの旬以外の季節にも
料理に使われ、
常備野菜としての地位を
確立しているといえます。

一方、“夏秋茄子”は、首都圏近郊の
群馬県、茨城県、栃木県などでの
生産量が多く、
全国に点在する“ブランド茄子”の
ほとんどは“夏秋茄子”です。

露地栽培で生産される、
いわゆる旬の時期に美味しい
「茄子」は“夏秋茄子”です。

“夏秋茄子”の旬は、6月から9月。
なかには、
奈良広陵の“サラダ茄子”のような
4月下旬から出回り始める
早生種もあります。

夏を過ぎた旬の時期には、
京都の“賀茂茄子”や
大阪泉州の“水茄子”、
愛知の“奥三河天狗茄子”、
鹿児島桜島の“白茄子”など、
ご当地“ブランド茄子”が
収穫地域近くの店頭に並びます。

そして、年間の「茄子」生産の
約8割近くを占めるのが
“長卵形なす”という品種で、
“長なす”が18.3%、
“米なす”が2.4%、
“小なす”が0.5%
などの品種が続きます。

初夏から初秋にかけてが
“夏秋茄子”の旬といえども、
同じ株から収穫し続けるのは
困難なこと。

そこで、初夏に収穫した
“夏秋茄子”の株を、
気温が高い盛夏の時期に
剪定や根切りなどにより
一度休ませて、
「茄子」の負担を軽減する農法が
多く用いられています。

そして、
暑い夏を経て実がなる「秋茄子」は、
皮がやや厚めで、
小振りのしまった形に生育。

その実や皮は柔らかく、
味や旨みをさらに増して、
旬ならではの美味しさが魅力の
「秋茄子」として
人気を博しています。

とはいえ、夏野菜カレーなどに
「茄子」は欠かせない野菜のひとつ。

夏獲れの「茄子」は、
水分を多く含んでみずみずしく、
「秋茄子」は果肉が締まって
滑らかに食感が格別。

どちらも旬の味わいとして、
甲乙付け難い魅力に満ちています。

 

「茄子」に関わる、なるほどとうなづく含蓄のあることわざ。

“秋茄子は嫁に食わすな”
という有名なことわざがあります。

このことわざには、
“秋茄子は、もったいないから
嫁には食べさせるな”という
ちょっと意地悪な姑の嫁いびりの
意味もありますが、
それとは正反対に
“秋茄子は身体を冷やす、
または種が少ない野菜なので
子宝に恵まれないといけないから、
お嫁さんに食べさしてはダメ”
というお嫁さんを大切に思い、
身体を労わる意味もあります。

つまり、
旬の「秋茄子」はそれほど美味しく、
利尿効果のあるカリウムを
多く含むため、
尿の排出時に身体の熱と過剰な塩分を
排出し過ぎるのを諌めたことわざ
とも取れるということです。

実際に、
両方の意味を持つことわざで、
このことわざを使う人次第
のようです。

同じような使われ方をすることわざに
“秋かますは嫁に食わすな”
“秋鯖嫁に食わすな”
“秋蕗(あきふき)嫁に食わすな”
“五月蕨(ごがつわらび)は
嫁に食わすな”などがあります。

また、「茄子」が生育する環境と
米が生育する気候環境が
似ていることから、
「茄子」の生育状況をもとに、
米の作柄を予想することわざが
いくつかあります。

“茄子の豊作は稲の豊作”
ということわざは、
「茄子」はインド原産で
暑いと生育が良く、
逆に寒いと生育が悪くなります。

同じように稲も熱帯が原産地で
「茄子」がよく育って豊作になる
気候の時は、稲も豊作になる
という訳です。

“初茄子の皮が厚ければ米の不作”
“茄子の実がかたくておいしい時は
凶作”というこれらのことわざは、
「茄子」は米と同じように、
成長期に多くの水分を必要とし、
そのタイミングで水が不足すると、
皮が厚くなったり、
身が固くなったりする
ということを言い表しています。

定番中の定番である
“焼き茄子”“茄子の煮浸し”
の簡単料理こそが、
本来の「茄子」の美味しさを
堪能できるのですが、
ネットで調べてみると、
“秋茄子の蒸し転がし”“無限茄子”
など食指が動く魅力的な料理に
ヒットします。

そろそろ涼しくなるこの季節、
「茄子」料理と一緒に今年の初𤏐酒、
お試しください。

「敬老の日」に考えたいペットの年齢。犬や猫は、意外と早く老齢期に。

猫/小型・中型犬は8歳、大型犬は6歳から老齢期を迎えます。

もうすぐ「敬老の日」。

今回は、人のそばで暮らす
犬や猫の高齢化について
ご紹介します。

1年半にもおよぶ
新型コロナ禍にあって、
数少ない好調な業界のひとつが、
ペット業界です。

2020年度のペット市場規模は、
前年度比3.4%増の1兆6,242億円。

ペット業界の関係団体によると、
新型コロナの影響で外出を控える中、
近くのペットショップに
足を運ぶ機会が増えたことで、
衝動的な犬猫の購入が
増えていることが
好調に繋がっているとの
見解を示しています。

また飼育ペットが
増えるのと比例して、
ペットフードやトイレ砂や
消臭シートなどの消耗品、
ケア用品、動物病院などの
必要不可欠な関連業界にとどまらず、
ペット葬儀、ペットシッター、
代行散歩など、
さまざまな
派生サービスが生まれ、
ペット関連市場全体の裾野は
大きく広がり、今後も市場全体の
拡大傾向が続くだろうと
予想されています。

さて、新型コロナ禍で
家族の一員として
犬や猫を飼い始める家庭が増える中、
気になるのはペットの年齢です。

犬や猫の年齢を人間に換算すると
一体幾つに相当するのだろうか
気になるところ。

ペット年齢 猫/小・中型犬
(人の年齢換算)
大型犬
(人の年齢換算)
3カ月 5歳 5歳
1歳 17歳 12歳
3歳 28歳 26歳
5歳 36歳 40歳
6歳 40歳 47歳
7歳 44歳 54歳
8歳 48歳 61歳
9歳 52歳 68歳
10歳 56歳 75歳
15歳 76歳 110歳
16歳 80歳 117歳

赤字は老齢期年齢

犬や猫は、
実年齢が5歳までは急速に成長し、
そこから猫/小・中型犬は
1年に4歳ずつ、
大型犬は7歳ずつ年を重ねます。

また、大型犬は3歳までは、
猫/小・中型犬より成長が遅く、
6歳から急激に老化がスタート。

猫/小・中型犬も8歳あたりから
老齢期に入ります。

また、老齢期を迎えた彼らは、
稀に人間のように痴呆症を患うとの
研究発表もあります。

犬猫の寿命ですが、
1980年(昭和55年)頃は、
犬猫ともに3歳前後と
かなり短いのですが、
1990年(平成2年)になると、
犬が9歳、猫は5歳まで
寿命が延びました。

そして、2014年(平成26年)には
犬猫ともにおよそ14歳まで、
2018年(平成30年)のデータでは、
犬は微増、
外に出ない家で飼われている猫は
16歳まで平均寿命は伸びています。

つまり、ここ数十年で、
餌の改良をはじめ、
獣医師の医療技術や
薬の開発による治療環境の向上
などにより、寿命が倍以上に
延びたといえるでしょう。

しかし、老齢期を迎える年齢が
同じであると考えると、
彼らが生きている半分は
老齢期といえます。
今年の「敬老の日」は、
9月20日(月)です。

高齢者に対する感謝の気持ちで
この日を迎えるとともに、
飼っている高齢ペットにも、
家族の一員として同じく
優しい心で接してあげてください。

 

「敬老の日」と「秋分の日」が上手く重なれば、“シルバーウィーク”となります。

1966年(昭和41年)に
「敬老の日」が制定され、
2002年(平成14年)までは
9月15日固定の祝日でした。

翌2003年(平成15年)に、
祝日と週休2日制を繋いで、
3連休以上の休日を増やすために、
国民の祝日の一部を
特定の月曜日に移動させる
“ハッピーマンデー制度”を導入。

それに伴って、「敬老の日」は
9月第3月曜日となり、
土日の週休2日と繋がって3連休に。

そしてこの後に続く休日
「秋分の日」が、天文計算により
水曜日になった場合にのみ、
“祝日と祝日の間の日は国民の休日”
という祝日法が適用され
5連休となります。

この5連休になった時だけ、
4月末からの“ゴールデンウィーク”
に対して、“シルバーウィーク”
と呼びます。

また、この5連休は
毎年訪れる訳ではないので、
その希少性から“プラチナウィーク”
とも呼ばれています。

制度開始後の“シルバーウィーク”は
2009年(平成21年)
2015年(平成27年)の2回だけ。

そしてこの先は、
2026年(令和8年)まで
“シルバーウィーク”は訪れません。

とはいえ、働き方改革により、
厳格に有給休暇取得が
義務化されるようになったため、
上手に有給休暇と
「敬老の日」「秋分の日」を
組み合わせれば、
少し長めの連休取得も
可能かと思います。

まだしばらくは
治まる気配のない新型コロナ禍。

お爺さん、お婆さんの横で、
穏やかにまどろむ
年老いた犬や猫の姿は
微笑ましい限り。

外出を控えなければならないことを
悔やむより、おウチ時間を
楽しむことを考える方が、
精神衛生上、
格段に好ましいと思われます。

幸せなひと時を
お過ごしくださいませ。

「浴衣」は夏の洒落た定番アイテムに。SNSで「浴衣」映えが拡散。

「浴衣」は、仏教とともに伝わった“湯帷子(ゆかたびら)”が原型。

今回は、「浴衣」に関するお話を。

新型コロナが発生していない、
いつもの夏シーズンであったのなら、
夏祭りや花火大会など、
「浴衣」を着る機会も多く、
また、外国からの訪日観光客が
京都の町屋で「浴衣」に着替え、
京都の街を散策するシーンが、
恒例の涼しげな夏の風物詩として
取り上げられていたことでしょう。

そんな夏の納涼シーンにつきものの
「浴衣」ですが、
その歴史は意外と古く
“仏教公伝”にまで遡ります。

“「浴衣」は、仏教とともに伝わった
“湯帷子(ゆかたびら)”が原型。

仏教公伝”の時期は、
552年や538年などの諸説がありますが
いずれの時期であったとしても、
仏教が伝わった際に建立した寺院には
湯堂や浴堂と呼ばれる沐浴のための
施設が併設され、それが日本の
“風呂”の起源というのが定説です。

というのも、それまでは、
神道の風習による、
川や滝で行われた沐浴の一種とされる
“禊(みそぎ)”により身を
清める習慣や
桶に水を張って身体を洗う
“行水”が、いわゆる
風呂のようなものでした。

それが、“仏教公伝”とともに、
病を退けて福を招来する沐浴施設が
伝わったことで(当時伝わった
“風呂”は、薬草を入れた湯を
沸かして、その蒸気を取り込んだ
蒸し風呂スタイル)
“風呂”に入ることが、
習慣となっていきました。

また、“風呂”と一緒に
沐浴時の衣装も伝わりました。
沐浴時の衣装、つまり、
飛鳥時代の女性の斉明天皇が
湯浴みの際に着用していた
バスローブのような形の
“湯帳(ゆちょう)”や、
平安時代に貴族が風呂に入る際に
着用した“湯帷子(ゆかたびら)”が
「浴衣」の原型です。

前述したように、最初は“湯帷子”を
着て蒸し風呂に入るのが、
最初の“風呂”のスタイル
といえます。

“ゆかたびら”という単語の
発音から転じて「浴衣」になったと
考えると、自然と納得がいきます。

時は流れ、安土桃山時代には、
裸で湯に浸かる“入浴”という習慣が
定着し、湯上がりに濡れた肌の水気を
吸い取らせるために“湯帷子”を
着るようになりました。

江戸時代になって木綿が普及し、
それまでの麻織物に
取って代わるように、
より吸水性の高い綿織物の
“湯帷子”が登場。

このスタイルが庶民の間で流行し、
やがて現代の「浴衣」へと
繋がっていくことになります。

鎌倉時代に一部で鉄湯船という施設が
あったようですが、
浴槽に湯を張って身体を浸ける、
現在の“入浴”スタイルが
いつ頃発生したのかは不明です。

古くからの“行水”と、伝わった
“蒸し風呂”が融合して、現在の
“入浴”スタイルになったと
考えられています。

 

ここ最近になり、夏場に「浴衣」を着る機会は、かなり増えていました。

近代になり、“湯帷子”が転じた
「浴衣」は、
湯上がりに着る“部屋着”
として重宝されました。

洋服が日本に伝わり始めた頃は、
まだ庶民の服装は和服の時代です。

それが、昭和になって洋装が
増えると同時に、“寝巻き”としての
役割が主流となっていきます。

そのため、昼間に「浴衣」を着て
外出するのは、今でいうパジャマで
外出するようなもので、
ややはばかられる時期もありました。

現代の「浴衣」は、
夏場のお洒落アイテムのひとつです。

冒頭で述べた花火大会やお祭り、縁日
時にはスポーツ観戦やテーマパーク
などで“浴衣ナイト”などの
イベント開催など、
夏場に「浴衣」を着る機会が
増加したことが「浴衣」人気に
拍車をかけます。

また、SNSでの“映え投稿”などでも、
夏場のバズる
ファッションアイテムとして
欠かせない存在感を
発揮しているというから驚きです。

手頃な価格で着やすい「浴衣」は、
訪日外国人のお土産としても、
かなりの人気のようです。

先ごろも、イタリアの
女子新体操チームが、
日本での試合後の
くつろいだオフショットとして、
カラフルな「浴衣」を着た写真を
SNSに投稿し、話題となりました。

バスローブのように自由に着る様は
微笑ましいのですが、
できれば正しい着付けにより
「浴衣」を着てもらえたなら、
本来、着物が持つ様式美や
粋な着こなしを
実感していただけたかもと思います。

着物に限らず、日本の伝統文化は、
長い歴史によって確立された
様式美というものがあります。

いわゆる伝統に裏付けられた
ある種の敷居の高さでしょうか。

その敷居の高さを下げて
ニーズを得るのではなく、
その高い敷居のまたぎ方を
教えることが、その文化が持つ
伝統の深みが伝わるものです。

「浴衣」を始めとする
着物文化のみならず、
私たちが取り扱う日本酒文化、
和食文化、和建築文化など、
日本の伝統文化は、知れば知るほど、
かなり深く、
かなり粋な風格を持っています。

1日も早く、当たり前の日常が戻り、
夏の風物詩として、何の気兼ねもなく
「浴衣」を着て出かけることを
願うばかりです。

2021年「打ち上げ花火」の開催事情。観覧時は、密を避けて、マスクをお忘れなく。

「夏の風物詩「打ち上げ花火」。昨年と比べると開催数も徐々に増えています。

夜空に大輪の花を咲かせる
「打ち上げ花火」は、
夏を代表する風物詩のひとつ。

いつもなら、花火大会は、
早いところで7月半ばから始まり、
8月に入るあたりからお盆頃に向けて
全国的な打ち上げ花火ラッシュと
なるところですが、
1年半にわたって続く
新型コロナ禍のため、
昨年の花火大会は
ほとんど中止となりました。

今年も中止のところが多いのですが、
一部、規模を縮小したり、
開催時期を延期したりするなど、
新型コロナ対策を十分にとって
開催される花火大会もあるようです。

日本三大花火大会に名を連ねるのは
秋田県の「大曲の花火」、
茨城県の「土浦全国花火競技大会」、
新潟県の「長岡まつり花火大会」
です。

残念ながら、
「大曲の花火」
「長岡まつり花火大会」は
中止と発表されましたが、
「土浦全国花火競技大会」は、
11月6日に延期予定。

これら以外の人気の花火大会の
開催予定状況は、
次の通りですが、
新型コロナの蔓延状況に応じて
変化するのでご注意を
(7月末現在)。

  • 北海道「帯広 勝毎花火大会」
    /中止
  • 秋田県「港まつり 能代の花火」
    /中止
  • 茨城県「大洗海上花火大会」
    /中止
  • 群馬県「高崎まつり大花火大会」
    /9月4日開催予定
  • 東京都「隅田川花火大会」
    /中止
  • 神奈川県
    「湯河原温泉海上花火大会」
    /8月21日開催予定
  • 埼玉県
    「西武園ゆうえんち 大火祭り」
    /9月5日まで、毎日開催
  • 静岡県
    「全国花火名人選抜競技大会
    ふくろい遠州の花火」/中止
  • 愛知県
    「岡崎城下家康公夏まつり
    花火大会」/中止
  • 愛知県
    「ISOGAI花火劇場
    in 名古屋港」
    /12月中旬開催予定
  • 滋賀県「びわ湖大花火大会」
    /中止
  • 三重県
    「伊勢神宮奉納全国花火大会」
    /中止
  • 大阪府「天神祭奉納花火」/中止
  • 大阪府「なにわ淀川花火大会」
    /中止
  • 大阪府「泉州夢花火」
    /8月28日・29日開催予定
  • 兵庫県
    「姫路みなと祭 海上花火大会」
    /11月13日開催予定
  • 鳥取県
    「米子がいな祭大花火大会」
    /中止
  • 長崎県
    「ハウステンボス
    九州一花火大会」
    /9月18日開催予定
  • 福岡県
    「メッセージ花火
    “愛・勇気・希望”恋の浦」
    /8月21日開催予定
    (320台限定のドライブイン方式)

有名な花火大会を紹介しましたが、
これでもほんの一部。

注目したいのは、
花火会場に車を乗り入れて、
車の中から花火を見上げる
ドライブイン方式が、
外出自粛の現在、
チラホラと増えていること。

今後、これ以外にも新しい
「打ち上げ花火」観覧スタイルが
生まれるかも知れませんね。

 

「打ち上げ花火」は、なぜ夏の風物詩なのでしょうか?

ここで、「打ち上げ花火」は、
なぜ夏の風物詩なのか
という疑問が湧きます。

まず、
「打ち上げ花火」の起源については、
江戸時代に隅田川で行われた
“水神祭”説が有力です。

当時、
江戸で流行った飢饉・疫病による
多数の死者の御霊を慰め、
悪疫退散を願って、
隅田川の川開きの日に
“水神祭”を開催し、
その際に、
「打ち上げ花火」を上げたのが
始まりとされるというもの。

同時に、
木造建築がひしめく江戸の町では
火事が多く、
当時の幕府が町屋近辺での
花火を禁止し、
“川の近くなら花火をしても良い”
というお触れを出したことと、
夏の暑さをしのぐ納涼の場が
川べりであったことが合わさって、
夏の川開きと「打ち上げ花火」は、
切っても切れない関係と
なっていきました。

もともと、
古くからお清めの儀式に
“火”が使われ、
花火を打ち上げる花火師が
次々と競うように現れたことも、
華やかなものを好む江戸の庶民に
受け入れたと考えられます。

花火の打ち上げが
川開きの行事として根付き、
やがて夏の風物詩として
認知されるようになりました。

時代が移り変わった現在、
安全面に配慮した
冬の「打ち上げ花火」も可能で、
実際に冬場のお祭りやスキー場での
「打ち上げ花火」もあります。

しかし、
寒さが厳しい冬に
屋外で空を見上げることや、
冬は風が強いという気候状況が、
「打ち上げ花火」には
あまり適していないため、
冬よりも、
圧倒的に夏の「打ち上げ花火」の方が
多いといえます。

現在はやはり、
観客が集まりやすい
規模の大きな花火大会は
中止のところが多く、
新型コロナ禍の収束を待つ
開催延期が多いようです。

来年こそは、こうした心配もなく、
かつてのように、普通の生活の中で
「打ち上げ花火」を楽しめることに
期待したいものです。

帰省もままならない2021年の「お盆」。気持ちだけでもご先祖供養を。

「新盆」「月遅れ盆」「旧盆」。それぞれお盆を迎える時期が異なります。

まもなく、お盆です。

お盆の期間は、全国的に
8月13日(金)から16日(月)の
4日間。

毎年、13日に
ご先祖様の御霊を
“迎え火(盆の入り)”で迎え、
14日、15日は
ご霊膳などをお供えして供養し、
16日の午後に
“送り火(盆明け)”で
送り出すという、
毎年、決まった日付の行事です。

お盆休みの4日間と
土日祝日が組み合わさり、
さらに有給休暇なども組み入れた
“今夏の長い夏休みの取り方”特集が
テレビの情報番組等で流れるのも、
夏の風物詩のひとつとなっています。

ちなみに、今年は、
10日(火)から12日(木)の
3日間の有給休暇をとれば、
10連休となります。

さて、昔から伝わる、
もともとのお盆は、
旧暦の7月15日を中心に
行われていた長い歴史があります。

旧暦から新暦に切り替わったのは
1872年(明治5年)のことで、
1872年(明治5年)12月2日の翌日が、
1873年(明治6年)の1月1日になり、
改暦後、12月が丸々なくなりました。

そこで、旧暦で行われた多くの行事を
新暦の30日遅れで行うことで、
実質的にはそれまでと同じ
季節のタイミングで行うことに。

その流れで、全国的に、
“お盆は新暦8月15日”
というのが定着していきました。

また、7月は農村部の
農繁期にあたるため、
1カ月遅れのお盆が受け入れられた
という説もあります。

新暦になって、それまで通り
7月15日の「7月盆」が根付いたのは
東京を中心とした首都圏です。

これは明治政府の
お膝元であったことと、
全国でもっとも早く
都市化が行われた地域
だったからのようです。

東京以外にも、
横浜、静岡、函館、金沢の一部地域が
7月にお盆を迎えます。

この「7月盆」を
“東京盆”“新盆”と呼ぶのに対して、
全国的に定着した「8月盆」を
“月遅れ盆”と呼びます。

また、旧暦7月15日に
お盆を迎えるのが、沖縄、奄美地方。

こちらは“旧盆”と呼ばれ、
旧暦によってお盆を迎えるため、
毎年、お盆の日は異なります。

今年は8月20日(金)から
8月22日(日)の3日間
(地域によっては4日間)で、
来年は8月10日(水)から
8月12日(金)、
4年後の2025年は、
9月4日(木)から9月6日(土)と、
お盆の日は8月中旬から9月初旬と
振れ幅は大きく、必ずしも
休日になる訳ではありません。

こうした背景のもと、
日本各地でお盆に行われる
行事や風習も
地域によって異なり、
花火大会や夏祭りなどが
一緒に開催されることも
少なくありません。

例えば、
「7月盆(新盆)」の地域では
七夕祭りと一緒に
行われところがあり、
大きな祭事と結びついた
「8月盆(月遅れ盆)」の
地域としては、
8月16日に行われる京都の
“五山の送り火(大文字焼き)”
などが有名です。

日本の「お盆」は仏教の伝播によってもたらされ、独自の進化を遂げて行きました。

日本へのお盆の伝播については
諸説ありますが、
インドで発祥した“仏教”に、
中国の先祖供養の意味合いを持つ
“中元節”が組み合わせさった
「盂蘭盆会(うらぼんえ)」
として伝わった説が有力です。

「盂蘭盆」は
サンスクリット語の
“ウッランバナ”の音写語
(仏典を翻訳する際に漢文に訳さず、
梵語の音をそのまま
漢字に写した技法)
という説があります。

ちなみに、
仏教が日本に伝わったのは
538年(宣化天皇3年)のこと。

さて、「盂蘭盆」に関する記述は、
後に編纂された「日本書紀」に
いくつか記されています。

606年(推古天皇14年)に
“是年より初めて寺毎に、
四月の八日、七月十五日に設斎す”
と記述されており、それによって、
4月8日にお釈迦様の誕生を祝う
灌仏会(かんぶつえ)、
7月15日は「盂蘭盆会」の始まり
と読み取れます。

657年(斉明天皇3年)での記述には、
“群臣に詔して京内の諸寺に
盂蘭盆経を勧請(とか)しめて、
七世の父母に報いしむ”と。

ここにある
“七世の父母に報いしむ”とは、
兄弟姉妹は入れずに
直系だけを7世代遡ると、その間に
かなり多くの血縁者が命を紡いで、
現在の自分の存在があるので、
その所縁あるご祖先様の霊に
慈しみの心で供養をする
という意味を含みます。

奈良時代になり、
773年(天平5年)の
聖武天皇時代には、
“天平五年七月十五日、
初めて大膳職をして
盂蘭盆の供養を修せしむ”
と記され、訳すると
“盂蘭盆会の供物調達にあたっては、
できるだけ良いものをと、
初めて宮廷の
食膳担当の大膳職に行わせた”
とあります。

日本の「お盆」は、
仏教とともに日本に伝わった
「盂蘭盆会」が、
日本の風習や信仰と結びついて
独自の進化を遂げてきたことが
「日本書紀」の記述から
読み取ることができます。

今年の「お盆」は昨年に引き続いて
新型コロナ禍にあるため、
感染拡大を防止する意味もあって
帰省もままならない状態です。

そんな方々に、お供え用の
菊正宗「夏ギフト」を
ご用意いたしておりますので、
心尽くしの供養に
ご利用くださいませ。