意外にも、蝉の声を聞き分ける能力は、日本人独特という説。

日本の蝉の生態と海外の蝉事情。

6月末の猛暑日が連続した頃は、
茹だるような暑さなのに
まったく蝉の声が聞こえないという、
やや違和感を感じながら、
今年の夏はスタート。

そんな思いもつかの間のこと、
7月初旬辺りから蝉の声が
聞こえ始めました。
“チージー”と鳴く
ニイニイゼミの声に、
“シーシャンシャンシャンシャン、
ジー”というクマゼミの声が重なり、
夕方辺りに“カナカナカナ”と
ヒグラシの声。

そして、アブラゼミの“ジージージー”
の鳴き声に重なる
“ミーンミンミンミンミー”と
ミンミンゼミの大合唱が。

夏も半ば過ぎともなると、
昼間の蝉の大合唱の後、
ツクツクボウシの
“ジー ツクツクボーシ
ツクツクボーシ ゥイヨーゥイヨー
ジー”が夕方に聞こえ始め、
そして秋へと季節は
移り変わっていきます。


北から南へと細長い地形の日本なので
それぞれの地域の気候や生息環境、
地形の高低差によって、
蝉が鳴く時期は前後し、
種類も異なります。

東京都心にはミンミンゼミが多く、
西日本エリアでは
山間部でないと聞けません。

これとは逆に、
西日本の市街地に多いのは
クマゼミですが、
関東ではもともと少ない種類。

近年、温暖化の影響なのか、
クマゼミの分布が北上し、都内での
鳴き声の報告もあるようです。

蝉の声のピークは8月上旬。
何種類もの蝉の声が重なって
聞こえるのを季節感とみるか、
騒音ととらえるか、
意見の分かれるところです。


海外にも蝉はいます。
アジア圏は蝉が多く、
台湾には50以上もの種類が存在。

一方、ヨーロッパ圏には
蝉の種類は少なく、
ギリシャやイタリア、南フランス
辺りに生息していますが、
セミの鳴き声を音色ととらえ、
そこに情緒を感じるのは
日本特有の文化のようです。

欧米諸国には、
犬や猫の鳴き声を表したような
擬声語に蝉の声はなく、
“蝉の雑音(ノイズ)”
“蝉の羽音(バズ)”などと
大雑把に表現される扱い。

そんな中で、蝉の声を音色と
とらえた作品があったようです。

ギリシャ人のイソップの童話のひとつ
「アリとキリギリス」は、
もともと「アリとセミ」だったそうで
蝉を知らない国に
この物語が伝わる際に、
キリギリスに置き換えられ、
それが世界に広まったとされています。

イソップは、蝉が夏場に
音楽を奏でると
とらえていたのかも知れません。

また、アメリカでは、
蝉の声をやはり騒音と
とらえているようですが、
それ以上に、13年、17年に一度
大量発生する周期ゼミによって
街が覆い尽くされることの方が
問題のようです。

“立秋”の次項「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」は、
夏から秋への季節の境目。

テレビのニュースなどでよく耳にする
“暦の上では”という表現を使えば、
今は二十四節気の“立秋”で、
七十二候の“立秋”の次項
「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」
にあたります。

「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」とは、
夏の終わりを告げるかのように、
ヒグラシが鳴き始める頃のこと。

実際には、もう少し早い時期から、
日の出前や日没後の薄暗い時間帯に
ヒグラシは鳴き始めています。

ヒグラシの“カナカナカナ”
という声は、
他の蝉の大音量の鳴き声とは異なり、
どこか寂しく儚げな印象があり、
それと少し涼しくなる秋の気配を
重ね合わせたと推測されます。

これ以降、秋へと季節が近づき、
日中の気温が下がり始めると、
ヒグラシの声は日中でも
耳にするようになります。

その頃には残暑もやわらぎ、
やがて秋の虫の鳴き声にバトンタッチ
するかのようにヒグラシの鳴き声は
消えていきます。

そんな、夏の終わりを
感じさせてくれることから、
ヒグラシは
“寒蝉(かんせん)”とも呼ばれ、
暦に表記されているのでしょう。

蝉の声を聞き分ける能力は
日本人に備わった独特の能力
という説もあります。

断定はできませんが、
欧米人は蝉の声を、
街の喧騒と同じ雑音と
とらえているため、
脳内で音色として
認識できないらしいので、
あながち間違いではないようです。