6月22日は「ボウリングの日」。その由来は、江戸時代にまで遡ります。

今では想像もつかない、1970年前後の全国的な空前のボウリングブーム。

今では想像もつかない、
1970年前後の全国的な空前の
ボウリングブーム。

6月22日は「ボウリングの日」です。

この日が制定されたのは、
日本のボウリング第一次ブームが
ピークに達した
1972年(昭和47年)のことでした。

このブームを牽引したのは、
1969年(昭和44年)に開催された
「第1回女子プロテスト」で
トップ合格をした須田開代子と
2位となった中山律子の2人です。

この時、合格した1期生は
全部で13名いましたが、
話題の中心はいつもこの2人の
ライバル対決です。

女子プロボウラー誕生後、
ボウリングブームは一気に加速します。

“人気の中山”と“実力の須田”
という対立構図が話題を呼び、
テレビ各局はゴールデンタイムに
ボウリング番組を放映し、
どの局も高視聴率を獲得しました。

その結果、1960年(昭和35年)には
全国にわずか3カ所しかなかった
ボウリング場は、
1972年(昭和47年)には
最多の3697カ所にまで増加し、
ボウリングは友達や家族で楽しむ
手軽なスポーツとして
広まったといえます。

「ボウリングの日」の由来は、
江戸末期の1861年(文久元年)の
6月22日にまで遡ります。

この日、長崎に日本最古の
ボウリング場がオープンしました。

当時、長崎の出島は日本で唯一の
外国との交易拠点で、
その大浦居留地の一角につくられたのが
ボウリングサロンです。

このサロンは日本で暮らす外国人の
社交場として利用され、
軽飲食も楽しめる場所でした。

この頃の日本は幕末真っ只中で、
7年後の1868年(明治元年)には
江戸から明治へと大きく時代が変わる、
そんな近代化直前の時代でした。

長崎に居留していた
イギリス人貿易商グラバーと
親交が深かった坂本龍馬が日本人最初の
ボウリングプレイヤーだった
という噂もありますが、
確かな記録は残っておらず、
“夢のある想像”の域を超えません。

1952年(昭和27年)には、
一般人がプレイできる民間ボウリング場
「東京ボウリング・センター」が
東京青山に開業しました。

事実上、これが日本初の
ボウリング場です。

月給平均1万円の時代に、
入会金3万円、年会費3000円という
高額な料金設定でしたが、
レストランやビリヤード場を併設した
おしゃれな娯楽施設として
一部の富裕層には人気がありました。

しかし、約1年で経営が破綻し、
第一ホテルが経営権を取得して
吉祥寺第一ホテル(武蔵野市)へと
施設を移設しました。

1980年代を超えた頃から
ボウリングブームは下降線を
たどり始めました。

その大きな要因は
レジャーの多様化です。

収益が見込めなくなった
老朽化が進んだボウリング場は、
ホテルや駐車場に建て替えられ、
2023年(令和5年)には661施設にまで
減少しました。

しかし最近、
かつてのボウリングブームを知らない
若い世代が、ボウリング場に
足を運び始めています。

彼らはゲーム感覚で身体を動かす
手軽なスポーツとして
ボウリングに新鮮さを感じているようで
ボウリングがSNSを通じてバズる日も
近いような気がします。

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新しい“祝日”としての期待が高まる、6月10日「時の記念日」。

平成に入って以降、休日は確実に増加傾向に。

1988年(昭和63年)、
当時のビジネスシーンを
象徴するかのように
“24時間戦えますか?”
というキャッチフレーズの
栄養ドリンクが登場。

昭和の日本では、
長時間労働や休日出勤など、
がむしゃらに働くことが
美徳とされていました。

徹夜自慢や連勤自慢が
“仕事ができる証”
とされていた時代です。

しかし、平成を迎えた頃から、
世界的な人権意識が高まり、
働き方も大きく変化していきました。

主だった変化として挙げられるのが、
年間休日数や1日の労働時間、
有給休暇の取得など、
休日取得の改善です。

日本と世界では、
休暇スタイルが異なります。

欧米諸国では
約1カ月間のサマーホリデーや
10日ほどのクリスマス休暇など、
長期休暇を取るのが
もっともポピュラーな休暇スタイル。

一方、日本では
祝日を組み合わせた連休で
長期休暇を取るのが一般的です。

労働基準法が初めて制定されたのは
1947年(昭和22年)で、
労働時間の定義は
“1日8時間、週48時間労働”でした。

時代の流れに沿って議論は重ねられ、
大きく変わったのは、
1993年(平成5年)の
“週40時間労働”の本格稼働です。

これによって
1日8時間労働で週5日労働が実現し、
「完全週休2日制」が定着しました。

続いて2000年(平成12年)から
施行されたのが
「ハッピーマンデー制度」です。

それまで固定だった祝日を
“○月の第○月曜日”に移動させ、
土・日・月の3連休を
つくり出しました。

さらに、2019年(平成31年)には
「有給休暇の取得」が
法律で義務化され、
ゴールデンウイークや夏季休暇、
年末年始の休暇と組み合わせることで、
実質的に10日以上の連休も
可能になったという訳です。

現在、日本の祝日は年間15日で、
その日数が世界1位であることは
あまり知られていません。

祝日がない月は6月と12月ですが、
12月には年末年始休暇がからむため、
土日以外の休みがないのは
6月だけです。

6月は梅雨の時期と重なって
不快指数が高まり、
過労死問題にも直結するため、
過去には何度か
祝日設立の機運が
高まったこともあります。

6月の祝日候補として
度々名前が挙がるのが
6月10日の「時の記念日」です。

この日は、
671年6月10日に天智天皇が
漏刻(ろうこく)という水時計で
時を計り、時刻を知らせた記録が
日本書紀に記されていることに
由来します。

1920年(大正9年)、
「“時”展覧会」が開催された際に、
「時の記念日」が制定されました。

制定から100年以上、
その由来まで遡ると1350年を超える
長い歴史を持つ「時の記念日」は、
祝日に相応しいと
いえるのかも知れません。

現代では、
世界がサプライチェーンで結ばれ、
IT系の企業が中心となって
世界経済が回っています。

国をまたいだ経済活動も活発化し、
世界基準で考えることが
必要な時代ともいえます。

その中で、
“休日”整備も急がれるところです。

まずは
6月に新しい祝日が増えることに
期待したいものです。

「仕掛人・藤枝梅安」と「鬼平犯科帳」。良質の時代劇を楽しみませんか。

CGを使った奥行きのある江戸の町の描写。池波正太郎の人気作品が蘇ります。

時代劇にとって、今は冬の時代です。

かつてはテレビや映画などで
時代劇は人気コンテンツでしたが、
現在では時代劇を観る機会は
大河ドラマか再放送くらいのもの。

若い層を狙った番組が増える一方、
高齢層に人気の高い時代劇が
姿を消しています。

時代劇制作には
多くの時間と手間がかかり、
制作費も嵩むため、
スポンサーがつきにくい
といった理由もあるようです。

そんな中、
池波正太郎の生誕100年を迎えました。

池波作品を通じて
“時代劇という文化を継承して、
次の世代にバトンをわたす”
という意義のもと、
CSの「時代劇チャンネル」を
運営する日本映画放送が
幹事会社となり、
映像化プロジェクトが
スタートしました。

白羽の矢が当たったのは、
「仕掛人・藤枝梅安」と
「鬼平犯科帳」。

これらはかつて
ドラマや映画などでシリーズ化された
池波正太郎の人気作品です。

映像化プロジェクトで大切にしたのは
池波正太郎が描いた江戸の空気感。

池波が
江戸古地図や
風景画「江戸名所図会」をもとに
物語を紡いだ世界観を、
時代劇に精通した制作スタッフが
忠実に再現しました。

また奥に富士山を望む江戸の町を
CGで再現するなど
奥行きのある映像美が
観客を魅了します。

プロジェクトの口火を切ったのは
「仕掛人・梅安」で、
2作品が劇場公開されました。

江戸庶民に慕われる鍼医者
“藤枝梅安”の裏の顔は、
お金で殺しを請け負う
ダークヒーローという設定です。

今回の映画で豊川悦司が演じた梅安は
クールで艶があり、
仕掛ける際の所作には
哀愁が漂います。

1972年(昭和47年)、
池波原作にアレンジを加えた
テレビ時代劇「必殺仕掛人」が、
緒形拳を梅安役に起用して
開始されました。

ダークヒーローが主役の連続ドラマ、
イタリア映画に影響を受けた撮影技法
マカロニウエスタン風の音楽など、
これまでの時代劇とは
一線を画す新しさが受けて
シリーズ化。

2作目以降は池波原作を離れた
「必殺〇〇」シリーズが続き、
中村主水を演じた藤田まことや
念仏の鉄を演じた山崎努など
数多くの人気キャラクターが
誕生しました。

シリーズは31作まで続く中、
殺しの現場に出向く主人公たちの
光と影を巧く映し出した映像美は
圧巻です。

現在は正月特番のみとなっていますが
途中の休止期間も含めて
約50年にわたって受け継がれた
人気の高い時代劇のひとつに
数えられます。

プロジェクトの3作目で
トリを飾るのは
「鬼平犯科帳 血闘」。

主人公の長谷川平蔵は、
江戸中期に実在した
火付盗賊改方
(ひつけとうぞくあらためかた)で、
悪逆非道な悪人を懲らしめる
時代劇の王道である勧善懲悪もの。

中村吉右衛門の当たり役として知られ
彼の亡き後は甥にあたる
10代目松本幸四郎が
演じることでも話題です。

現在、劇場公開中なので、
その臨場感を
映画館の大きなスクリーンで
楽しみたいものです。

「仕掛人・梅安」2作品は、
サブスクの映画配信サービスで
観ることができます。

普段、
テレビで観る機会が
少ないこともあり
時間をかけて
丁寧につくり込まれた
良質の時代劇は、
これまで以上に
新鮮な感動を与えてくれます。

時代劇には特撰がよく似合います。

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池波正太郎生誕100年。彼が追い求めた徹底したリアリズム。

池波作品の魅力は、緻密なストーリー設定と、江戸の食文化のリアルな描写。

1923年(大正12年)に生まれた
池波正太郎の生誕100年を記念した
2年にもわたる映像化プロジェクトが
佳境を迎えています。

2023年(令和5年)に
劇場公開された
「仕掛人・藤枝梅安」の2作、
そして2024年(令和6年)
5月10日から公開中の映画
「鬼平犯科帳 血闘」。

これらに「剣客商売」を加えて、
池波正太郎の三大シリーズ
と呼ばれています。

「鬼平」は1968年(昭和43年)、
「剣客」「梅安」は
1972年(昭和47年)に連載が始まり、
池波が1990年(平成2年)に
67歳で亡くなる数年前まで
書き継がれました。

もちろん
これらのシリーズ以外にも
数多くの時代小説やエッセイなどを
世に送り出しています。

三大シリーズの時代設定は
1780年代(安永、天明)から
1800年代(享和、文化)
にかけての約25年間、
10代将軍・家治から
11代将軍・家斉の時代です。

物語の舞台は
大川(隅田川)界隈を中心に
繰り広げられます。

池波が執筆にあたって参考にしたのは
「江戸切絵図」と呼ばれる古地図で、
江戸市中を地域別に細かく
描き込んだものです。

この地図を元に、
主人公をはじめ登場人物の家や
近所の料理屋、長屋の路地、
行き交う辻などを
細かく設定しているため、
物語はぶれることなく、
よりリアルな描写が可能となりました。

こうした緻密な背景描写に
重ねるように紡ぎ出される
魅力ある人物描写が
池波作品のキモ。

余計な修飾語を極力省き、
登場人物の会話に導かれるように
物語は進んでいくことで
臨場感は増し、読者は作中に
引き込まれていきます。

また、時折登場する
食にまつわるシーンは、
江戸の食文化への
深い造詣がうかがえます。

池波作品のもうひとつの魅力は、
この食文化の描写です。

彼が食通であることは有名で、
彼が残した食に関する
数多くのエッセイから
それぞれの店を辿った
「池波正太郎が通った〔店〕」
という本が重版を重ねるほど。

作品づくりのため
足繁く通った京都の老舗料亭のように
高級なところだけでなく、
銀座の洋食屋のカツレツや
横浜の町中華など、
庶民的な店も少なくはありません。

たとえば「神田まつや」。

明治初期創業の蕎麦の老舗で、
江戸時代から続く
伝統の下町の味を守り続けている
庶民が集うお店です。

ここで出される日本酒は、
辛口の菊正宗のみ。

江戸時代の味を
頑なに守っているお店に
菊正宗が多いのは、
下り酒の主流であった菊正宗のお酒と
提供する料理との相性も含めた
“伝統の味”の名残りかも知れません。

池波が蕎麦をたぐりながら、
菊正宗の燗酒を嗜みつつ、
作品の構想を練っていたと考えると、
一気に親近感が湧いてきます。

さて、
彼の生誕100年を記念した
映像化プロジェクトで描かれた
「仕掛人・藤枝梅安」と
「鬼平犯科帳」は、
庶民を苦しめる許せぬ悪を
闇で仕留めるダークヒーローと、
江戸時代に実在した“火付盗賊改方
(ひつけとうぞくあらためかた)”
を主人公にした、
まさに対照的な人気作品です。

次は、
「仕掛人・藤枝梅安」と
「鬼平犯科帳」について
紐解きたいと思います。

お楽しみに。

辛口の純米酒を吉野杉の酒樽に貯蔵後、
一番香りの良い飲み頃を取り出した
純米樽酒720mL。

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