今年の「中秋の名月」は9月10日。月を愛でながら「可惜夜」を楽しむ。

謎めいたお酒「可惜夜(あたらよ)」。残りはあと僅かです。

2017年(平成29年)に登場した
「可惜夜(あたらよ)」も、今年で
早、6年目を迎えます。

“嘉納会特A地区産の山田錦を
100%使用”“アルコール分16%”
ということ以外、酒質、精米歩合、
日本酒度、味わいなど、すべて謎の
ミステリアスなお酒。

これは、先入観にとらわれることなく、
飲む方の五感で、日本酒本来の
美味しさを楽しんでいただこうという
“魅せる菊正宗”を
コンセプトに醸した、遊び心のある
お酒です。

謎に包まれた「可惜夜」の美味しさを
少しだけ紹介すると、
すっきりとフルーティな鼻に抜ける
香りと口に広がる深い味わいで、
特有の上品な余韻が楽しめる
自慢の逸品に仕上げています。

「可惜夜」は、手間暇をかけて、
懇切丁寧に仕込んでいるため、
ご用意できる本数に限りがあります。

現在は、菊正宗ネットショップと
菊正宗酒造記念館での
期間・数量限定販売のみの取り扱いで、
販売早々、すぐに売り切れてしまう
ことも、過去には度々。

そんななか、「可惜夜」の旨さに
惚れ込んでいただいているお客様も
多く、リピート購入率の高い商品へと
成長しました。

また、その希少性もあって、
贈答品としてもご利用いただいています。

2021年度版は、そうした人気に
お応えする意味で、いつもの年より、
やや多めに仕込んだのですが、
残りもあと僅か。

売り切れる前に、ぜひお早めに
お買い求めください。

さて、「可惜夜」の名前の由来
となったのは、万葉集に収められた
“玉櫛笥 明けまく惜しき あたら夜を
衣手離れて 独りかも寝む”という
詠み人知らずの歌です。

この歌の意味は、“(玉櫛笥/枕詞)
明けてゆくのがもったいないような
良い夜に、お前と遠く離れて一人で
寝ないといけないだろうか”という、
やや意味深な内容。

お酒には“明けてしまうのが惜しい、
すばらしい夜”という広い意味で
「可惜夜」と命名し、
“このお酒を飲む楽しいひとときは
儚く、夜が明けるのも惜しいほどの
すばらしい時間を過ごしてほしい”
という願いが込められています。

また、この歌が詠まれた情景を
思い浮かべてみると、
部屋の明かりは消して、満天の星空の
中でひと際明るく輝く月に照らされた
部屋の風情豊かな様子を
うかがい知ることができます。

また、そのときの月は、
ずっと眺めていたい
満月だったかも知れません。

「中秋の名月」は、旧暦の秋のど真ん中の日である8月15日のことを指しています。

さて、今年の「中秋の名月
(十五夜)」は、9月10日。

新月から次の新月までの周期(月が
満ちて欠けるまで)で、新月の日を
1日目としたときのちょうど真ん中の
15日目が十五夜です。

月の周期は約29.5日とされ、新月から
満月まではその半分の約14.8日。

そこに、月の軌道がやや楕円を
描くことや閏月(うるうつき)など、
いろいろな理由が重なって、
1日ずれることになります。

たまたま、2021年から2023年は
「中秋の名月」の日と満月が
一致しますが、そのほかの年は、
満月が1〜2日遅れてやってくることに
なります。

つまり、“中秋の名月”であって
“中秋の満月”ではないということは、
意外と知られていないようです。

旧暦では、7〜9月が秋と
されていたので、秋のちょうど真ん中の
8月15日が中秋にあたり、
「中秋の名月」は“8月15日の名月”
のことをいいます。

一方、「仲秋」と書く場合は、
「7月(初秋)、8月(仲秋)、
9月(晩秋)」の8月の別称である
仲秋を使い、“8月の名月”を
表すことになります。

さらに、春夏秋冬それぞれの季節で、
名月を見ることはできますが、
夏の月の軌道は低く、
逆に冬の軌道は高すぎるため、
ちょうど見上げるのに適した高さ
となると、春と秋。

天気の優れない春よりは
天気の良い日が多い秋が、
月見に向いた季節として
定着したとされています。

今年の「中秋の名月」は満月です。

グラスに注いだ「可惜夜」に
月を映して、万葉の時代の気持ちを
味わってみるのも一興かと。

忙し過ぎる現代の時間の流れを
巻き戻して、風情豊かにゆったりと
過ごすひと時をお楽しみください。

静かな哀愁が漂う「おわら風の盆」。小さな町に約25万人もの観客が集います。

最近人気が沸騰していると噂の「おわら風の盆」。

以前にこのコラムで
紹介しましたが、
“日本三大盆踊り”は、
秋田の「西馬音内の盆踊り」、
岐阜の「郡上踊り」、
徳島の「阿波踊り」
というのが定説。

また、
“日本三大民謡踊り”
というのもあって、
「郡上踊り」、「阿波踊り」に
山形の「花笠踊り」が加わる
というのが一般的です。

しかし、
地域観光課や旅行会社などが
“日本三大…”を謳う場合に、
「郡上踊り」、「阿波踊り」は
そのまま残して、あとひとつに
“おらが県の〇〇踊り”を
加えることも少なくありません。

というのも、
そもそも“日本三大…”の
明確な定義はなく、
農閑期となるこの時期、
歴史的、規模的に、
同じサイズ感のお祭り行事が
全国的に点在しているからです。

ということであれば、
観光誘致の話題として
地元の祭りを推したい気持ちも
分からなくはありません。


「日本の祭り」はここを見る」
という本によると、
“日本三大盆踊り”の紹介の追記で、
“最近、富山の「越中おわら風の盆」
の人気が沸騰している”と
書き綴られています。

「越中おわら風の盆」とは、
富山県越中八尾町(やつおまち)で
行われている夏のお祭り行事です。

ではなぜ、富山の
「越中おわら風の盆」の人気が
沸騰しているのかというと、
ここでしか味わえない特徴が
魅力となっているといえます。

花火が打ち上げられたり、
縁日の屋台が軒を並べたりする、
賑やかで開放的な
夏のお祭りとは対照的に、
「越中おわら風の盆」は、
もの静かな哀愁が漂う
雰囲気のお祭り。

夏の暑さに疲れた心身を
リラックスさせてくれるかのように、
その静寂感が醸し出す
独特の空気感が町全体に漂います。

この静かにゆったりと
時が流れる感覚が、
ほどよい癒しを与えてくれ、
それが大きな魅力を
担っていることは
間違いのない事実。

小さな町に、全国から
毎年約25万人以上もの見物客が
訪れることからも、その人気を
押しはかることができます。

約300年もの歴史を刻む静かなお祭り「おわら風の盆」で、癒しを体感。

「越中おわら風の盆」は、
富山市街地から約10数km
南下した山間の坂の町、
八尾町(やつおまち)で、
毎年9月1日から3日に
開催されるお祭りです。

その歴史は古く、
江戸中期の1700年(元禄時代)頃から
約300年も続く伝統的なお祭り行事。

祭りが開催される二百十日前後は
台風が日本列島を
通過する時期にもあたり、
昔から収穫前の稲に
台風被害が及ばないことを願う
豊作祈願の風鎮祭を“風の盆”と
呼んだようです。

また、種蒔き盆、雨降り盆など、
休みのことを“盆日(ぼん)”と
呼んだことも、その由来に
関係するという説もあります。


八尾町は、昔を彷彿とさせる
伝統的な格子戸のある旅籠宿や
土蔵造りの民家が
坂道に沿って立ち並び、
風情のある宿場町のような
雰囲気の街並みが特徴。

その建物の軒下に
道に沿って連なる
数千本ものぼんぼりには、
日が暮れるとともにあかりが灯り、
幻想的な光景を醸し出します。

とくに、
「越中おわら風の盆」が
開催されるときなど、
踊りの流れを誘導するかのような
錯覚に陥ります。

「越中おわら風の盆」では
“地方(じかた)”と呼ばれる
楽器と唄の役割があります。

楽器は、探り弾きという演奏法で
やや重い旋律を奏でる“三味線”、
哀愁が漂う音色が特徴の“胡弓”、
軽めのリズムを刻む“太鼓”。

そこに、“お囃子”に
誘い出されるかのように
甲高い声の“唄い手”が加わって
全体の調和を取りながら
練り歩きます。

そして、その“音”に
反応するかのように、
豊年を祈る“豊年踊り(旧踊り)”と、
四季踊りと呼ばれる
躍動的な“男踊り”、
たおやかで艶やかな“女踊り”が
繰り広げられます。

男女ともに顔を隠すように
“おけさ笠”を深く被るのが
印象的です。


観客は、これらの長年にわたって
培われた唄や楽器、踊りを静かに
見守るかのように観覧するのが
「越中おわら風の盆」の
楽しみ方なのです。

「越中おわら風の盆」を
一躍有名にしたのは、
1985年(昭和60年)に
直木賞作家の高橋治が発表した
「風の盆恋歌」辺りから。

この原作を元に、
テレビドラマ、舞台、コミカライズ、
そして石川さゆりの同名曲など、
幅広い分野に波及していきました。

静かなお祭りという特徴は、
心に響く深い物語を紡ぐのに
格好の題材なのかも知れません。

観光目的というより、
地元に根付いた文化を
継承しているのが
「越中おわら風の盆」。

夕方辺りから涼しくなる
この時期だからこそ、
一風変わったお祭りに
参加してみるのも、
一興でしょうか。

誰もが持っている小学校時代の「朝顔」の記憶。

失敗の少ない「朝顔」栽培。種蒔きから約2カ月で、
キレイな花を拝めます。

夏が始まる前に種を蒔き、
それぞれが大きく育てた「朝顔」を
1学期の終業式の日に家に持ち帰る…
小学校低学年の頃の
懐かしい思い出として、
みなさんの遠い記憶に
刻まれていませんか。

もしかすると持ち帰らずに
日当たりの良い校舎周辺に
おいていたかも。

ではなぜ、「朝顔」なのでしょうか。

学習指導要領によると
“低学年の児童でも
栽培が容易なもので、
植物の成長の様子や特徴が
とらえやすく、
確かな実りを実感でき
満足感や成就感を得られるもの”
との記載はありますが、
「朝顔」と限定されている訳では
ありません。

数ある植物の中から、
なぜ「朝顔」が採用されることが
多いのかというと、
小学校低学年でも育てやすく、
短い期間で成長し、
見た目の変化が大きいという点が
挙げられます。

昔は理科の栽培実習として、
学習指導要領改正後は
生活科の授業で「朝顔」の栽培実習が
取り入れられているとのこと。

具体的には、
小学校1年生の
ゴールデンウイーク後の授業で
種を蒔きます。

「朝顔」は、
約2カ月で花を咲かせるので、
夏休みまでに成長の過程を
十分に観察できるのが特徴。

土と日光、水があれば簡単に育ち、
たとえ痩せた土でも追肥の必要がなく
学習用の鉢に
水を入れたペットボトルを
逆さまに挿しておけば
水分補給も容易というのも
採用される基準のひとつといえます。

ほぼ失敗しない初めての
植物栽培に適した教材のようです。

「朝顔」は
ツル性を持つ植物の代表格で、
種蒔き、発芽、葉の成長過程、
そして開花と、
約2カ月で一連の成長観察ができ、
夏休み時期に
家へと持ち帰ってからも
観察が続けられ、
種の収穫までの成長の流れを
見届けることができます。

さらに、観察に加え、絵日記、
花を摘んで押し花、
同じ色の花を集めて
色水をつくって絵を描いたり、
栽培後のツルを集めて
ひと足早い
クリスマスリースづくりなど、
捨てるところが少なく、
多様な自由研究にうってつけなのが
「朝顔」です。

また収穫した種を
翌年に植えるというのも、
命をつなげるという学習にも
なり得るようです。

ちなみに、「朝顔」の開花は、
日没後約10時間前後とのこと。

「朝顔」を植えて育てている方は、
一度確認してみるのも
面白いかも知れませんね。

最初の「朝顔」ブームは、江戸時代末期。

「朝顔」の原産は、
自生種があることから、
ヒマラヤ、ネパールから
中国にかけてのエリアや
熱帯アジアという諸説がありましたが
近年、そこに、
熱帯アメリカ大陸が原産地
との説が加わったとのことです。

日本に伝わったのは奈良時代末期。

当時、遣唐使が、
その種子を薬として持ち帰ったものが
日本に伝来した最初とされています。

ただ、遣唐使が
「朝顔」の種を持ち帰ったのが
平安時代とする説もあり、
その場合、
万葉集に出てくる「朝顔」は、
キキョウやムクゲのことを
指しているといわれています。

薬としての薬効は主に下剤で、
煮たり焼いたり炒ったりなど
熱を加えることで
その効能を発揮しますが、
毒性が強く素人判断の服用は
厳禁だったようです。

「朝顔」の葉を細かく刻んで揉み、
当時、便器に投入しておくと
虫が湧かないという使い方も
されていました。

日本に伝わった当初は、
漢名の「牽牛(けんぎゅう)」と
呼ばれ、
和名の「朝顔」が使われ始めたのは
平安時代からのこと。
古代中国において「朝顔」は、
牛と交換取引されるほど高価な薬。

現在も「朝顔」の種子は、
漢方の下剤や
利尿剤として利用されています。

時代は移り、
江戸時代は比較的平和な
時代だったこともあり、
「朝顔」も園芸で楽しむものとして
趣味の分野での
人気が高まっていました。

意外にも、1806年(文化3年)の
江戸の大火がキッカケとなって
「朝顔」ブームが起こります。

火事の跡地を更地にして、
「朝顔」を植えたところ、
それまで見たこともない
珍しい「朝顔」が咲いたことで
ブームが巻き起こりました。

子供の頃の「朝顔」栽培は、
懐かしい思い出として、
誰もが共有できる
共通認識のひとつです。

デジタルな疑似体験が増えた現在、
数少ない貴重な実体験ともいえます。

品種によっては、
この時期に種蒔きが可能な
「朝顔」もあるようです。

興味のある方は、
今年の「朝顔」栽培、
されてみてはいかがでしょうか。

意外にも、蝉の声を聞き分ける能力は、日本人独特という説。

日本の蝉の生態と海外の蝉事情。

6月末の猛暑日が連続した頃は、
茹だるような暑さなのに
まったく蝉の声が聞こえないという、
やや違和感を感じながら、
今年の夏はスタート。

そんな思いもつかの間のこと、
7月初旬辺りから蝉の声が
聞こえ始めました。
“チージー”と鳴く
ニイニイゼミの声に、
“シーシャンシャンシャンシャン、
ジー”というクマゼミの声が重なり、
夕方辺りに“カナカナカナ”と
ヒグラシの声。

そして、アブラゼミの“ジージージー”
の鳴き声に重なる
“ミーンミンミンミンミー”と
ミンミンゼミの大合唱が。

夏も半ば過ぎともなると、
昼間の蝉の大合唱の後、
ツクツクボウシの
“ジー ツクツクボーシ
ツクツクボーシ ゥイヨーゥイヨー
ジー”が夕方に聞こえ始め、
そして秋へと季節は
移り変わっていきます。


北から南へと細長い地形の日本なので
それぞれの地域の気候や生息環境、
地形の高低差によって、
蝉が鳴く時期は前後し、
種類も異なります。

東京都心にはミンミンゼミが多く、
西日本エリアでは
山間部でないと聞けません。

これとは逆に、
西日本の市街地に多いのは
クマゼミですが、
関東ではもともと少ない種類。

近年、温暖化の影響なのか、
クマゼミの分布が北上し、都内での
鳴き声の報告もあるようです。

蝉の声のピークは8月上旬。
何種類もの蝉の声が重なって
聞こえるのを季節感とみるか、
騒音ととらえるか、
意見の分かれるところです。


海外にも蝉はいます。
アジア圏は蝉が多く、
台湾には50以上もの種類が存在。

一方、ヨーロッパ圏には
蝉の種類は少なく、
ギリシャやイタリア、南フランス
辺りに生息していますが、
セミの鳴き声を音色ととらえ、
そこに情緒を感じるのは
日本特有の文化のようです。

欧米諸国には、
犬や猫の鳴き声を表したような
擬声語に蝉の声はなく、
“蝉の雑音(ノイズ)”
“蝉の羽音(バズ)”などと
大雑把に表現される扱い。

そんな中で、蝉の声を音色と
とらえた作品があったようです。

ギリシャ人のイソップの童話のひとつ
「アリとキリギリス」は、
もともと「アリとセミ」だったそうで
蝉を知らない国に
この物語が伝わる際に、
キリギリスに置き換えられ、
それが世界に広まったとされています。

イソップは、蝉が夏場に
音楽を奏でると
とらえていたのかも知れません。

また、アメリカでは、
蝉の声をやはり騒音と
とらえているようですが、
それ以上に、13年、17年に一度
大量発生する周期ゼミによって
街が覆い尽くされることの方が
問題のようです。

“立秋”の次項「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」は、
夏から秋への季節の境目。

テレビのニュースなどでよく耳にする
“暦の上では”という表現を使えば、
今は二十四節気の“立秋”で、
七十二候の“立秋”の次項
「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」
にあたります。

「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」とは、
夏の終わりを告げるかのように、
ヒグラシが鳴き始める頃のこと。

実際には、もう少し早い時期から、
日の出前や日没後の薄暗い時間帯に
ヒグラシは鳴き始めています。

ヒグラシの“カナカナカナ”
という声は、
他の蝉の大音量の鳴き声とは異なり、
どこか寂しく儚げな印象があり、
それと少し涼しくなる秋の気配を
重ね合わせたと推測されます。

これ以降、秋へと季節が近づき、
日中の気温が下がり始めると、
ヒグラシの声は日中でも
耳にするようになります。

その頃には残暑もやわらぎ、
やがて秋の虫の鳴き声にバトンタッチ
するかのようにヒグラシの鳴き声は
消えていきます。

そんな、夏の終わりを
感じさせてくれることから、
ヒグラシは
“寒蝉(かんせん)”とも呼ばれ、
暦に表記されているのでしょう。

蝉の声を聞き分ける能力は
日本人に備わった独特の能力
という説もあります。

断定はできませんが、
欧米人は蝉の声を、
街の喧騒と同じ雑音と
とらえているため、
脳内で音色として
認識できないらしいので、
あながち間違いではないようです。

お盆の“送り火”の「精霊流し」。
厳かなイメージとは、かなり異なります。

毎年、お盆は“迎え盆”に始まり、
“送り盆”で終わります。

前回に続いて…再び、お盆の話題。
お盆の時期は地域によって
やや異なります。

もともとの旧暦のお盆の期間は、
7月13日から16日でした。

明治初旬、旧暦から新暦に変わる際に
お盆期間は地域によって
大きく3つのパターンへと移行。

新暦採用に伴って、
そのままの日にちの
7月13日から16日を採用したのは、
一部を除いた東京都心部、
金沢の旧市街地、静岡市など。

“新のお盆”“東京盆”
とも呼ばれています。

“新のお盆”と呼ぶのは、
人が亡くなって49日の法要を終えて
初めて迎えるお盆の
“新盆(関西では“初盆”)”
と区別するため。

2つめのパターンは、
他の地域より1日短い、
旧暦7月13日から15日のまま
(2022年(令和4年)は
、8月10日から8月12日)
の沖縄、奄美エリア。

ちなみに、沖縄の伝統芸能の
エイサーは盆踊りのことです。

そして、それ以外の
ほぼ全国的なエリアでは、
新暦8月13日から16日。

旧暦の季節感を
そのまま受け継いだ“月遅れ”
を採用したもの。

“旧盆”“月遅れ盆”
と呼ばれています。

これには諸説ありますが、
農家が多かった当時の背景から、
梅雨が明け切っていない農繁期を
避ける意味で、
旧暦の季節感を選んだ地域が
多かったのかも知れません。

地域によって異なりますが
一般的なお盆は、
13日の“迎え盆”で始まります。

午前中にお墓参りを済ませ、
夕方頃に盆提灯にあかりを灯し、
玄関の軒先などで、
“迎え火”を焚いて
ご先祖様のお迎えを
(集合住宅などでは
盆提灯のみでも構わない)。

14、15日は“盆中日”。

13日にお墓参りができなかった方は、
この“盆中日”にお墓参りを。

本来のお寺さんの来訪は
この2日間なのですが、現在は
お盆前に来られることもあります。

そして、16日の“送り盆”に
ご先祖様をお送りするため、
夕方に“送り火”というのが
一般的なお盆のスケジュールです。

ちなみに、“お盆休み”は、
江戸時代、商家に勤めていた奉公人が
夏と冬に、実家に帰省するために
休みをもらった“藪入り”という
風習の名残。

夏の休みは、
旧暦7月16日に与えられました。

この日は、仏教の
“閻魔の賽日(地獄の獄卒)”
ともいわれ、地獄の釜の蓋が開いて、
地獄に堕ちた人や鬼が
責め苦から解放される日で、
それを取り締まる地獄の番人も
お休みとなる日なのです。

大きく異なるお盆行事の「灯籠流し」と「精霊流し」。

お盆の最終日の“送り盆”を
締めくくるのは、“送り火”です。

この“送り火”は、
“迎え火”とくらべると、
意外と壮大な夏のイベントとして、
暦に刻まれています。

京都の“五山の送り火”や
箱根の“強羅大文字焼き”、
終戦記念日に平和を祈念する意味を
含めた奈良の“大文字送り火”
などが有名です。

全国的に行われる「灯籠流し」も
“送り火”の意味を持つことが多く、
河川敷や海岸のお祭り、
花火大会と一緒に開催される
夏の風物詩のひとつ。

地域によっては、お盆よりも前に、
空襲の戦没者の慰霊の意味を持つ
「灯籠流し」が
行われることもあります。

一般的に「灯籠流し」は、
毎年お盆の終わりに行われる
その地域に伝わる風習で、
火を灯した灯籠を川や海に流し、
先祖の魂をあの世に送り戻す儀式です。

さて、この「灯籠流し」と
混同されがちなのが
「精霊流し(しょうろうながし)」。

さだまさしの楽曲が披露されたことで
一躍有名になりました。

この歌の物悲しいメロディーや
厳かで叙情的な歌詞を聴くと、
「精霊流し」に
「灯籠流し」と同じような
繊細なイメージをいだきます。

しかし、実際の「精霊流し」は
長崎エリアを中心に行われる
ローカル行事で、その雰囲気は、
「灯籠流し」とは、まったくの別物。

長崎の「精霊流し」は、
盆前に亡くなった遺族のために
船をつくり、盛大に極楽浄土へ
送り出す伝統行事なのです。

8月15日の夕方、
長崎市内の主要道路には
交通制限が掛かり、
路面電車も止めて、
「精霊流し」の流し場まで
大小さまざまな
遺影を乗せた精霊船が並びます。

移動中に遺族が鐘を鳴らし、
爆竹の音が街中に
響きわたるのですが、
とくに派手さを競うかのような
爆竹の音量は凄まじく、
当日は耳栓が売り切れるとまで
いわれています。

また精霊船の大きさもケタ違い。

全長10メートル以内と
決められるほど、こちらも競って
大きな船が集まります。

何より驚くのは
条例で海に流せないということ。

時間が来ると精霊船は重機で壊され、
粗大ゴミに。

そのゴミ処理に追われるため、
しばらくは粗大ゴミの持ち込みが
できなくなるようです。

思い描いていたのとは異なる
「精霊流し」。

故人への思いで、
悲しみに明け暮れることを考えると、
こういう賑やかな偲び方を望むのは、
他ならぬ故人なのかも知れません。