七夕は、別名“棚幡”。邪気払いの日本酒はいかがですか?

逆境が育む、つのる恋心。7月7日が晴れる確率は約3割。

イギリスの劇作家シェイクスピアの
代表戯曲「ロミオとジュリエット」。

言わずと知れた、かなわぬ恋の悲哀を
描いた作品で、たびたび
舞台上演や映画化されている、
時代を越えた傑作です。

いがみ合う2つの名家の対立は
激しさを増すばかり。

それぞれの家の純朴な若い二人に
恋心が芽生え、結ばれるために
一計を案じますが、
すれ違いにより若い二人は
帰らぬ人に…ざっくりと、
そんなお話です。

この時代に携帯電話さえあれば
二人の計画は上手く運んだものの、
とついつい思ってしまいます。

織姫と彦星(牽牛)が登場する
「七夕伝説」も、
同じようなお話かと思いきや、
少々、その内容は異なるようです。

元となったのは、中国発祥の
「牛郎織女(ぎゅろうしゅくじょ)」
という物語。

昔むかし、天帝は、娘の織姫が、
身なりに構うことなく、
はた織りに励む毎日を
送っていることを不憫に思い、
娘に見合った婿探しをはじめました。

そして、勤勉に牛の世話に励む若者、
彦星と出会います。

彼が働く姿を見た天帝は、
“この若者こそ、娘を幸せに
してくれるに違いない”と、
彼を娘の結婚相手に決めました。

そして結婚した二人は毎日
仲睦まじい生活を送りますが、
それまでとは一転、
二人は仕事をまったくせず、
遊んで暮らす毎日。

それに怒った天帝は
織姫と彦星を天の川で
隔てて引き離すことに。

突然引き離され、
悲しみに暮れる二人は、
働く意欲さえなくなりました。

その姿を見かねた天帝は、
真面目に働くのなら、
7月7日だけ逢わしてやると約束。

織姫と彦星は、1年に1度だけ、
逢うことを楽しみに、真面目に
働くようになった…というお話。

織姫と彦星の関係を恋人同士
だとばかり思っていたのですが、
夫婦だったとは驚きです。

ここではじめて知った
方も多いのでは。

7月7日に降る雨のことを
「催涙雨(さいるいう)」
といいます。

これは、年に一度の機会なのに、
逢うことができず、
二人が流す涙のこと。

過去58年間で
“晴れた7月7日”は約31%。

野球の打者なら、
アベレージヒッターとして
合格点なのですが、
こと七夕となると
3年に一度しか逢えないことに。

ちょうど梅雨の時期と重なるため、
“梅雨の晴れ間”を期待する
しかないようです。

それならば、昔からの習慣という
ことで、8月7日(旧暦の七夕)
とした場合、晴れる確率は約51%。

これなら、二人は2年に一度、
逢えることになります。

日本最大の七夕祭りといわれる
宮城県「仙台七夕祭り」は
8月6〜8日、
秋田県「能代七夕/天空の不夜城」と
埼玉県「狭山市入間川七夕まつり」
は8月3〜4日、
愛知県「安城七夕まつり」は
8月2〜4日、
京都府「京の七夕」は
8月10〜12日など、
旧暦で開催される地域が多くある
のもうなずけます。

七夕の夜空に輝くベガとアルタイル。天の川は見えますか。

さて、実際に、
七夕の時期に夜空を見上げると、
“こと座のベガ(織姫星)”、
“わし座のアルタイル(彦星)”、
ここに“はくちょう座のデネブ”が
加わって、ひと際明るい3つの星、
「夏の大三角」を見つける
ことができます。

ベガ(織姫星)とアルタイル(彦星)
の距離は、約14〜15光年。

光の速度で移動して
約14〜15年かかるということ。

こうなると、ロマンチックなどとは、
ほど遠い距離といえます。

家庭では、短冊に願い事を書いて
笹の葉に飾るのが
一般的な七夕の風景です。

七夕は、
別名“棚幡(たなばた)”と書きます。

旧暦のお盆は7月15日で、
7月7日は、お盆の準備のために、
ご先祖様を迎える
「精霊棚(しょうりょうたな)」
を設けて、幡を立てる風習が
一般的でした。

また、七夕は五節句のひとつ
でもあり、それぞれの節句に、
邪気を払うために飲むお酒が
決まっていました。

7月7日は「一夜酒」、
つまりアルコールの入っていない
甘酒を飲んだとされます。

夏場の酒は、いまと違って
保存状態が良くなかったこともあり、
甘酒で夏バテした身体への滋養強壮を
補う役割を果たしていたようです。

冷蔵技術が進んだ現在は、夏場でも
美味しい日本酒が数多くあります。

「スパークリング純米大吟醸酒
天使の吐息」や「にごり梅冷酒」
などサッパリ系をはじめ、
「純米原酒」や「樽酒」、
「シェリー樽貯蔵 大吟醸酒」など、
冷やして旨いお酒も盛りだくさん。

 

夜空を見上げながら、
ロマンチックな思いに更ける
七夕の夜。

今年は、晴れるといいですね。

聞き慣れない「半夏生」は、農作業の大切な節目。

馴染みの薄い雑節「半夏生」。

「半夏生」という言葉を
ご存知ですか。

“はんげしょう”と読みます。

「半夏生」は、節分や彼岸、
土用などと並ぶ雑節のひとつで、
移り行く季節をより的確につかむ
ための特別な暦日です。

その元になったのは、二十四節気の
夏至の終侯“半夏生ズ”。

中国の季節に基づいた“節気”では、
日本の季節の変化を
読み取れないこともあり、
とくに大切な特別の暦日として、
日本の風習と結びつきの深い
“雑節”が設けられました。

ちなみに、2019年の「半夏生」は、
7月2日(期間とする場合は、
7月2日から7月6日の5日間)です。

この「半夏生」、
ほかの雑節とくらべると、
少し印象が薄く感じますが、
農家にとっては、とても大切な
節目とされてきた歴史があります。

農業が中心だった
昔からの言い伝えとして、
“チュウ(夏至)ははずせ、
ハンゲ(半夏生)は待つな”
ということわざや“半夏半作”
という言葉が残されています。

これは、「半夏生」以降に田植えを
したものは、収穫がかなり減る
ということを伝えたもので、
夏至を過ぎて「半夏生」に入るまで
に田植えを済ませておくための
戒めのようなもの。

実際に、農家にとっての節目となる
大事な日で、“畑仕事を終える”
“水稲の田植えを終える”
目安となる日とされ、その習慣は、
代々受け継がれてきました。

「半夏生」という言葉が、
夏至の終侯の“半夏生ズ”に由来すると
述べましたが、それが意味するのは
“半夏が生える”ということ。

七十二候に多くみられるのですが、
季節の植物の生育を取り上げて、
その季節を表現します。

“半夏生ズ”で取り上げられた
植物は何でしょうか。

“半夏”は烏柄杓(からすびしゃく)
という薬草の漢名で、この花が咲く頃
が初夏のこの時期ということです。

余談ですが、片白草(かたしろくさ)
も“半夏生”という似通った漢名を持ち、
花が咲くのが同じ季節。

葉の一部で表側だけが
白くなることから、
半分化粧をしているように見える
“半化粧”が転じて“半夏生”に。

一般的には
“半夏(烏柄杓)”が通説です。

“半夏”と“半夏生”、見た目は
まったく異なる植物ですが、
その開花が季節の変わり目を
教えてくれるという点では、
どちらも正解といえる
のではないでしょうか。

「半夏生」は、農業が主だった時代の生活の知恵?

昔から、「半夏生」の日は、
“物忌み(ものいみ)”の日と
解釈された側面があります。

“物忌み”とは、
神聖なものを祀るために、
ある期間中、食事や行動を慎み、
不浄を避け、家内にこもることで、
神聖な存在に穢れ(けがれ)を
移さないことを意味します。

その土地ごとに伝聞は異なります。

天から毒気が降るので
井戸に蓋をして井戸水を飲まない、
酒肉を食べない、
この日に採った野菜を食べない、
地荒神(ちこうじん/畑の神)
を祀り、お神酒・麦団子を供える、
なかには、この日から5日間、
農作業を休むなど、多種多様です。

ただ、その背景には、田植えで
疲れ切った身体を癒すために、
ある意味、強制的に休む日を設ける
という、昔の生活の知恵だと
考える向きもあるようです。

「半夏生」にまつわる言い伝え
や風習は、全国各地で
それぞれのカタチを残しています。

まずは「半夏生」にまつわる言い伝え。

三重県熊野・志摩地方では
“ハンゲという妖怪が徘徊する”、
青森県では
“半夏生の日の後に田植えをすると、
1日に1粒ずつ収穫が減る”、
群馬県では
“ネギ畑に入ることは禁忌”、
埼玉県では
“竹の花が咲いたり消えたりする時期。
それを見ると死ぬので、
竹林に入ることは禁忌”など。

一方、風習として有名なものは、
香川県の「うどんの日」。

古来よりその年に収穫された麦で
うどんを打ち、農作業を手伝って
くれた方々に振る舞う風習が
受け継がれてきたものを、
1980年に“7月2日は、
うどんの日”として制定したもの。

福井県大野市では、江戸時代に
大野藩藩主が、「半夏生」の時期、
農民に焼き鯖を振る舞ったという
逸話を元に、現在も“「半夏生」に
焼き鯖を食べる”という風習が。

兵庫県明石市では“蛸を食べる”習慣。

奈良県香芝市では
“田植えを無事に終えたことを
田の神様に感謝するお供え物として
小麦を混ぜた餅をつくり、
きな粉をつけて食べる”など、
地方ごとにそれぞれ農産物などと
結びついた言い伝えや
風習のカタチを残しています。

欧米諸国では宗教上の観点から
“労働は苦役”と捉えられがちですが、
日本では“働くことは美徳”
とされてきた歴史があります。

ついつい働きがちな日本で、
「半夏生」という疲れた身体を癒す
生活の知恵は、昔の“働き方改革”の
走りだったのかも知れません。

世界的な夏至。北半球全体が明るい一日です。

夏至にまつわる誤解。

今年の「夏至」は、6月22日
(期間とする場合は、
6月22日から7月6日の
15日間)です。

北半球で、
“一年のうちでもっとも昼の時間
(日の出から日没まで)
が長い日”として
認識された日といえます。

また、太陽の位置や動きにおいて、
“太陽が上がった時の角度が
もっとも高い”
“一年のうち、
もっとも北寄りから昇り、
もっとも北側に沈む”
日ともいえます。

これは“黄道”と呼ばれる太陽の軌道
と地球の回転の軌道である“赤道”の
角度がずれていることに起因します。

ちなみにこの日、北極圏では
一日中太陽が沈まない“白夜”、
逆に南極圏では
一日太陽が昇ることのない“極夜”
になります。

昼の時間が一番長いということから、
“夏至は、日の出がもっとも早く、
日の入がもっとも遅くなる日”
と勘違いされがちです。

国立天文台によると、日本で
“日の出がもっとも早い日は、
夏至より1週間ほど早く”
“日の入がもっとも遅い日は
夏至より1週間ほど後”。

この誤差は、
太陽が地球を通過する時の
高さと動く速度の違いで
発生するとのことです。

当然のことですが、
日の出や日の入の時刻は、
見る場所によって異なります。

一般的に立ち入ることができる場所で
標高を考えないとした場合、
もっとも早く日の出を拝めるのは、
最東端となる北海道の納沙布岬で、
日の出が3時36分、
日の入が19時01分
(昼の時間15時間25分間)。

逆にもっとも日の入が遅いのが、
最西端となる沖縄の与那国島で、
日の出が6時01分、
日の入が19時40分
(昼の時間13時間39分間)です。

最東端と最西端で、日の出時刻が
2時間25分もの差があることに
驚くとともに、
日の入の時刻差がわずか39分
しかないのにも驚かされます。

一番長い昼は、日本だけでなく世界各地で賑わっています。

二十四節気で
「夏至」は10番目にあたり、
9番目の「芒種(ぼうしゅ)」と
11番目の「小暑(しょうしょ)」
に挟まれた節気です。

「芒種」は麦を収穫し、
田植えをはじめる時期で、
「小暑」は梅雨が明けはじめ、
本格的な夏の暑さがはじまる時期。

また、各節気をさらに細かく分けた
七十二候の場合、「夏至」は
“初候…乃東枯
(なつかれくさかるる
/夏枯草が枯れる)”
“次候…菖蒲華
(あやめはなさく
/あやめの花が咲く)”
“末候…半夏生
(はんげしょうず)
/半夏が生える)”
の3つに分かれます。

とくに、末候の
“半夏生”の頃ともなると、
農作業がひと段落した
“畑仕事や田植えを終える”
目安となる時期とされています。

「夏至」が、
“1年で一番昼が長い日”
ということは、江戸時代にすでに
知られていたようで、太玄斎
(常陸宍戸藩第5代藩主 松平頼救)
が編纂した暦の解説書である
「暦便覧」に“陽熱至極し、又、
日の長きのいたりたるをもってなり”
という記述が見られます。

暦便覧が出版されたのは
1787年(天明7年)、
徳川11代将軍家斉の時代でした。

また、「夏至」は世界的な現象という
こともあり、世界各地でさまざまな
「夏至祭」が行われています。

スウェーデンでは、「夏至」に
もっとも近い土曜日と
その前日が祝日となり、
街の広場に“夏至柱”を立て、
その周りを民族衣装や
花冠をまとった女性たちが
歌ったり、踊ったりします。

「夏至」はスウェーデンで
もっとも大切な日にあたり、
この時期に合わせて
夏休みを取る人もいるほどです。

フィンランドは、
ユハンヌスと呼ばれる「夏至祭」
を6月20日から26日の間の
土曜日に開催。

白樺やポプラ、草花で
街中が飾られ、乳製品、
ジャガイモ、ソーセージが
振る舞われるなか、ひと晩中、
野外での踊りが続くとのこと。

ロシア、ウクライナなどでは、
イワン・クパーラという「夏至祭」
が開かれ、焚き火を飛び越える
などのイベントに興じます。

このほかの北欧諸国やオーストリア、
カナダ、米国アラスカ州などで、
その地に伝わる「夏至祭」が
開催されています。

また、祭りではありませんが、
世界の七不思議のひとつに数えられる
イギリスの謎の巨石遺跡
ストーンヘンジにも、「夏至」の日に
多くの人が集まります。

中心の祭壇とされる石と他の石を
直線に結んだ先に太陽が昇る
のを見るためだそうです。

メキシコのマヤ文明をいまに伝える
テオティワカンの
“太陽のピラミッド”も
「夏至」と関係が深い場所。

星の位置から暦を解明していた
とされるマヤ文明ですが、
“太陽のピラミッド”は
太陽の動きを計算して
設計された古代建造物。

「夏至」の日、太陽は
このピラミッドの真上を通過し、
正面に沈みます。

こうしたことから、
パワースポットして
人気の観光地となっています。

日本には「夏至祭」のような風習
はあまりなく、数少ない
「夏至祭」として有名なのは、
三重県の二見興玉神社の「夏至祭」。

観光名所ともなっている
夫婦岩を有する神社です。

ふたつの岩の間を朝日が昇る
勇壮なシーンに出会えるのは、
「夏至」の前後数日だけ。

この太陽のエネルギーを
浴びながら海に入り、
身を清めるという行事が
行われています。

「夏至」は、日本古来からの歳時の
ひとつぐらいの認識しかなかった
のですが、宇宙の現象であること
を考えると、その影響を地球全体が
受けていることにもうなずけます。

その地域独自の文化を育んだ
夏至は、まもなく訪れます。

端午にまつわる深いお話。

厳しい景観条例の京都。こいのぼり掲揚の許可は?

連日、多くの観光客で賑わう京都市街。

街中各所に垣間見える
伝統的で雅やかな情景が、
この街に人を惹き付ける
魅力のひとつとなっています。

この京都ならではの雰囲気を
醸している背景には、
景観条例に則した徹底した街づくり
があるのをご存知でしょうか。

景観条例を最初に施行したのは
石川県金沢市で1968年(昭和43年)。

都道府県では1969年(昭和44年)
の宮崎県が最初とされ、
全国にじわじわ波及しはじめました。

景観保護に対する行政の意識を
決定づけたのは、2005年
(平成17年)の景観法の制定です。

それまで強制力のない実施目標
というところも多かったので、
この機を境に無秩序な建設は
控えられることになりました。

そんな景観に対する
意識がもっとも高く、
日本で一番厳しいとされるのが
京都市の景観条例です。

古い伝統を有する建造物が多い京都は
、旧市街地型や山並み背景型、岸辺型
などのいくつかの美観地区エリアに
分けられ、それぞれの町並みの
風情や眺望景観を保護するために、
建築物の高さや建築デザイン、
屋外看板など、厳しい基準が
設けられています。

建築物についての高さ制限はもちろん
のこと、屋根の形や勾配、色彩など
細かい規定が設けられ、
広告についても屋上看板や
電飾系の禁止、壁面掲示にも
細かい指示されています。

さまざまな大手チェーン店の
屋外への看板掲示についても、
大きさや色彩の変更を
行わなければなりません。

本来、企業ロゴは色や形について、
各企業が細かく規定しているもの。

ところが外資系も含め、
各企業とも景観条例に沿った
カラーリングを施しています。

鮮やかな赤をシックな茶色に
置き換えるなど、京都でしか
観ることができないさまざまな色の
看板は街中に融け込み、
新しい文化を創り上げている
といっても良いでしょう。

ここで頭をよぎったのは、
ひとつの疑問。

これだけ厳しい景観維持の
京都市内において、
「こどもの日」に鯉のぼりを
上げて良いのかということ。

伝統的な行事に対して条例は
適用されるのでしょうか?

悩ましいところです。

結論からいうと、伝統的というより、
鯉のぼりそのものが屋外広告物に
該当しないため、広告案内などが
書かれていなければOKとのこと。

祭の案内看板なども
屋外広告物にあたらないので、
掲示の際の許可申請は
不要のようです。

厳格なだけではない、
住みやすさへの十分な配慮
はきっちりと残されています。

本家・中国の「端午節」は、6月7日(旧暦5月5日)。

さて、この「鯉のぼり」、
鎧兜や柏餅、ちまきなど「こどもの日」
につきもののひとつですが、
これらが一緒になったのは
同時期ではありません。

こどもの日は「端午の節句」と呼ばれ
、もともと中国発祥の“端午”から
きている行事で、中国から日本に
伝わった後、旧暦と新暦が入り交じって、
現在の日本の様式に落ち着きました。

その由来や経緯を、
少しひも解いてみましょう。

由来となる中国の端午は
「端午節」と呼ばれ、
2019年は6月7日(旧暦5月5日)。

「端午節」は、春節、中秋節に並んで
、中国の三大伝統節句の
ひとつとなる祝日です。

“端”には“はじめ”という意味があり、
“午”は、十二支を各月に
あてはめた時の5月のこと。

それを組み合わせて、「端午」は
“5月の初旬”を意味しています。

諸説ありますが、一般的に
中国・楚(紀元前3世紀頃)の
詩人“屈原”の命日である
5月5日に彼を慕う人々が、
彼が身を投げた川に“ちまき”を
投げ入れて供養したことが
起源とされるのが有力な説。

現在でも、この日は、彼を助けるため
に船を出した故事にちなんで
龍船(ドラゴンボート)の競漕が
中国各地で行われ、ちまきを食べたり
、ヨモギや菖蒲の葉を
飾る習慣があります。

「端午」が日本に伝わったのは
奈良時代。

当初、宮中行事であったものが、
鎌倉時代になり、“菖蒲”が“尚武”
に通じ、葉の形が刀剣に似ている
ことから、男の子の節句へと変遷。

鎌倉時代を境に、日本独自の風習
として定着しはじめます。

鎧兜や刀、武者人形や金太郎、
武蔵坊弁慶を模した五月人形
などの段飾りはこの頃からの風習。

鯉のぼりは江戸時代になってから
関東の風習として広まり、
やがて京都や上方へと伝わりました。

鯉のぼりを上げるのは日本独自の文化
ですが、由来そのものは中国が起源。

中国・黄河の“竜門”と呼ばれる滝を
登ったのが鯉で、登り切った鯉が
竜になったという故事が元になって、
男の子の出世を願う意味を込めて
鯉のぼりを庭先に
上げるようになりました。

芸能オーディションなどで
耳にする「登竜門」も
同じ故事からの引用です。

柏餅を食べるのも日本独自のもので、
柏は“神様が宿る木”とされ、
新芽が出るまで
古い葉が落ちないことから、
“家系が絶えず、後世に続く”
縁起物として広まりました。

ちまきについても、いわゆる
“中華ちまき”ではなく、
餅を菖蒲の葉で包んだものが
“ちまき”として定着しました。

そして「端午の節句」が
「こどもの日」となったのは、
1948年(昭和23年)に
制定されてからのことです。

ちなみに、日本での「端午の節句」
は、新暦、旧暦ともに5月5日で、
人日、桃の節句、七夕、重陽と並ぶ
五節句のひとつに数えられます。

中国から伝わった文化は、
日本の習慣をなぞるように
独自の変化を遂げています。

この先、よりグローバルな時代に
なった時、「端午の節句」は
どのように変わっていくでしょうか。

それはそれで、歓迎すべき
新しい時代の幕開けともいえます。

お父さんの心をくすぐる、日本酒の「父の日ギフト」。

お父さんだって、プレゼントは欲しい…に違いない。

郷愁感にあふれる偉大さを表す言葉に
、“母なる〜”があります。

生命の起源を感じさせる“母なる海”、
植物が根を張った強さをイメージ
させる“母なる大地”、
宇宙を舞台にしたSF作品にしばしば
登場する“母なる地球”など、
すべて包容力のある懐かしい温もり
を感じさせてくれる言葉です。

ラテン語の“母(mater)”は、
“海(mare)”と近い語源とされ、
フランス語の“海(la mer)”は
女性名詞、そういえば、
“海”という漢字に“母”が含まれ、
“海”は“産み”と同じ発音。

太古の昔より、生命を産み育む
「母性」に対する敬慕の心が、
人間の遺伝子に
刻まれているようです。

では、“父なる〜”という表現は
というと、なかなかすぐには
思いつきません。

調べて見ると、さまざまな
神話や信仰の“母なる大地”
との対の表現として
“父なる天”や“父なる太陽”
などが使われているようです。

“天”“太陽”ともに、何となく
遠くから見守っている存在
のようで、少し距離感を
感じてしまいます。

そうしたことも関係しているのか、
「母の日」の賑やかさに比べると、
「父の日」は少しだけ
静かな印象を受けます。

実際に「父の日」の
ギフト市場規模は、
「母の日」市場の
ちょうど半分くらい。

世のお父さん、
口にこそしませんが、
“プレゼントが欲しい”…
きっと心の底では、
そう思っているに違いありません。

菊正宗では、そんな、ちょっと
寂しさ漂うお父さんに向けた
「父の日ギフト」を
ご用意いたしました。

まずおススメしたいのが、
「シェリー樽貯蔵大吟醸」です。

本場スペインで買い付けた
シェリー樽に、搾り終えた上質の
生酛大吟醸を樽詰した贅沢な逸品。

歴史を重ねた樽に浸み込んだ
シェリー酒とスパニッシュオーク
(樫)の香りが渾然一体となった
ところに、華やかな香りが広がる
生酛ならではの味わいが
融け合って、奥の深いコクのある
深い味わいを醸し出します。

洋酒党と日本酒党ともに
絶賛の秀逸な味わい
がお楽しみいただける、
大変貴重な限定商品です。

続いてご紹介したいのが
「父の日プレミアム
純米原酒セット」。

菊正宗だけの特別な酒米「兵庫恋錦」
で醸した幻の酒
「超特撰 兵庫恋錦 特別純米酒 原酒
」、吉野杉の爽やかな香りをまとった
芳醇な味わいの「上撰 純米樽原酒」、
吉川特A地区産の山田錦を100%使用
した「超特撰 嘉宝蔵 雅」の、
日本酒好きには堪らない
“垂涎(すいぜん)”の純米原酒を
3本セットです。

そして最後に、普段なかなか口に
できない、お父さんへの感謝の
メッセージをネオカップに貼り付けた
「思いを伝える ネオカップセット
〜メッセージ「父の日」タイプ〜」。

180㎖の飲み切りタイプの
ネオカップを5種類20本の
セットにしました。

ご家族揃っての飲みくらべなど、
会話も弾む父の日ギフトです。

どれも、お父さんが喜ぶ
嬉しい1日になりそうな
商品を取り揃えました。

正式な「父の日」制定は、「母の日」に遅れること58年。

最初の「父の日」の祝典が
行われたのは、1910年のこと。

その前の年にアメリカのワシントン州
のある街での出来事が
キッカケとされています。

その出来事とは、男手ひとつで
自分を含む6人兄弟を育て
てくれた父を讃えて、
父の誕生月である6月に
礼拝をしてもらった
ソノラ・スマート・ドッドという
ひとりの女性の願いに
端を発したものです。

当時すでにはじまっていた母の日
と同じように、父に感謝する日
も必要という牧師協会への嘆願
が最初とされています。

母の日の起源とされる1907年から
3年遅れての祝典となりました。

とはいうものの、
「母の日」がアメリカの記念日
となったのは1914年。

「父の日」は1972年に
正式な記念日として制定された
もので、実に58年もの年月が
経っていました。

母の日に贈る花は
カーネーションに対して、
父の日の花はバラ。

父親が健在の場合は赤いバラを贈り、
亡くなっている時は
白いバラを身につけます。

寡黙な父、饒舌な父、頑固な父…
いろんな父親像はありますが、
「父の日」には、感謝の気持ちを
カタチにして伝えたいものです。

新たに「父なる〜」という言葉が
生まれるのを願うばかり。

今年の「父の日」は6月16日(日)。

日本酒を前に、
こぼれんばかりのお父さんの笑顔が、
今年は見られそうです。