地味な印象の「水菜」ですが、実は、隠れた栄養の宝庫です。

「水菜」にまつわる“栄養があまりなさそう”というイメージは、大きな誤解。

「水菜」にまつわる
“栄養があまりなさそう”
というイメージは、大きな誤解。

寒さが厳しい12月から3月に
旬を迎える野菜に「水菜」があります。

旬を迎える露地栽培以外に、
ハウス栽培や水耕栽培されており、
1年を通して市場に流通する
通年野菜です。

しかし、同じ通年野菜の
キャベツやにんじん、
きゅうりなどと比べると、やや地味で、
頻繁に購入される野菜とはいえません。

その理由として、
“栄養があまり含まれてなさそう”
“どんな料理に使って良いか分からない”
という2つがあげられるようです。

まず栄養価について。

「水菜」は、淡色野菜のキャベツや
白菜に似た色合いですが、
実は緑黄色野菜に分類され、
淡色野菜と比べてカロテンの
含有量が多いというのが特徴のひとつ。

「水菜」には、粘膜や皮膚の
健康維持や美肌効果、
免疫力アップにつながる
“β-カロテン”をはじめ、
コラーゲン生成や抗酸化作用、
免疫力アップ効果が期待できる
“ビタミンC”、
貧血予防に効果の高い“葉酸”、
貧血予防に必要な“鉄分”、
骨の生成を補助する“カルシウム”、
余分な糖や脂質の吸収を妨げ、
便通を整える“食物繊維”、
むくみや高血圧を予防する
“カリウム”などを多く含有した
バランスのとれた
栄養価の高い野菜です。

細くて白っぽい茎や
ギザギザした葉は一見、
頼りなさげな印象ですが、
栄養価の高いイメージの
キャベツや小松菜、レタス、
ほうれん草と比べて、
“ビタミンC”、“葉酸”、
“カルシウム”は豊富に含まれ、
“食物繊維”もキャベツより多く含み、
“カルシウム”の含有量は、
なんと牛乳の約2倍。

ほうれん草よりも栄養価は
高いようです。

その認知度から考えると、隠れた栄養の
宝庫といえるかも知れません。

続いて、どんな料理が
つくれるのかについて。

有名なのは関西で発展した
“ハリハリ鍋”。

昆布と鰹節でとった
出汁をベースにした、
たっぷりの「水菜」と
鯨肉だけのシンプルな鍋です。

“ハリハリ鍋”の発祥ともいわれる
大阪千日前の徳家では、鯨の霜降りの
“尾の身”に片栗粉をまぶして
一度湯がいて下処理を行って、
出汁の染み込みを
良くしていたとのこと。

“ハリハリ鍋”のハリハリとは、
「水菜」を口に入れた時の
シャキシャキした食感を表した名称で、
徳家では煮過ぎてその食感を
損なわないように「水菜」を
少しずつ鍋に入れるように
お客さんに伝えていたといいます。

残念ながら、徳家は2019年(令和元年)
約60年間続いたその暖簾を下ろしました。

ご家庭でなら、鯨肉の代わりに
豚肉や鴨肉を使った“ハリハリ鍋”と
キリッと冷えた冷酒や熱燗、
その美味しさは簡単に想像できます。

また、油と一緒に摂ることで
“β-カロテン”の吸収率は
一気に高まり動物性タンパク質と
組み合わせれば
“鉄分”の吸収を助ける
ともいわれています。

そういう意味で鍋の残った出汁に
溶け出した栄養も、
締めのぞうすいなどで美味しく
いただきたいものです。

シンプルに美味しくいただくなら
簡単なサラダや和え物がおすすめ。

サッと水洗いをして、
サラダならざく切りで
ツナ缶やミニトマトと一緒に
盛り付けるだけ、和え物も
ほうれん草のお浸しと同じ要領で
つくってみてはいかがでしょうか。

華やかに際立つ香りとフレッシュでボディ感のある味わい
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能登半島漁協ブランドの“加能ガニ”。地震収束後の流通再開を待つばかり。

カニ好きの日本人が好む「ズワイガニ」。近年、ブランド化が確立され始めました。

日本人は無類のカニ好きで、
その消費量は世界でもトップクラス。

中でも人気が高いのが
「ズワイガニ」で、
産地によって流通する名前は
異なります。

一般的に水揚げされたオスは、
島根、鳥取、兵庫、京都では
“松葉ガニ”、
福井、石川、富山は
“越前ガニ”、
新潟では
“越後本ズワイガニ”
などと呼ばれています。

農林水産省の省令によって
“松葉ガニ”“越前ガニ”の漁が
解禁されるのは
11月6日から3月20日までの約5か月間。

新潟から青森は10月1日から5月31日、
北海道は11月1日から4月30日の
約6か月間に定められています。

水揚げされる漁港や漁協組織が
ブランド名となっているのは、
兵庫県の
“浜坂ガニ”“津居山かに”
“柴山ガニ”、
京都府の
“舞鶴かに”
“間人(たいざ)ガニ”、
そして石川県の
“加能ガニ”などが有名で、
ブランドタグをつけて
他のカニとの差別化を図っています。

ちなみに、石川県 “加能ガニ”は
一般公募により名付けられた
“加”賀から“能”登までの漁協が
ひとつにまとまり、
その高い品質を表明したブランドです。

元旦に発生した
“能登半島大地震”による
能登半島全域への被害は甚大で、
余震が頻発する中、
未だ予断を許さない状態。

1日も早く地震が収束し、
当たり前の日常が戻って、
“加能ガニ”の流通再開を
願うばかりです。

水揚げされた「ズワイガニ」の中から、
さらに大きさ、重さ、色合いなど
それぞれの漁協独自の
厳しい基準を設け、
厳格に審査をパスしたものだけに
冠せられるハイブランドが存在します。

一度の水揚げに数匹、
場合によっては1匹もいないことも
少なくはありません。

初セリで最高値がつくのは、
こうしたハイブランドガニです。

鳥取県の“五輝星(いつきぼし)”は
2019年(令和元年)に
1匹500万円で競り落とされ、
前年に記録した200万円の
“セリで落札された最も高額な蟹”の
ギネス世界記録を大幅に更新。

今シーズンも280万円の
過去2番目の最高値をつけました。

さらに、今シーズンの最高値は
兵庫県の浜坂漁港で競り落とされた
1匹1000万円の最高値を記録した
“煌星(きらぼし)”。

事実上、ギネス世界記録を
大幅に更新したことになります。

石川県の“加能ガニ”の
ハイブランドとなる
“輝(かがやき)”も
今シーズン1匹300万円を記録。

2021年(令和3年)の
500万円に次ぐ価格となりました。

このほか、
福井県の“極(きわみ)”は
昨年310万円、
兵庫県・香住の
“柴山ゴールド”は
今シーズン315万円など、
ご祝儀相場とはいえ、
庶民には手が届きそうにないほどの
高額取引となり、
老舗高級旅館や料亭に
届けられるようです。

しかし、ハイブランドでなければ、
ちょっと無理をすれば
買える価格帯のものもあるので、
旬のこの時期に、
ぜひチャレンジしたいもの。

「ズワイガニ」を素材とした料理と
相性がいいのは、やはり日本酒。

メインとなる“かにすき”の鍋に
カニの旨みが溶け出した
出汁の濃厚さに負けない
辛口の「生酛純米」が
ベストマッチです。

まずは冷酒で、
途中から熱燗で
味の変化を楽しむ飲み方も
おすすめです。

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商売繁盛で笹もってこい…正月最初の一大イベント「十日戎」。

景気が好ましくない今だからこそ、商売繁盛の願掛けを。

正月が明けてすぐの行事に
「十日戎」があります。

名前の通り“1月10日”に行われる
“恵比寿(戎/蛭子)様”に
商売繁盛を祈願するお祭りです。

“恵比寿様”は七福神のひとりで、
西宮・鳴尾で漁業の神様として
祀られていた唯一の日本の神様。

インドのヒンドゥー教から
財福の神“大黒天(シヴァ神)”と
武将姿の招福の象徴
“毘沙門天(多聞天/四天王のひとり)”、
知恵と財宝、縁結びの女神“弁財天”、
中国からは富貴繁栄を司る
中国仏教の神
“布袋尊(弥勒菩薩の化身)”、
中国道教の長寿延命の神“寿老人”、
長寿幸福の神“福禄寿”が
加わって七福神となり、さしずめ
幸福をもたらす戦隊ヒーロー
といったところでしょうか。

「十日戎」の由来は諸説あります。

江戸時代になり、
没落後の豊臣家を崇めている人々への
弾圧を強めていた徳川幕府。

それに対して、豊臣秀吉像を
“恵比寿様を祀っている”と偽って
恵比寿宮に隠して祀っていた風習が
やがて「十日戎」として庶民の間で
定着化したという説が有力です。

江戸の昔、関西の阪神地区は
商業の中心地として栄え、
古来、恵比寿様を祀っていた
西宮神社(兵庫)や
今宮神社(大阪)が
商売繁盛の神様としての信仰を集め、
「十日戎」として大きく発展。

1月9日の“宵戎”を皮切りに、
本番の10日が“本戎”、
その翌日の11日を“残り福”として
3日間行われることが恒例となり、
“えべっさん”の愛称で
主に関西以西を中心に
深く親しまれてきました。

3日間で約100万人以上もの
参拝客を誇るのが西宮神社で、
全国約3500社もある
“えびす神社”を一堂に束ねる、
まさに総本山の風格といえます。

関東以北にも
恵比寿信仰の拠り所となる
神社は多数ありますが、
もともと農業人口が多く、
商業色の色濃い関西とは
まったくの別のお祭りです。

関東以北では“えびす講”という
呼び名で親しまれていて、
その多くは10月20日に
行われることが多いことから
「二十日戎(はつかえびす)」とも
呼ばれています。

しかし、関西ほどの
盛り上がりには届きません。

また、「十日戎」とよく似た
関東地区の商売繁盛のお祭りといえば、
毎年11月の酉の日に開かれる
“酉の市”。

“福をかき集める”
“金運を掻き寄せる”ための縁起物として
招福の飾り物を付けた熊手を買うなど、
商売繁盛祈願という趣旨は同じです。

この縁起物の熊手ですが、
関西の熊手は爪が向こう側、
関東の熊手は爪がこちら側に向いてる
という違いがあることは、
あまり知られていません。

関西以西では「十日戎」、
関東以北では「酉の市」もしくは「えびす講」
という独自の発展を遂げていたため、
長年それぞれを知らずに
お祭りが行われてきました。

しかし、
「十日戎」の10日の早朝に
境内を駆け抜ける
“開門神事福男選び”が
毎年ワイドショーなどで
取り上げられるようになり、
「十日戎」は全国区の話題に。

景気が好ましくない昨今、
「十日戎」の福笹で福を授かり、
2024年(令和6年)を
より明るい年にしたいものです。

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江戸時代と現代のお正月の迎え方と過ごし方。実は、あまり変わっていません。

生活様式の変化に伴って、より便利に楽になった年末年始。

長い歴史の中で培われ、
現在のような年末年始の形が
確立されたのは江戸時代。

簡単にまとめると、
1年間の汚れや穢れを落として、
新年にお越しになる年神様を招き入れ、
松の内を過ぎて年神様が
山にお帰りになる一連の行事です。

その節目が“正月”ということになります。

須佐之男命(すさのおのみこと)と
神大市比売(かむおおいちひめ)の
間に生まれたのが大年神(おおのとしのかみ)。

年神様という呼び名で祀られる
豊作を司る穀物神で、
毎年正月に家にやってくる来訪神です。

農業立国であった江戸時代、
五穀豊穣や子孫繁栄を
祈願する行事はとても重要で、
当時の人々の生活の中に
溶け込んでいました。

江戸時代、旧暦12月13日の
“正月事始め”に正月を迎えるの
準備を開始します。

まずは1年分の煤で汚れた家の“煤払い”。

今は吸引力の強い掃除機をはじめ、
油汚れ、風呂の水垢、トイレの黄ばみなど
汚れの質に特化した洗剤などで
頑固な汚れも簡単に落とせる
便利な時代になりました。

また昔は、年神様をお迎えする際の
依代(よりしろ/目印)となる門松を
つくるために山に松を採りに行きましたが、
今はマンション住まいも多く、
門松を玄関先に出す光景も
あまり見かけません。

しめ縄は年神様をお迎えする神聖な場所の
目印になるとともに不浄な悪霊を
入れない結界という意味で玄関に張られ、
鏡餅は年神様がお越しになった際の
御神体の役割を持ちます。

併せて、年の変わる時間に
撞かれる除夜の鐘、新年の朝に見るご来光
家族揃って食べるおせち料理やお雑煮など、
どれも年神様をお迎えすることに
関連した習わしです。

これら一つひとつの行事は、
現在も変わらず行われています。

近代になって産業構造が大きく変わり、
年神様を祀る意識は薄れ、
新たな気持ちで新年を迎える、
もしくは漠然と神様にお詣りするなどへと
徐々に意識も変わってきました。

新型コロナの影響で、
初詣の節分辺りまでの分散参拝が推奨され
お守りは通販扱いとなったところもありました。

そんな中で生まれたのが、
ネットを通じたデジタル参拝ですが、
やはり現地で実際にお参りしないとご
利益がないと考える方も多く、
来年の三が日は多くの参拝客で
賑わうことが予測されています。

実は江戸時代、初詣はあまり一般的な
行事ではありませんでした。

というのも、正月は年神様をお迎えするので
参拝する神様は
家の中にいると考えられたからです。

年神様をお迎えするために恵方にある
神社仏閣に参拝したことが
初詣の原型ともいわれ、
正月行事として定着しました。

東京・愛宕神社や京都・東本願寺などが
お賽銭のキャッシュレス決済を導入。

インバウンドの参拝客を見越しての対策で、
今後、全国に普及する傾向にあるようです。

日本人にとってやや違和感はありますが、
何十年か後には当たり前の
参拝作法になっているのかも知れません。

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今年の「紅白歌合戦」も、いつものように穏やかに楽しみましょ。

戦後の復興から高度経済成長へ。新しい日本構築を背景に誕生したのが「紅白歌合戦」。

「もはや戦後ではない」
…ときの池田内閣が
1956年(昭和31年)の
経済白書で宣言しました。

終戦から10年、
戦後復興から高度経済成長へと
大きく移行した
節目の年とされています。

この宣言の背景には、
1954年(昭和29年)から
31か月にわたって続いた
“神武景気”という
好景気がありました。

1958年(昭和33年)から
42か月続いた“岩戸景気”では、
さらに景気を拡大。

そして、
1960年(昭和35年)に池田内閣により
所得倍増計画が発表されました。

また、長く続く好景気の影響で
]新しい生活を促す
“三種の神器
(冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビ)”
と呼ばれた耐久消費材ブームが
巻き起こりました。

1959年(昭和34年)の
皇太子ご成婚の儀がきっかけとなり
白黒テレビが爆発的に売れ、
それと併せて、
冷蔵庫、洗濯機も全国的に普及。

1960年代中盤の
“いざなぎ景気”では3C
(カラーテレビ、クーラー、車)
がブームとなり、
1964年(昭和39年)の
東京オリンピックを機に
カラーテレビ購入世帯が
増えたといいます。

1958年(昭和33年)竣工の
東京タワー、
1964年(昭和39年)の
東海道新幹線開業など、
社会基盤も整い、
近代日本の基礎は
この時期に築かれたといっても
過言ではありません。

これらの大きな
社会の変化を象徴するのが
NHKの「紅白歌合戦」です。

記念すべき第1回は
1951(昭和26)年1月3日の
ラジオ放送でした。

NHK内の小さなスタジオからの
生放送で、20〜21時までの
わずか1時間の単発正月特番。

規模こそ小さいものの、
現在の「紅白歌合戦」のように、
聴取者を男女50人ずつ
観客として招き、
紅白に分かれた出場者による
真剣勝負に対して
審査も行われました。

そして、1953(昭和28年)に
テレビの本放送がスタートし、
第4回からはラジオとテレビの
同時放送となり、劇場公開を計画。

しかし、大きな劇場は
正月公演で埋まっており、
唯一空いていたのが
大晦日の日劇でした。

“大晦日の忙しい夜に
観客は来るのか”という
不安をよそに、雪が降る中、
観覧客は長蛇の列をなし、
劇場は満員に。

これ以降、「紅白歌合戦」は
大晦日の恒例行事となりました。

テレビ黎明期から年越しの
節目の番組としてその地位を築き、
昭和末期頃までは70%以上の
高視聴率を記録し続けました。

しかし、
権威への反抗や
音楽活動に対する見解の相違から、
フォークやニューミュジックの
歌手の相次ぐ出場辞退が話題となり、
特定の芸能事務所に出場枠が
用意されているのではなどという
週刊誌ネタが広まる中、
視聴率は50%前後へと急落。

それ以降は微減しながら、
2021年(令和3年)には34.3%
という過去最低の視聴率に。

しかし、昨今の
若年層のテレビ離れや
娯楽の多様性に伴う
分散化を考えると、
30%を超える視聴率は
立派な数字といえます。

今年はやや波乱に満ちた
「紅白歌合戦」になりそうな
気配もありますが、
そう目くじらを立てず、
熱燗を嗜みながら、
いつものように楽しむのが、
穏やかに年を越す作法と
いえるのかも知れません。

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