ラジオ体操、国体、体育の日、そしてスポーツの日へ。日本の健康志向の系譜。

体を動かす文化は、連綿と続くスポーツ振興によって育まれました。

「体育の日」は、現在は「スポーツの日」とその名を変えて定着している10月のたったひとつの祝日です。日本初の東京オリンピック開会式が行われた10月10日を記念し、1966年(昭和41年)に制定されたこの祝日は“体を動かすことを意識する日”として親しまれてきました。

その歴史を紐解いていくと、菊正宗と縁戚関係にある、柔道家であり教育者でもあった嘉納治五郎へとたどり着きます。

彼は欧米視察で体育教育の重要性を学び、日本での“体を動かす授業”導入に尽力しました。その結果、従来の学問中心の教育に、身体を鍛えることを体系的に組み込むことが実現。これは、日本の近代教育の大きな転換です。“運動は心身を育てるために欠かせない”という考え方が広まり、国民の意識を大きく変えるきっかけとなりました。さらに時代が進むと、1928年(昭和3年)に始まったラジオ体操が“誰でも、どこでも、短時間”でできる国民的運動習慣として普及します。学校や職場、地域で繰り返し行われたこの取り組みは、日常生活の中で自然に体を動かす文化を育み、現在も運動会などで継続されています。

そして戦後すぐに始まった国民体育大会(国体)は、国民の健康志向を社会的な広がりへと導きました。1946年(昭和21年)の第1回大会は、戦後復興を象徴する行事として受け入れられ、各都道府県持ち回りによる開催は、施設や道路整備、観光振興などの副産物をもたらしました。 “スポーツによって地域が変わる”という実感を全国に広げることとなったのです。

このような流れを経て制定された「体育の日」は、嘉納治五郎の提唱した体育教育、ラジオ体操による運動習慣、国体による地域振興といった多彩な運動機会の延長線上にありました。それまで一部の愛好家にとどまっていた運動を、全国規模で一斉に意識させる祝日とすることで、スポーツは“誰もが関わる行事”へと広がっていきます。

高度経済成長期とも重なり、ジョギングやテニスなど余暇としてのスポーツが広く浸透し、“体を動かすこと=健康で豊かな暮らし”という価値観が定着していきました。日本が世界一の長寿国になった要因のひとつには、こうした生活に根差した健康習慣への取り組みがあるといえるでしょう。

その後、2000年(平成12年)にハッピーマンデー制度によって、10月10日という固定日から10月の第2月曜日に移動しました。この制度は、祝日を月曜日に移動させることで3連休をつくり、国民の余暇を充実させる仕組みです。

さらに、2020年(令和2年)の東京オリンピックを契機に「スポーツの日」へと名称変更されました。国際的にも通用する“スポーツ”という表現を使うことで、より幅広い文化や交流を含めた祝日と位置づけられたのです。

振り返れば、嘉納治五郎の教育改革から始まり、ラジオ体操が日常に根づき、国体が地域を盛り上げ、そして体育の日が国民的なスポーツ意識を育てました。スポーツの日は、この連なりの先にある存在として、これからも私たちに“体を動かす喜び”を伝え続けてくれるでしょう。

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