2020年の干支は“庚子(かのえね)”①
新しいことにチャレンジするのに、うってつけの年です。

干支は、“十干”と“十二支”の組み合わせた表現が正解。

“今年の干支は、ねずみです”
などと表現しますが、
これは正確ではありません。

干支は、“十干(じっかん)”と
“十二支(じゅうにし)”を
組み合わせたものをいいます。

十干は、
「甲(きのえ)・乙(きのと)
・丙(ひのえ)・丁(ひのと)
・戊(つちのえ)・己(つちのと)
・庚(かのえ)・辛(かのと)
・壬(みずのえ)・癸(みずのと)」
の10種類からなり、
十二支は、
「子(ね)・丑(うし)・寅(とら)
・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)
・午(うま)・未(ひつじ)
・申(さる)・酉(とり)
・戌(いぬ)・亥(いし)」
の12種類からなります。

十干と十二支の組み合わせそのものは
単純に10×12で120通りありますが、
“甲子”からはじまり、
次の“甲子”の年が61回目。

つまり60年周期となり、
組み合わない60の“組み合わせ”
があるということになります。

菊正宗創業360周年と干支

2020年(令和2年)の干支は、
「庚子(かのえね)」です。

「庚子」を構成する“庚”は
古代中国の陰陽五行説の
“金の陽”の属性を持ち、
金属のような冷たさ、
堅さの性質があり、
植物の生長が止まり
新たなカタチに変化しようと
する状態を表しています。

一方、“子”は“水”の属性で、
種子に新たな生命が芽吹く
準備が整った状態にあり、
可能性や変化、さらには繁栄
をもたらす象徴とされています。

さらに“庚子”の組み合わせは
“金生水”と呼ばれる
「相生(そうせい)」という
お互いを生かす関係にあります。

全般的に変化の多い年なので、
まったく新しいことへのチャレンジ
に適した年とされているようです。

ちなみに、2019年(令和元年)に
創業360年を迎えた菊正宗酒造。

創業を開始した
1659年(万治2年)の干支は、
“己亥(つちのとのい)”。

2020年(令和2年)の今年は、
干支を無事6周し、7周目を
スタートする年にあたります。

 

干支にまつわる出来事や都市伝説。

干支を冠した歴史的な出来事が
いくつかあります。

有名なところでは
1924年(大正13年)、
甲子(きのえね)の年に
完成した“阪神甲子園球場”。

古くは672年(弘文元年/天武元年)、
大海人皇子(後の天武天皇)が
大友皇子に対して挙兵した
“壬申の乱(じんしんのらん)”や、
1868年(慶応4年)に
薩長新政府軍と旧幕府群が戦った
“戊辰戦争”などです。

1年間を通して、もっとも干支を
意識するのは年賀状の時期で、
それ以外では干支を気にする機会
はほとんどないと行っても
過言ではありません。

ところが60年に1度だけ、
干支が話題となる年があります。

それが、“丙午(ひのえうま)”の年です。

江戸時代初期の
“丙午の年は火災が多い”
という迷信が発端。

恋人に会いたい一心で
放火事件を起こし、
火あぶりの刑に処された八百屋お七が
丙午の年に生まれたとされたのが
その云われとされていますが、
事実無根の作り話とのことです。

しかし、この由来だけがひとり歩きし
、“丙午の年に生まれた女性は
気性が荒く、夫の寿命を縮める”
という迷信がいまだに
根強く残っているようで、
1906年(明治39年)の丙午の年は、
出生数が前年より約4%減少。

1966年(昭和41年)には、
出生数が前年より
約25%も減少しました。

実際は、何の根拠もない都市伝説で、
逆に考えると競争相手が少ない分、
大学受験や就職の競争倍率が少なく
有利な当たり年と
いえるのかもしれません。

次の丙午は2026年(令和8年)。

より多くのお子様が授かることを
心から願っております。

普段、干支を意識する機会は
あまりないものの、空気のように
くらしの中に融け込んでいるのが
干支なのかもしれません。

佳い吉祥だけに願いを込め、
悪い都市伝説は目をつむり、
耳を塞いで行き過ぎるのを待つ位の
余裕が必要だともいえます。

菊正宗の新しいチャレンジに
ご期待ください。