
荒れる成人式の裏にある、日本社会が大切にしてきた節目のかたち。
新しい年のニュースのひとつに、成人式があります。晴れ着に身を包んだ新成人の姿が報じられる一方で、“荒れる成人式”という言葉も、もはや季節の風物詩のように聞かれるようになりました。毎年、荒れることが繰り返し指摘されても、成人式は中止されることなく続けられています。その理由をたどると、成人式という行事が担ってきた大きな役割が見えてきます。

1946年(昭和21年)、終戦間もない日本では、敗戦の喪失感に加え、多くの若者が戦争によって学びや仕事の機会を失い、社会とのつながりや価値観の拠り所を見失っていました。“若者をどのように社会に迎え戻すか”という大きな課題があったのです。そうした中、埼玉県蕨市が同年11月に実施したのが「青年祭」。この行事は、単に成長を祝うものではなく、若者を社会の担い手として正式に位置づけることを目的としていました。市長が式典の中で、大人としての自覚と責任を促した点は、当時としては非常に先進的でした。この蕨市の取り組みが全国へと広がり、2年後の1948年には国民の祝日である「成人の日」として制度化されます。

長い伝統や宗教的背景を持たず、わずか2年で祝日となったのはきわめて異例です。成人の日は、完成した大人を祝う日ではなく、これから社会を支える存在として若者に期待を託す日として生まれたものでした。その原点を知ることで、現在の成人式の意味も、少し違った角度から見えてきます。大人と子どもの境目に立つ不安定な時期に、緊張や反発が表に出るのは、通過儀礼としては決して珍しいことではありません。むしろ、成人式がいまだ節目として機能しているからこそ、感情が噴き出す場面が生まれるともいえます。問題があるから中止するのではなく、関わり続ける道を選んでいる点に、成人式の本質があります。
一方で、近年は工夫を凝らしたユニークな成人式の取り組みも増えています。

沖縄県では、振袖やスーツにこだわらない服装自由の成人式が定着。かりゆしウェアや私服で参加する姿も多く、式典は簡素ながら、同級生同士の再会を大切にする穏やかな雰囲気が特徴です。また、千葉県浦安市では、東京ディズニーリゾートを会場に夢や未来をテーマにしたメッセージ性の強い式が行われてきました。大阪市では、USJを舞台にエンターテインメント性を取り入れた演出が話題になったこともあります。地域特性を活かした成人式も数多く行われています。
こうした事例に共通するのは“大人になったことを祝う”よりも“これからの人生をどう歩むかを考える場”に重点を置いている点です。

成人式は、完成した大人を称える場ではありません。まだ不完全な若者を社会が受け止め、“ここから一緒に進んでいこう”と確認する場ともいえます。荒れる成人式も静かな成人式も、その本質は変わりません。形は時代とともに変わっても、節目を共有するという役割がある限り、成人式はこれからも続いていくのでしょう。騒がしさの奥にある意味に目を向けたとき、成人式は、これまでとは少し違った風景として、心に届くはずです。
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