秋の味覚と日本酒…とても美味しい季節。

昭和の家電

旬の食材は、美味しく高い栄養価があります。

2005年に「ALWAYS 三丁目の夕日」という映画が公開されました。

この映画は、高度成長期にあった
1958年(昭和33年)の東京が舞台。

建設中の東京タワーが見える町に
暮らす人々の生き生きとした姿が
描かれた作品です。

この映画の時代背景は、
好調な神武景気を受け、
「三種の神器」といわれた
白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が
豊かさの象徴として
一般家庭に普及しはじめた頃。

映画のシーンに、氷を入れて
冷やす木製冷蔵庫を電気冷蔵庫に
買い替える印象的な場面が
登場します。

この辺りの時代を境に家事の負担
が軽くなり、生活を楽しむ余裕が
一般庶民にも広がった、
近代化に一歩近づいた時代です。

食材の冷蔵貯蔵ができるように
なったおかげで、
食材のまとめ買いをするようになり、
その後の冷凍庫や電子レンジの普及が
家庭の食卓を劇的に変えました。

多くの食材に旬はありますが、
常備菜などは旬でなくても1年中
美味しい料理を家庭で楽しめる、
今では当たり前の光景。

その後、貯蔵や冷凍、養殖、栽培、
輸送など、さまざまな分野での
めまぐるしい技術発展により、
今では季節を気にすることなく、
いつでも美味しいものが
食べられるようになりました。

とはいうものの季節に
うるさい日本人。

やはり旬の味覚には敏感です。

旬の食材の効能は、
その美味しさと栄養価にあります。

一般的に、野菜の場合は、
“旬にピークがくるように育てられ、
もっとも成熟した状態”、
魚の場合は、
“産卵前で身体に栄養や脂肪分が
たっぷり蓄えている状態”
を旬といいます。

旬を待ちきれずに食べる
「走りの食材」、
ちょうど美味しい時期の
「旬の食材」、
過ぎ行く旬を惜しんで食べる
「名残の食材」
…季節ごとに旬は移り変わり、
1年を通して飽きることなく、
次々と訪れる旬の食材に
舌鼓を打つのです。

 

さんまと日本酒

秋の旬。引き立てる日本酒で、味が変わる。

秋が旬の代表格の魚といえば
「サンマ」。

近年は海水温度が上がって日本に回遊
する数が減ったのに加え、諸外国が
日本に回遊する前に捕獲するため、
日本の漁獲量は減少傾向でした。

しかし、今年は海水温も低く、
豊漁の兆し。

昨年よりサイズが大きく脂がのった
サンマは、いつものように大根おろし
と一緒に、素材そのものの美味しさを
楽しむのがベスト。

サンマの美味しさをひと際引き立てる
「菊正宗 上撰 きもと樽酒
900mlパック」と一緒にどうぞ。

また、サンマだけでなく、川を遡上
する秋鮭や秋サバ(マサバ)、
戻りガツオなど…秋が旬の魚は、
しっかりと脂がのった
濃厚な味わいが魅力。

この時期ならではの美味しさを
味わっておきたいものです。

秋の野菜は、夏の厳しい暑さを
乗り切って栄養を蓄えたキノコ類や
イモ類、根菜類が旬を迎えます。

松茸と日本酒

秋の味覚で欠かせないのは、
やはり「松茸」。

土瓶蒸しや焼き松茸、天ぷら。

松茸ご飯など、いろいろな料理が
楽しめるのが松茸の醍醐味です。

少し値は張りますが、年に一度の贅沢
と割り切って、楽しみましょう。

松茸の香りに合ったおすすめの
お酒は、「菊正宗 嘉宝蔵
灘の生一本・生酛純米」
の燗酒です。

菊正宗 嘉宝蔵 灘の生一本・生もと純米 720ml

昔から“香り松茸 味しめじ”と
いわれるように、秋の本しめじは味、
食感ともに絶品。

マイタケや椎茸もこの時期に旬を
迎える食材で、シンプルな素焼きから
和洋中どのジャンルの料理にも合う
万能野菜といえます。

食物繊維が豊富なキノコ類の多くは
秋が食べ頃です。

そばと日本酒

忘れてはならないのが秋の「新そば」。

江戸時代は、日本酒とそばの
組み合わせが好まれていました。

辛口の日本酒は、
そばの旨さや香りを引き立てます。

ぜひ「菊正宗 純米樽酒」を飲みなが
ら、そばの味わいをご堪能ください。

菊正宗 純米樽酒 720ml

季節ごとに美味しい旬はありますが、
食欲の秋というだけあって、
秋は味覚の宝庫。

食材に合わせて飲むお酒を
変えるだけで、今まで気づかなかった
味との出会いが待っています。

地域特性が色濃い「亥の子祭り」。

亥の子祭りは、西日本の一部地域で伝承。

 

台風直撃が重なり、
お天気は荒れ模様ですが、
朝晩の涼しさに
秋の気配を感じる今日この頃。

菊正宗上撰本醸造とお刺身

そろそろ熱燗が美味しい季節です。

熱燗といえば徳利と猪口(ちょこ)が
つきものです。

まずは徳利。

注ぐ時の“とくり”という音から
その名がついたというのが通説です。

なんとも風流なお話といえます。

では熱燗を頼む時に使う
“お銚子一本!”のお銚子はというと、
本来のカタチは雛人形の
三人官女のひとりが持っている
“長い柄のついた急須”のようなもの
が銚子、別名ではそのカタチから
長柄とも呼ばれます。

 

では猪口(ちょこ)はというと、
いくつかの説があります。

「ちょく(猪口)」が転じた語で、
チョットしたものを表す“ちょく”や
飾り気がないことを表す
“ちょく(直)”がその由来と
考えられているようです。

徳利も猪口の漢字表記は、
その音を当てはめた当て字で、
大陸からの言語に由来するとの見解が
一般的とされています。

 

さて、猪口に使われている「猪」と
同じ意味で使われる「亥」の漢字を
使った風習が、秋の深まった
この時期にあります。

「亥の子祭り」と呼ばれるもので、
旧暦の10月(亥の月)はじめの
亥の日、亥の刻(午後9〜11時頃)
に、秋の五穀豊穣をお祝い、
新米でついた亥の子餅を食べて
無病息災を願うお祭りです。

猪の多産にあやかって
子孫繁栄を願う意味も
込められています。

 

今年の亥の子祭りは
11月3日の初亥の日。

主に西日本に多く分布する行事
のひとつですが、祝日になっている
行事や、七夕、中秋など全国に
名を知られている歳時とは異なり、
地域ごとに特色があります。

大きなものは広島市内の各所で
行われている「大イノコ祭り」
が有名で、広島県の他地域をはじめ、
愛媛県、山口県、滋賀県、大分県、
三重県、奈良県、京都府などの
一部限定で代々伝わっている
行事です。

東日本エリアには、
この亥の子祭りの風習はなく、
北関東を中心に甲信越から
東北地方南部にかけて
旧暦10月10日に行われる
「十日夜(とおかんや)」
という同様の行事があります。

稲穂

祭りのスタイルは千差万別。

もともとの起源は古代中国の
「亥子祝(いのこのいわい)」
とされ、毎年、
亥の月、亥の日、亥の刻に
穀物を混ぜた餅を食べると
病気にならないという
無病息災を願う儀式が、
平安時代に日本に伝わり、
宮中行事に取り入れられたのが発端。

それが江戸時代になって
秋の収穫時期のお祭りとして
庶民の間に広まったとされています。

つまり、多産の神はすなわち
豊作の神に通じるところから、
次第に農村にも稲の刈り上げの行事
として広まり、また、
商人も多産を商売繁盛につなげて
祝うようになりました。

初亥の日は武士、
第二の亥の日は農民、
第三は商人というように
分かれて祝ったとされ、
商人中心の大坂では商人が
第二の亥の日を祝ったといいます。

 

亥の子祭りは、それぞれの
土地土地の風習として語り継がれ、
独自の祭りとしてとり行われている
ため、地域によって行事内容も
多種多様です。

よく行われている行事としては、
子どもたちが藁を束ねた藁鉄砲か、
何本もの荒縄で縛った亥の子石を
持って、グループになって家々を
訪ね、藁鉄砲や亥の子石で地面を叩く
「亥の子搗き(いのこづき)」
を行います。

これは土地の邪霊を鎮め、
土地の神に力を与えて
豊かな収穫を祈るという
おまじないだといわれています。

地面をたたいたり、練り歩く際に、
唱えごとしたり、亥の子唄という
数え唄を歌うのにも地域特色が
色濃く表れます。

亥の子搗きをしてもらった家は、
子どもたちに、お菓子や餅などが
振る舞われ、子どもにとっては
ご褒美づくしの一大イベント。

流行のハロウィンに似たような
趣です。

そして行事に食べられるのが
「亥の子餅」。

猪の子どものウリボウに似たカタチ
のものや、餅の表面に小豆を
まぶしたもの、紅白の餅など、
これも地域によってさまざま。

亥の子搗きはするけれど亥の子餅は
食べない、またその逆もあるなど、
その地域の特色が表れる
面白い行事のひとつといえます。

昭和40年代に亥の子唄の練習や
準備が忙しくて、子どもたちの
勉強に身が入らないとの理由から
学校が行事そのものを禁止にし、
廃れてしまった地域がある反面、
郷土の伝統行事として保護され、
受け継がれている地域もあります。

いずれにせよ、少子化や過疎化など
の問題でこうした地域特色の濃い
行事がなくなるのは、
少し寂しさを感じます。

こたつ

また猪は炎を司る神である
摩利支天の使いとされ、
この亥の日の日に、
炬燵(こたつ)開きや炉開き
を行うと、火災から免れる
とされてきました。

子どもたちが亥の子唄を歌いながら、
練り歩いている時に、大人たちは
炬燵に足を放り込み、今年初めての
鍋と燗酒で楽しむひとときかも。

大人たちにとっても嬉しい日に
間違いありません。

菊正宗 𤏐酒