世界的な夏至。北半球全体が明るい一日です。

夏至にまつわる誤解。

今年の「夏至」は、6月22日
(期間とする場合は、
6月22日から7月6日の
15日間)です。

北半球で、
“一年のうちでもっとも昼の時間
(日の出から日没まで)
が長い日”として
認識された日といえます。

また、太陽の位置や動きにおいて、
“太陽が上がった時の角度が
もっとも高い”
“一年のうち、
もっとも北寄りから昇り、
もっとも北側に沈む”
日ともいえます。

これは“黄道”と呼ばれる太陽の軌道
と地球の回転の軌道である“赤道”の
角度がずれていることに起因します。

ちなみにこの日、北極圏では
一日中太陽が沈まない“白夜”、
逆に南極圏では
一日太陽が昇ることのない“極夜”
になります。

昼の時間が一番長いということから、
“夏至は、日の出がもっとも早く、
日の入がもっとも遅くなる日”
と勘違いされがちです。

国立天文台によると、日本で
“日の出がもっとも早い日は、
夏至より1週間ほど早く”
“日の入がもっとも遅い日は
夏至より1週間ほど後”。

この誤差は、
太陽が地球を通過する時の
高さと動く速度の違いで
発生するとのことです。

当然のことですが、
日の出や日の入の時刻は、
見る場所によって異なります。

一般的に立ち入ることができる場所で
標高を考えないとした場合、
もっとも早く日の出を拝めるのは、
最東端となる北海道の納沙布岬で、
日の出が3時36分、
日の入が19時01分
(昼の時間15時間25分間)。

逆にもっとも日の入が遅いのが、
最西端となる沖縄の与那国島で、
日の出が6時01分、
日の入が19時40分
(昼の時間13時間39分間)です。

最東端と最西端で、日の出時刻が
2時間25分もの差があることに
驚くとともに、
日の入の時刻差がわずか39分
しかないのにも驚かされます。

一番長い昼は、日本だけでなく世界各地で賑わっています。

二十四節気で
「夏至」は10番目にあたり、
9番目の「芒種(ぼうしゅ)」と
11番目の「小暑(しょうしょ)」
に挟まれた節気です。

「芒種」は麦を収穫し、
田植えをはじめる時期で、
「小暑」は梅雨が明けはじめ、
本格的な夏の暑さがはじまる時期。

また、各節気をさらに細かく分けた
七十二候の場合、「夏至」は
“初候…乃東枯
(なつかれくさかるる
/夏枯草が枯れる)”
“次候…菖蒲華
(あやめはなさく
/あやめの花が咲く)”
“末候…半夏生
(はんげしょうず)
/半夏が生える)”
の3つに分かれます。

とくに、末候の
“半夏生”の頃ともなると、
農作業がひと段落した
“畑仕事や田植えを終える”
目安となる時期とされています。

「夏至」が、
“1年で一番昼が長い日”
ということは、江戸時代にすでに
知られていたようで、太玄斎
(常陸宍戸藩第5代藩主 松平頼救)
が編纂した暦の解説書である
「暦便覧」に“陽熱至極し、又、
日の長きのいたりたるをもってなり”
という記述が見られます。

暦便覧が出版されたのは
1787年(天明7年)、
徳川11代将軍家斉の時代でした。

また、「夏至」は世界的な現象という
こともあり、世界各地でさまざまな
「夏至祭」が行われています。

スウェーデンでは、「夏至」に
もっとも近い土曜日と
その前日が祝日となり、
街の広場に“夏至柱”を立て、
その周りを民族衣装や
花冠をまとった女性たちが
歌ったり、踊ったりします。

「夏至」はスウェーデンで
もっとも大切な日にあたり、
この時期に合わせて
夏休みを取る人もいるほどです。

フィンランドは、
ユハンヌスと呼ばれる「夏至祭」
を6月20日から26日の間の
土曜日に開催。

白樺やポプラ、草花で
街中が飾られ、乳製品、
ジャガイモ、ソーセージが
振る舞われるなか、ひと晩中、
野外での踊りが続くとのこと。

ロシア、ウクライナなどでは、
イワン・クパーラという「夏至祭」
が開かれ、焚き火を飛び越える
などのイベントに興じます。

このほかの北欧諸国やオーストリア、
カナダ、米国アラスカ州などで、
その地に伝わる「夏至祭」が
開催されています。

また、祭りではありませんが、
世界の七不思議のひとつに数えられる
イギリスの謎の巨石遺跡
ストーンヘンジにも、「夏至」の日に
多くの人が集まります。

中心の祭壇とされる石と他の石を
直線に結んだ先に太陽が昇る
のを見るためだそうです。

メキシコのマヤ文明をいまに伝える
テオティワカンの
“太陽のピラミッド”も
「夏至」と関係が深い場所。

星の位置から暦を解明していた
とされるマヤ文明ですが、
“太陽のピラミッド”は
太陽の動きを計算して
設計された古代建造物。

「夏至」の日、太陽は
このピラミッドの真上を通過し、
正面に沈みます。

こうしたことから、
パワースポットして
人気の観光地となっています。

日本には「夏至祭」のような風習
はあまりなく、数少ない
「夏至祭」として有名なのは、
三重県の二見興玉神社の「夏至祭」。

観光名所ともなっている
夫婦岩を有する神社です。

ふたつの岩の間を朝日が昇る
勇壮なシーンに出会えるのは、
「夏至」の前後数日だけ。

この太陽のエネルギーを
浴びながら海に入り、
身を清めるという行事が
行われています。

「夏至」は、日本古来からの歳時の
ひとつぐらいの認識しかなかった
のですが、宇宙の現象であること
を考えると、その影響を地球全体が
受けていることにもうなずけます。

その地域独自の文化を育んだ
夏至は、まもなく訪れます。

日本酒の旨さを支えているのは、国に守られた“カビの仲間”。

醗酵食品と醗酵飲料の相性が生み出すマリアージュ。

最近、チーズがブームのようです。

2018年は、若い女性層が
チーズタッカルビや
スイス原産ラクレットチーズを使った
料理を出すお店に足しげく通い、
コンビニのチーズスイーツに
人気が集まるなど、チーズの話題が
メディアでよく取り上げられました。

2019年も、シカゴピザやパネチキン、
チーズティーなど、“映える”
新しいチーズ料理が続々登場し、
女性を中心としたチーズ人気は、
しばらく続きそうな気配です。

日本のチーズ消費が
爆発的に高まったのは、
1975年(昭和50年)頃の
ピザが出はじめたあたりから。

グラタンやチーズフォンデュ、
チーズケーキなどの洋食文化の広がり
とともに、チーズは欠かせない食材
として、私たちのくらしの中に
定着していきました。

以前は独特な臭いや味で
敬遠されがちだったブルーチーズも、
美味しいパスタ料理や
相性のいいお手頃なワインが
数多く流通するようになったことで、
市民権を得たといえます。

ワインと料理の相性をマリアージュ
といいますが、ともに同じ醗酵させた
飲料や食品なので、もともと好相性。

また、チーズのタンパク質が
ワインのタンニンと結びついて
ワインの渋みをまろやかにしたり、
チーズ独特の刺激臭を
ワインの甘みが緩和したり、
チーズの乳成分が舌に膜をつくり、
ワインの渋みや酸味を
マイルドにするともいわれています。

ワインと同じ醸造酒である日本酒
ですが、実はチーズとの相性は抜群。

日本酒のアミノ酸による旨み成分が、
クセの強いチーズとうまくマッチして
美味しさの相乗効果を高めます。

海外のチーズ愛好家にも、日本酒との
相性を高く評価する向きがあります。

日本酒とチーズのマリアージュの一例
ですが、クセの強いブルーチーズに
合うのは「超特撰 生酛大吟醸酒」。

クセをうまく調和させてバランスの
良い旨みを醸してくれます。

マイルドな味わいの
モッツァレラチーズには、発泡系の
「スパークリング純米大吟醸酒
天使の吐息」。

菊正宗 天使の吐息

スッキリとした爽やかな味わいが
口に広がります。

「嘉宝蔵 灘の生一本 生酛純米酒」
には、ハードタイプのチーズ。

旨みとコクの絶妙なバランスが
楽しめます。

チーズは、乳酸菌や酵素、カビなどの
微生物の働きによる熟成工程で
乳タンパクや脂肪を分解し、それぞれ
のチーズの個性を引き出します。

また、個性的な特徴を生み出すため
に、カビを使ったチーズがあります。

青カビを使った独特な臭いとピリピリ
とした刺激的な食感のブルーチーズ、
白カビを使ったクリーミーで
まろやかなカマンベールチーズや
ブリーチーズがその代表格。

“カビ=有毒”と思われがちですが、
ほとんどの青カビ
(白カビも青カビの一種)は無毒。

むしろ抗生物質のペニシリン製造に
有用な微生物なのですが、
一部のカビ毒「マイコトキシン」を
持つものが重篤な食中毒の原因
となるため、そこばかりが目立って
いる残念な微生物といえます。

日本酒に欠かせない“黄麹菌”は、国菌に認定。

日本酒に使われる麹菌も
カビの仲間です。

ヒマラヤ地域と東南アジアを含む
東アジア圏には、特有の
醗酵文化が根付いています。

なかでも、微生物の繁殖に適した
高温多湿な日本は、日本酒などの
醗酵食品の長い歴史を育む土地柄。

日本酒だけでなく、
味噌、醤油、みりん、酢などの
醗酵に欠かせない黄麹をはじめ、
泡盛に使われる黒麹、
焼酎に使われる白麹は
国菌に認定され、
大切に守られています。

醗酵食品に馴染みの薄い
一部の欧米地域では、
カビなどの微生物による醗酵食品
への拒絶反応があるようです。

実は、人にとって有益なものであれば
“醗酵”、有害なものになれば“腐敗”、
両者のメカニズムは
同じものなのです。

1960年のイギリスで、
カビの生えた輸入エサが原因で
七面鳥が大量に死ぬ
という事件が発生。

麹菌の仲間によるカビ毒
「アフラトキシン」が原因でしたが、
その形態が黄麹菌と類似しており、
誤解を招くこととなりました。

もちろん、
黄麹菌はカビ毒を発生させません。

こうした麹菌の謎を解明するために、
2001年に麹菌の
全ゲノム解読プロジェクトが発足。

2005年には、麹菌が約3800万塩基対
からなる8本の染色体を持ち、微生物
では最大の約1万2000個の遺伝子が
存在することが判明しました。

この成果に基づいて、
麹菌196株に対して、
カビ毒「アフラトキシン」を発生
させる遺伝子の解析を実施。

半数近くの麹菌で遺伝子群が不安定、
残りの半数についても、
カビ毒「アフラトキシン」の遺伝子を
有しているものの、その機能を失って
いるという結果にたどり着きました。

科学的な解析により、
その安全性が証明された黄麹菌。

今後、科学の“目”は、
日本酒の旨さをさまざまな角度から
ひも解くことになるでしょう。

その高水準の学術的な研究に
驚くのはもちろんですが、
科学のない時代に生まれた
微生物の活用方法に、
拍手を贈りたいものです。

端午にまつわる深いお話。

厳しい景観条例の京都。こいのぼり掲揚の許可は?

連日、多くの観光客で賑わう京都市街。

街中各所に垣間見える
伝統的で雅やかな情景が、
この街に人を惹き付ける
魅力のひとつとなっています。

この京都ならではの雰囲気を
醸している背景には、
景観条例に則した徹底した街づくり
があるのをご存知でしょうか。

景観条例を最初に施行したのは
石川県金沢市で1968年(昭和43年)。

都道府県では1969年(昭和44年)
の宮崎県が最初とされ、
全国にじわじわ波及しはじめました。

景観保護に対する行政の意識を
決定づけたのは、2005年
(平成17年)の景観法の制定です。

それまで強制力のない実施目標
というところも多かったので、
この機を境に無秩序な建設は
控えられることになりました。

そんな景観に対する
意識がもっとも高く、
日本で一番厳しいとされるのが
京都市の景観条例です。

古い伝統を有する建造物が多い京都は
、旧市街地型や山並み背景型、岸辺型
などのいくつかの美観地区エリアに
分けられ、それぞれの町並みの
風情や眺望景観を保護するために、
建築物の高さや建築デザイン、
屋外看板など、厳しい基準が
設けられています。

建築物についての高さ制限はもちろん
のこと、屋根の形や勾配、色彩など
細かい規定が設けられ、
広告についても屋上看板や
電飾系の禁止、壁面掲示にも
細かい指示されています。

さまざまな大手チェーン店の
屋外への看板掲示についても、
大きさや色彩の変更を
行わなければなりません。

本来、企業ロゴは色や形について、
各企業が細かく規定しているもの。

ところが外資系も含め、
各企業とも景観条例に沿った
カラーリングを施しています。

鮮やかな赤をシックな茶色に
置き換えるなど、京都でしか
観ることができないさまざまな色の
看板は街中に融け込み、
新しい文化を創り上げている
といっても良いでしょう。

ここで頭をよぎったのは、
ひとつの疑問。

これだけ厳しい景観維持の
京都市内において、
「こどもの日」に鯉のぼりを
上げて良いのかということ。

伝統的な行事に対して条例は
適用されるのでしょうか?

悩ましいところです。

結論からいうと、伝統的というより、
鯉のぼりそのものが屋外広告物に
該当しないため、広告案内などが
書かれていなければOKとのこと。

祭の案内看板なども
屋外広告物にあたらないので、
掲示の際の許可申請は
不要のようです。

厳格なだけではない、
住みやすさへの十分な配慮
はきっちりと残されています。

本家・中国の「端午節」は、6月7日(旧暦5月5日)。

さて、この「鯉のぼり」、
鎧兜や柏餅、ちまきなど「こどもの日」
につきもののひとつですが、
これらが一緒になったのは
同時期ではありません。

こどもの日は「端午の節句」と呼ばれ
、もともと中国発祥の“端午”から
きている行事で、中国から日本に
伝わった後、旧暦と新暦が入り交じって、
現在の日本の様式に落ち着きました。

その由来や経緯を、
少しひも解いてみましょう。

由来となる中国の端午は
「端午節」と呼ばれ、
2019年は6月7日(旧暦5月5日)。

「端午節」は、春節、中秋節に並んで
、中国の三大伝統節句の
ひとつとなる祝日です。

“端”には“はじめ”という意味があり、
“午”は、十二支を各月に
あてはめた時の5月のこと。

それを組み合わせて、「端午」は
“5月の初旬”を意味しています。

諸説ありますが、一般的に
中国・楚(紀元前3世紀頃)の
詩人“屈原”の命日である
5月5日に彼を慕う人々が、
彼が身を投げた川に“ちまき”を
投げ入れて供養したことが
起源とされるのが有力な説。

現在でも、この日は、彼を助けるため
に船を出した故事にちなんで
龍船(ドラゴンボート)の競漕が
中国各地で行われ、ちまきを食べたり
、ヨモギや菖蒲の葉を
飾る習慣があります。

「端午」が日本に伝わったのは
奈良時代。

当初、宮中行事であったものが、
鎌倉時代になり、“菖蒲”が“尚武”
に通じ、葉の形が刀剣に似ている
ことから、男の子の節句へと変遷。

鎌倉時代を境に、日本独自の風習
として定着しはじめます。

鎧兜や刀、武者人形や金太郎、
武蔵坊弁慶を模した五月人形
などの段飾りはこの頃からの風習。

鯉のぼりは江戸時代になってから
関東の風習として広まり、
やがて京都や上方へと伝わりました。

鯉のぼりを上げるのは日本独自の文化
ですが、由来そのものは中国が起源。

中国・黄河の“竜門”と呼ばれる滝を
登ったのが鯉で、登り切った鯉が
竜になったという故事が元になって、
男の子の出世を願う意味を込めて
鯉のぼりを庭先に
上げるようになりました。

芸能オーディションなどで
耳にする「登竜門」も
同じ故事からの引用です。

柏餅を食べるのも日本独自のもので、
柏は“神様が宿る木”とされ、
新芽が出るまで
古い葉が落ちないことから、
“家系が絶えず、後世に続く”
縁起物として広まりました。

ちまきについても、いわゆる
“中華ちまき”ではなく、
餅を菖蒲の葉で包んだものが
“ちまき”として定着しました。

そして「端午の節句」が
「こどもの日」となったのは、
1948年(昭和23年)に
制定されてからのことです。

ちなみに、日本での「端午の節句」
は、新暦、旧暦ともに5月5日で、
人日、桃の節句、七夕、重陽と並ぶ
五節句のひとつに数えられます。

中国から伝わった文化は、
日本の習慣をなぞるように
独自の変化を遂げています。

この先、よりグローバルな時代に
なった時、「端午の節句」は
どのように変わっていくでしょうか。

それはそれで、歓迎すべき
新しい時代の幕開けともいえます。

お父さんの心をくすぐる、日本酒の「父の日ギフト」。

お父さんだって、プレゼントは欲しい…に違いない。

郷愁感にあふれる偉大さを表す言葉に
、“母なる〜”があります。

生命の起源を感じさせる“母なる海”、
植物が根を張った強さをイメージ
させる“母なる大地”、
宇宙を舞台にしたSF作品にしばしば
登場する“母なる地球”など、
すべて包容力のある懐かしい温もり
を感じさせてくれる言葉です。

ラテン語の“母(mater)”は、
“海(mare)”と近い語源とされ、
フランス語の“海(la mer)”は
女性名詞、そういえば、
“海”という漢字に“母”が含まれ、
“海”は“産み”と同じ発音。

太古の昔より、生命を産み育む
「母性」に対する敬慕の心が、
人間の遺伝子に
刻まれているようです。

では、“父なる〜”という表現は
というと、なかなかすぐには
思いつきません。

調べて見ると、さまざまな
神話や信仰の“母なる大地”
との対の表現として
“父なる天”や“父なる太陽”
などが使われているようです。

“天”“太陽”ともに、何となく
遠くから見守っている存在
のようで、少し距離感を
感じてしまいます。

そうしたことも関係しているのか、
「母の日」の賑やかさに比べると、
「父の日」は少しだけ
静かな印象を受けます。

実際に「父の日」の
ギフト市場規模は、
「母の日」市場の
ちょうど半分くらい。

世のお父さん、
口にこそしませんが、
“プレゼントが欲しい”…
きっと心の底では、
そう思っているに違いありません。

菊正宗では、そんな、ちょっと
寂しさ漂うお父さんに向けた
「父の日ギフト」を
ご用意いたしました。

まずおススメしたいのが、
「シェリー樽貯蔵大吟醸」です。

本場スペインで買い付けた
シェリー樽に、搾り終えた上質の
生酛大吟醸を樽詰した贅沢な逸品。

歴史を重ねた樽に浸み込んだ
シェリー酒とスパニッシュオーク
(樫)の香りが渾然一体となった
ところに、華やかな香りが広がる
生酛ならではの味わいが
融け合って、奥の深いコクのある
深い味わいを醸し出します。

洋酒党と日本酒党ともに
絶賛の秀逸な味わい
がお楽しみいただける、
大変貴重な限定商品です。

続いてご紹介したいのが
「父の日プレミアム
純米原酒セット」。

菊正宗だけの特別な酒米「兵庫恋錦」
で醸した幻の酒
「超特撰 兵庫恋錦 特別純米酒 原酒
」、吉野杉の爽やかな香りをまとった
芳醇な味わいの「上撰 純米樽原酒」、
吉川特A地区産の山田錦を100%使用
した「超特撰 嘉宝蔵 雅」の、
日本酒好きには堪らない
“垂涎(すいぜん)”の純米原酒を
3本セットです。

そして最後に、普段なかなか口に
できない、お父さんへの感謝の
メッセージをネオカップに貼り付けた
「思いを伝える ネオカップセット
〜メッセージ「父の日」タイプ〜」。

180㎖の飲み切りタイプの
ネオカップを5種類20本の
セットにしました。

ご家族揃っての飲みくらべなど、
会話も弾む父の日ギフトです。

どれも、お父さんが喜ぶ
嬉しい1日になりそうな
商品を取り揃えました。

正式な「父の日」制定は、「母の日」に遅れること58年。

最初の「父の日」の祝典が
行われたのは、1910年のこと。

その前の年にアメリカのワシントン州
のある街での出来事が
キッカケとされています。

その出来事とは、男手ひとつで
自分を含む6人兄弟を育て
てくれた父を讃えて、
父の誕生月である6月に
礼拝をしてもらった
ソノラ・スマート・ドッドという
ひとりの女性の願いに
端を発したものです。

当時すでにはじまっていた母の日
と同じように、父に感謝する日
も必要という牧師協会への嘆願
が最初とされています。

母の日の起源とされる1907年から
3年遅れての祝典となりました。

とはいうものの、
「母の日」がアメリカの記念日
となったのは1914年。

「父の日」は1972年に
正式な記念日として制定された
もので、実に58年もの年月が
経っていました。

母の日に贈る花は
カーネーションに対して、
父の日の花はバラ。

父親が健在の場合は赤いバラを贈り、
亡くなっている時は
白いバラを身につけます。

寡黙な父、饒舌な父、頑固な父…
いろんな父親像はありますが、
「父の日」には、感謝の気持ちを
カタチにして伝えたいものです。

新たに「父なる〜」という言葉が
生まれるのを願うばかり。

今年の「父の日」は6月16日(日)。

日本酒を前に、
こぼれんばかりのお父さんの笑顔が、
今年は見られそうです。

日本酒の深い味わいを醸す、水の存在感。

宇宙で発見された“水の気配”が、人々を宇宙へと駆り立てる。

1957年、ソ連(現ロシア)が
世界初の人工衛星
「スプートニク1号」
の打ち上げに成功。

人類の夢は宇宙へと、
その第一歩を踏み出しました。

そして、全世界を熱狂の渦に
巻き込んだ1969年(昭和44年)
のアポロ11号による
人類初の月面着陸から50年、
再び、宇宙開発の話題が
世間を賑わせています。

中国の無人探査機が
世界で初めて月の裏側に着陸し、
日本でも探査機「はやぶさ」が
小惑星イトカワの表面物質の採取
に成功した快挙に続いて、
小惑星リュウグウへの
着陸計画のまっただ中。

地上と宇宙をつなぐ夢の
「宇宙エレベーター」計画も、
現実味をおびた話になってきました。

「宇宙エレベーター」の仕組み
そのものは簡単な構造です。

赤道上空の高度
約3万6000キロメートルに
打ち上げられ、地球と同じスピード
で周回する人工衛星を、地上からは
止まっているように見えるため
「静止衛星」と呼びます。

この静止衛星から地上に向けて
ワイヤーをたらして
伸ばしていきます。

地球に向けたワイヤーの重さで
静止衛星が落下するのを防ぐため、
地上に向けたワイヤーと
地球と逆方向に向けたワイヤーに
よって全体の重力が
上手く釣り合うように延伸。

これにより静止衛星を中心とした
地球と宇宙を結ぶ軌道が誕生します。

このケーブルに昇降機を取り付け、
人や物資を輸送できるようにしたもの
が宇宙エレベーターです。

日本で強度と耐久性を兼ね備えた
「カーボンナノチューブ」という
新素材の開発に成功したことが、
計画を一歩進めたといえるでしょう。

月への着陸が叶った今、
次にめざすのは火星。

太陽に近い水星、
金星は表面温度が高く、
また木星や土星は表面が
分厚いガスで覆われ、どちらも
地表に降り立つことができません。

これらの惑星とくらべた場合、火星の
環境がもっとも地球に近いとのこと。

とはいえ、火星の厳しい自然環境を
限りなく再現したとして話題
となった、2015年公開のアメリカ映画
「オデッセイ」を見る限り、
空気も水もなく、昼夜の温度差が激しい
荒廃した火星には、
地球とはくらべものにならない
過酷さが立ちふさがっています。

そんな中、昨年8月に火星の
新たな話題が飛び込んできました。

欧州宇宙機関の研究チームが、
火星の軌道を周回する探査機
「マーズエクスプレス」の
観測データから、火星の南極の地下
に幅20kmにわたって“液体の水”
が存在する兆候があることを発表。

また、何かと物議を醸す米大統領が
“私の政権下でNASAが再興し、
我々は再び月に戻る。
その次は、火星だ”
とツイートしたのは、
今年の5月半ばのこと。

“液体の水”らしき存在が、
火星開拓への夢をさらに
一歩近づけたようです。

人類の生命維持に必要な空気は
もちろんですが、大切なのは“水”。

さまざまな生命の進化をいざなった
のは、水に由来する
ともいわれています。

私たちは、地球が、“水の惑星”
と呼ばれるほど、水に満ちあふれて
いることに感謝しないといけない
のかも知れません。

人類にとって“水”は、
命の源といえます。

“名水あるところに銘酒あり”という事実。

日本酒にとっての“水”も、決して
欠かすことのできないものです。

米と米麹を原料としていますが、
水が重要な原料であることは、
いわずと知れた事実です。

酒造りにおいて、“種水”とも
称される、直接、日本酒の原料
となる醸造用の「仕込み水」のほか、
米を洗う水、米を浸ける水、
酒母に使う水、
できあがった酒のアルコール度数
を調整するために使う割り水
などが、醸造に直接かかわる水です。

このほか、酒瓶の洗浄用の水、
釜や桶などを洗浄する水、
道具を熱湯殺菌する水、
酒蔵内を清潔に保つ清掃用の水
などの雑用水も含めると、
使用する水の量は白米重量の
30〜50倍にもなります。

昔から、酒蔵を構える際の
条件のひとつが、酒造りに
適した湧き水が近くにあるかどうか。

幸い、日本には仕込み用の湧き水に
恵まれた土地がたくさんあり、
優良な水脈の上に蔵が建っている
例も少なくありません。

日本酒造りには、酵母の栄養源
となって醗酵を促すミネラル
(カリウム、マグネシウム、リン
など)を豊富に含んでいる水
が適しています。

ただ、水に含まれるミネラル成分が
少なくても、米からうまく溶かし出し
さえすれば、ミネラルは足ります。

「灘の男酒、伏見の女酒」という言葉
は、“灘の水(宮水)は比較的硬度が
高く醗酵が進みやすいので、
後味の引き締まった味になる”
“伏見の水(御香水/ごこうすい)は
軟水なので醗酵がおだやかで、
まろやかな味になる”という
仕込み水の硬度の違いによる
“二大酒どころ”の特徴を
言い表したものです。

ちなみに、市販されている
ミネラルウォーターの硬度は
通常30〜40程度。

宮水の硬度は180と、かなり高め。

一方、御香水の硬度は40程度です。

しかし、日本中に点在する“旨い”と
される日本酒の仕込み水の硬度は、
20を切る軟水から
200を超える硬水までさまざま。

その水を使う蔵元が、それぞれの
硬度に適した特徴的な酒造りに
励んでいる賜物といえます。

国土交通省の発表によると、
世界で安心して水道水が飲める国
はわずか15カ国のみ。

そこに含まれる日本は、
世界屈指の水が美味しい国です。

それは厳しい基準によって
水が管理されているからです。

日本酒の仕込み水については、
水道水以上にさらに厳しい
条件が求められます。

とくに鉄やマンガン、銅は、
酒質の劣化を招きかねません。

ごく微量でも混入すると、
酒は黄褐色になり、
味を損なうことになります。

なかでも鉄分はもっとも
厳しい評価対象です。

酒造りの現場において、
さまざまな用途の水だけでなく、
貯蔵するタンクや桶などの道具類
にも、クギなどの鉄分が溶け出す
素材の使用は禁物。

ホーロー加工された鉄製タンクの場合
、ホーローの割れ目から鉄分が
染み出す恐れがあるため、
わずかな傷も見逃さない日々の
チェックは欠かせない日課のひとつ。

1840年(天保11年)に宮水が見つかる
までは、新酒は夏を過ぎると
味が落ちるのが一般的。

ところが、宮水で仕込んだ日本酒は、
適度に熟成が進み、まろやかな味の
「ひやおろし」「秋晴れ」となり、
芳醇な香りを漂わせるように
なったといいます。

これが後の「下り酒」として、
灘酒を江戸に広める
ことになりました。

宮水は鉄分が極めて少なく、
酵母などの増殖に欠かせない
カルシウム、カリウム、
マグネシウム、リンが豊富に含まれ、
また海に近い環境であることも幸い
して、適度に含まれる塩分も
酵母の醗酵に有効な成分です。

宮水は、花崗岩を主とした砂礫層の
岩盤を流れた3つの伏流水が
混じり合い「宮水の井戸場」に到達。

その途中で2つの伏流水は、
かつて海だった地層を通ることで、
類い稀な水質になるのではと
考えられています。

その成分構造は複雑で、
現在の最先端の科学をもってしても、
宮水と同じ水質の再現は
不可能とのことです。

長い歴史の蓄積によって磨かれた
“水”が育んだ私たちの文化。

その中でも、大自然の偶然の恵み
によってもたらされた“旨い酒”は、
人智により、さらに旨さを
増して行きます。