生もとは、代々伝わる菊正宗の深い“味わい”。

 

生酛の伝承は、老舗ならではの使命。

一般的な見地として、
現存している世界最古の国が
「日本」ということをご存知ですか。

日本の建国は紀元前660年、
初代天皇を紀元とした場合でも
4世紀までさかのぼります。

2番目に古いとされる
デンマークの建国が10世紀頃なので、
日本はダントツに
古い歴史を持つ国といえます。

長い歴史を持つ
日本だからこそですが、
長寿企業の数も世界一の
「老舗大国」。

世界最古とされる日本企業の創業は、
なんと578年。

「金剛組」という宮大工の会社で、
四天王寺(大阪)の建立に携わった
金剛重光により創業されました。

日本は島国で、他国からの影響を
受けにくいという地の利の元、
仕事に手を抜かずに
一途に打ち込む勤勉な国民性が
企業の存続を支えてきました。

“暖簾に磨きをかける”
という言葉がありますが、
社風やブランド、商品、社員を育て、
それを良い状態で
次の世代に渡すことが“美徳”。

この考えが、
多くの老舗企業の根底にあります。

その中で、
酒造業を営む老舗企業の歴史は、
おおむね約300〜400年。

菊正宗も
老舗のひとつに名を連ね、
約360年もの歴史を刻んでいます。

 

そして…
創業当時の造り方を
今に受け継ぐのが、
「生酛(きもと)」です。

「一麹(いちこうじ)、
二酛(にもと)、
三造り(さんつくり)」
の二番目にあたる
“酒母造り(酛/もと)”の工程で、
菊正宗では昔ながらの“生酛”
を取り入れています。

酒母造りは、麹菌によって
米から生成された糖をエサに、
酵母を大量に培養する工程ですが、
酵母以外の雑菌にとっても、
糖は大好物。

そこで、
雑菌を駆逐するために
必要なのが乳酸の働き。

この乳酸を得る方法として、
「生酛」「山廃」「速醸」
の3種類いずれかの方法をとります。

 

 

 

時代の流れで、
「変わるもの」「変わらないもの」。

「生酛」は、江戸時代に
丹波杜氏が確立した手法で、
昔の日本酒造りに
欠かせない工程のひとつでした。

仕込みの初期の段階は、
半切り桶(小振りの平たい桶)に
蒸米、麹、水を入れ、
「山卸(やまおろし)」
という工程を行います。

“酛踏み
(もとふみ/足で踏んですり潰す)”や
“酛摺り
(もとすり/木の櫂ですり潰す)”
によって丹念にすり潰すことで、
雑菌が繁殖しやすい
水や空気溜まりを
なくすのが目的です。

この作業はかなり過酷で、
寒いさなか数時間置きに
夜通し行う重労働です。

この後、
酒母タンクにひとつにまとめて
表面を平らに整える
「酛寄せ」を経て、
「打瀬(冷やす)」
「暖気入れ(温める)」
工程での温度管理によって、
蒸米の糖化を促すと同時に、
蔵や木桶などに棲む
乳酸菌が大量に自然増殖。

乳酸が雑菌を駆逐した所で
清酒酵母を投入。

清酒酵母が増殖するに伴って
造り出すアルコールが、
乳酸菌を死滅させます。

まさに微生物の世界では、
群雄割拠する
“武将”の覇権争いが行われた
戦国時代の様相を
呈しているようです。

ちなみに、
過酷な山卸を廃止したのが
明治初期に取り入れられた
「山廃仕込み」。

“山卸廃止酛”を略した呼び名で、
最初から酒母タンクに仕込み、
麹の酵素で蒸米を溶解させ
乳酸菌の増殖をうながします。

その後の工程は生酛と同じ手順。

さらに「速醸酛」は、
明治末期に登場した方法で、
現在の主流の製法。

人工的に乳酸を加えるため、
仕込みに要する期間は約2週間。

生酛や山廃が
約4週間程度かかるので
期間的にも約半分
ということになります。

 

 

では、菊正宗はなぜ、
手間ひまをかけた
生酛にこだわるのか

…ひとこと、

“旨い”からにほかなりません。

生酛が確立された江戸時代は、
化学的な知識もなく、
温度管理ひとつとっても勘に頼る、
職人の世界。

多くの失敗を繰り返しながら、
経験を積み重ねて磨き上げた“技”が、
時を経た今も
「生酛」として高い水準を保っている
ことには驚くばかりです。