“灘の酒”の旨さは 、“六甲おろし”を利用した「寒造り」の賜物。

菊正宗 生もと 蒸米

一年を通した“四季醸造”から、冬場限定醸造の“寒酒”へ。

旨い日本酒造りの
大切な要素のひとつに
「寒造り」があります。

江戸時代初期頃まで、
日本酒造りは、
真夏の暑い盛りを除く一年を通じた
“四季醸造”が一般的でした。

現在の9月頃(旧暦8月)に
前年収穫の古米で醸す“新酒”、
9月下旬頃の残暑が残る初秋には
“間酒(あいしゅ)”、
寒くなりかけた晩秋には
“寒前酒(かんまえさけ)”、
冬場に造る“寒酒(かんしゅ)”、
そして春先の“春酒(はるざけ)”と
夏場以外はそれぞれの季節に応じた
酒が造られていました。

ところが、幕府は、
飢饉や政争など、
その時々の社会情勢に応じて
“寒酒”以外の酒造りの
“規制”“解禁”を
繰り返していたため、
蔵元は、
生産許可が不安定な酒類の醸造を
避けるようになったといいます。

また、“寒酒”の酒質は
他の酒類とは比較にならないほど
上質なものに仕上がることも、
“寒酒”造りに専念する要因と
なったようです。

つまり、“寒酒”だけが
唯一規制対象外であったのも、
もともとの酒質が秀でたからに
他なりません。

江戸時代の酒造りを
頭に思い描いてみてください。

繊細な醗酵工程を
的確に行うために大切な、
正確に時間を刻む“時計”、
正確な温度を測る“温度計”など
ない時代。

そんな中で、刻々と変化していく
それぞれの醗酵状態を把握するために
肌感覚で温度を読み、
目や耳で醗酵状態を知り、
香りを嗅ぎ分け、
舌で味を確認する…
経験によって培った五感を頼りに、
蔵人たちはその技術を確立し、
後世へと受け継いでいったものが、
現在の「寒造り」への礎となったと
いわれています。

また、
“寒酒”が定着したことによって、
農家の冬場の閑散期に出稼ぎにくる
“杜氏”という酒造りのプロ集団が
生まれたことも、
優れた日本酒造りを支えることに
なりました。

“寒酒”造りが、
“四季醸造”の中で、
もっとも過酷な極寒環境での作業を
強いられたことは、
暗に想像がつきます。

休憩場で火を焚いて
暖を取っていたとは思いますが、
作業現場への安易な火の持ち込みは
厳禁。

冬場の凍てつくような空気や水は
澄みわたって雑菌が少なく、
寒さによる蒸し米を短時間で冷まし、
醗酵段階の一定時間の低温状態の
維持が容易という
酒造りにもっとも適した季節で、
醸されたお酒は、
香りが高く、
深いコクがあり、
長く貯蔵できるという
多くの利点がありました。

もし、
過酷な極寒の作業環境に心が折れ、
そこそこの日本酒の出来栄えに
納得していたら、
現在の酒文化は
なかったかも知れません。

 

「寒造り」を極めた旨さが、江戸庶民に受けた“下り酒”の真骨頂。

“寒酒”だけが
造られるようになって以降、
時代は巡り、
第5代将軍、徳川綱吉の元禄年間には、
灘酒の“下り酒”が
江戸の庶民に持てはやされます。

とくに、当時の関東で仕込まれた
“地廻り酒”と比べると
“灘の酒”の酒質は高く、
江戸時代後期には、
江戸で飲まれる約8割が
“灘の酒”であったとの記録が
残されています。

江戸時代に“下り酒”として
人気を博した“灘の酒”の
優れた酒質を決定づけたのは
“六甲おろし”を利用した
「寒造り」技術といえます。

阪神タイガースの球団歌として
その名が一気に広まった
“六甲おろし”は、
寒い冬に六甲山の頂上から吹き降りる
冷たい北風のことです。

六甲山地は最高峰で931mと
それほど高い山ではありませんが、
神戸市街を見下ろすように
東西にそびえ立ち、
西高東低の冬型の気圧配置になると、
神戸の西に位置する明石からの
季節風が
西に位置する六甲山に向かって
吹き抜けます。

その季節風が六甲山頂にぶつかって
一気に吹き降りる気象現象が
“六甲おろし”で、
山と海の距離が短い
急勾配である地形が、
その速度を強めています。

江戸の庶民に親しまれた
“下り酒”ですが、
“灘の酒”を特徴づけることになる
“宮水”“山田錦”の登場は、
まだ先のこと。

それでもなお
“灘の酒”が極上の酒として
江戸庶民に受け入れられたのは、
「寒造り」技術が
より高い水準で確立していた
ということに他なりません。

灘五郷の酒蔵では、
この“六甲おろし”を
効率よく利用するために、
多くの蔵元が“重ね蔵”という
建築配置を取り入れた構造でした。

つまり、北側に、仕込み蔵や貯蔵庫、
南側に前蔵が隣接して
東西に長く連なる建物配置。

冬は“六甲おろし”の冷たい風が
北側の仕込み蔵を適した低温に保ち、
夏場は、南に位置する前蔵が、
貯蔵庫への強い直射日光を遮ります。

現在は空調設備が完備され、
建物も増築されるなどして、
大きく配置が変わったところも
ありますが、
それでも多くの酒蔵では
“六甲おろし”を上手く取り入れる
構造を意識しているようです。

酒造りへのこだわりは、
数百年経った現在でも
変わることはありません。

菊正宗では、
手間がかかり、冬場の過酷な作業が
強いられる生酛造りを
いまだ実直に続けています。

それは旨い酒を造るという、
江戸の蔵人たちの思いと
重なっています。

六甲山 夕焼け