3年振りの盛況が期待される「日本酒の日」。10月1日は日本酒で乾杯!

10月1日は「日本酒の日」。久しぶりのイベント開催に湧いています。

10月1日は「日本酒の日」です。
ここ2年ほどは、
新型コロナの影響により、
大小に関わらず、
さまざまなイベントが
中止となりました。

しかし、
新型コロナによる重篤化リスクが
軽減されてきたこともあり、
今年の「日本酒の日」イベントは、
全国各地で行われる予定です。

ただ、未だ新型コロナ禍が
なくなった訳ではないので、
イベント実施にあたって、
それぞれの
イベント運営サイドにおける十分な
感染対策が講じられていることは
いうまでもありません。

「日本酒の日」は、
1978年(昭和53年)に
日本酒造組合中央会によって
制定された記念日で、
“日本の國酒である日本酒を
後世に伝えるという思いを
新たにするとともに、
一層の愛情とご理解を
という願いを込めて、
1978年に日本酒造組合中央会が
「10月1日は日本酒の日」と定めた”
と当団体サイトにて
紹介されています。

また、各都道府県で開催されている
日本酒に関するイベントや
トピックスを、
「日本酒イベントカレンダー」にて
配信。

「日本酒の日」に関連するイベントが
こと細かく紹介されているので、
興味がある方は、
のぞいて見るのも
いいかも知れません。

そのなかでも興味深いのが、
日本酒造組合中央会が主催する
「みんなでお祝い!日本酒で乾杯!
オンラインイベント」です。

9月23日から10月2日の10日間を
“日本酒で乾杯!WEEK”に設定して、
各都道府県の酒造組合を始め、
酒蔵や飲食店、酒販店と連携して
日本酒により親しみを持っていただく
日本酒啓蒙キャンペーンを実施。

そのピークとなるのが、
10月1日「日本酒の日」に開催される
「日本酒で乾杯!」
オンラインイベントです。

18時から
YouTube LIVEで開催されるもので、
料理研究家による
日本酒に合うおつまみ実演や、
スペシャルゲストによる
トークショー&クイズ大会のほか、
全国各地のイベント会場をリポートし
鏡開きからカウントダウンが始まって
19時にオンラインで全国一斉
「日本酒で乾杯!」を行う予定。

なかでも、とくに注目なのが、
スペシャルゲストとして登場する
女優の武田梨奈さん。

彼女は、人気ドラマ「ワカコ酒」の
主演女優です。

当作品は、
2015年(平成27年)から続く、
今年でシーズン6を迎える
人気ドラマで、
実際の飲食店を舞台に
実際の日本酒銘柄が登場する
ドラマ仕立ての情報番組
といっていいのかも知れません。

日本酒と料理の相性や
ドラマ現場での裏話が聞けそうです。

「日本酒で乾杯!」
オンラインイベントは
自由に参加できるので、
お時間がある方は、是非。

また、さまざまな地域に根ざした
「日本酒の日」イベント開催も
多数計画されています。

10月1日に「日本酒の日」を制定した由来と、それを一気に広めた「乾杯条例」。

「日本酒の日」が
10月1日に制定された
そもそもの理由は
“酒造元旦”にあります。

現在、日本酒の酒造年度は、
7月1日から翌年6月30日ですが、
1964年(昭和39年)以前は、
その年に収穫された新米で
酒造りを始める
10月を1年のスタートとして、
翌年9月30日までが酒造年度でした。

日本酒の蔵元では、
昔から年度初日の10月1日を
“酒造元旦”として祝い、
神社に参拝して
1年の醸造安全を祈願。

そうした
大切に守り続けてきた
伝統の日である“10月1日”を、
「日本酒の日」という
特別な記念日に制定して、
後世へと語り継ぐことの決意が
込められているということです。

もうひとつの理由が、
干支の“酉(とり)”です。

この“酉”は、
酒壺を表した象形文字から
生まれたもので、
“酒”という漢字の部首は、
つくりの“酉(ひよみのとり)”。

“酉”は12年に一度巡ってくる
十二支のひとつであるとともに、
1年の各月に割り当てた場合、
10月を指します。

この時期、
秋の五穀豊穣に感謝して
秋祭りなどを開催して、
神と酒を酌み交わす習慣が
ありました。

また、10月は旧暦の“神無月”で、
新酒を醸す月という意味で
“醸成月(かみなしづき)”
とも呼ばれ、
古くから“10月は日本酒の月”と
考えられていたことが、
「日本酒の日」制定に
大きく関わっています。

「日本酒の日」制定以降、
10月1日には、
厳かで神聖な行事が主目的の
鏡開きや振舞酒などの式典を中心に、
関係団体でお祝い行事が
執り行われてきました。

その厳かな行事を
一歩先に進めたのが、
2004年(平成16年)の
「日本酒で乾杯推進会議」
の発足です。

”日本酒で乾杯”を
キャッチフレーズに、
日本酒を通して
日本文化を広く啓発することを
目的とした積極的な活動は、
やがて地方自治体が公布する
「乾杯条例」の制定へと
繋がっていきました。

「日本酒の日」の目玉は、
9月9日に解禁されたばかりの
“ひやおろし”。

寒い時期に醸造して、
ひと夏熟成させ、
秋口に入って、
ほど良い円熟味をおびた
“ひやおろし”は、
格別の味わいです。

ぜひ、「日本酒の日」に
菊正宗の“ひやおろし”を
ご賞味ください。

9月23日は「秋分の日」。この日辺りから、熱燗が恋しい季節に。

実は、“秋分の日”は昼と夜の時間が同じ…ではありません。

現在、私たちは
“新暦(太陽暦/グレゴリオ暦)”
によって日々の生活を送っています。

これは地球が太陽の周りを
約365.24219日かけて1周する
公転周期を1年とする考え方に
基づいた世界の基準で、
小数点以下の誤差を
4年に一度の閏年で調整。

それでも生じる微少な誤差は、
“400で割り切れない
100の倍数年は平年扱い”により、
さらに調整されます。

直近だと、2100年は本来、
閏年にあたりますが、平年扱いに。

この微調整により、その誤差は
10000年に3日ほどのズレという
驚きの正確さとなります。

改暦される前の
“旧暦(太陽太陰暦/天保暦)”は、
地球が太陽の周りを1年かけて
公転するのは“太陽暦”と同じですが
当時の1カ月の基準となるのは、
新月から次の新月までの
月の満ち欠けです。

つまり、新月の日を月の最初の日
(朔日)と定めましたが月の周期は
約29.5日なので、1年は約354日に。

そこで、暦と季節のズレが
約ひと月分に近くなると、
閏月を入れて1年を13カ月で
調整していました。

平均して19年に7回程度の割合で
閏月が設けられたとのことです。

この暦と季節のズレを正す
手がかりとなったのは
“二十四節気”です。

古代中国では、すでに
確立されていました。

それが日本に伝わったのですが、
温暖気候の日本と
大陸気候の中国とでは、
やや季節感が異なるため、
制定する際に日本らしい補足説明を
盛り込みました。

とくに、ひとつの節気を3等分した
“七十二候”では、日本独自の
季節感が色濃く反映されています。

この“二十四節気”で、とりわけ
重要なのが、“夏至”“冬至”の
二至と、“春分”“秋分”の二分を
併せて“二至二分(にしにぶん)”で
これらは、太陽の位置や昼夜の長さに
基づくもので、世界中どこも同じで、
過去も現在も同じ不変な節気で、
ほかの節気などを決める
基準になります。

ご存知のように、“夏至”は
昼の時間がもっとも長く、“冬至”は
逆に夜の時間がもっとも長い日です。

そして、“春分”“秋分”は、
昼夜の時間が同じとされていますが、
実際は昼の時間が10分ほど長いのを
ご存知でしょうか。

これは、太陽の光が地平線に出た瞬間
を“日の出”、太陽が地平線に
沈みきった瞬間を“日の入り”と
定めているためです。

本来なら、太陽が地平線に沈み始めた
瞬間を“日の入り”とすれば
昼夜の時間は同じになります。

つまり、太陽1個分の動く時間だけ
昼が長くなる計算です。

一方、日付に紐づいた七夕や
お盆などは“旧暦”“新暦”で、
どうしても時期のズレが生じます。

そのズレを調整するために、
2011年(平成23年)、
日本気象協会により、
現在の気候に合わせた
“21世紀の二十四節気”制定に向けた
取り組みが行われましたが、
これまでに定着してきた
微妙な季節感を混乱させるとして、
翌年にはその計画が中止に。

この取り組み以前から、
昔のままの“二十四節気”との
共存を表す言葉として、
ニュースでよく耳にする
“暦の上では…”という前置きが
使われています。

意外と、そっちの方が
しっくりとくるのかも知れません。

「秋分の日」は、祖先を敬い、亡くなった人を偲ぶ日です。

この“二十四節気”で、
とても重要な役割ともいえる
“夏至”“冬至”
“春分”“秋分”なのですが、
祝日なのは
“春分”“秋分”のみです。

「春分の日」「秋分の日」ともに、
1948年(昭和23年)に制定された
「国民の祝日に関する法律」で
規定されました。

さらに遡って、1927年(昭和2年)に
制定された「休日ニ関スル件」に
規定されていた“春季皇霊祭”
“秋季皇霊祭”が、
それぞれ改称されたものなのです。

この“皇霊祭”とは、歴代の天皇、
皇后両陛下を祀る儀式のこと。

“彼岸”に由来する儀式で、
宮中行事として特別大きな行事
ということもあり祝日となりました。

この由来となった“彼岸”には、
極楽浄土やあの世という
意味があります。

極楽浄土は西の彼方にあり、
太陽が真東からのぼって真西へ沈む
「春分の日」「秋分の日」は、
この世(此岸)とあの世(彼岸)が
通じやすい日と考えられ、
先祖供養をするようになりました。

また、別のとらえ方として、
「春分の日」には、春の訪れを祝って
自然をたたえ、生物を慈しむ日という
意味があり、一方、「秋分の日」は
祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶ日
という意味合いが強いとされています。

“夏至”“冬至”には、
こうした行事に関わる背景がないため
祝日にはなっていません。

“暑さ寒さも彼岸まで”という言葉で
表現されるように、「秋分の日」
を境に気候は秋めいてきます。

とくに朝夕、
めっきり涼しくなるこの季節は、
熱燗が恋しくなる季節ともいえます。

9月19日は「敬老の日」。菊正宗のサプライズギフトは、いかがですか。

日本の“平均寿命”は、世界第1位。近代になり、長寿化は一気に加速。

2022年に世界保健機構(WHO)が
発表した世界の
長寿国ランキングによると、
“平均寿命”がもっとも長い国は
日本で84.3歳。

これは2019年の
数値に基づいたランキングで、
加盟国194カ国が対象です。

男女別だと、男性は第2位で81.5歳、
女性は第1位で86.9歳となっています。

よく間違われるのですが、
“平均寿命”とはその年に生まれた
0歳児の余命を予想した数値です。

ヨーロッパ地域の平均は78.2歳、
アメリカは77.2歳、
西太平洋地域は77.7歳など、
“平均余命”は
どんどん長くなる傾向に。

これが、人生100年時代と
いわれるゆえんです。

あと何年生きられるのかを知るのには
“年代別平均余命”の数値の方が
現実的といえます。

働き盛りの40歳の“平均余命”は
男性が42.57歳、女性が48.4歳、
“還暦”を迎える60歳のときは
男性が24.21歳、女性は29.46歳、
さらに80歳のときは男性が9.42歳、
女性は12.28歳。

それぞれ算出基準の年齢に
“平均余命”を加えた数値が
“平均余命”で、年齢とともに
“平均余命”は増える傾向に
あることが分かります。

さて、過去の“平均寿命”を
紐解いた文献によると、
縄文・旧石器時代が15歳前後、
古墳・弥生時代が10~20歳代、
飛鳥・奈良時代が28~33歳、
平安時代は30歳、鎌倉時代が24歳、
室町時代は15歳前後、
安土桃山時代は30歳代、
江戸時代は32~44歳、
そして明治・大正時代は44歳前後。

江戸以前は過去を遡るにつれ、
記録があいまいで、
今のように厳格な戸籍制度が
確立していなかったので、
生まれた子供の数が
把握できていなかったり、
時代によっては
貴族だけで割り出していたり、
古い時代になると
人骨の推定死亡年齢から割り出すなど、
調査方法などはバラバラ。

とはいえ、ひとつの基準としては、
かなり興味深いデータともいえます。

近代になってからの“平均寿命”は、
終戦直後の1947年(昭和22年)が50歳
1951年(昭和26年)に60歳、
1971 年(昭和46年)は70歳、
2013年(平成25年)は80歳です。

これほど“平均寿命”が
一気に伸びた理由は、
乳幼児の死亡率の低下が大きく、
さらに医療の進化、食生活の変化、
生活環境の改善、
健康への意識などがあげられます。

つまり、非難されがちな高齢化社会は
何よりも時代の進化の
賜物といえるのです。

ちょっと悩ましい、「敬老の日」の対象年齢。

そんな高齢化社会において、
その役割が高まっているのは
「敬老の日」なのかもしれません。

今年の「敬老の日」は、
9月19日(第3月曜日)で、
“多年にわたり社会につくしてきた
老人を敬愛し、長寿を祝う日”
という趣旨が祝日法
(国民の祝日に関する法律)に
定められています。

この趣旨に深い意味が
詰まっているような気さえします。

ここで、ちょっと悩ましいのが、
「敬老の日」の対象年齢は
いくつかという点。

何歳からという決まりは、
もちろんありませんが、
最近は“還暦”を過ぎても
元気で健康的な若い印象の方も多く、
年齢で老人と決めつけられることへの
抵抗も少なからずあるようです。

かつては、“還暦”を迎えた
60歳の以降を老人とみなし、
会社の定年も60歳を
節目としたところが多く、
長寿祝いも“還暦”からスタートして
“古希(70歳)”“喜寿(77歳)”
“傘寿(80歳)”“米寿(88歳)”
“卒寿(90歳)”“白寿(99歳)”と
続くのが一般的です。

ところが、健康寿命が伸びたことで、
会社の定年や年金受給開始が
65歳以上に引き上げられ、
老人福祉法での老人は
65歳以上と定められ、
世界保健機構(WHO)でも
高齢者を65歳以上と
定義していることもあり、
老人は65歳以上という説が
有力視されるようになりました。

こうした背景を受けて、いち早く、
2002年(平成14年)、
長寿祝いに加わったのが65歳を祝う
“緑寿(ろくじゅ)”です。

年金受給開始、定年退職する人が
増加する年齢にあたり、
長寿祝いで労いと感謝を
伝えるという目的で
日本百貨店協会が制定しましたが、
ブームになるほどの
浸透はしていないようです。

これらの年齢に基づく
老人の定義とは別に、
間柄による老人の定義があります。
孫が生まれておじいちゃん、
おばあちゃんになるということで、
例えば、20歳で生まれた子が、
20歳で子供を産んだ場合、
40歳のおばあちゃんやおじいちゃんに。

老人と呼ぶにはほど遠い年齢ですが、
孫が生まれた喜びの方が勝るようで、
こちらの場合は、
結構すんなりと受け入れられる
ケースが多いようです。

菊正宗では、
「敬老の日」のギフトとして
「思いを伝える ネオカップセット」を
ご用意しています。

180mLの飲みきりサイズの
ネオカップを5種類20本揃え、
それぞれの蓋にひと文字ずつ貼付。

届いた箱を開くと、
“これからもお元気で🖤
飲みすぎ注意1日1本!”の
文字が読み取れる嬉しい仕掛け。

1日1本飲んだとして、
約3週間にわたって喜びが持続する
サプライズ感のある贈り物です。

これならば、年齢に関係なく、
誰もが嬉しい「敬老の日」の
お祝いになること請け合いです。

今年の「中秋の名月」は9月10日。月を愛でながら「可惜夜」を楽しむ。

謎めいたお酒「可惜夜(あたらよ)」。残りはあと僅かです。

2017年(平成29年)に登場した
「可惜夜(あたらよ)」も、今年で
早、6年目を迎えます。

“嘉納会特A地区産の山田錦を
100%使用”“アルコール分16%”
ということ以外、酒質、精米歩合、
日本酒度、味わいなど、すべて謎の
ミステリアスなお酒。

これは、先入観にとらわれることなく、
飲む方の五感で、日本酒本来の
美味しさを楽しんでいただこうという
“魅せる菊正宗”を
コンセプトに醸した、遊び心のある
お酒です。

謎に包まれた「可惜夜」の美味しさを
少しだけ紹介すると、
すっきりとフルーティな鼻に抜ける
香りと口に広がる深い味わいで、
特有の上品な余韻が楽しめる
自慢の逸品に仕上げています。

「可惜夜」は、手間暇をかけて、
懇切丁寧に仕込んでいるため、
ご用意できる本数に限りがあります。

現在は、菊正宗ネットショップと
菊正宗酒造記念館での
期間・数量限定販売のみの取り扱いで、
販売早々、すぐに売り切れてしまう
ことも、過去には度々。

そんななか、「可惜夜」の旨さに
惚れ込んでいただいているお客様も
多く、リピート購入率の高い商品へと
成長しました。

また、その希少性もあって、
贈答品としてもご利用いただいています。

2021年度版は、そうした人気に
お応えする意味で、いつもの年より、
やや多めに仕込んだのですが、
残りもあと僅か。

売り切れる前に、ぜひお早めに
お買い求めください。

さて、「可惜夜」の名前の由来
となったのは、万葉集に収められた
“玉櫛笥 明けまく惜しき あたら夜を
衣手離れて 独りかも寝む”という
詠み人知らずの歌です。

この歌の意味は、“(玉櫛笥/枕詞)
明けてゆくのがもったいないような
良い夜に、お前と遠く離れて一人で
寝ないといけないだろうか”という、
やや意味深な内容。

お酒には“明けてしまうのが惜しい、
すばらしい夜”という広い意味で
「可惜夜」と命名し、
“このお酒を飲む楽しいひとときは
儚く、夜が明けるのも惜しいほどの
すばらしい時間を過ごしてほしい”
という願いが込められています。

また、この歌が詠まれた情景を
思い浮かべてみると、
部屋の明かりは消して、満天の星空の
中でひと際明るく輝く月に照らされた
部屋の風情豊かな様子を
うかがい知ることができます。

また、そのときの月は、
ずっと眺めていたい
満月だったかも知れません。

「中秋の名月」は、旧暦の秋のど真ん中の日である8月15日のことを指しています。

さて、今年の「中秋の名月
(十五夜)」は、9月10日。

新月から次の新月までの周期(月が
満ちて欠けるまで)で、新月の日を
1日目としたときのちょうど真ん中の
15日目が十五夜です。

月の周期は約29.5日とされ、新月から
満月まではその半分の約14.8日。

そこに、月の軌道がやや楕円を
描くことや閏月(うるうつき)など、
いろいろな理由が重なって、
1日ずれることになります。

たまたま、2021年から2023年は
「中秋の名月」の日と満月が
一致しますが、そのほかの年は、
満月が1〜2日遅れてやってくることに
なります。

つまり、“中秋の名月”であって
“中秋の満月”ではないということは、
意外と知られていないようです。

旧暦では、7〜9月が秋と
されていたので、秋のちょうど真ん中の
8月15日が中秋にあたり、
「中秋の名月」は“8月15日の名月”
のことをいいます。

一方、「仲秋」と書く場合は、
「7月(初秋)、8月(仲秋)、
9月(晩秋)」の8月の別称である
仲秋を使い、“8月の名月”を
表すことになります。

さらに、春夏秋冬それぞれの季節で、
名月を見ることはできますが、
夏の月の軌道は低く、
逆に冬の軌道は高すぎるため、
ちょうど見上げるのに適した高さ
となると、春と秋。

天気の優れない春よりは
天気の良い日が多い秋が、
月見に向いた季節として
定着したとされています。

今年の「中秋の名月」は満月です。

グラスに注いだ「可惜夜」に
月を映して、万葉の時代の気持ちを
味わってみるのも一興かと。

忙し過ぎる現代の時間の流れを
巻き戻して、風情豊かにゆったりと
過ごすひと時をお楽しみください。

静かな哀愁が漂う「おわら風の盆」。小さな町に約25万人もの観客が集います。

最近人気が沸騰していると噂の「おわら風の盆」。

以前にこのコラムで
紹介しましたが、
“日本三大盆踊り”は、
秋田の「西馬音内の盆踊り」、
岐阜の「郡上踊り」、
徳島の「阿波踊り」
というのが定説。

また、
“日本三大民謡踊り”
というのもあって、
「郡上踊り」、「阿波踊り」に
山形の「花笠踊り」が加わる
というのが一般的です。

しかし、
地域観光課や旅行会社などが
“日本三大…”を謳う場合に、
「郡上踊り」、「阿波踊り」は
そのまま残して、あとひとつに
“おらが県の〇〇踊り”を
加えることも少なくありません。

というのも、
そもそも“日本三大…”の
明確な定義はなく、
農閑期となるこの時期、
歴史的、規模的に、
同じサイズ感のお祭り行事が
全国的に点在しているからです。

ということであれば、
観光誘致の話題として
地元の祭りを推したい気持ちも
分からなくはありません。


「日本の祭り」はここを見る」
という本によると、
“日本三大盆踊り”の紹介の追記で、
“最近、富山の「越中おわら風の盆」
の人気が沸騰している”と
書き綴られています。

「越中おわら風の盆」とは、
富山県越中八尾町(やつおまち)で
行われている夏のお祭り行事です。

ではなぜ、富山の
「越中おわら風の盆」の人気が
沸騰しているのかというと、
ここでしか味わえない特徴が
魅力となっているといえます。

花火が打ち上げられたり、
縁日の屋台が軒を並べたりする、
賑やかで開放的な
夏のお祭りとは対照的に、
「越中おわら風の盆」は、
もの静かな哀愁が漂う
雰囲気のお祭り。

夏の暑さに疲れた心身を
リラックスさせてくれるかのように、
その静寂感が醸し出す
独特の空気感が町全体に漂います。

この静かにゆったりと
時が流れる感覚が、
ほどよい癒しを与えてくれ、
それが大きな魅力を
担っていることは
間違いのない事実。

小さな町に、全国から
毎年約25万人以上もの見物客が
訪れることからも、その人気を
押しはかることができます。

約300年もの歴史を刻む静かなお祭り「おわら風の盆」で、癒しを体感。

「越中おわら風の盆」は、
富山市街地から約10数km
南下した山間の坂の町、
八尾町(やつおまち)で、
毎年9月1日から3日に
開催されるお祭りです。

その歴史は古く、
江戸中期の1700年(元禄時代)頃から
約300年も続く伝統的なお祭り行事。

祭りが開催される二百十日前後は
台風が日本列島を
通過する時期にもあたり、
昔から収穫前の稲に
台風被害が及ばないことを願う
豊作祈願の風鎮祭を“風の盆”と
呼んだようです。

また、種蒔き盆、雨降り盆など、
休みのことを“盆日(ぼん)”と
呼んだことも、その由来に
関係するという説もあります。


八尾町は、昔を彷彿とさせる
伝統的な格子戸のある旅籠宿や
土蔵造りの民家が
坂道に沿って立ち並び、
風情のある宿場町のような
雰囲気の街並みが特徴。

その建物の軒下に
道に沿って連なる
数千本ものぼんぼりには、
日が暮れるとともにあかりが灯り、
幻想的な光景を醸し出します。

とくに、
「越中おわら風の盆」が
開催されるときなど、
踊りの流れを誘導するかのような
錯覚に陥ります。

「越中おわら風の盆」では
“地方(じかた)”と呼ばれる
楽器と唄の役割があります。

楽器は、探り弾きという演奏法で
やや重い旋律を奏でる“三味線”、
哀愁が漂う音色が特徴の“胡弓”、
軽めのリズムを刻む“太鼓”。

そこに、“お囃子”に
誘い出されるかのように
甲高い声の“唄い手”が加わって
全体の調和を取りながら
練り歩きます。

そして、その“音”に
反応するかのように、
豊年を祈る“豊年踊り(旧踊り)”と、
四季踊りと呼ばれる
躍動的な“男踊り”、
たおやかで艶やかな“女踊り”が
繰り広げられます。

男女ともに顔を隠すように
“おけさ笠”を深く被るのが
印象的です。


観客は、これらの長年にわたって
培われた唄や楽器、踊りを静かに
見守るかのように観覧するのが
「越中おわら風の盆」の
楽しみ方なのです。

「越中おわら風の盆」を
一躍有名にしたのは、
1985年(昭和60年)に
直木賞作家の高橋治が発表した
「風の盆恋歌」辺りから。

この原作を元に、
テレビドラマ、舞台、コミカライズ、
そして石川さゆりの同名曲など、
幅広い分野に波及していきました。

静かなお祭りという特徴は、
心に響く深い物語を紡ぐのに
格好の題材なのかも知れません。

観光目的というより、
地元に根付いた文化を
継承しているのが
「越中おわら風の盆」。

夕方辺りから涼しくなる
この時期だからこそ、
一風変わったお祭りに
参加してみるのも、
一興でしょうか。