年明けの祝い酒は、もちろん日本酒で。

正月に飲む、「お神酒(おみき)」と「お屠蘇(おとそ)」。

毎年この時期、“年を取ると、
1年が経つのは本当に早いですね”
という挨拶が、流行語大賞に
ノミネートされるのではないかと思う
ほど頻繁に交わされる年末年始。

この“年を取るほど1年が短く
感じられる”ということを解明
したのが、フランスの哲学者、
ポール・ジャネの
「ジャネーの法則」です。

これは、“50歳の年配者にとっての
1年の長さは人生の50分の1に
過ぎないが、5歳の子どもにとっては
人生の1/5を占める”という
心理的な体感感覚を説いたもの。

つまり、生きてきた年数に応じて
1年の長さの比率が小さくなり、
どんどん時間を早く感じる
ということ。

併せて、人生経験を重ねていくうちに
新しい発見も少なくなり、
慣れやマンネリが時間経過の感覚を
早まらせているようです。

…ということで、あっという間に
2018年が過ぎ、2019年です。

お正月を楽しんでおられますか。

やはり、お正月といえば、今も昔も、
おめでたい特別な時期です。

お正月に家族が揃って
新年の挨拶を交わし、祝い酒を飲み、
おせち料理に舌鼓をうち、
テレビの正月特番を観ながら、
新年を祝う…昭和に見られた、
一般家庭の当たり前のヒトコマ。

現在は、正月早々から
さまざまなお店が営業をしていて、
娯楽も多様化、海外旅行先で
新年を迎える家族も多い時代とも
いえますが、意外と自宅で厳かに
正月を迎えるご家庭も、
少なくはありません。

年末にいろいろな所で
売り出されているおせち料理セットの
売れ行きの好調さなどから、
その様子がうかがい知れます。

そこで、ご家庭で正月を過ごされて
いる方に、お正月に欠かせない
祝い酒について簡単にご紹介します。

正月の祝い酒というと
「お神酒(おみき)」
「お屠蘇(おとそ)」が有名。

このふたつは、よく混同されがち
ですが、まったく別のものです。

「お神酒」は、神前にお供えする
“清酒(すみさけ)”。

正式には「白酒」「黒酒」
「清酒」「濁酒」の4種類を
神棚にお供えしますが、いまは
清酒のみを使う場合が多いようです。

神棚に供えた後、年長者から
年少者の順番で注ぎます。

またお神酒は、
正月に限らず結婚式や地鎮祭など、
神前での祭礼を執り行う際に
広く供えられるお酒といえます。

一方、「お屠蘇」は、無病息災を
願って年の初めに飲む薬酒。

“邪気を屠(ほふ)り、
魂を蘇(よみがえ)らせる”
という意味があるとされています。

つまり、悪い気を追い払い、
家族の健康を祈願して飲む
習慣が生まれました。

日本酒もしくは、
日本酒と本みりんを混ぜたものに
「屠蘇散(とそさん)/ドラッグ
ストアなどで市販されている数種類
の生薬」を数時間漬け込みます。

お屠蘇は年少者から年長者へ
お神酒の逆の順番に注ぐのが、
一般的な作法とされています。

お神酒、お屠蘇ともに、その作法や
飲む順番などが、地域の風習や
ご家庭ごとに受け継がれた作法
などで異なる場合もあります。

また、20歳未満の方は、
アルコール類を摂取することが
法律で厳しく禁止されています。

未成年者、お酒が飲めない方は、
盃を傾け飲んだふりをするだけでも、
充分に儀礼を尽くしたことに
なるので、無理強いは厳禁です。


成人式は、スパークリング純米大吟醸酒「天使の吐息」で祝杯を。

新年を迎えたもうひとつの祝い酒は、
成人祝いの席。

2019年の成人式は1月14日です。

成人式のお祝いにうってつけな
お酒が新しく登場しました。

大切な方々とともに祝う
“おめでたい日”にふさわしい
スパークリング純米大吟醸酒
「天使の吐息」です。

開封直後の上質なシャンパンのような
発泡感と清涼感でひとときを愉しみ、
ボトル半ばを過ぎたあたりから
感じさせてくれる、
美味しくコクと深い香りを醸す、
沈殿したオリの「うすにごり」。

1本で2度楽しめる、
菊正宗の新しいジャンルです。

ライトな感覚なので、
初めて飲むお酒としてはピッタリ。

ギフトとしてもお喜びいただける
味わいに仕上がっています。

数量限定商品なので、ぜひお早めに。

さて、成人式ですが、
1948年(昭和23年)に
公布・施行の祝日法によって制定
され、1999年(平成11年)まで、
約50年にわたって毎年1月15日に
固定された祝日でした。

週休二日制が定着してきたことも影響
して祝日に関する法改正が行われ、
ハッピーマンデー制度を導入。

2000年(平成12年)以降は、
1月第2月曜日が成人の日
として現在に至っています。

成人の日は、小正月(1月15日)
に行われた「元服の儀」を
受け継いだ祝日とされています。

元服は、古くは奈良時代から続く
男子の通過儀礼のひとつです。

もともとは公家や武家の行事で、室町
時代以降、庶民にも広まりました。

儀式は身分や時代によって
異なりますが、髪形,服装を改め,
初めて冠や烏帽子をつける儀式で、
幼名を改める機会でもありました。

女子の「裳着(もぎ)」
「着裳(ちゃくも)」が、元服に
相当する成人儀礼とされています。

成人を迎える年齢については、
時代によってさまざま。

奈良・平安時代は
12~16歳で行われたとされる
記述が残されています。

室町時代には5~20歳と年齢の
幅が広がり、戦国時代の女子には、
政略結婚に備えて8~10歳で
成人儀礼を行った例もあります。

江戸時代には、女性の場合も元服と
呼ばれるようになりました。

結婚と同時、未婚でも18〜20歳
までに儀式を行っていました。

そして、男女の区別なく20歳の節目
に行うようになっていきました。

2019年は、
元号が変わる“時代の節目”の年。

2018年までの嫌な思い出は、心の
奥底にしまい込んで、装いも新たに
新しい時代を迎えましょう。

そして、新しいコトに興味を持って、
刺激ある毎日を過ごすことで、
いつもより長く感じる1年
にしてみてください。

「菊正宗 天使の吐息 720ml 純米大吟醸スパークリング」

華やいだハレの席を彩る
極上のお酒が誕生しました。

1本で2度楽しめる、菊正宗の
新しいジャンルの幕開けです。

開封直後の上質な発泡感と清涼感で
ひとときを愉しみ、ボトル半ばを
過ぎたあたりから感じさせる、
美味しいコクと深い香りを醸す、
沈殿したオリの「うすにごり」。

酒蔵に舞い降りた
天使の魔法にかかったかのような、
きらびやかな上品さをまとった
新しい味わいを、ご堪能ください。

初夢に一喜一憂するのも、いとをかし。

宝船

いつ見る夢が、初夢?

“いつ見る夢が初夢か”
については諸説あり、
もっとも古い初夢に関する記述は、
鎌倉時代に書かれた「山家集」
という文献に登場します。

この時代は旧暦で、暦上の新年とは
関係なく、“節分の夜から立春の朝
にかけて見る夢(2月4日前後)”を
「初夢」としていました。

これは二十四節気の最初が「立春」
ということで新しい年の始まりと
考えていたことから来ています。

お正月によく見かける“新春”や
“迎春”などの「春」という文字に、
立春の名残が見られます。

現在の初夢事情ですが、“元日の夜
から1月2日の朝にかけて見る夢”が
一般的に初夢だとされています。

そう考えるようになった理由は
江戸時代にまでさかのぼります。

大晦日は歳神様をお迎えするため、
夜は眠らない風習が定着したこと
により、初めて眠る元日の夜に見る夢
が「初夢」になったとのこと。

また江戸時代後期には、
“1月2日の夜から1月3日の朝
にかけて見る夢”が初夢
とされた時期もありました。

これは書き初めや初商いなどをはじめ
とする多くの新年の行事が2日に
行われることに影響しています。

1月2日にのみ売り出される
「宝船」の絵を枕の下に敷いて寝る
と、良い夢を見ることができる
という噂が広まり、それが
一躍ブームとなったということです。

いまでいう、限定品セール
のようなものでしょうか。

実際に年が移り変わる境目の日に
するか、一般的な習慣に乗っかる
のか、江戸の流行を取り入れるのか
…初夢を見るタイミングは、
悩ましいところ。

でも、考えようによっては、
初夢を見るチャンスが何度かあると
とらえて、都合の良い夢を見た日
にするのも選択肢のひとつ
ではないでしょうか。

一富士、二鷹、三茄子

一富士、二鷹、三茄子…その続きは?

実際に見る縁起物の「初夢」と
いえば、“一富士、二鷹、三茄子”
があまりにも有名です。

この言い回しは、
江戸初期にはすでにあったようで、
多くの文献にこの3つの組み合わせ
を見つけることができます。

徳川家に関係している内容も多く、
そのいわれには諸説あります。

●最も古い富士講組織のひとつ
「駒込富士神社」の周辺に
鷹匠屋敷(現在の駒込病院)があり、
駒込茄子が名産であったことに由来

●徳川家ゆかりの地である
“駿河国”での高いものの順。
富士山、愛鷹山、初物の茄子の値段

●富士山、鷹狩り、初物の茄子を
徳川家康が好んだことから

●富士は日本一の山、鷹は賢くて
強い鳥、茄子は事を
「成す」に通ずることから

●富士は「無事」、鷹は「高い」、
茄子は事を「成す」という掛け言葉

●富士は「曾我兄弟の仇討ち
(富士山の裾野)」、
鷹は「忠臣蔵
(主君浅野家の紋所が鷹の羽)」、
茄子は「鍵屋の辻の決闘
(伊賀の名産品が茄子)」に由来

“一富士、二鷹、三茄子”に続く
有名なものは、“四扇(しおうぎ)、
五煙草(ごたばこ)、
六座頭(ろくざとう)
/剃髪した琵琶法師のこと”。

一説ですが、一富士と四扇は
“末広がりで子孫や商売繁盛”、
二鷹と五煙草は“鷹と煙草の煙は、
高く昇る運気上昇”、
三茄子と六座頭は“どちらも毛がなく、
怪我ないという洒落言葉にて
家内安全”を、対の言葉で
祈願したということです。

このほか、「四葬礼、五雪隠」
「四葬式、五火事」など、逆夢や予兆
とする解釈も存在しています。

良い初夢を見るために行う風習
は室町時代からあります。

そのひとつが、「なかきよの
とおのねふりの みなめさめ
なみのりふねの おとのよきかな
(長き夜の 遠の眠りの 皆目覚め
波乗り船の 音の良きかな)」
という回文の歌を書いた
七福神の乗っている宝船の絵を
枕の下に入れて眠ると良い初夢
が見られるとされていました。

これで悪い夢を見た場合は、
翌朝に宝船の絵を川に流して、
縁起直しをしたということ。

この回文を寝る前に3回唱えてから
寝るというものや、宝船の絵の裏に
“獏(ばく)の絵”や
“獏という文字”を書いておくなど
のおまじないも流行りました。

ちなみに、獏は悪い夢を食べる
という空想上の動物です。

電脳時代の現在、若い世代に
“一富士、二鷹、三茄子”が通じる
のかどうか、もしかすると
「初夢」そのものを知らない世代
が誕生しているのかも知れません。

ただ、急ぎ足で時間が過ぎ行く時代
だからこそ、こうした夢のある伝聞
にも耳を傾けたいもの。

かろうじて初夢に思いを馳せた円熟
世代は、ひなびた温泉宿でいただく
美味しい雪見酒を決め込んだ、
風流な夢でも見るとしましょうか。

菊正宗ブログ お酌女性

日本酒の「鏡開き」は、場を盛り上げる祝宴の華 鏡開き/その一 

菊正宗 鏡開き

「鏡開き」と「鏡割り」、そして「鏡抜き」。

結婚式や祝賀会、竣工式、
会社の記念式典などで、
豪快なかけ声とともに、酒樽の
上蓋に木槌を振り下ろす「鏡開き」。

その華やかさと豪快さ、
全員が一つの樽酒を酌み交わすことで
生まれる一体感は、
何ものにも代えがたいものです。

まさにイベントの“華”。

プロ野球の優勝チームが、
鏡開きを行って、
“ビールかけ”の口火を切ったり、
老舗企業の創業記念式典が
ニュースで紹介される際に、
鏡開きとともに数多くの
フラッシュがたかれるシーンなど…
実際に見るより、テレビなどで
鏡開きを目にする機会の方が
多いのではないでしょうか。

お正月に神様に供える鏡餅も
「鏡開き」という言葉を使います。

鏡餅を神様に供えるのは、
江戸時代の武家社会の風習から。

正月に歳神様に供えた餅を、松の内
過ぎに、無病息災を願ってお雑煮や
お汁粉などにして食べる行事を
「鏡開き」「鏡割り」と呼びました。

当時、男は具足に供えた“具足餅”、
女は鏡台に供えた“鏡餅”を
木槌などで割って食べた
ことに由来します。

このとき、木槌などで割り砕いた
のは、“切る”という行為が
切腹を連想させるため、
刃物を使うことを避けました。

また、“鏡割り”の“割る”という
表現も、縁起が悪い忌み詞とされる
こともあって、末広がりを意味する
「鏡開き」という言葉が
主に使われたようです。

祝いの席で酒樽の蓋を木槌で割って
開くことは、「鏡抜き」「鏡開き」
「鏡割り」という、いずれか言葉で
表現されます。

ここでいう“鏡”は酒樽の上蓋のこと
で、元々、酒樽の蓋を開くことを
“鏡を抜く”といっていたので、
正しい表現は「鏡抜き」です。

しかし、“抜く”は語感が悪いとされ
、“割る”という表現も、
鏡餅と同じく縁起が悪いということで
「鏡開き」という言葉が
主に用いられます。

ただし、報道の現場では、正確さ
を求めて“酒樽を開ける”という表現
を使うことが多いようです。

鏡開きの由来には諸説ありますが、
武士が戦への出陣時に
自兵の気持ちを鼓舞するために
酒樽から酒を振る舞ったこと
がはじまりだとされます。

“鏡”を開くことで“運”も開く
とされ、縁起がいい催しとして
今に伝わっています。

“鏡”と表現するのにも
諸説あります。

古来より、
鏡には神様が宿ると考えられ、
神事に使われてきました。

その代表格といえるのが、
三種の神器のひとつ
「八咫の鏡(やたのかがみ)」。

その形状を模した“鏡餅”であり、
“酒樽の上蓋”というお話です。

菊正宗 裸樽

 

絶滅が危惧される「酒樽」。

日本酒が大きく広まった江戸時代、
すべてのお酒が樽酒でした。

それ以前は、“壺”や“曲げわっぱ”
がお酒を入れる容器として使われ、
木をまっすぐに削ることができる
カンナの登場により、今の酒樽
の形になったといわれています。

また当時は、単なる容器だったので、
「樽の香りをつけて、
美味しくしよう」
などという考えはありません。

江戸時代は家屋や道具類のほとんどが
木製で、町中に木香が漂っていたため
、お酒に香りが移っていても
気にならなかったようです。

とはいえ、江戸でブームになった
灘の酒は、何日も樽の中で
揺られて運ばれたお酒。

江戸っ子たちは知らず知らずに、
“杉の香りがついた酒”が美味しい
ことを感じとっていたのです。

時代は移り、明治時代になって、
扱いやすく安価なガラス瓶が
酒瓶として普及するとともに、
酒樽は減少の一途をたどります。

そして現在、職人の
高齢化や後継者不足などにより、
樽職人そのものが減っており、
伝承されてきた樽づくりの技術
そのものが廃れようとしています。

菊正宗では、この伝統工芸にも
匹敵する“樽づくり”を後世に
伝えるために、2017年に
「樽酒マイスターファクトリー」と
いう樽づくりの工房を開設しました。

ここでは、樽職人たちが
釘や接着剤を一切使わず、
“竹割り”“たが巻き”“樽組み”など、
江戸時代から変わることのない
樽づくりを行っています。

菊正宗 TARUSAKE MEISTER FACTORY

 

華やかな「鏡開き」を支えているのは
、連綿と受け継がれた本物の技術。

美味しい樽酒を飲むために、
酒造りだけでなく、酒樽づくりにも
細心の努力を怠ることはできない
と考えています。