6月27日は「ちらし寿司の日」。なぜこの日に制定されたのでしょうか?

混ぜ込む具材によって味が異なる「ちらし寿司」。全国食べ歩きもおすすめです。

6月27日は「ちらし寿司の日」。

「ちらし寿司」は文字通り、
酢飯の中もしくは酢飯の上に、
さまざまな具材を
“散らし”た寿司のことをいいます。

にぎり寿司発祥の
江戸(東京)で、
明治以降に庶民へと広まった
「江戸前ちらし寿司」は
白い酢飯の上に、
にぎり寿司に使う
寿司ネタを並べたもので、
もともとは江戸時代後期、
残った寿司ネタを使った
寿司職人の賄い飯が発端とのこと。

しかし、
関東周辺以外の地域で
「ちらし寿司」というと、
酢飯の中に、干し椎茸や干瓢を
甘辛く煮しめたものをはじめ、
野菜系の具を中心に混ぜ込み、
錦糸卵や海苔で彩った家庭料理で、
“五目ちらし”“ばら寿司”
などとも呼ばれます。

全国的に、
その土地ごとに混ぜ込んだり、
上に乗せる具材が微妙に異なるなど、
馴染んだ味はバラエティ豊かです。

さて、
日本記念日協会によって
6月27日が「ちらし寿司の日」として
登録されたのは、
備前岡山藩主であった
池田光政の命日に由来します。

東京の「江戸前ちらし寿司」は
地域限定で広まった
郷土色豊かな「ちらし寿司」なので
関連した日が選ばれないとしても、
それ以外の地域の「ちらし寿司」は、
混ぜ込む具材は多少異なりますが、
よく似た料理。

なぜ岡山なのか気になるところです。

その理由の背景にあるのは…
備前岡山藩主の池田光政は、
汁物以外に副食を一品に制限した
“一汁一菜令”を布告し、
領民に対して質素倹約を奨励。

そうした中、
祭りなどの特別の日には、
たくさんの具を混ぜ込んだ
“ばら寿司”を一菜としたとか、
寿司ネタを寿司桶の底に敷き詰め、
それを酢飯で覆い隠すことで
粗食を装い、
食事直前に寿司桶をひっくり返して
祭りの食卓を飾ったとかの逸話が
残されています。

これが領民の知恵だったのか、
領主が見て見ぬ振りをしたのかまでは
記録は残っていませんが、
岡山の“ばら寿司”誕生に
大きく関わったことが
記念日制定の大きな理由のようです。

さて岡山の「ちらし寿司」ですが、
具材が大きく、
彩る品目数が多いという
特徴があります。

岡山県下の地域や季節によって
具材は変わりますが、
椎茸や干瓢を煮しめたものを
酢飯に混ぜ込み、
その上に錦糸卵を敷き詰めます。

さらにその上に、茹でニンジン、
酢蓮根、さやえんどう、ちくわ、
かまぼこ、田麩、高野豆腐、
殻付のエビ、焼穴子、茹でたタコ、
煮付けたイカや
藻貝(サルボウガイ)、
アゲマキガイ、
サワラやママカリの酢漬けなど、
大きめの具材を切って敷き詰める、
何とも豪華な
「ちらし寿司」のようです。

さらにルーツを手繰ってみると、
同じ岡山県の
備前長船町福岡に伝わる
“どどめせ”という料理に
たどり着きます。

鎌倉時代発祥の料理で、
炊込みご飯を酸っぱく発酵した
“どぶろく”に入れてしまい、
それが美味しかったため
“どぶろく飯”という呼び名で広まり、
それが訛って
“どどめせ”になったとか。

具材の数だけ下処理が多い
手間のかかる贅沢な料理
「ちらし寿司」。

ぜひ、
全国各地を食べ歩きたいものです。

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梅雨の憂鬱な気持ちを晴らしてくれる「紫陽花」は、そろそろ見頃です。

長崎では「紫陽花」のことを、“オタクサ”と呼ぶ習慣が残っています。

雨がシトシトと降る
梅雨時の憂鬱な気持ちを
拭い去ってくれる
「紫陽花(あじさい)」を
街角で見かける季節です。

「紫陽花」の花は、
咲き始めから成長するにつれて、
どんどん色を変化させます。

咲き始めの淡い緑黄色から
やがて薄れて白くなり、
青色もしくはピンク色へと変化。

最終的には
濃い紅紫や青紫へと咲き進みます。

また、花の色は
植えられている土壌によって
変わるとされ、
“酸性なら青”
“アルカリ性ならピンク”に。

さらに、
使われる肥料によっても
花の色は変わるとのこと。

もともとの「紫陽花」は、
日本原産の「ガクアジサイ」で、
日本最古の和歌集「万葉集」に
“味狭藍”“安治佐為”、
平安時代の「和名類聚抄」には
“阿豆佐為”
の字を当てたものが登場しますが、
しばらく歴史の舞台からは遠ざかり、
観賞用として
親しまれるようになったのは
第二次世界大戦以降になってから
のこと。

医療の発達していない昔、
季節の変わり目に亡くなる人が多い
梅雨の時期に咲き誇り、
寺院の境内や墓地に
植えられることも多いため、
死者への手向けの花としての
印象が強く、
4枚の花びらが“四=死”を
連想させる不吉な花として
忌み嫌われたようです。

また、「紫陽花」は別名が多く、
花の色の変化から
「七変化」「八仙花」、
花びらの数から「四片(よひら)」、
花が集まった丸い形から「手鞠花」
などと呼ばれます。

そして興味深いのが
「オタクサ」という呼び名です。

この別名については、
江戸時代末期、
オランダ陸軍軍医の
ドイツ人医師シーボルトが
長崎に渡来した時代にまで遡ります。

彼は身の回りの世話をしてくれた
“楠本滝”こと“お滝さん”に
限りない愛を注ぎますが、
“シーボルト事件”により
国外追放に。

日本に
“お滝さん”と二人の間にできた子供
“楠本いね”を残し、
失意のままにオランダへと帰国。

その際に
好きだった日本の「紫陽花」を
持ち帰り、
植物学者でもあった彼は
「紫陽花」の品種改良を行いました。

彼の著書
「日本植物誌
(フローラ・ヤポニカ)」に
「ヒドランゲア・オタクサ」
という学名で「紫陽花」を紹介。

日本語の発音ができず
“お滝さん”を“おたくさ”と
呼んでいたことから、
愛する人の名前を
新しい品種につけたもの。

これをきっかけに
「紫陽花」はヨーロッパへと広がり、
大正時代に逆輸入されたのが、
「ホンアジサイ(手鞠咲き)」や
「ハイドランジア」などの
西洋アジサイの品種です。

とくに現在、
日本国内で多く見られるのは
「ハイドランジア」という品種。

ただ、アジサイの学名は
シーボルトが命名する以前に
「ハイドランジア・マクロフィラ」
という名前で発表されていたので
“オタクサ”の名前は
認められませんでした。

しかし、今も長崎では、
“おたくさ”という呼び名は
健在です。

さだまさしの「紫陽花の詩」という
長崎の街を叙景豊かに歌い上げる曲に
“おたくさ”
“オランダさんの置き忘れ”
という言葉が登場。

シーボルトが日本に残した
“お滝さん”と娘の“いね”への、
この上ない愛情を
感じさせてくれます。

愛らしさでお馴染みの野鳥、ツバメとスズメ。その生態は大きく異なります。

ツバメが日本に戻ってくるのは、毎年春先の同じ時期で、同じ個体の場合が多い。

外気に面した
マンションの廊下や
民家の軒下などの
ツバメの巣から聞こえる、
ヒナの“チチチチチ…”
という鳴き声に、
春から夏への変化を感じる季節です。

ところが、
七十二候の第十三候
「玄鳥至(つばめきたる)
/二十四節気「清明」初候」は
4月4日〜8日頃。

毎年ほぼ同じ時期に、
ツバメは台湾やマレーシア、
フィリピンなどの
東南アジアを中心に、
遠くはオーストラリアから
数千kmもの距離を飛んで
日本へと渡って来ます。

日照時間の長さを感知して
飛び立つ時期を知り、
毎年ほぼ同じ時期に飛び立つので、
長く続く海上では
太陽の位置によって
目的地の方向を把握。

日本の陸地が見えてくると
見覚えのある
山などの地形を確認しながら、
元の巣にたどり着くと
いわれています。

オスが最初に到着し、
元の巣を2日ほどで補修。

古巣がなければ
近くの空いた巣を探し、
空いた巣がなければ
元の巣に近い場所へ泥を運んで
乾かしながら時間をかけて
営巣することになり、
10日ほどかかるようです。

ツバメの巣は、
泥と枯れ草に唾液を混ぜたもので、
頑丈な土壁さながらの
強度があります。

日本に戻って来たツバメは
4月から6月にかけて卵を産み、
メスが卵を温める抱卵期間は
2週間ほど。

孵ったヒナは
親鳥が運んでくる餌を食べて
3週間ほどで親と同じ大きさに成長し、
飛ぶ練習を始めます。

春先に来たツバメは、
巣作りや繁殖、抱卵に忙しく、
それほど目にする機会はありません。

しかし、ヒナが孵って以降、
ヒナ鳥の喧しい鳴き声を耳にし、
餌を捕るために飛ぶ親鳥の姿を
頻繁に見かけることもあり、
ツバメというと“夏鳥”という
強い印象につながっているのかも
知れません。

ツバメは
スズメ目ツバメ科に分類されますが、
ツバメとスズメとでは、
生態は大きく異なります。

まず、
ツバメは渡り鳥、
スズメは人の生活圏で共存する鳥
という違いです。

また、
ツバメの主食はハエや蚊、
アブ、羽アリなどの昆虫類で、
肉食中心の食生活を送ります。

スズメは米などの穀類や種子、
イモムシなどの昆虫、花の蜜、
パンや菓子屑、時には生ゴミなど
雑食です。

この食の生態により、
米の生育を阻害する
害虫を食べるツバメは
益鳥として農家に親しまれ、
逆に米を啄むスズメは
害鳥として疎んじられてきました。

飛び方も異なり、
ツバメは羽ばたきよりも
直線的に飛ぶ滑翔
(グライディング)が中心で、
歩くことはほとんど見かけません。

一方、スズメは、
羽ばたきながら直線的に飛行し、
地上でも両足でホッピングしながら
素早く移動する姿をよく見かけます。

これから夏に向け、
ツバメが大空を飛び回る姿を
頻繁に見かける時期です。

七十二候の第四十五候
「玄鳥去(つばめさる)
/二十四節気「白露」末候」の
9月17日〜21日頃、
暖かい南の地域へと
ツバメが戻り始めるまで、
その愛らしい姿に
しばらく癒やされたいものです。