蕎麦と日本酒は切っても切れない相互の関係。
そして…「年越し蕎麦」。

「菊正宗」と神田「やぶそば」の長年続くいい関係。

江戸は“蕎麦”、上方は“うどん”
といわれて、
“蕎麦屋でちょっと一杯”は、
江戸ならではの“粋”を
感じる言葉です。

ところが、蕎麦好きで知られる関東は
、かつてうどんが主流
という驚きの事実がありました。

徳川家康が江戸城に入城した当時、
江戸は湿地帯が多い寒村ばかりで、
江戸の町づくりがはじまった頃。

上方から多くの人が移り住んだことで
、うどんが好んで食されていた
との記録が残されています。

時は流れ、蕎麦屋が増えはじめた
のは江戸中期以降で、
幕末の1860年(万延元年)
の頃ともなると、
江戸の蕎麦屋は4000軒近く
にも増えました。

そんな時代、蕎麦屋と日本酒は
切っても切れない関係でした。

当時、蕎麦屋で出される酒は、
灘の下り酒で “上酒”と呼ばれ、
本当の酒通が通ったといいます。

蕎麦屋で酒を飲む人の多くは、
酔っぱらうほど深酒をしないので、
酒の味には厳しく、だからこそ
旨い酒しか置いてなかったとのこと。

蕎麦通の人は、
自然と旨い酒に馴染み、
酒通となっていき、
旨い酒を飲んだら、
旨い蕎麦を食べたくなり、
蕎麦通になっていくことから、
“蕎麦屋酒”とも呼ばれました。

神田「やぶそば」も、こうした
“蕎麦屋酒”が楽しめる
長年続く老舗の名店のひとつで、
酒通、蕎麦通が
足しげく通うお店です。

開業は1880年(明治13年)で、
約140年の歴史ですが、
その源流は幕末期に流行った
団子坂の蕎麦屋「蔦屋」
にまでさかのぼります。

その暖簾を受け継ぎ、
今に伝える老舗ともいえるでしょう。

神田「やぶそば」は
2013年(平成25年)に火災により
店舗の約3分の1を焼失しましたが、
翌2014年(平成26年)には
店舗を立て直し、
釣り行燈や看板など、
以前の佇まいを残し、
風情豊かに再開しています。

神田「やぶそば」に置いている
日本酒は、創業以来、菊正宗一筋。

これは安定した品質に対する
長年の信頼があってこそのお話。

酒そのもののコクや
喉ごしのいいキレのある、
いわゆる“蕎麦屋酒”を粋に飲みたい
という酒通の願いに応えるのが
辛口の菊正宗ということになります。

現在、東京の老舗蕎麦屋で
菊正宗を飲ませる店が多いのは、
こうした背景があるようです。

「年越し蕎麦」を食べるのは、どのタイミング?

1年のうちでもっとも
蕎麦が食べられる時期、
それが年の締めくくりとして食べる
「年越し蕎麦」です。

“大晦日に蕎麦を食べる”という
昔ながらの行事として
伝わってはいるものの、
食べるタイミングまでは
考えたことがないというのが、
正直なところではないでしょうか。

「年越し蕎麦」を食べる
正しいタイミングは…
年越しの日である大晦日であれば、
いつ食べてもOKというのが正解。

なにかと忙しい大晦日なので、
その日の予定を考えながら、
家族が揃うタイミングで
食べるのがベストでしょう。

ただし、「年越し蕎麦」を食べるのは
縁起担ぎの意味合いが深く、
“年をまたいで食べる”
“新年になってから食べる”
のは縁起が悪いとされているので、
ご注意を。

幸先の良い新しい年を迎えるためにも、
「年越し蕎麦」を、年が変わる
ギリギリに食べるのは禁物です。

よく耳にするのが、
紅白歌合戦などのテレビ番組が
終盤に差し掛かる頃、
「年越し蕎麦」の準備をはじめ、
年またぎで食べるケース。

これは縁起の悪い食べ方の一例で、
年内に食べ終える
余裕を持つことが大切です。

一部の地域では、
「ついたち蕎麦」「元日蕎麦」
と呼ばれる、除夜の鐘を聞いてから
食べる蕎麦もあります。

「年越し蕎麦」は江戸中期頃から
庶民に定着した縁起担ぎの食習慣で、
その由来には諸説あります。

  • 蕎麦は細く長く伸びることから、
    “長寿延命”“家運長命”の縁起担ぎ。
  • 蕎麦は切れやすいことから、
    その年の苦労や災厄を
    きれいに切り捨て、
    新しい年を迎える縁起担ぎ。
  • 金銀細工師が飛び散った
    金粉を集めるために
    蕎麦粉の団子を使っていたことから、
    “金を集める”という縁起担ぎ。
  • 植物としてのソバは生育が良く、
    ソバの実が五臓の毒素を取り除く
    と信じられていたことに由来。
  • 鎌倉時代に、博多の承天寺では
    年を越せない町人に“世直し蕎麦”として
    「蕎麦餅」を振舞ったところ、
    翌年から町民の運が向いてきた
    ことから、「運蕎麦」を食べる
    習わしとなった。
  • 室町時代、関東三長者のひとりが、
    毎年大晦日に無病息災を祈って
    家人と「蕎麦がき」を食べた
    ことがはじまり。

もともとは、商家を中心に
各月の末日に
“三十日蕎麦(みそかそば)”を食べる
習慣があり、それが転じて
大晦日に食べる「年越し蕎麦」
となったようで、その土地土地に
由来する縁起担ぎがその理由
として受け継がれているもの
と考えられます。

大晦日に縁起担ぎの「年越し蕎麦」
を食べ、除夜の鐘を聞きながら、
日本酒で初乾杯。

昔ながらの迎春の儀式で、
新しい佳い年を迎えましょう。

「令和」と同様に万葉集より出典の
「可惜夜(あたらよ)」。
菊正宗のミステリアスな日本酒です。

明けてしまうのが惜しい、すばらしい夜に。

令和元年も残すところ、あとわずか。

元号制定にあたって、
新元号となった「令和」は
万葉集からの出典。

最終候補となった
「英弘(えいこう)」は古事記、
「広至(こうし)」は
日本書紀と続日本紀、
残りの3案の「久化(きゅうか)」
「万和(ばんな)」
「万保(ばんぽう)」は
中国の古典からの出典でした。

こうした古典の言葉と対極にあるのが
、「JC・JK流行語大賞」です。

2019年のコトバ部門では、“ぴえん”
(泣き声の“ぴえーん”から
生まれた語で、SNSなどで利用)
や“べびたっぴ”
(タピオカにストローをさす時の
掛け声として、スマホアプリ
“TikTok”で話題に)
などが選出されました。

中高年層にはまったく理解できない、
デジタル時代を象徴するかのような
新しい言葉がJC・JK
(女子中学生・女子高校生)
の間で日々誕生している現代。

かといって、古い言葉は廃れている
のかというとそうでもなく、
いにしえの歌が詠まれている
“百人一首”による競技カルタに
没頭する女子の青春を描いた
「ちはやふる」が
若い女性層の人気を得るなど、
古い言葉と新しく生まれる言葉の
両方を使いこなしているのは、
案外、若い女性たち
なのかもしれません。

また、古い言葉に触れる
という意味では、
日々目に触れる元号は、
その最たるものといえるでしょう。

2019年最後の満月

菊正宗の「可惜夜(あたらよ)」
の名称も、出典は万葉集から。

万葉集の第九巻1693番目の歌で、
原文は
“玉匣 開巻惜
恡夜矣
袖可礼而 一鴨将寐”。

訓読みでは
“玉櫛笥 明けまく惜しき
あたら夜を
衣手離れて 独りかも寝む”

(たまくしげ あけまくをしき
あたらよを
ころもでかれて ひとりかもねむ)
となります。

紀伊国でつくられた
詠み人知らずの歌で、
新古今和歌集巻第十五
恋歌五に1429番目の歌として
撰歌されてもいます。

この歌に詠まれた意味をひも解くと、
“櫛笥”は、
櫛や化粧道具をいれておく箱で、
“玉”がつくことで美称
(美しさを褒める接頭語)を表現し、
“あく”“ひらく”に掛かる
枕詞となります。

現代語に訳すと“(玉櫛笥/枕詞)
明けてゆくのが
もったいないような良い夜に、
お前と遠く離れて
一人で寝ないといけないだろうか”
という、少々艶っぽい歌となります。

お酒に冠した「可惜夜」は、
“明けてしまうのが惜しい、
すばらしい夜”という意味で、
“このお酒を飲む楽しいひとときは
儚く、夜が明けるのも惜しいほどの
すばらしい時間を過ごしてほしい”
という願いが込められています。

謎めいた「可惜夜」。判明しているのは“旨い”ということ。

「可惜夜」は、謎に包まれた日本酒
としても話題を集めています。

公表しているのは
“嘉納会特A地区産の山田錦を
100%使用”ということだけで、
酒質、精米歩合、日本酒度、
甘辛度などは謎のまま。

これは“魅せる菊正宗”をコンセプトに、
先入観に縛られることなく、五感で、
日本酒本来の美味しさを楽しんで
いただこうという思いからです。

謎めいた「可惜夜」の美味しさの
ヒントを少しだけ種明かし。

すっきりとフルーティな
鼻に抜ける香りと
口に広がる深い味わいで、
上品な余韻をお楽しみいただける
酒質に仕上がっています。

“純米酒なのか”“吟醸酒なのか”…
答えは、実際に飲んでお確かめください。
併せて、「可惜夜」を装うラベルにも魅力が。

大正期に美人画で名を馳せた
北野恒富によるもので、
菊正宗のポスター原画を
使用したラベルには、
大正モダニズムの雰囲気が漂います。

とくに注目したいのは、女性の表情。

妖艶で物憂げな視線の先に、
深い物語を感じさせてくれます。

魅力に満ちあふれた
「可惜夜」は限定販売。

2017年に登場して以来、毎年、
発売早々の完売となる人気商品です。

今期出荷分も残りわずかとなりました。

お早めにお買い求めくださいませ。

今が旬の「大根」と日本酒の組み合わせ、お試しあれ。

冬の風物詩、京都・了徳寺の報恩講(ほうおんこう)「大根焚(だいこだき)」。

毎年12月9日・10日の2日間は、
京都
「了徳寺(りょうとくじ)の大根焚」
が行われる日です。

「了徳寺の大根焚」は、
浄土真宗の開祖である親鸞聖人
(しんらんしょうにん)が、
了徳寺を訪れた際に、
鳴滝(なるたき)の村人たちに
説法を説き、そのお礼として
村人が塩味の大根を炊いたものを
振舞ったのが起源とされています。

それは、愛宕山中の
月輪寺(つきのわでら)に
師である浄土宗の開祖・法然上人
(ほうねんしょうにん)の遺跡を
訪れた帰りで、鎌倉時代の
1252年(建長4年)のことでした。

親鸞聖人は村人たちのもてなしに応え
、すすきの穂の束を筆代わりに、
鍋の残り煤(すす)で
“帰命尽十方無碍光如来(きみょう
じんじっぽうむげこうにょらい)”
という十字名号を書いてそのお礼
として残されたといわれています。

この故事にちなんで行われる
報恩講の通称が「大根焚」です。

別名「鳴滝の大根焚」
とも呼ばれています。

「大根焚」の前日の早朝に
“京都府亀岡市篠町”で
掘り出された青首大根、約3000本が
了徳寺の境内いっぱいに並べられ、
御門徒による
切り出しがはじまります。

そして、切り出された大根は、
夜を徹して炊き込まれるのです。

なお、本堂に祀られている親鸞聖人像
には、参拝者に振舞われる
ほど良いしょうゆ味の「大根焚」とは
異なり、昔ながらの塩味の
「大根焚」が供えられます。

また本堂に “帰命尽十方無碍光如来”
の十字名号が掛けられ、
中庭には“すすき塚”もあるとのこと。

「大根焚」は、張場で志納金を納め、
堂内での拝礼後に大根志納券と
引き換えで食べることができ、
かやくご飯や大根の葉のおひたしなどが
セットになった
“お斎(おとき)”もあります。

いずれにしても、
この時期だけの風物詩、
美味しくいただきたいですね。

 

青首大根の旬は、ちょうど今。

「大根焚」に使われる青首大根は、
全国各地で栽培され、
流通する大根の約90%以上
を占めるポピュラーな品種。

一年を通して市場に出回る青首大根
ですが、旬とされているのは
11月から2月にかけて、
ちょうど今が食べ頃です。

部位によって味の特徴が異なり、
それに適した食べ方が楽しめるのが
青首大根の魅力といえます。

大根の葉は、栄養がたっぷり。

炒め物や漬物に最適。

根上部の青首部は
甘みを強く感じるので、
サラダや和え物などの
生食におすすめです。

ボリュームのある根中ほどの胴部は、
みずみずしく、上部と同じく
辛みが少ない部分なので、
おでんやぶり大根、
豚バラ肉と大根の甘辛煮など、
煮物に最適です。

根の下部は辛みが強い部分なので、
大根おろしなどの薬味に
適しています。

また、大根の豊富な栄養価は、
昔から知られており、民間療法
としても重宝されていました。

消化酵素ジアスターゼ(アミラーゼ)
が豊富に含まれており、
胃もたれや二日酔いに有効なのは、
みなさんが知るところです。

そのほか、
辛み成分のイソチオシアネートは、
血液をさらさらにし、血栓を予防。

白血球の活性化に伴って
免疫力を高めたり、
殺菌効果もあります。

オキシダーゼと呼ばれる酵素には
発がん抑止効果があり、
コゲ目のある焼き魚との相性が抜群。

おろし汁には消炎・冷却効果がある
ので、発熱や頭痛、のぼせ、
火傷の緊急対応などに
効果があるとされます。

普段捨てがちな大根の皮や葉は、
さらに高い栄養価の宝庫。

表皮には中心部とくらべて
約2倍ものビタミンCが含まれ、
毛細血管を丈夫にするとされる
ビタミンPも含まれます。

葉にはビタミンAやビタミンC
をはじめ、β—カロチン、カルシウム、
ナトリウム、リン、鉄などの
ミネラルが豊富です。

日本酒と一緒に大根料理を食べる。

アルコールの分解促進や
豊富な消化酵素による
胃への優しさを考えるなら、
大根おろしや皮の部分を使ったサラダ
など、ぜひ生食の一品を
加えてみてください。

栄養価が高い旬の時期ならではの
自然の恵みともいえるでしょう。

令和初のクリスマスの過ごし方…
聖夜にふさわしい日本酒「天使の吐息」。

今も昔も、「クリスマス」の“特別の日感”は続いています。

ひと昔前の「クリスマス」は…
というと、恋人同士にとっては
1年でもっとも大切なイベント。

その様子を夢いっぱいに
表現したのが、JR東海の
“シンデレラ・エクスプレス”
のCMでした。

正確には、遠距離恋愛の恋人達が
週末に東京で一緒に過ごし、
東京発新大阪行きの最終となる
21時発“ひかり289号”(当時)
のホームで繰り広げられる
別れのドラマがテーマ。

恋人達の別れをシンデレラの
魔法が解けることになぞらえた
イメージキャンペーンの総称が
“シンデレラ・エクスプレス”
で松任谷由実のCM曲が流れます。

そして、とくにクリスマスシーズンに
スポットをあてたものが
“クリスマス・エクスプレス
(1988〜1992年・2000年に放映)”。

こちらは遠距離恋愛の恋人達の
再会シーンを切り取ったモノで、
背景に流れるのは山下達郎の
“クリスマス・イブ”。

いまだにクリスマスシーズンになると、
この曲が街に流れるほどの定番曲に。

当時の「クリスマス」の
“特別の日感”は今よりも強く、
かつては、高額なプレゼントや
一流フレンチでのディナー予約の
殺到など、イブを迎えた夜の街は、
カップルで賑わっていました。

バブル崩壊以降、
社会状況は大きく変化。

長引く不況もあって、
高額ギフトや豪華なディナーは
以前とくらべると少し収まり、
一緒に時間を過ごすことに
重きを置く傾向に。

“モノからコト消費”への意識が
より一層高まってきたといえます。

不況は外食に対する意識にも
大きく変化をもたらしました。

節約ムードが外食控えを招き、
客離れを阻止するために
低価格路線に大きく舵を切った
外食業界。

それに拍車を掛けたのが、
スーパーで買うお惣菜やコンビニ食材
などの、低価格、豊富な品揃え、
高品質化が進んだ、
いわゆる出来合いの料理を持ち帰って
食べる“中食”ニーズです。

大きく社会背景が変わった現在、
いまだに“クリスマスは、特別の日”
という感覚があるのも事実。

高度経済成長期以降の親世代からの
“楽しい想い出の継承”
なのかもしれません。

ワイングラスとの出会いが「日本酒」の世界の幅を広げました。

とはいえ、「クリスマス」を楽しむ
舞台は、多方向に向かっています。

そのひとつに、ごった返す街を離れ、
時間を気にせず、恋人や仲間、
家族と一緒に、家で過ごす
“外”から“内”を選ぶ方が
年々増えているそうです。

家食により、
「クリスマス」に出てくる料理の
ジャンルが増えたことで、
アルコール飲料の幅も広がり、
「クリスマス」に日本酒が
飲まれる機会も増えました。

昔なら「クリスマス」はチキンと
ワインやビールというのが定番。

一方、日本酒は“鍋料理と熱𤏐”という
一般的に過ごす寒い冬の定番で、
「クリスマス」とはほど遠い存在でした。

ところが、ワイングラスで飲んで
美味しく感じる日本酒を品評する
「ワイングラスでおいしい
日本酒アワード」など、近年、
日本酒をワイングラスで楽しむ
スタイルとの出会いが、その嗜み方に
大きな変化をもたらしました。

従来の味わいに加え、より深く
香りを楽しむということです。

昔ながらの“お猪口で𤏐酒”だけでは
、酒質に応じた最高の美味しさ
を生かしきれませんでした。

香りを纏った日本酒は、
和食だけでなく、
同じ発酵食品のチーズや脂っこい中華
、濃い味の料理との相性がよく、
自由な楽しみ方ができる家食の
「クリスマス」で、
その存在感が増しています。

そんな中、シャンパンの代わりに
おススメしたいのが、
菊正宗のスパークリング純米大吟醸
「天使の吐息」。

開封直後の上質な発泡感と清涼感で
ひとときを楽しんだ後、
ボトル半ばを過ぎたあたりから感じる
、美味しいコクと深い香りを醸す、
沈殿したオリの「うすにごり」。

1本で2度楽しめるサプライズ感から
、女性を中心に人気が高まっています。

名前も「クリスマス」にぴったり
のお酒で、オシャレなボトルも好評。

時代とともに変化する
「クリスマス」の楽しみ方は多彩。

令和初の「クリスマス」は、
「天使の吐息」とともに、
華やかな聖夜に
ひたってみてください。

「お歳暮」は、先様の笑顔を思い浮かべて、格別な日本酒で。

時代小説「半七捕物帳」にも登場する「お歳暮」。

今年もお歳暮の時期となりました。

ついこの間、新年を迎えた
ばかりなのに…と思いつつも、
時代は平成から令和へと移り、
また台風直撃による爪痕も
いまだに残っている、
意外と長い“激動の1年”でした。

ここ数年、毎年のように
自然災害に見舞われることが多く、
改めて人と人の繋がりの大切さが
再認識される傾向にあります。

そんな中、感謝の気持ちを
カタチとして贈る「お歳暮」が
見直されていることを
ご存知でしょうか。

従来の儀礼的な役割だったものが、
個人の繋がりを重視した、
年末に贈るギフトの役割に。

つまり、より身近で信頼できる人や
繋がりたい人を大切にすること
を意識して「お歳暮」を贈る
傾向が強まっているようです。

さて、「お歳暮」の風習が
庶民の暮らしに広まったのは
江戸時代…ということを
以前に紹介しました。

江戸中期から末期にかけて、
歳時的な行事などの
武家社会のしきたりが
一挙に庶民に広まった
町民文化の最盛期です。

その当時の庶民の暮らしぶりは、
古い時代小説「半七捕物帳」に
垣間みることができます。

「半七捕物帳」は、
岡本綺堂による時代劇ですが、
探偵小説の要素も持ち合わせた傑作。

1917年(大正6年)から中断を経て
1937年(昭和9年)に発表された
作品で、明治になって、新聞記者の
“わたし”が半七老人から、
過去の岡っ引き時代の話を聞き出す
という構成で、江戸の化政文化
(江戸を中心として発展した町人文化)
から幕末期にかけての事件が
オムニバスで紹介されています。

この作品が発表されて以降、
数多くの時代劇小説や
謎解きをはらんだ探偵小説、
オムニバススタイルの作品
などが生まれたといわれ、
近代文学のランドマーク的な役割を
果たした作品にも数えられるほど。

緻密で厳密な時代考証をはじめ、
作者自身の伝聞や記憶などをもとに、
江戸八百八町をみごとに再現した
情趣あふれる作品で、
小説としてのみならず、
当時の町民文化を細かく描写している
風俗考証の資料としても
高い価値を得ています。

この「半七捕物帳」に
「歳暮」のくだりが度々登場します。

「…ある年の十二月十九日の宵に、
わたしは詰まらない菓子折を持って、
無沙汰の詫びと歳暮の礼とをかねて
赤坂の家をたずねると、
老人は二人連れの客を門口へ…」

「…わたしも歳末は忙がしいので、
冬至の朝、門口から歳暮の品を
差し置いて来ただけで、
年内は遂にこの話のつづきを
聞くべき機会…」

「…節季師走に気の毒だな。
あんまりいい御歳暮でも無さそうだが
、鮭の頭でも拾う気でやってくれ…」

江戸の町民たちの暮らしぶりが
判りやすく描かれています。

また、「半七捕物帳」以外の
岡本綺堂作品にも、
「歳暮」という言葉が、
しばしば登場しています。

 

江戸時代より続く「お歳暮」は、その年を締めくくる大切な“ご挨拶”。

ちなみに「歳暮」と同じく、
「中元」という言葉も、
岡本綺堂作品には
よく登場しています。

「お歳暮」や「お中元」は、
江戸の昔より続く、
庶民文化にも根付いた
大切な“季節のご挨拶”として、
連綿と続いて定着した
“おもてなし文化”のひとつに
位置づけられています。

「お中元」は、
半年間の感謝の気持ちと、
健康を願う気持ちで
品物を贈る風習で、
「お歳暮」は1年の最後を
締めくくるご挨拶という
意味合いが強い風習なので、
どちらか片方だけを贈る場合は、
やはり1年の締めくくりとなる
「お歳暮」ということになります。

菊正宗では、新年を祝うのに
ふさわしい“超特撰 嘉宝蔵 雅”
“超特撰 生酛純米大吟醸”
“超特撰 嘉宝蔵 極上”という
菊正宗が誇る銘酒をセット
にした「通の極み」や、

丹波杜氏伝承の生酛造りで醸した
大吟醸酒に金箔が舞うセットで、
化粧箱内側に描かれた
優雅な屏風絵が新年にぴったりの
「菊正宗 金箔入り屏風絵セット」、


灘の生一本の極致ともいえる
“超特撰 嘉宝蔵 雅”と
生酛造りにより丁寧に醸された
特別本醸造酒“超特撰 嘉宝蔵 極上”
という、とくに人気の高い2本を
組み合わせた
「菊正宗 嘉宝蔵 雅・極上セット」
など、さまざまなセット商品を
ご用意しています。

また、スパークリング純米大吟醸酒
「天使の吐息」や、
季節限定の謎に充ちた「可惜夜」など、
ネットショップでしか買えない
先様に喜ばれるお酒を
お求めいただきやすい価格にて
提供させていただいています。

生活スタイルがどんどん変わって、
ご近所付き合いなどが
希薄になっている昨今。

昔ながらの「お中元」「お歳暮」
によるご挨拶という、
日本独特の風習は、
末永く続けていきたいものです。