江戸時代と現代のお正月の迎え方と過ごし方。実は、あまり変わっていません。

生活様式の変化に伴って、より便利に楽になった年末年始。

長い歴史の中で培われ、
現在のような年末年始の形が
確立されたのは江戸時代。

簡単にまとめると、
1年間の汚れや穢れを落として、
新年にお越しになる年神様を招き入れ、
松の内を過ぎて年神様が
山にお帰りになる一連の行事です。

その節目が“正月”ということになります。

須佐之男命(すさのおのみこと)と
神大市比売(かむおおいちひめ)の
間に生まれたのが大年神(おおのとしのかみ)。

年神様という呼び名で祀られる
豊作を司る穀物神で、
毎年正月に家にやってくる来訪神です。

農業立国であった江戸時代、
五穀豊穣や子孫繁栄を
祈願する行事はとても重要で、
当時の人々の生活の中に
溶け込んでいました。

江戸時代、旧暦12月13日の
“正月事始め”に正月を迎えるの
準備を開始します。

まずは1年分の煤で汚れた家の“煤払い”。

今は吸引力の強い掃除機をはじめ、
油汚れ、風呂の水垢、トイレの黄ばみなど
汚れの質に特化した洗剤などで
頑固な汚れも簡単に落とせる
便利な時代になりました。

また昔は、年神様をお迎えする際の
依代(よりしろ/目印)となる門松を
つくるために山に松を採りに行きましたが、
今はマンション住まいも多く、
門松を玄関先に出す光景も
あまり見かけません。

しめ縄は年神様をお迎えする神聖な場所の
目印になるとともに不浄な悪霊を
入れない結界という意味で玄関に張られ、
鏡餅は年神様がお越しになった際の
御神体の役割を持ちます。

併せて、年の変わる時間に
撞かれる除夜の鐘、新年の朝に見るご来光
家族揃って食べるおせち料理やお雑煮など、
どれも年神様をお迎えすることに
関連した習わしです。

これら一つひとつの行事は、
現在も変わらず行われています。

近代になって産業構造が大きく変わり、
年神様を祀る意識は薄れ、
新たな気持ちで新年を迎える、
もしくは漠然と神様にお詣りするなどへと
徐々に意識も変わってきました。

新型コロナの影響で、
初詣の節分辺りまでの分散参拝が推奨され
お守りは通販扱いとなったところもありました。

そんな中で生まれたのが、
ネットを通じたデジタル参拝ですが、
やはり現地で実際にお参りしないとご
利益がないと考える方も多く、
来年の三が日は多くの参拝客で
賑わうことが予測されています。

実は江戸時代、初詣はあまり一般的な
行事ではありませんでした。

というのも、正月は年神様をお迎えするので
参拝する神様は
家の中にいると考えられたからです。

年神様をお迎えするために恵方にある
神社仏閣に参拝したことが
初詣の原型ともいわれ、
正月行事として定着しました。

東京・愛宕神社や京都・東本願寺などが
お賽銭のキャッシュレス決済を導入。

インバウンドの参拝客を見越しての対策で、
今後、全国に普及する傾向にあるようです。

日本人にとってやや違和感はありますが、
何十年か後には当たり前の
参拝作法になっているのかも知れません。

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今年の「紅白歌合戦」も、いつものように穏やかに楽しみましょ。

戦後の復興から高度経済成長へ。新しい日本構築を背景に誕生したのが「紅白歌合戦」。

「もはや戦後ではない」
…ときの池田内閣が
1956年(昭和31年)の
経済白書で宣言しました。

終戦から10年、
戦後復興から高度経済成長へと
大きく移行した
節目の年とされています。

この宣言の背景には、
1954年(昭和29年)から
31か月にわたって続いた
“神武景気”という
好景気がありました。

1958年(昭和33年)から
42か月続いた“岩戸景気”では、
さらに景気を拡大。

そして、
1960年(昭和35年)に池田内閣により
所得倍増計画が発表されました。

また、長く続く好景気の影響で
]新しい生活を促す
“三種の神器
(冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビ)”
と呼ばれた耐久消費材ブームが
巻き起こりました。

1959年(昭和34年)の
皇太子ご成婚の儀がきっかけとなり
白黒テレビが爆発的に売れ、
それと併せて、
冷蔵庫、洗濯機も全国的に普及。

1960年代中盤の
“いざなぎ景気”では3C
(カラーテレビ、クーラー、車)
がブームとなり、
1964年(昭和39年)の
東京オリンピックを機に
カラーテレビ購入世帯が
増えたといいます。

1958年(昭和33年)竣工の
東京タワー、
1964年(昭和39年)の
東海道新幹線開業など、
社会基盤も整い、
近代日本の基礎は
この時期に築かれたといっても
過言ではありません。

これらの大きな
社会の変化を象徴するのが
NHKの「紅白歌合戦」です。

記念すべき第1回は
1951(昭和26)年1月3日の
ラジオ放送でした。

NHK内の小さなスタジオからの
生放送で、20〜21時までの
わずか1時間の単発正月特番。

規模こそ小さいものの、
現在の「紅白歌合戦」のように、
聴取者を男女50人ずつ
観客として招き、
紅白に分かれた出場者による
真剣勝負に対して
審査も行われました。

そして、1953(昭和28年)に
テレビの本放送がスタートし、
第4回からはラジオとテレビの
同時放送となり、劇場公開を計画。

しかし、大きな劇場は
正月公演で埋まっており、
唯一空いていたのが
大晦日の日劇でした。

“大晦日の忙しい夜に
観客は来るのか”という
不安をよそに、雪が降る中、
観覧客は長蛇の列をなし、
劇場は満員に。

これ以降、「紅白歌合戦」は
大晦日の恒例行事となりました。

テレビ黎明期から年越しの
節目の番組としてその地位を築き、
昭和末期頃までは70%以上の
高視聴率を記録し続けました。

しかし、
権威への反抗や
音楽活動に対する見解の相違から、
フォークやニューミュジックの
歌手の相次ぐ出場辞退が話題となり、
特定の芸能事務所に出場枠が
用意されているのではなどという
週刊誌ネタが広まる中、
視聴率は50%前後へと急落。

それ以降は微減しながら、
2021年(令和3年)には34.3%
という過去最低の視聴率に。

しかし、昨今の
若年層のテレビ離れや
娯楽の多様性に伴う
分散化を考えると、
30%を超える視聴率は
立派な数字といえます。

今年はやや波乱に満ちた
「紅白歌合戦」になりそうな
気配もありますが、
そう目くじらを立てず、
熱燗を嗜みながら、
いつものように楽しむのが、
穏やかに年を越す作法と
いえるのかも知れません。

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1万尾に1〜2尾しか獲れない幻の“鮭児”。お値段は…ちょっと贅沢です。

日々口にする機会が多いのは“白鮭”。“秋鮭”の別名で、今が旬です。

日本で一般的に鮭といえば
“白鮭”を指し、
国内で水揚げされたものが
ほとんどです。

“白鮭”の国内シェアの
約8割を占める北海道は9〜10月、
青森は10〜11月、
岩手は9〜1月と、
旬の時期は微妙に異なります。

その身は淡いオレンジ色で、
他の鮭よりも薄い色をしていることが
名前の由来です。

“白鮭”は
水揚げされる時期などによって、
その名前が変わります。

産卵期前に
川へと戻ってきた“白鮭”は、
9〜11月頃に水揚げされ、
“秋鮭”の名前で全国へと流通。

脂は控えめで
あっさりした味わいの上、
引き締まった身に
うまみが凝縮されているのが
特徴です。

食卓で馴染みの深い
もっともポビュラーな鮭といえます。

お正月に出回る新巻鮭、
鮭缶、筋子などに加工されるのは、
主に“白鮭”です。

5〜7月頃、
海を回遊している時期に
水揚げされる“白鮭”は、
時期外れの意味を持つ
“時鮭(ときしらず)”
と呼ばれています。

この時期の“白鮭”は、
脂のりが非常によく、
身がやわらかくて、
旬の味わいとはまた違った
美味しさが魅力。

また、
“秋鮭”の水揚げ時に獲れるのが
“鮭児(けいじ)”です。

1万尾に1〜2尾しか獲れない
“幻の魚”とも称され、
主に知床の羅臼付近で獲れる
筋子も白子もない
未成熟な若い鮭のことをいいます。

ロシアのアムール川水域の鮭が、
日本の鮭漁の群れに巻き込まれて
捕獲されたもので、
羅臼漁協の認定書が
ついたものなら、
軽く1尾50万円を超え、
切り身1片でも
2〜3万円の値がつく
ブランド高級魚です。

高額取引されているのは
その希少性からだと
思われがちですが、
脂肪の割合が20〜30%と、
一般の鮭の3倍近くある
全身がトロのような
柔らかな口どけで、
旨さがギュッと凝縮され、
食通の中には
その濃厚な味わいを
毎年楽しみにしている方も
おられるとのこと。

これだけ
希少な食材に合わせるのなら、
同じ風格を備えた菊正宗の
「純米大吟醸 治郎右衞門」
がおすすめです。

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残念ながら
今年の出荷は終了しましたが、
来年こそは“鮭児”を取り扱う
料亭などにお願いして、
旨い酒を持ち込んで、
ひとときの贅を
楽しんでみてはいかがでしょうか。

さて、
回転寿司の寿司ネタのひとつに
“サーモン”があり、
癖のない美味しさが
ファミリー層を中心に人気です。

その多くは
“トラウトサーモン(にじます)”で、
淡水魚の“にじます”を
海で養殖したもの。

以前は、老舗の寿司屋で
“サーモン”の取り扱いは
ありませんでした。

江戸前握りにおいて、
ネタの鮮度はもっとも大切なこと。

冷凍技術がなかった昔、
新鮮なネタが売りの寿司にとって
産地に近いことは
新鮮さを保つためにとても重要で、
東京湾で鮭が獲れなかったため
寿司ネタにはなりませんでした。

冷凍技術が整った現在はというと、
昔の伝統を重んずる
老舗寿司屋において、
国内産のネタしか扱いたくない
という体裁が
サーモンの取り扱いを
阻んでいたようです。

しかし回転寿司人気が
背中を押す形で、
レーンが回っていない寿司屋でも
サーモンの握りを扱う店が
増えてきました。

回転寿司、老舗寿司屋ともに、
そのベースにあるのは新鮮な魚を
美味しく食べるための
伝統技術です。

ならば、
それに合うのは
日本酒に他なりません。

菊正宗 特撰 1.8L」は神秘な「宮水」を仕込み水として、「山田錦」をはじめ酒造好適米をたっぷり使用したゴク味のある辛口本醸造酒。菊正宗らしい、食事に合う食中酒としておすすめです。

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現代の「正月事始め」は、さしずめ年末大掃除と年末の買い出しのこと。

旧暦、新暦ともに、「正月事始め」は12月13日。

今ではあまり聞かれなくなった
「正月事始め」は、年の瀬も
押し迫ったこの季節の
伝統行事のひとつとされています。

その語感からは、
年明け早々に行われる“初〇〇”と
イメージされがちですが、
実際に「事始め」を行うのは、
年の暮れです。

“事”である正月祭事に向けた
準備を“始める”という意味からきており、
“煤払い(すすはらい)”“松迎え”を
中心としたさまざまな習慣を指しています。

もともとは“事八日(ことようか)”
という古い風習に基づく
旧暦12月8日が「事始め」の日でした。

しかし、江戸時代になり、
12月20日が「正月事始め」の日と
改められ、この日には、江戸城の
大掃除が行われました。

その後、三代将軍・家光が
12月20日に亡くなったことで、
その命日を避ける意味で、
婚礼以外は吉相の“鬼宿日”である
12月13日に改定。

新暦になっても「正月事始め」は
12月13日のまま受け継がれ、
古いしきたりのある業界では
年納めの挨拶回りをする
大切な日とされます。

また、全国の多くの寺社仏閣でも、
この日に“煤払い”が行われています。

しかし、京都の
西本願寺、東本願寺などは、
その長い伝統を受け継ぐ意味から、
建立当時の12月20日の
“煤払い”伝統を頑なに守っています。

現代では煤が溜まることはめったに
ありませんが、昔は薪を使った
炊事をはじめ、ろうそく、行灯による
照明が一般的で、冬には囲炉裏で
暖をとる庶民の暮らしにおいて
煤が溜まるのは必然のこと。

神社仏閣などでも本堂で
毎日線香を焚き、ろうそくに
火を灯すので、天井や壁の隅は
煤で汚れていました。

この煤が埃と一緒になって
煤汚れとなってこびりつくため、
それを防ぐために、年末に掃除を
するのが“煤払い”です。

単に掃除をするだけでなく、
新年にお越しになる“年神様”を
お迎えするために、1年の穢れを落として
家の中を清める意味を持っています。

“煤払い”を怠ることへの戒めとして、
埃の塊を長年放置すると、
悪い精霊に取り憑かれて
付喪神(つくもがみ)の“煤わたり”に
なるという言い伝えが…
その背景にあるのは、すべてのものに
神が宿るという“八百万信仰(やおよ
ろずしんこう)”です。

すべてのものに感謝して、大切に扱う
日本独特の考え方といえます。

ちなみにジブリ作品に登場する
“まっくろくろすけ”は、この“煤わたり”を
コミカルにキャラクター化したものです。

また、“松迎え”は、“年神様”を
お迎えするための門松にする松、
おせち料理やお雑煮をつくるために
使う薪(たきぎ)を「正月事始め」の
日に山に刈りに行く習慣です。

今では、電気やガス、水道が各家庭に
敷かれ、手軽な便利さを手に入れた
反面、ものに対する感謝の気持ちや
丁寧に扱うことがどんどん
剥がれ落ちていったのかも知れません。

「正月事始め」の日以降、
新年に向けた準備が始まります。

今年こそ、いつもより早い
「正月事始め」の日をきっかけに家の
隅々まできれいに磨き上げて、
新しい年を迎えたいものです。

2023年のお歳暮選びは、ぜひ逸品揃いの菊正宗ネットショップに。

※イメージです

日本のお歳暮の歴史は、室町時代にまで遡ります。

早いもので、
今年もあっという間に
12月となりました、
もうお歳暮の準備は
お済みでしょうか。

お歳暮は
古代中国の神様を祀る
道教の習慣が日本に伝わり、
日本古来の祖先の霊を
供養する行事と結びついて
定着したとされています。

日本でのお歳暮の歴史は
室町時代にまで遡ります。

年の暮れから正月にかけて
行われていた
“御霊祭り(みたままつり)”
といわれる
個々の家の先祖の霊を祀る行事や
新しい年の年神様を
迎える行事などに、
近所やゆかりのある人、
親類縁者が
お供え物を贈るという風習が
“お歳暮”の由来。

こうした風習は
ごく近隣の庶民の生活行事として
行われていましたが、
江戸時代になり、
現在のお歳暮に近い贈答習慣へと
変化していきます。

武家社会では
上下関係のある組頭に
贈り物をする習慣が根付き、
掛け売りが多かった
商人の社会では、
盆暮れに
半年分の精算を行う際に、
半年間のご贔屓への
感謝の意味を込めて、
お得意さんにお歳暮を贈りました。

明治時代になると、
権力を持つ官吏に
高価な贈り物をすることで
利害を求める要素が強くなり、
賄賂的な意味合いも
含まれるようになったといいます。

歳暮は読んで字のごとく、
本来“歳の暮れ”という
期間を表す言葉です。

もともとは“歳暮の供え物”
というような使い方をしていました。

しかし、
いつの間にか言葉が省略され
年末の贈り物そのものを
歳暮と呼ぶことが定着し、
期間を表す表現としては
使われなくなりました。

超特撰 嘉宝蔵 雅 1.8L

こういう言葉の使い方を
“転義”と呼びます。

ちなみに、“幸せ(しあわせ)”は、
心が満ち足りている
プラス面の言葉として使いますが、
もともとは
“為(し)+合わせ”が語源で、
室町時代に“ことの成り行き、
めぐりあわせ”という意味で、
“しあわせが良い”
“しあわせが悪い”
という使われ方をしていました。

これが江戸時代になり、
プラス面の“幸福な出来事”だけを
指すようになり、
さらに心を中心とした
主に“幸福な気持ち”を
表現する言葉へと
“転義”していきました。

正しい日本語とよくいわれますが、
その正しさそのものが
時代に応じて変化しているのです。

さて、お歳暮事情は
時代とともに
大きく変化していきました。

昭和から平成にかけて、お歳暮は、
品揃えの豊富な百貨店の
お歳暮特設売り場や郵便局、
スーパーマーケットというのが
一般的な購入先でした。

百貨店に特設売り場が
設けられたばかりの頃は、
贈り贈られる側が
売り場で顔を合わせたという
笑い話も。

そして平成から令和になった今、
インターネットが普及し、
全国各地から、
お取り寄せ品や
メーカー直売の限定品など、
スマホを使って手軽に
お歳暮を贈れる時代になりました。

何より、
思い立ったらすぐに
お歳暮を注文できる
便利な時代です。

菊正宗でも、250本限定の
「2023年 可惜夜」をはじめ、
数量限定の逸品を含む
「2023年 嬉しい冬セット」など、
先様に喜ばれるセットを
ご用意しております。

贈られた方の
喜ぶ顔を思い浮かべながら、
じっくりとお歳暮を選ぶのも
心尽くしの
楽しいひとときなのかも知れません。

2023年 可惜夜(あたらよ)720mL

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