沈静化したコロナ禍がもたらした“新しい生活様式”。

子どもの頃からの習慣が功を奏した、緊急事態宣言の解除。

新型コロナの感染拡大を防ぐために
4月7日に発動された
“緊急事態宣言”が、
5月25日に
全国的に解除されました。

5月14日に全国39県、
21日に兵庫、大阪、京都の3府県、
25日に東京、神奈川、埼玉、千葉、
北海道の5都道県が解除され、
日本全国は約1ヵ月半ぶりの
自粛生活からの解放です。

解除されるまでの間は、宣言による
“3密(密閉、密集、密接)”
を避けるための措置である
“ステイホーム(自宅待機)”
の呼びかけに従い、
街を出歩く人の数はまばらで、
休日の観光地や繁華街も
静寂に包まれていました。

日本人の多くは、子どもの頃より
ルールや規律を守る
という教えに忠実です。

こうした自粛要請でも、
子どもの頃より染み付いた
ルールを守るという意識が
働くようで、それが
コロナ禍の沈静化に繋がっています。

外国の方が驚くのが、
小学校生活で、給食の配膳を
子どもたちが順番に行い、
授業が終わった後に、子どもたちが
協力し合って掃除をする姿。

それが強制されているというよりは、
無駄話をしたり、サボったりする
子どもたちもいる中で、
ルールとして取り組んでいる
ということです。

そうした子ども時代を過ごした
日本人ですから、
“緊急事態宣言”下にあっても、
ちゃんとルールを守った
ゆえの結果に違いありません。

自粛期間中の仕事については、
数多くの企業や職場ごとに、
人との接触を避ける
取り組みが行われました。

そして、テレワーク
(遠隔的な自宅での業務遂行)や
時差通勤、出勤者のシフト管理など、
新しいワークスタイルが徐々に定着。

当初は、時間はあるのに
外に出かけられないというストレス
の声が数多く聞かれましたが、
自宅で過ごすうちに
自粛生活にも慣れ、
“緊急事態宣言”解除後には、
通常業務の会社に戻ること
の不安が募る“自粛ロス”
という方も大勢いたようです。

また、解除後も、国の専門家会議
からは、再度感染が拡大する
“セカンドインパクト”
を視野に入れ、
これから先の長期戦に備えた
“新しい生活様式”
という考え方が示され、
3密を避ける対策の現状維持や
マスク着用などは、
引き続き継続されていく模様です。

とりわけ、テレワークになったことで
、それまで実現する機会が少なかった
ノートPC画面を通したWEB会議も
当たり前のように実施されることに。

コロナ禍がビジネスを
一歩進めた皮肉な一面といえます。

また、同じくWEBを通して
仲間が集うオンライン飲み会など、
新しいコミュニケーションスタイル
も誕生しました。

やってみると楽しいということで、
菊正宗ネットショップにも、
オンライン飲み会で
みんなに自慢する
特別なお酒の注文を
いただいています。

 

自粛生活後も、ルールを守ってリスタートへ。

自粛期間中の外出は、
“不要不急”が基本で、
食料を中心とした
買い物に出かける程度。

それ以外の多くのお店は閉まっていた
ので、“衣類などの買い物は、
もっぱらネット通販で”という、
新しい消費スタイルにも
慣れることとなりました。

“緊急事態宣言”が解除された
とはいえ、ウイルスの感染は
沈静化したに過ぎず、
コロナ禍前の生活に
戻ることはできません。

必然的に、
自粛時の生活スタイルを意識した
“ニューノーマル(新しい常識)”
と向き合った生活が大切である
と認識しなければなりません。

とはいえ、“緊急事態宣言”解除後、
少しずつですが、
街に活気が戻りつつあります。

驚くのは飲食店をはじめ、
さまざまなお店で、工夫を凝らした
自発的な感染防止対策が
講じられていること。

“ソーシャルディスタンス”
を考慮した距離を取る
導線表示や客席配置、
ビニールシートを活用した
飛沫防止対策、店舗入り口での
アルコール除菌や体温確認など、
店舗規模に応じて、できる範囲内で
対策を行うさまざまなお店。

また、外国の方が経営するお店でも
同様の対策が講じられており、
その真摯に取り組む姿勢があってこそ
の解除ということが伝わってきます。

制限がある中、さまざまな実店舗が
リスタートを切りました。

かつて経験したことのない、
ここ数ヶ月の生活。

ある意味、
加速度的に進化する社会の流れに、
一度立ち止まって
見直す機会なのかも知れません。

“新しい生活様式”が生み出す
“ニューノーマル(新しい常識)”を
受け入れる準備はできていますか。

京都の老舗『祇園 原了郭』(ぎおん はらりょうかく)の“黒七味”に秘めた一子相伝の“技”。

ご存知「忠臣蔵」と関係深い300有余年の歴史を刻む老舗。

「忠臣蔵」で有名な
赤穂四十七士のひとりを“祖”にする、
香煎・薬味の老舗が
京都・祇園にあります。

その名も『祇園 原了郭』、
300有余年続く人気の名店です。

“祖”とされるのは、
足軽頭として表門隊に配備された
原惣右衛門元辰
(はらそうえもん もととき)。

吉良邸討ち入りの際、
大石良雄を助ける参謀格として、
主君浅野内匠頭の仇討ち
を果たした後、切腹。

56年の生涯を閉じました。

この原惣右衛門元辰を父に持つ
原儀左衛門道喜が出家して“了郭”
と号し、1703年(元禄16年)に、
祇園社(八坂神社)の門前に
香煎を供する茶店を開いたのが
『祇園 原了郭』の原点です。

貞信都名所之図 祇園社西門
貞信都名所之図 祇園社西門

当時の様子は、江戸時代の木版画
「貞信都名所之図 祇園社西門」
に描かれ、その中に
“御香煎司 原了郭”という文字を
読み取ることができます。

『祇園 原了郭』の
創業以来の看板商品は、
徹底してその品質にこだわる
一子相伝の独自の製法による
「御香煎」(おこうせん)です。

香煎は、
漢方薬の原料にもなっている
陳皮(ちんぴ)やウイキョウ、山椒
などを独自の製法で配合し、
香ばしく煎って粉末状にしたもの。

白湯(さゆ)に浮かべて、
その香りを楽しみます。

香煎そのものの歴史は古く、
江戸時代に街道の
宿場や茶屋に置かれ、
旅人を癒したとされています。

現在、『祇園 原了郭』では
“御香煎”をはじめ全5種が販売され、
茶事や料亭で最初に出される飲み物
など、幅広く重宝されています。

「御香煎」と並ぶ、
もうひとつの看板商品が約100年続く
「黒七味」(くろしちみ)です。

これは11代目が
香煎の原料に含まれる山椒に着目した
ことが最初で、いまでは「御香煎」
をしのぐ人気商品となっています。

12代目の時には“七味とうがらし”
という名で販売され、
現13代目になり
「黒七味」ブランドを確立しました。

商標登録にあたっては、
一子相伝ということで
その細かい原材料を
あかしていないこともあり、
商標登録出願から
約12年もかかったといいます。

それだけ大切に取り扱っている
商品への慈愛を感じさせてくれます。

 

 

老舗のこだわりが磨き上げた「御香煎」と「黒七味」。

長い歴史を持つ京都の老舗、
厳格な敷居の高さを覚悟して伺った
『祇園 原了郭』本店は、
創業当時と同じ
八坂神社へと続く四条通沿いの
祇園エリアの中心に位置しています。

この祇園本店に続いて、
2012年(平成24年)、
縄手通に『Ryokaku』をオープン。

その店頭は、1847年(弘化4年)版
「二千年袖鑒
(にせんねんそでかがみ)」
に掲載されている
江戸時代の『祇園 原了郭』の茶店の
佇まいを再現したものです。

その新しいお店で、
現在13代目を数える当主“原悟”氏の
奥様の原美香さんが、満面の笑顔で
お出迎えくださいました。

「黒七味」「御香煎」ともに、
親から子へと一子相伝で、
その原材料の配合や製造技法を
継承されたものです。

漢方由来の自然素材であるが故、
気候や土壌環境によって
その生育状態は異なります。

丹念に揉み込むなかで、
生きた素材の状態を瞬時に見極め、
匂いや手触り、音などの五感を
研ぎ澄ましてして、
仕上がりをイメージして
素材に寄っていく…
まさに、職人の成せる“技”。

それまで代々行ってきたように、
すべての調合を
13代目自ら手作業で行い、
その現場に入ることを許されている
のは次の当主として予定されている
現在高校生の14代目のみという
厳格なしきたりがあるといいます。

繊細な五感を持つ血筋
であろうことは、
300有余年の歴史から想像できますが
、子どもの頃から当主の“技”を
垣間見て育ち、作業場に漂う
独特な空気感や立ち込める香り、
舌にヒリヒリと感じる味わいなど、
環境そのものが
次の当主を育てるのでしょう。

開封した際に“さすが”と感銘いただく
商品でありつづけるため、
賞味期限は3ヵ月が目安。

水分を含んでいないので、長期保存は
冷凍庫がおすすめとのことです。

近年、「黒七味」を名乗る類似品が
市場に出回っていることに
苦慮しつつも、

“そう簡単に真似できるようなもの
ではありません。お客様が、
そちらの味を好まれるのであれば、
それはしかたがないこと。”

と、老舗ならではの懐の深さ。

類似品を購入されたお客様のクレーム
にも丁寧に応対されているそうで、
これが長年愛される製品を
送り出している老舗の矜持
と納得しました。

販売を一手に引き受けているのは、
奥様の美香さん。

ソーセージや餃子、味噌汁、また
チョコレート、あられなどにつけて
食べると、驚くほど味の変化を
楽しむことができるといいます。

こうしたアレンジレシピを、
広めるのが目下の目標。

とくに料理の幅が
大きく広がっている現在、
欧風や中華など、
アレンジは無限大です。

これまで、さまざまな企業からの
依頼を受けて
『祇園 原了郭』黒七味を原材料
として提供された実績のひとつに、
オーガニックに強いこだわりを持つ
2014年に創業したグラノーラ専門店
『COCOLO KYOTO』があります。

『祇園 原了郭』店内に、
『COCOLO KYOTO』が製造する
「黒七味ナッツ」のコーナーを
設けておられることを見ると、
同じ京都に存在する
若いお店を応援される
老舗の包み込むような優しさを
垣間見たような気がしました。

2020年2月の取材時は、
いつもとくらべると
閑かな京都市街でしたが、
昔の佇まいを思い起こさせる
ような気がしました。

冬の寒さ厳しい京都にあって、
歴史を重ねた熱い想いに
感銘を受けたひとときでした。

次回、グラノーラ専門店
『COCOLO KYOTO』の話題
へと続きます。

「うるう年(閏年)」は、オリンピックイヤーと同じ年…ではない。

4年に1度の「うるう年」で、暦のズレを微調整。

東京オリンピックまで、あと半年。

日本開催ということもあり、
毎日なんらかの五輪に関する話題が
さまざまなメディアを通じて
届けられるようになりました。

4年に1度開催される
夏季オリンピック年は、
「うるう年(閏年)」の年
にもあたります。

“4年に1度、2月29日が訪れる年”
と一般的に認識されていますが、
実は正しくありません。

日本を含む世界各地で用いられている
グレゴリオ暦において、
400年間に97回の
「うるう年」を設けています。

「うるう年」は、
次のように定義されます。

● 西暦で示された年が
“4”で割り切れる年は、
原則として「うるう年」

● ただし、西暦年数が
“100”で割り切れる年は、
原則として「平年」

● ただし、西暦年数が
“400”で割り切れる年は、
必ず「うるう年」

この定義に沿うと、2100年が、
“4年に1度なのに平年”
という珍しい年となります。

「うるう年」の定義の根拠
となっているのは、
“400年間の平均1年が、
365.2425日
(365日5時間49分12秒)”となり、
その誤差を4年に1度調整し、
さらに100年、400年単位で微調整
しているといえるでしょう。

また、1923年にギリシャ正教会
などは“修正ユリウス暦”を採用。

定義の3つ目が
“ただし、西暦で示された年が
“900”で割った余りが
200または600になる年
は「うるう年」”というもので、
原稿のグレゴリオ暦よりも
精度が良いとのこと。

“現行”と“修正”のグレゴリオ暦で、
「うるう年」判断が異なるのは、
2800年。

どちらになるのか、あと780年という
長い年月が解決してくれるのを
待つことになりそうです。

 

月由来か、太陽由来か。天体の動きで正確な時を刻んできた歴史

日本がグレゴリオ暦を採用したのは
1873年(明治6年)でしたが、
改暦の詔書の内容が不十分で、
“1900年(明治33年)を平年とする”
ために、1898年(明治31年)に
「勅令第90号(閏年ニ関スル件)」
を発布。

その内容は
“神武天皇即位紀元年数(皇紀年数)
を4で割って、
割り切れる年を閏年とする。
ただし、皇紀年数から660を引くと
100で割り切れる年で、
かつ100で割った時の商が
4で割り切れない年は平年とする”
というものです。

ちなみに、
日本での「うるう年」の判定基準は、
西暦ではなく、
皇紀によって行っていますが、
西暦判定と同じ数値となります。

日本で西暦を一般的に使用するように
なったのは第二次世界大戦以降のこと。

グレゴリオ暦改暦以降も、
昭和20年までは
“皇紀(神武天皇即位紀元)”
が主に使われていました。

中国から日本に
“元嘉暦(げんかれき)”が
伝来したのは6世紀頃のこと。

その後、“儀鳳暦(ぎほうれき)”
“大衍暦(だいえんれき)”
“宣明暦(せんみょうれき)”
“貞享暦(じょうきょうれき)”
“宝暦暦(ほうりゃくれき)”
“寛政暦(かんせいれき)”
“天保暦(てんぽうれき)”と続き、
現在のグレゴリオ暦に至ります。

“天保暦”までが旧暦(太陰太陽暦)、
グレゴリオ暦を新暦(太陽暦)
…と大きく分けることができます。

というのも、旧暦(太陰太陽暦)が
月の満ち欠けを1ヵ月と数えるのに対し、
新暦(太陽暦)は
地球が太陽の周りを回る周期を
1年とするという
計測の方法が大きく異なるからです。

旧暦(太陰太陽暦)では
1年はおよそ354日で、
新暦(太陽暦)とくらべて
約11日少ないのを、
3年に1度、「うるう月」を設けて、
周期のズレを調整。

新暦、旧暦ともに
地球の公転に合わせて、
“うるう日”や“うるう月”により、
何年かに1度「うるう年」として
調整するということでは
同じといえるでしょう。

旧暦は、もともと中国から
伝わったものを
そのまま採用していましたが、
800年以上使われていた
“宣明暦”に誤差が蓄積され、
実際の日付のズレを正すために、
1685年(貞享2年)、
日本人の手による初の和暦となる
“貞享暦”へと改暦されました。

編纂したのは暦学者で
囲碁棋士の渋川春海。

中国からの暦を元に、自ら観測した
日本と中国の経度差を当てはめて
日本独自の和暦を完成。

グレゴリオ暦が採用されるまでは、
“貞享暦”を元に
改暦されていきました。

参考となる
知識も道具もないこの時代なのに、
“貞享暦”の精度は、
西洋、中国のそれに
引けを取らない
ものだったようです。

ちなみに、渋川春海の
苦難に充ちた偉業は、
2010年本屋大賞を受賞した
冲方 丁(うぶかた とう)の
「天地明察」に
見事に描かれており、
2012年には映画化され、
大ヒットとなりました。

西洋とくらべて、
科学という概念があまりない江戸時代。

こうした、日本人の持つ
経験則に裏づけられた勤勉さが
実を結ぶことが、時折、
歴史に顔を覗かせます。

日本酒醸造の仕組みやメカニズムにも、
先人たちの知恵がギュッと凝縮されています。

令和初の「蔵開き」、新酒「しぼりたて」の人気も上々。

新酒「生酛しぼりたて」で、今年のお酒の出来を計り知る。

丹波杜氏の技に支えられた
“寒造り”によるお酒の仕込みも、
そろそろ終盤を迎えるこの時期、
令和初となる「蔵開き」が、
2月15日(土曜日)に
開催されました。

今年で第15回目を迎える
「蔵開き」の会場は、
普段立ち入ることのできない
嘉宝蔵構内や
隣接する菊正宗酒造記念館。

曇天ながら雨が降ることもなく、
多くの人で賑わいました。

蔵開きにご参加いただいた
多くのお客様のお目当ては、
やはり新酒「生酛しぼりたて」の
出来映え。

新酒「生酛しぼりたて」の
振舞酒には、毎年のことながら
人垣ができる盛況ぶり。

新酒「生酛しぼりたて」は、
仕込みを終えて
醪(もろみ)を搾った後、
火入れ(低温加熱殺菌)を行い、
そのまま瓶詰めにしたもので、
その年のお酒の出来を
計り知ることができる
といわれています。

まさに“今が旬”のしぼりたてらしい
、フレッシュな荒々しい味わいと
鮮烈な香りが癖になるお酒です。

ちなみに、一般的な日本酒は、
搾った後に火入れを行って
数ヶ月間貯蔵。

熟成させることで、
お酒の角がとれて
まろやかな味と芳香をまとった
深いコクを醸し出します。

だからこそ、
新鮮さを味わえるのは、
この時期だけのお楽しみなのです。

それに続いて人気だったのが、
「百黙」の3種類飲みくらべ。

兵庫県三木市吉川特A地区産の
山田錦を100%使用した
特別限定酒で、
丁寧に醸造しているがゆえ
量産ができず、
兵庫県下の料飲店や酒販店を中心に
展開されているものです。

最近になり、東京都内での流通を
ようやく開始した希少なお酒で、
これを飲みくらべられる
絶好の機会ということもあって、
菊正宗ファンにとってはこの上ない
ひとときだったようです。

また、軒を連ねる
“吉川町うまいもん屋台”“大起水産
・生本まぐろの寿司と刺身”
をはじめ、粕汁、おでん、
たこ焼きの屋台など、
旨い酒にピッタリと合う
旨い肴が盛りだくさん。

構内全体がほろ酔い気分に包まれ、
さながら、“日本酒バル”のような
雰囲気を醸しています。

構内一角に設けられた舞台では、
匠の技が光る“菰巻き(こもまき)”
の実演をはじめ、
丹波杜氏による“酒造り唄”の披露や
昭和レトロなちんどん屋“華乃家”の
パフォーマンスなど、
陽気なほろ酔い客を
もてなす演目が目白押し。

イニエスタ選手が菊正宗アンバサダー
に就任したことで実現した
ヴィッセル神戸とのコラボ企画では、
福引きやイニエスタ等身大パネルの
フォトスポットを設置。

また、嘉宝五番蔵の見学にも
多くのお客様が参加されました。

普段静かなこの場所が
数多くのお客様で賑わう、
年に一度のひととき。

地域交流の役割を
十分に果たせたようです。

もともとの「蔵開き」は、文字通り“蔵を開く”大切な歳時。

さて、「蔵開き」の歴史は古く、
武家屋敷で甲冑を納めた
長櫃(ながびつ)などを開く
“具足開き”が行われ、
町家や商家では文字通り
蔵を開く“蔵開き”や、
商人が帳簿を新しく綴じる
“帳祝い(ちょういわい)”
が行われました。

この日は“鏡開き”の日
でもあったので、鏡餅を下げて、
家族や使用人と一緒に
雑煮を食べたとされます。

一部では、蔵の神に供える地域も
あったようです。

この「蔵開き」の風習は、
もともと1月20日に
行われていたのですが、
江戸時代の第3代将軍・徳川家光の
忌日(きにち)ということで、
1月11日に改められました。

松の内を過ぎた年初の吉日に
「蔵開き」を行う
地域もあるようです。

農家でも“田打ち正月”“鍬始め”
などの儀礼が行われる
大切な日に位置づけられていました。

その一方、地域によっては、
長く続く酒蔵の「蔵開き」の歴史
もありますが、
一般的に酒蔵の「蔵開き」は、
わりと最近になってからのことです。

これは微生物による醗酵
という工程を経る酒造りの蔵に、
ほかからの雑菌の持ち込みを懸念
したのと、神聖な現場に
一般人が立ち入るのを
禁じたこともあります。

しかし近年になり、酒蔵の衛生管理が
科学的に行われるようになり、
地域交流の意味もあって、
「蔵開き」といえば、この時期に
全国的に開催される日本酒の「蔵開き」
を指すようになりました。

生活スタイルが変化し、蔵があるのは
地方都市の旧家くらいのもの。

そんな時代の変化の中で、
“蔵”を有する酒造は、
これから先ずっと「蔵開き」の伝統を
続けていくことになるでしょう。

そんな思いがよぎるほど
盛況だった今年の「蔵開き」でした。

「成人祝い」に最適の日本酒ギフト、取り揃えてます。

「成人」の定義、日本と世界では異なります。

2020年(令和2年)の
「成人の日」は、
1月13日(月曜日)。

お正月気分がちょうどぬけた頃で、
今年初の3連休となります。

戦後すぐに制定された祝日法により
“1月15日”固定の祝日として
「成人の日」が定められて
いましたが、約50年経った
2000年(平成12年)から
“1月第2月曜日”となりました。

世界の成人式はというと…
その前に、まず日本の
「成人式」の定義について
まとめておきます。

日本では、古来より、
男の成人を祝う“元服”という
通過儀礼がありました。

女性の“元服”が定義されたのは
江戸時代以降になってからのこと。

戦後になって、改めて
「成人の日」という祝日が制定され、
男女ともに20歳を迎える年度に、
住んでいる地区の市区町村が主催する
「成人式」に集団で出席する
季節行事に。

女性は振袖、男性はスーツ姿
(最近は紋付羽織袴も増加)
というのが定番の服装
となっています。

ここ最近は、成人式で暴れる
不届き者にフォーカスした
“残念な風物詩”としての
報道ばかりが話題になりますが、
昔から“悪目立ち”する輩は存在し、
良くも悪くも報道のサジ加減
といったところでしょう。

…というのが日本の成人の定義です。

世界に目を移すと、成人儀礼は大きく
“定められた年齢”と
“能力を認めてもらう” の
2つに分かれます。

ひとつめの“定められた年齢”は、
日本や欧米をはじめ、
多くの国で「成人」の定義基準です。

日本の20歳は、
かなり遅い成人年齢で、
早い国では14歳、
欧米諸国の多くは18歳
というのが世界の成人基準。

ふたつめの“能力を認めてもらう”
というのは、狩猟民族にルーツを持つ
国が多く、一定年齢に達した段階で、
“通過儀礼”“試練”を乗り越えて
成人と認められます。

ライオンを狩ったり、
サメを素手で捕まえるなど、
成人としての度胸が
試される儀式です。

ちなみにバンジージャンプは、
元をたどれば太平洋諸島地域
バヌアツ共和国の「ナゴール」
という成人儀式をヒントに
生まれたアトラクションです。

木を組んだ30メートルほどの
櫓(やぐら)から、
足首に木のツルを巻き付けて
飛び降りるのですが、
ツルが長かったり、途中で切れて、
地面に頭から突っ込むこともある、
まさに命がけの儀式といえます。

 

大人の仲間入りなら、日本酒ギフトが最適。

日本の「成人式」のように
新成人が一堂に集うような行事は、
世界にあまりありません。

ですが、日本の「成人式」、意外にも
世界で高評価を得ているようです。

成人式の華やかな振袖や
紋付羽織袴の装いは
日本が誇る伝統美ともいえ、普段、
目にする機会のほとんどない外国人
にとっては“ワンダフル”そのもの。

訪日の際に、運良く
成人式に出くわした外国の方は、
SNSを通じてその様子を
世界に発信拡散されているようです。

こうした大人の仲間入りを果たした
新成人には、その日にふさわしい
「成人祝い」を贈りたいものです。

やはり、神事にもつながる伝統行事
ということを考えれば、
大人の仲間入りという意味で、
日本酒ギフトは最適です。

日本酒の入門としてオススメなのは、
スパークリング純米大吟醸酒
「天使の吐息」です。

ライトな感覚なので、
初めて飲むお酒としてはピッタリ。

少し甘みのある上質なシャンパン
のような発泡感と清涼感は飲みやすく
、お祝い感のある日本酒です。

飲み進めているうちに表れるのが、
美味しくコクと深い香りの
沈殿したオリの「うすにごり」。

徐々に日本酒の美味しさを体感できる
、まさに1本で2度楽しめる、
「成人祝い」のお酒に最適の逸品です。

また、成人の日には間に合いませんが
、今年の3月に発売予定の
「二十歳の山田錦物語」も
新成人には、ぜひお飲みいただきたい
日本酒のひとつです。

今年の新成人と同い年の大学生達が、
田植えや稲刈りなどの
酒米づくりから、
収穫した酒米による醸造、商品化まで
を体験する年間を通した体験型の
プロジェクトで生まれるのが、
日本酒「二十歳の山田錦物語」。

菊正宗が長年にわたって契約している
“特A地区”と呼ばれる
三木市吉川町前田地区で採れる
最高級の酒米・山田錦を醸造して
誕生する、新成人に趣き深い
お酒といえます。

まだ醸造前で、1月半ばに醸造し、
熟成を経ての販売となります。

是非、ご期待ください。

「成人式」を迎えても、
1月から3月生まれの“早行き”の方
は20歳の誕生日を迎えるまでは、
飲酒は厳禁。

その日が来るまで、
首を長くしてお待ちください。